444話 聖都ざわめく
京都市内、その中でも突如として現れて人々の信仰を集めて安心と信頼を得ていた神秘的な社。まるで世界の中心に存在するような美しく神々しいその建物は以前とは違う光景の中にあった。
「総理を出せ!」
「本当は壁の向こうは平和なんでしょ?」
「食料が足りないんだ」
「子供のためにも壁を無くして!」
建物の周囲には人々が大勢集まり、怒号をあげていた。神秘的な象徴でもあった戸隠たちが少女に敗れて、大樹は潤沢な食料を配給しているという噂が全域に広がったのだ。
権威は失墜し、希望は外にあると理解した群衆は社へと押し寄せていた。
懸命に自衛隊員や修験者が声を張り上げて抑えようとしているが、このまま続けば暴徒となって、この社に押し入ることは火を見るよりも明らかであり、中にいる人間がどうなるかも簡単に想像できた。
その様子を窓から外を見て、嘆息して総理は振り返り部屋を見渡す。
「数十人から始まった狂人の国ではなかったのかね? もはや大樹とやらに入れない人々は危機感を持ち、我らを、政策を責めてくるばかり。狂人の作った大樹とやらは、いったいいつ化けの皮が剥がれるんだ?」
この騒動で疲れ切った表情で、年齢よりも歳を重ねた老人のように総理は周りへと尋ねるが
「………」
「………」
「………」
誰も答えることはできずに、天井を仰ぐか、力なく俯くかで解決策はない。
「この騒ぎで、勾玉へ祈る人間も少なくなり、集まる力も少なくなって作物を栽培することも難しくなっている。そのために配給内容もどんどんと酷くなる、八方塞がりというやつだな」
ポツリと弱気な言葉を口にする戸隠を、総理は責めることもなく椅子へと座り、深くもたれ掛かる。
「たった一人の行動で、この二年間の我らの頑張りが無になるのか? 外には本当に平和な世界が待っているのか?」
力ない声音で、再度総理が尋ねるが
「外は壁ができる前に確認した。崩壊は防げずにゾンビ共の支配する世界へと変わっている。………そう信じていたが、大樹とやらの尽きぬ食料を見ると怪しく思えてきたのぅ」
袈裟を着た老人が肩をすくめて、返答する。既に千人を超えている集団を確保しているはずなのに、不満から現れるはずの密告者が出てこない。その示す先は、相手には潤沢な物資があるのではという考えである。
「しかし疑問は残る。壁を越えて来たとなれば、なぜ少数で来た? かの壁は乗り越えること叶わず、この間の侵入者が持っていた神器照魔鏡なれば入れるだろうが、食料はどうやって確保しているのだ?」
「酷いペテンかもしれませんな。奈良で集めた食料を使い混乱を招く。そうして、本人は大樹という国をドサクサ紛れに建国できる訳だ。少ない人数でここまで混乱を起こした狡猾な者ならば、それぐらいはできると思います」
「幕僚長、狂人を逮捕できるかね? その場合はペテン師が食料を持っていないことと、壁を乗り越えてきた人間では無いことを示さなければなるまい」
それぞれが発言する中で現実的な内容へと話が変わってくる。すなわち、ペテン師ではという予想だ。少ない人数で僅かな期間で混乱を招くことができる恐ろしい人間ではあるが、その場合は逮捕すれば良い。狂人が立て籠もる拠点にはもはや食料は無く、たんに聖都を支配したいだけの男だと示せれば全ては解決する。
「………難しいですな。最初に修験者の勾玉を取られたのが痛かった。どうやら勾玉を悪用することに頭が回るらしく、敵の拠点へと侵入するのは今のところ成功しておりません」
「最初に突入した奴らが勾玉を取られなければ……。初動を間違えたか」
ドンと机を叩いて悔しがる様子の幹部。会議室は外からは民衆の怒号が聞こえ、部屋内は重苦しい空気が漂い最悪の雰囲気であった。
「誰か、解決策はないのかね? もはや食料庫も空に近い。餓死者が出るのも時間の問題だ」
誰かの悲痛な問いは、重苦しい空気に霧散していく。誰もが答えられずにそう思っていた時であった。
「ならば解決策を提案しようじゃないか。ようやく話し合いのテーブルにつけそうで安心したよ」
会議室の扉が開き、威圧感を感じさせる声がかけられた。
「誰だ! いったいどうやってここに!」
