閑話 スーツの男
織田椎菜はゾンビが徘徊する、以前ならば笑い飛ばすだろう世界となったことで、天涯孤独の身となった。
だが、その性格は捻くれてしまうわけではなかった。むしろ以前よりも皆の様子を見て、気が利くし、優しくなったと友人には言われる。
それじゃ、前まではどうだったのと怒ったふりをすると、子供っぽいところがあったかなと正直に言われて口を噤むのであった。
たしかにそのとおりかもしれない。一人で生き抜くことになった今は以前よりも想像を絶する程の大変な暮らしなのに他人に優しくなった気がする。
だが、それは自分の力ではないことを知っているからだろう。皆に助けられたからだ。
特に幼い少女に助けられたことが大きい───。
一人でゾンビが溢れる世界を探索し、孤独に戦い続けるのはどんな気分なのだろうか。私には絶対に無理だ。きっとすぐにゾンビに襲われて殺されるだろう。
恐怖に襲われないのだろうか。戦いたくないと、閉じこもったりしないのだろうか。
スーツの男の人はレキちゃんをまるで兵器のように語っていた。ナイフのように切れ味の鋭そうな目つきと冷淡な言い方に、私は帰ってからゾッとした。
あの時は怒ったけど、それ以上に気づいてしまった。彼はレキちゃんを人間扱いしていなかったと。兵器のように、いや、まさしく兵器として誇っていたと。
そんな世界に生きていて、レキちゃんは悲しく思い寂しさを宿さないのだろうかと、フト考えてしまう。
あんなに表情豊かで、一緒にいると楽しい娘を兵器扱いなんて酷い。今度あの男性に会ったら、絶対にパンチしてやろうと思いつつも、自分の性格ではできないだろうなぁと溜息をつく。
なにしろ少し気が弱いのだ。友人はハァ? と誰が気が弱いのと言ってきたけど、私は気が弱く臆病者だ。
それでも男性にレキちゃんを、優しく扱ってくださいと文句を言うつもりである。
まぁ、とりあえずは私自身が生き残らないとなんだけど。
私は引っ越しの準備を終えて、ガランとした大会議室を見渡す。少し前では救助された高校生たちが寝泊まりをしていたが、今や数えるほどだ。
仕切りとして使われていたカーテンは取り払われて、乱雑に置かれていた毛布や、空となったペットボトル、配給されて黴びるまで捨て置かれた乾パンなどは綺麗に片付けられて、なんとなく寂寥感を感じて寂しい。
レキちゃんに救われた私たちは空元気も元気のうちと、活発な人たちから、この暮らしを止めて去っていった。そうして今や私を含めて数人ほどしか残っていない。それも今日で終わるだろう。私も友人と一緒に小部屋に住むつもりだ。
ちょっと出遅れた感はするけど、自分のペースでいけば良いや。
「椎菜〜、引っ越しの準備できた?」
「レキの引っ越し屋さんもいますよ。クロレキ猫の引っ越し屋にお任せを!」
友人が部屋に入ってきて、その背中から可愛らしい子猫のような少女が顔を覗かせる。ウキウキとして心から楽しそうな表情なので、私もその顔を見るだけでなんとなく元気をもらってやる気が出てくる。
「あれ、レキちゃん。今日は手伝ってくれるの?」
「はい、どうやら引っ越しブームが到来したとのことなので、私もこのサブクエストをレジェンドまでクリアするつもりです」
「サブクエストってゲームじゃないんだから」
無邪気な言葉にクスリと笑みが溢れてしまうが、残念ながらお手伝いを頼むほどではない。なにせ毛布と数枚の衣服、そして僅かなお金だけだ。
「むぅ……そうなんですか。たしかに心許ないですね」
「命があっただけでも、めっけもんだよ。あとはお金を稼いで……暫くは鉄くず拾いかな?」
私の学校鞄を見て、がっかりしたような困ったような顔になるけど、こればかりは仕方ない。暫くは配給頼りで、近場を探索してお金を得るしかないだろう。
そう答えると、レキちゃんは僅かに思案して、首を捻って不思議そうにする。
「鉄くず拾いって、なんですか? 車なんてそこらじゅうに転がっているじゃありませんか」
「鉄くず拾いはね、単なる暗喩だよ。本当は安全そうなビルとか家屋から色々な物を回収するの」
あんまり胸を張って言えることじゃないけど……もう持ち主が消えて帰ってこないビルや家屋内の品物を活用しようとしているのは仕方ないことだと思う。
