476話 金山にて暮らす少女
藁葺きの屋根をもつ雰囲気のある古い家とはいかないけど、今は昔とは違う家に住んでいる武田久美はふわぁとあくびをしながら思う。
チュンチュンと雀が鳴く中で、朝の陽射しが気持ち良い。これがもう少し経てば夏の暑さへと変わってしまうから、大変な仕事は朝早いうちにやらないといけない。
大樹が用意した仮設住宅という話だが、正直どこらへんが仮設なのか首を捻ってしまう。エアコンはついているし、お風呂も洗面台もある。もちろんトイレだってあるのだ。そして部屋は2部屋。崩壊前は一軒家に住んでいたのでたしかに狭いとは感じるけれども。
崩壊前は田舎暮らしでそろそろ過疎化が気になる村。老人が多かったが子供も少しだけいて、のんびりと暮らしていた平和な村であった。
そこでは一軒家は当たり前であり物珍しくもない。学校が少しだけ遠かったが、それ以外は特段気にするようなこともなかった。
ゾンビたちが村に溢れ返り、人々が逃げ惑うまでは。
もうゾンビたちが現れて人々が死んでいき、世界が崩壊して三年近い。もはや涙も出ることはなく獣を狩って化物を倒す暮らしをしていくのだろうと、ようやく見つけた不自然極まる坑道に住み始めて、漠然と未来を考えていた矢先に、またもや生活は激変することになったと苦笑をしながら台所に立つ。
冷蔵庫からお味噌と豆腐を取り出して、コンロにお鍋をかけて豆腐を入れてお湯を沸かす。蛇口から冷たい水が出てくるのが珍しくて、ついつい手で触ってしまう。私は異世界から現代に来たエルフかなにかかと苦笑をする。
三年ぶりに文明的な生活へと戻ったが未だに慣れない。あの坑道暮らしで随分野生的になったらしく、冷蔵庫を開けるときもヒンヤリとした空気が外に出てくるのを新鮮な気持ちで驚いてしまうのだから。
「あら、久美? もう起きたの? 早いわね」
母さんが眠そうに目を擦りながら台所に来る。坑道暮らしで肌はカサカサで痩せぎすであったが、だんだんと健康的になっていると安心する。たぶん母も私を見て同じことを考えているかもと、クスリと小さく笑ってしまう。
「ん? どうしたの?」
私の隣に来て、コンロにフライパンを置きながら不思議そうに聞いてくるので、微笑みながら母を見る。
「ようやく平和な生活に戻れたなぁと思って。お父さんは?」
「あぁ、あの人なら仕掛けていた罠に獣がかかっていないか見に行ったわ。相変わらずね」
「この三年間はくくり罠に頼っていたからね〜。習慣はなくせないよ」
逃げた先では獣を狩っていた。……うん、お父さんは槍を担いでいるときがあるけれども、本来は罠猟が中心である。槍なんかでは狩れないし、猟銃の弾はとうの昔になくなっていた。罠で狩るのが主流となったのは当たり前であった。
「でも軍がいるから、今は罠を仕掛けないでくれって言われてなかった?」
「それがねぇ、俺たちはここで猟をしながら暮らしていたんだって、鉱山作業が始まるまではって、駄々を捏ねたみたい。少し恥ずかしいわ、これからお付き合いをしていく人たちなのに」
頬に手をそえて困った表情になる母を見て、なるほどと私は窓の外へと視線を移す。
遠くにはテントがたくさん張られており、軍が駐留しているのがわかる。あの人たちは金山周りのゾンビたちを倒すべく駐留している人々だ。
そう、私たちは未だにこの地に留まっていた。金の眠る鉱山に。父さんが言うにはここは街になるから一番乗りで住むべきらしい。
「手付かずの鉱山だから200年は持つらしいけど。なんというか、父さんらしいよね」
そう言いながらお湯が沸いたので、お味噌を入れるのであった。久しぶりのお味噌は甘じょっぱくて美味しいや。
◇
朝食ができて、テーブルへと運んでいると、ただいまとお父さんが帰ってきた。機嫌良さそうな声なので、なにかを捕まえたに違いない。