ガタンと椅子を蹴って、勢いよく立ち上がり幹部の一人が吠えるように誰何してくるので、尋ねられた男は肩をすくめて飄々とした声音で答える。
「君たちのお探しの人間だ。私の名前はナナシ、大樹国のエージェント、それと外交官としても働いている」
扉の先には指名手配をしている男と小さな金髪ツインテールの少女、銀髪のクールそうな美女が立っていた。
男はシワ一つない高級なスーツを着ており、女性はメイド服を着込んでいる。
冷酷そうな顔立ちで、誰もが警戒心を持つだろう恐さを持った男だった。
突如として現れた話題にしていた男を前に人々は言葉を無くすのであった。
◇
ナナシとやらは椅子へと座り、余裕を見せて足を組みながらこちらを見てきた。その眼光の鋭さに威圧されて、逃れるように思わず俯く者もいるが、総理としては男が何者か見定めなくてはいけないと睨み返すように見つめる。
戸隠たちは難しい表情をして腕を組み様子を見ており、こちらに加勢する様子は見せない。ならば政治家として、自分が最初に口を開くべきなのだろう。
「ナナシさんと言ったかね? 噂は聞こえている。少女たちを集めて国家を建国したとか?」
「ふむ、その噂は正しくないな。私が壁の中に侵入できた時に最初に出会った子供たちのことだろう? 彼女らは大樹へと勧誘して、国籍を変えたので、国民として保護しただけだ。その後に保護した人々も同じ理由だな」
口元を曲げながら、平然とした様子で噂を否定しながら、パチンと指を鳴らすナナシ。
「そういえば他国に来たのだからお土産の一つでも渡さないとな。ナイン君、サクヤ君、彼らにお土産を渡してくれ給え」
「はい、ナナシ様」
「かしこまりました、ナナシ様」
しずしずと二人のメイドは手に持つ籠からお土産を取り出して、聖都幹部たちの前へと置いていく。それを見て、目を細くして戸惑う。
「この暑さだ、よく冷えていると思うのでね。グイッと飲んでくれたまえ」
椅子へと凭れ掛かりながら、からかい混じりに告げてくるナナシの言葉に、一人の幹部が立ち上がり、土産を掴み怒気を込めて口を開く。
「ビール? 我々は仕事をしているのだ、土産であろうと酒を飲むなぞできん。なにかね、君はこれだけの物資を持っているというアピールのつもりかね?」
その言葉に、ニヤリと口元を曲げてナナシは腕組みをする。
「そのとおりだ、と言ったらどうなるのかな?」
「くだらん、総理、こんなペテン師はすぐに追い出すべきです。この程度で物を持つアピールなどくだらな……総理?」
総理は幹部の言葉を耳にしても動けなかった。ゾンビパニック以前はコンビニで売っていそうなありふれた缶ビール。水滴がついており、手に持つとひんやりと冷たい。
ナナシと名乗る男は自分は発電機を持っているというアピールをしていると最初は思った。だが、違った……。
「そうか……外では復興がはじまっているのだな……我々は井戸に閉じ込められた蛙だったのか?」
その言葉に幹部を含め、何人かは戸惑うような表情になるが、缶ビールの持つ意味を悟った頭の回る者たちは疲れたように息を吐き、苦渋の表情でため息を吐いていた。
「さすがは総理と呼ばれるだけはある。素晴らしい、称賛に値する。人の上に立つ者はそうでなければならない」
ぱちぱちと拍手をしながら、小馬鹿にするように視線を細めてナナシは見てきた。この土産は私たちを試していたのだと理解する。そして、それ以外にも理解したことがある。すなわち、この男がエージェントだと言う話は本当だと。
「どういうことですか総理? 私にはなにがなにやら?」
立ち上がってナナシを糾弾しようとしていた幹部が周りの空気を読んで戸惑いながら質問をしてくるので、仕方なく缶ビールを掲げてみせた。
「君、この缶ビールをよく見てみたまえ。どこかおかしいところがないかね?」
「この缶ビールが? どこも変なところはない、ありふれた物ですが……ん? 賞味期限が? そ、それに製造場所が!」
驚く幹部、ようやく気づいたようだ、この缶ビールの意味に。
缶ビールには製造場所が大樹国、酒樹店と書いてあり、賞味期限も大樹三年と見たこともない年号となっている。