友人も気まずそうに頭をかいているので、レキちゃんが軽蔑しないかなと心配しているのだろう。私も同じ気持ちだ。
そっとレキちゃんの顔を見ると、軽蔑の表情はしておらず、難しい顔になっていた。どことなく怖い感じだ。
「それはまだまだ早いと思いますよ。少なくとも……そうですね、豪族さんに提案してみましょう」
「なにを? お仕事を用意して、とか?」
「いえ、今の状況では仕事を用意するのは無理だと思いますので、そこまでは言いません。ですが……」
「ですが?」
「そうですね、では今日は鉄くず拾いというものをやりましょう! その荷物は運びますね、クロレキ猫の引っ越し屋さんです」
止める間もなく、私の荷物をひょいと軽く背負うと、たったかーと走って行ってしまう。
そして、たったかーと戻ってきた。
「ところで、どこにお引越しでしょうか?」
テヘヘと笑うクロレキ猫の屋の引っ越し屋さんに、私はダメダメだなぁと、笑いながら案内をするのであった、
◇
あっという間に引っ越しは終わり、私たちはコミュニティから結構離れたビルにいた。
先頭はレキちゃんだ。しゃがみ走りで移動しながら、なにかのスパイごっこをしているので、微笑ましくて、友人と二人でクスクスと笑ってしまう。
薄暗い通路をレキちゃんは子猫のようにキョロキョロと辺りを見渡して、おもむろに窓に手を添える。
「ささっ! こちらはクリーンです。いえ、きたないのにクリーンとはこれいかに? あ、窓が埃だらけです。触ったら真っ黒になりましてよ、奥さん」
「奥さんって、もぉ〜。それにたしかクリーンじゃなくて映画とかだとクリアだったよ」
「あ、そうでした。それではクリア!」
部屋に転がりながら飛び込んで、転がっている椅子に絡まって、レキちゃんは盛大にガッシャンと音を立ててしまう。
電灯がなく、昼間でも陽射しが少ししか入ってこずに静寂に包まれていた薄暗い廃ビルが、途端に騒がしくなる。
ほこりまみれになって、椅子を頭に乗せて、ふんふんと鼻息を荒くするレキちゃん。そんな姿も愛らしいけど、笑ってしまう。
「椅子というトラップがありました。皆さん気をつけてください!」
「自分から突っ込んだんでしょ。あんまり騒がしくすると、見回りに気づかれて怒られちゃうよ」
友人がケラケラと笑いながら、レキちゃんの体についた埃をポムポムとはたく。私もレキちゃんに近づいて埃を落とすのを手伝う。結構埃がついちゃった。
レキちゃんも埃を落としながら、小首をコテリと傾げる。
「見回りの兵士は見てみぬふりをするのでは? だってここに来るまでに通り過ぎましたよね? 見張りも気づいてましたよ」
「うん、そうなんだけど、これだけ騒ぐと怒られることがあるんだ。だからシーっなんだよ」
小指を差し出して、悪戯そうに言う。ノリの良いレキちゃんは秘密なんですねと喜んで指切りげんまんをしてくれると思ったけど、なぜかスッと私の横を通り過ぎる。
「では探索といきましょう。なにか良い物があると良いですね」
「う、うん……さ、探そうか」
どことなく違和感を感じるが、私たちは探索を始める。とれかけた蛍光灯、倒れたビジネスデスク……静かなこともあって、かなり不気味だ。いつもはお喋りをしながら探索をするけど、なぜかレキちゃんが黙々と机の引き出しとかを開けて探すので、私たちも黙って探す。
なんだか気まずいなぁと、友人と顔を見合わせて、予想と違った探索に、声をかけようか迷い──。
「あ、お札があったよ! やった諭吉さんだ!」
やったぁと、私は声をあげて引き出しに入っていた諭吉さんを手に取り……ぎょっとする。何十枚も引き出しには入っていたのだ。普通の会社のデスクなのにおかしい、けど幸運だったのだろうか。
「やったね、椎菜!」
「うん! これなら生活費になるよ!」
二人で手を合わせて喜ぶが──。
「おめでとうございます。映画でもよく見る光景ですよね」
レキちゃんは窓際のデスクに座り、パチパチと拍手をしてくれる。逆光でその顔は見えないが、なんとなく………怖い。それにそのセリフがとっても不穏だった。なんだかレキちゃんらしくない。