もちろん槍なんか持たずに、手ぶらである。軍手をつけて昔のマタギみたいに毛皮を着ている大柄な体躯のお父さんは遠目には熊に見えてもおかしくない。幸村ではなく熊村と皆は呼んでいるが、お父さんも言われ慣れており、否定して怒ることもない。
「今日は猪が二頭も引っかかっていたぞ。大量だ、軍の連中に捌いたら分けてやると言っておいたぞ」
ガハハと豪快に笑うお父さんが洗面台で手を洗ってから、居間に来てドスンと座る。
「貴方、軍の人たちとは仲良くやってる? あの人たちはしばらくここにいるんですからね?」
「んん? あぁ、もちろん仲良くしてるぞ。武田流槍術当主の俺の槍さばきを見たいと言っていた」
ワハハと嬉しそうに笑うお父さんは朝食にとりかかる。箸を振りながら
「なんだか軍でも槍を使う者がいるとか。実戦を経てきた俺には及ばないだろうが、一度立ち会いたいものだ」
「もう、趣味でやってただけでしょ。槍は倉庫に眠っていたものだし。刃もなかったし」
お母さんが呆れたようにツッコミをいれるが、そのとおりである。槍術で食べてはいけないし、農家をやりながら暇な時に素振りをしていただけだ。刃がないのだから棒術というべきだったかもしれないが、刃付きだと崩壊前は色々と申請が必要だったので昔に外してしまったのである。
「うむぅ、爺さんから一応型は教えてもらったんだぞ。だからこそあの足軽スケルトンたちを相手に一歩もひかなかったのだからな」
「あれ、弱かったじゃん。たしかに一対一で戦いたくはないけど、数人でタコ殴りにできたし」
足軽スケルトンから奪った槍の穂先をつけて、ようやくまともな槍へと変わった。そして足軽スケルトンは弱かった。骨だけに。
「だが、その実戦は俺のためになった。鉱山で働くより、槍術道場でも開くか」
「貴方、そんなことをしたら離婚を考えますからね?」
ニコリと目が笑っていない微笑みを見せるお母さんに慌てながらお父さんはそんなことはしないと答えるので、ついつい笑ってしまうのであった。私の笑いに釣られて、お母さんたちも笑う。
平和な暮らしに戻ったんだなぁと、しみじみ思っていたら外から少女の悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「ギャー! 無理だから! 私に槍で敵を倒せとか無理だから! ノブさん、これはスパルタじゃなくて、殺しにかかっているよ! 気づいて? 私はか弱い乙女なの!」
「カッカッカッ、我が主君よ? そなたは心構えから教えんとならんようだからな。大丈夫だ、倒せとは言わん。慣れろ!」
「慣れる前に死ぬから! 私は幸薄そうな影のあるサマナーとして、放浪しながら人々を救っていく予定だったの! ゴリラみたいな筋肉ムキムキ女になる予定はなかったの〜」
凄い泣き言を言うのは、私たちを助けてくれたサマナーの少女の声だ。ベランダから覗いてみると侍に引きずられていく姿があった。
「お前は金を貰って戦いをする傭兵みたいなもんなんだろ? ならば色々と訓練する必要がある」
侍のおじさんと一緒に歩く軍人のお爺さんが冷たい声音で話してもいた。
「ババアたちとは別行動となったんだ。それもこれも虚弱体質のお前を鍛え直してくれとお嬢ちゃんに頼まれたからだ。しっかりと傭兵流の知識も叩き込んでやるからな」
「レキちゃん、ヘルプミー! 課金、課金でお願いします! スキルガチャとか実装して〜。女神様ならできると信じているよ〜」
「戯言を言う元気はあるようだな。おら、キリキリ歩け」
怒るような声音で少女を睨むお爺さんに小突かれて、侍に引き摺られて視界から消えていくサマナーの少女であった。たしか佐々木鈴さんだ。
「大変そう……やっぱりサマナーでもダメダメな人だったんですね……」
その哀れすぎる姿にホロリと涙を流す。あの人が来たときも思ったが確信に変わる。
