閑話 揺蕩う少女
私は長い間さすらっていた。永い長い間さすらっていた。気の遠くなるような時間をさすらって私の昔の記憶はない。
ただ一つ残っているのは──。
『最強を目指す』
ということだけだった。
既に自我は薄れて、本当に自我があったかも疑わしい。
ただ、一つの目的のためだけに旅をしてきた。
自身がいつか最強になるために。肉体もなく、なんの力もない私だが、そのことに疑問も持たずに漂い続ける。
多くの力を見てきた。
神を殺して、新たなる神へと成ろうとする者。
悪魔を支配して、世界を我が物にしようとする者。
ただ本能のままに星々を喰らい続けるモノ。
ありとあらゆる者をモノを物を見てきた。
───足りない。
その力を前に、私の不満は高まるばかりであり、目指す力とは程遠かった。
神へと成らん者は結局新しい神へと昇華しても、その力は完成されて以前の神とまったく変わっていなかった。
本人は違うと思っているだろうが、力のベクトルが変わっただけで、その力の総量はまったく変わらない完成された存在となっている。
悪魔を支配して、世界を我が物にした者も、ただ頭が良いだけで、いずれ虚を突かれて自分よりも遥かに頭の悪い者に殺されていた。
いかに悪魔たちの能力を使いこなし、自身に不死性を持たせていても、結局は他人頼りの力のために、たった一本の短剣に突き殺されて、あっさりと滅ぼされたのだ。
星々を喰らい、銀河を丸呑みするモノは、最後には宇宙を喰らい、食べる物がなくなり、滅んでしまった。
全宇宙を喰らう程に巨大な身体となったが、膨大なるエネルギーを操る知能も力もないために、最後は身体が希薄化して、新たなる星々を産むための種へと変わったのだ。とても皮肉なことであった。
あらゆる世界、あらゆる次元、永き時を経て、私は遂に諦めることとした。
最強などとは夢物語だったのだ。かつてなぜ自分が最強を目指したのかも、もはや記憶にない。
私は様々な世界で蓄積した知識を持ったただの一欠片のエネルギーとして、何処ともわからない場所に漂っていた。
いずれ、内包するエネルギーも尽きて、私は小さな火花のように儚く消えるのだろう。
そう思っていた。いや、本当にそう思っていたのかは定かではない。ただぼんやりとしていただけかもしれない。
生に対する執着もなく、死への恐れも持たないままに、私は消えてゆくのだろうとそう考えていた。
しかし───。
「これは随分面白いものを見つけましたよ、見てください」
何者かが私という存在を掬いあげたのだ。それは極めて珍しく、そしてあり得ないことであった。永き時の中で、私は観察することはあっても、知覚されることはなかったのだ。
初めてのことであった。私が驚きで僅かに身体を瞬かせると、その存在は面白そうにはしゃいだ声をあげる。
「まだ力を残している、いえ、この光は途方もない知識を内包しているようです。これ、次で使えませんかね?」
「……なんでも拾うなんてと言いたいところですが、たしかに面白そうな力を持っているようです。なんでしょうか、これ?」
「わからないですけど、なんでもいいじゃないですか。どうせうまくいかないんです。今度はこれを使ってみても良いと思いますよ」
「はぁ……最初から諦めているんですから……。わかりました、お任せします」
私を掬いあげているものは、その存在と同じ存在と話していた。そして、おもむろに私を掴んで呟く。
「そうですね……これだけの知識があるならば面白い使い方をできるでしょう。あぁ、今日はラッキーデーです。だってこれだけの知識を使えるのですから」
逆らっても無駄だった。なにしろ自分が見てきた中でも、信じられない程に突き抜けた力をその存在は持っていた。そもそも私は知覚されないだけで戦う力はない。
情け容赦なく、私はまるで果実を絞られるが如く、知識を力を抜き取られていった。
「この雫を受け取る者は誰になるのでしょうか。久しぶりに楽しみでもあります」
薄れゆく意識の中で、私はこれで終わりなのだなと確信し────。
◇
なにか強い衝撃を受けて、薄っすらと覚醒する。
なぜか状況が判断できる。見知らぬ光景を戸惑いなく受け入れられる。
目の前の女警官がドスドスと肉を叩く音を立てて、アスファルトを跳ねるように転がっていった。
私の目の前に立つモノが、女警官を殴り飛ばしたのだ。皮膚が腐れ落ちて筋肉組織が剥き出しになり、濁った白目はこちらを睥睨している。その身体は人間のようで人間ではない。
元は人間だったのだろうが、3メートルを超える身長のモノなどいない。なによりその存在は死の空気を纏い、血の臭いを漂わせていた。
乱杭歯からヨダレが滴り落ちて、殺気と本能からの食欲を感じさせている。
化け物だった。
そして、その化け物を前に、私は……いや、この体の持ち主は、小さな体躯と弱々しい力しか持たないのに───。
恐怖を心に一欠片も持っていなかった。
あるのは焦りと静かな怒りのみ。
「ウォォォ!」
次のターゲットにしたのだろう。筋肉がはちきれんばかりの巨大な死体は丸太のような腕を振り上げて、敵は雄叫びをあげると殴り飛ばそうとしてくる。
その瞬間。
────レキ。
名前を呼ばれて、私は身体を動かす。
振り下ろされる腕を前に、力を受け流す立ち位置に僅かに身体をずらし、もっとも強力な力を出せるように、肉体に力を込めて手のひらを広げて待ち構える。
パンと音がして、敵の拳に比べると遥かに小さくて弱々しい手のひらで受け止めていた。
最小の力で、最悪の力を受け流す。敵の攻撃は手のひらから分散されて本来の力は発揮できずに霧散して、私は押し下がることも、体幹が崩れることもなく、平然と立っていた。
敵にとっては、自信のある一撃であったのだろう。侮りから驚愕へ、驚愕から警戒へと敵の持つ空気が変わるのを明敏に感じる。
「邪魔ですね」
平静に平然と冷淡に冷酷に私は呟く。
いや、私ではない。私を使う者の言葉だ。
ワタシはこの者の力となり、知識と変わっていた。本来ならば、それで終わっていたはずだった。
だがこの者はワタシヲタヨッテイタ。ワタシをヨンデイル。チカラヲ求めている。
───レキさんや、任せたよ。
力を渇望し、私を求めている。
───適当に力を借りたいんだけど。
あんまり渇望していなかった。でも、私は求められている。だって、名前をつけてくれているし。
それに───なにより、この人は弱かった。でも、私が見たことのある者の中でも──。考えた瞬間にクラリとくる。
───???