「え、映画とかってなにかな?」
「ゾンビ映画を見たことがありませんか? 大金を手に入れて喜ぶ人々がどうなるか? 私は結構見ているんです」
「ゾンビに殺されちゃうパ、パターンだよね? でも、ここは安全だよ。見回りの兵士もいるし」
口籠りながら弁明すると、フフッとレキちゃんは笑う。相変わらず逆光でその顔は見えない。
さっきレキちゃんが倒した椅子に、すうっとちっこい指で指す。
「それは先程言ったとおり、罠なんです。天然の罠。躓きやすい椅子に、朽ちかけて手をついたら壊れる机、傾いて今にも落ちそうな花瓶に、歩く振動で落ちてくる蛍光灯。怪我を負うのではなく……」
パリーンと音を立てて、レキちゃんの後ろの窓が割れて、何かが飛び込んでくる。
私たちが悲鳴をあげようとして、レキちゃんを見る。レキちゃんは平然としていた。逆光がなくなり、その顔がよく見える。
「音なんです。まだまだここらへんは危険なんですよ」
「ウッキー!」
咆哮をあげながら、針金のように剛毛で毛むくじゃらの猿の化け物が三体も入ってきた。兵士の服を着込み、手には大振りのナイフを持って、レキちゃんへと襲いかかる。
砕けたガラスが空中に舞い散り、レキちゃんは無機質な瞳で手を突き出す。
「グゲッ」
レキちゃんの手元が僅かに光り、ヒュンと風斬り音をたてて、猿の化け物の首を通り過ぎていた。いつ触ったのかまるでわからない。
ただドサリと倒れる猿の化け物を見て、私たちは倒したのだと、ようやくわかる程度だった。
「キーッ」
2匹の猿が横殴りにナイフを振るい、レキちゃんは片手をデスクにつけて、ふわりと浮く。ナイフが通り過ぎていき、レキちゃんは逆立ちに浮いて、くるりと舞うように回る。
タタラを踏んで、猿の化け物たちはよろよろとレキちゃんの下を通り過ぎ、首が滑り落ちていき、ガラン机を巻き込んで倒れるのであった。
トンと静かに床に立つと、レキちゃんは私たちを見てくる。その瞳はいつもの無邪気な楽しそうな瞳ではなく、淡々とした平然として平静でなにも感情を持たない人形のようだった。
「まだまだここらへんは危険なので、豪族さんには言っておきます。命よりも大事な物はないとは言いませんので、安全宣言と防衛の兵士を必ず付けたきちんとしたお仕事になるように」
責められるよりも、淡々とした口調で怒られたほうがきついと私たちはコクコクと頷く。
「せっかくの命なんです、椎菜さん。私はここらへんにまだまだ隠れている残党を倒してきますので、反省しつつ帰ってください」
そう言うと、レキちゃんは壊れた窓から飛び出してあっという間に消えていった。レキちゃんの消えた先から銃声や化け物の声が響く。
きっとさっきみたいに倒しているのだろう。
「怒られちゃったね、椎菜」
「うん……たしかに危険だよね。私たち少し焦っていたのかも。後でレキちゃんに謝らないとね」
しょんぼりとしつつ、帰宅につく。よく見ると諭吉さんは綺麗な物だった。きっとレキちゃんが、私たちの目を盗んで引き出しに隠したのだろう。
椅子に転んで大きな音を立てたのも、全ては計画とおりだったに違いない。
レキちゃんに怒られちゃったねとしょんぼりながら、スーツの男の人が言った意味を理解した。間近で戦闘をするレキちゃんは綺麗な動きだった。そしてなんの感情も浮かばずに、まるでゲームのザコキャラを倒すかのような態度だった。
最高傑作と言っていた意味がわかりすぎるほどに理解した。彼女の瞳には恐怖はない。怯むこともなく敵を倒すのだろう。戦うことに躊躇いもない。
兵器として扱われているとわかってしまった。
だけど────。
私たちの無謀な行動を怒ってくれたのだ。その表情からはわからなかったが、兵器であれば絶対にやらないことだ。
「このお礼はレキちゃんと遊ぶことで返すよ!」
「遊ぶの?」
「ええっと……レキちゃんを人間らしくするお付き合いをする?」
「あぁ〜、なんとなくわかる。私も手伝うよ!」
「うん!」
スーツの男の人の言うことは間違っていると確信して、私はギュッと手を握りしめると歩きだすのであった。
きっといつか、このお礼は返すのだと心に誓いながら。