そもそも出会った時から変であったのだから。
朝食を食べ終えて、寝っ転がりノンビリとする。これからなにをしようか? いつもならば毛皮を鞣したり、敵がいるか見張りの人と交代していたりするんだけど、その習慣はなくなった。
今や槍を持ち緊張して見張りをする役は、軍の装甲車と兵士が代わりにやってくれているし、毛皮も鞣さなくても普通に服が買えるので。気が早い若木シティの商人が既に店を始めているのだから。
「初めてサマナーさんに会った時は驚いたなぁ」
ポツリと呟く。思い出深いと言うには最近すぎるが、いつもの足軽スケルトン狩りをしていたら現れたので驚いたものだ。
侍に女スパイ、頭には妖精を乗せて、白鳥のような翼を背中から生やしている美女を連れた人。
明らかに普通ではないと緊張したが、悪人には見えなかったのでサマナーですよねと冗談がてら近寄ったら、本当にサマナーであったのは内心で本当に驚いたものだ。
立ち位置を見るにリーダーらしき人。しかして、侍には頭が上がらなそうだったし、監視役っぽい女スパイさんと怪しすぎる一行であった。
これはもしや監視されている哀れなサマナーさんで、助けると言ってくれたけど怪しすぎると坑道リーダーのお爺さんたちは考えた。
………たしかに私も危ういとは考えてしまった。サマナーなんかゲーム世界の住人だと思っていたら、凄そうな力を持つ本物が目の前に現れた。
人外レベルの力を持っているのならば、横暴にまわりへと振るうとか、その力を見せつけて支配階級になりそうなのに、女スパイさんたちに頭があがらない様子。これはもっと強いサマナーが後ろに控えているのではと全員が思って警戒した。
なにより、白鳥のような翼を生やした穏やかな笑みから表情が変わらない天使を見て、リアルで目の当たりにすると不気味かもとも思ってしまったのだ。もう少し感情豊かなら良かったのに、人形みたいだったのが悪い方向へと走ってしまった。
ゲームもしたことのないお爺さんたちが警戒するというか、恐怖するのは当たり前の帰結であった。
だからこそ、救援を断ったのだ。反論はしたかったがお爺さんたちが恐怖していたので、あまり強く言えなかった。
起き上がって冷蔵庫からサイダーを取り出して、ベランダへとでる。ムワッとした暑い空気が肺に流れ込み、緑の匂いがする。
プシュッと軽い音をたてて蓋を開けて、外を見渡すと着々と採掘用現場が作られていた。ダンジョン時にはあった横穴が殆ど無くなっているので掘り直さないといけないらしい。それに元からあった横穴も補強をしないと落盤するかもしれないので、立ち入り禁止となっている。
外でどこから持ってきたのか、大きなタライに毛皮を入れて、フミフミと足で踏みながら豪快に洗っているおばさんたちが見える。
「あら、久美ちゃんおはよう〜」
私に気づいたおばさんが手を振って挨拶をしてくるので私も挨拶を返す。
「おはようございま〜す。毛皮を洗っているんですか?」
多少なりとも大きな声で尋ねると、にこやかな笑顔で毛皮を指し示す。
「ほら、これだけ嵩張ると洗濯機じゃ洗いきれないから。このまま捨てるのも勿体ないしねぇ」
「そうですね。三年近くもお世話になっていた服ですしね」
今の服装は夏らしくTシャツにパンツだ。もう毛皮を着ることもないのだろう。だが、捨てるのは勿体ない、今までお世話になった物だし。
坑道へと移り住んで、穴蔵で暮らすドワーフみたいな生活をしてきた。猪や鹿を狩ってきて、猟した際の専用施設から持ってきたミョウバンとかを使って革を鞣したり、燻製を作ったりした。
スケルトンから身を隠し、不自然にあった朽ち果てそうな炉を使ったりもして、色々な物を補修したりした。岩塩を取りに行って敵に見つかって死にそうになったときもあったっけ。
それに奥へと向かい、帰ってこなかった人たちもいた……。
「あ〜。随分波乱万丈の暮らしをしていたんだなぁ」