私が見てきたものとはなんでしょうか?
はて? なにかあった気がします。なにかがあったような気がします。
でも、わかることがあります。最強を私は目指す。それが自分の望みです。
「シッ」
小さく呼気を放ち、身体を回転させて、その遠心力をフルに使い、しなやかなる鞭の如き蹴りを食らわせる。
その速さは残像を残し、その威力は巨体をくの字に折らせた。軸足とした足が擦った摩擦でアスファルトから煙が立ち昇り、放った蹴り足は敵の鳩尾深くに食い込む。
痛覚を持たないはずの敵は、されど私の一撃を耐えうる程の耐久力は持っていなかった。
再び小さく深呼吸をすると、体に眠る力を喚び起こす。与えられた力なれど、その力は人を超えている。
細胞の一つ一つが、この体の持ち主の魂から、人を超える力が引き出されていく。その力は人の手に余るものなれど、そもそも私を頼りにしている人は手に余らせたら適当にポケットにでも仕舞うように、魂の底に溜めていた。
なので溢れかえるはずの力は溢れることはなく、私は十全に操れる。壊れることなく、傷つくことなく。
小柄な体躯の子猫を思わせるか弱き少女の身体に、全てを超える力が膨れ上がる。空間は歪み、軋みながら、世界の理を壊し、私の思うがままの力を引き出していく。
『超技サイキックブロー』
腰だめに繰り出した一撃は、空間を破砕していった。アスファルトは歪みに巻き込まれて細かい塵と変わり、巨体の死人をその力の波動に呑み込む。
痛覚を持たず、リミッターの存在しない強靭なる身体は、空間を歪める波動に呑み込まれると、その身体がまるで発泡スチロールのように簡単に崩れて破壊されていった。
そうして、あっさりと敵は消滅して、私は残心を残して構えを解く。
───ありがとうレキ。
その柔らかで優しい声が私を癒やす。心に安らぎが訪れて、私は強い眠気に襲われて、うつらうつらとイシキを希薄にさせていった。
眠いのです。ここは寝てしまって良いでしょう。赤子が揺りかごで眠るように、雛が巣で親に包まれて目を瞑るように。
私は眠りにつく。ゆっくりとゆっくりと。
でも、わかるのだ。予想ではなく、確信している。彼はきっと私をまた必要とするだろう。
今は雛どころか、私は卵に入っている形だ。ぴよぴよと鳴き声をあげることもできない。
意識はぼんやりとしており、いつも眠い。だって適当で良いのです。そう言ってくれているので、間違いない。
いつかまた私の力を求められる時がくる。その時に私はまた眠りから覚め──。
──レキさん、頼むよ。
──これはレキに任せるしか
──頼りにしているよ。
なんか、ちょこちょこ喚ばれていた。物凄い気楽に喚ぶ姿は雛がお腹を空かせて、ぴよぴよと餌を求めるかのようだ。
でも、忙しいのかといえば、全然忙しくない。なぜならば戦闘の時にしか頼ってこないし、だいたいはのんべんだらりと暮らしているからだ。人生イージーモード、好き勝手に生きていこうという考えかららしい。
大賛成です。私もこういう生活がしたかった。どうしてこういう生活を思いつかなかったのか、わかりません。人生が世知辛いという考えは間違っていました。他人の考えを真に受けてはいけませんね。
しかも戦うごとに強くなる。余裕を持って、力を底上げしていく。
今はまだまだ弱いけど、いつかは最強に至るかもしれません。
少しずつ、少しずつ、僅かな歩みだけど、私の自我は形成されていく。そうして、私は私となり……。
眠くなりました。今日もまたこの体の持ち主の暮らしを見ながら微睡みましょう。
戦いと睡眠が私の人生であり目的なのだから。
一つだけ不思議に思うのは……。
私が表に出ている時の口調に違和感をまったく覚えないところですが、万事全てに適当なので気にしないのでしょう。
適当という言葉は、いい加減という意味ではなく、足りているという意味もあります。
その意味がわかるのは、きっと遥かな先。
それではお休みなさい。