精神的にも肉体的にもかなり鍛えられたと思う。そんじょそこらの人たちとは比べ物にならないと自負もしていた。
「していたんだけどねぇ〜……」
今はあんまり自信がない。超常の力を持つ人たちもそうだが、他の人たちも凄そうなのだ。
いつの間にか戻ってきて、おばさんたちとは反対側にいるサマナーさんを見て苦笑する。助けに来ましたと自信有りげに言ってきた割りには断ったら極めて常識的な解決策を持ち出してきた少女。
すぐにもう一人の少女が持ち出してきた食べ物の力で、有耶無耶になったのではあるが。
「ギャー! 無理だから! 槍なんかじゃ敵は倒せないから! ゾンビに突き刺しても平気な顔してたよ! ねぇ、レキちゃん、そろそろガチャの時だよ? 私にガチャを!」
木の幹に蝉みたいにしがみついて、泣き言を言う鈴さんはそばにちょこんと座って、シャクシャクとかき氷を食べている子供のような可愛らしい少女へと頼み込んでいた。
「お前はどれだけ楽をしたいんだ! いい加減にしろ!」
怒鳴るお爺さんと苦笑いをしている侍さん。その人たちへと口を尖らせて鈴さんは叫んでいる。
「私だって頑張ろうと考えていますよ。でもまずは体力作りとか、基礎知識が必要だと思います。あと、スキルガチャ」
「鈴さん……様子を見に来たら早速泣き言を言うなんて……あの凛々しい姿はどこに……そういえば凛々しい姿なんて見たことなかったですね」
「私はレキちゃんと違って普通の女子高生なの! やっぱり高校に行くところから始めようかな? サマナー研究部とか作って活動するのはどうかな?」
駄目駄目なことを提案する鈴さん。話を伝え聞くに、彼女は人々を助けるために行動をしているらしいけど。ちょっと情けない姿を見せている。
ふ〜、とため息を吐いてレキちゃんが鈴さんへと真面目な口調で問いかける。心配気な声色で。
「やめます? 別に良いですよ、その場合は他の人がダンジョンギルドの代表になるだけです。ギルドへ投資した資金は返却しますし」
その言葉に、うぐっと息を呑んで鈴さんは顔を俯けて言う。
「やめないよ……。私は世界を変えるサマナーなの。だから人助けはやめない」
「ならばこそ、鍛えなければならないのだろう? 我が主君よ」
侍さんも真剣な口調で言うと、幹からそっと離れて鈴さんは立ち上がる。
「鍛えるのはわかっているけど……スパルタすぎるのぉ〜! 科学的に! せめて科学的に鍛えるやり方でお願いします! 私は本当に普通の女子高生なんです! 鍛えられた精神とか、強い心とか根性なんかないし、心もすぐ折れるんです!」
土下座をして、かっこ悪いのか、格好いいのか判断に迷うことを叫ぶ鈴さんに、仕方ないなぁとお爺さんと侍さんはため息を吐く。
「自分のことをそこまで理解しているのはわかった。仕方ない、基礎から教えていくが、急ピッチだからな? 次に泣き言をいえばやめるぞ?」
「えっと、泣き言は一日三回までとかだめですか? 絶対に頑張りますから!」
えへへと顔をあげて、情けないことを言う鈴さんに、嘆息をするが再び襟を掴んで引き摺っていく。
「体力作りからだな。まずはマラソン10キロから始めるか。もちろん山中で」
「あんまり変わらないような……うぅ、わかりました! やります、やれば良いんでしょう! レキちゃん、ガチャが実装されるのを待っているからねぇ〜」
さようなら〜と手を降るレキちゃんを見ながら諦めの悪い鈴さんだった。
周りのおばさん連中は笑っているが、馬鹿にしたような笑いではなく、微笑ましい様子を見たと笑っていた。
私も同じように笑ってしまう。
「私たちは最初に助けに来たと言ってくれた鈴さんに感謝をしているんですよ」
そっと呟くその言葉は風に消えて、私は再び涼しい部屋へと戻る。
そろそろ蝉の鳴き声も少なくなり、夏が終わる時期であった。