これがなにを意味するのかは明らかだ。発電機は作れても、このような缶ビールは作れまい。勾玉の力でも無理だ。それもこのような完璧な缶ビールを。
缶ビール一本で、ナナシは本当に外には国があると示し、完全に主導権を持っていった。なるほど、彼は凄腕の外交官なのだろう。
「申し訳ない、なぜとどうしてと、これからの展望について。君とは詳しく話さないとならないだろう。ようこそ、日本へ」
「始めまして総理。もう一度名乗ろう、私の名前はナナシ。大樹の外交官として全面的な決定権を持っている。日本最後の総理に出会えて光栄だ」
ニヤリと笑ってナナシはこちらへと告げてきた。
皮肉げに言うその言葉に苦々しい思いとなるが、なんとか内心で抑える。そうだろう、彼はこちらへと提案という名前の脅迫をしにきたのだから。
「最後とは酷い言い草だ。君たちはどうやってここに来たんだ? なぜここに来たのかな?」
「わかっているはずだ、その土産で。既に大阪から東は大樹がミュータントから解放して大樹の領土としている。東で残るのは京都と奈良のみ。壁が邪魔でね、ようやく少数で入り込めたのだよ」
「馬鹿なっ。あの壁は神域だ、人間には侵入は不可能となっている!」
戸隠たち宗教家たちが、驚きながら尋ねてくるが、肩をすくめてつまらなそうな目で、路傍の石でも見るように戸隠たちを見つめる。
「君たちは人間の科学力を馬鹿にしているのかな? とは言ってもようやく入り込めたのだがな」
「物資はいくらでも運び入れることができるのですね。支援という形はとっていただけないのですか?」
それ以外にこの男が大量に物を持ち、生存者たちへと配給できる方法がない。
フッ、と薄く笑い目の前の凄腕エージェントは首を横に振った。予想通りに。最悪なことに。
「総理ならば理解しているはずだ。妥協はない」
「無条件降伏では駄目ですかな?」
「戦争をしているわけではないのだよ。降伏勧告ではない、大変申し訳ないとは思うし、昔から続く国がなくなるのは悲しみで胸が痛いが」
まったく悲しむ様子を見せずに、妥協する様子を見せない。だが、こちらもあとに引くことはできない。ここであとに引けば日本がなくなるのだから。
「世界は終わり、新たなる世界へと新生する。だが、そちらの言い分も理解はできる。ならばまずはこちらの提案を聞いて頂けないだろうか?」
思わず眉を顰めてしまう。この冷酷そうな男は淡々とまるで台本でもあるように、決まった路線があるように伝えてくる。その言葉が何より熱意もなく興味もなさそうな感じが恐ろしい。
欲を感じない男がなにを言うのか身構えると
「ここにある本物の勾玉だ。勾玉の所有権を譲って頂こうか。その勾玉の代金として、この地の生存者は救助費用を取らないどころか、一時金として一年分の生活費を払おう」
「なにを言うかっ! なにを提案するかと思えば、勾玉だと? 勾玉をどのような利用をするかは判らんが決して悪用はさせん!」
戸隠が激昂して立ち上がり、ナナシを睨む。気の弱い人間ならば気絶してもおかしくない恐怖を感じさせる刀のような鋭さを持つ眼光だ。
しかしその視線を受けてもピクリとも表情を動かさず、つまらなそうな目で戸隠へと視線を返して、呆れたようにニヒルに笑う。
「悪用? バカを言え、悪用しているのは君たちだろう?」
「な、我らは人々を助けるために」
「人々を助けるために人々の精神力を吸い取る劣化品の勾玉を渡したのか? 吸い取られた人間がやる気もなくなり、働くことも辛くなるあの勾玉を?」
目を細めて、戸隠へと非難をするように言いながらナナシは睨む。その言葉に、戸隠たち宗教家は口籠ってしまう。
「そ、それは……人々を助けるために必要であったのだ! 神通力も死人共を倒すのに役に立っている!」
「たしかに神通力用の勾玉は良いかもしれない。あれは持ち主の精神力を使うだけだからな。だが、それ以外で力を使うのは頂けない。あぁ、まったく頂けないな。人々の力を集めて食料を手に入れるなどやるべきではなかった。人々のやる気をなくしてはいけなかったのだ」
「ぬぬ…、ならば貴様はなにに勾玉を使う? どのように?」
戸隠の言葉にあっさりとナナシは使い道を口にした。あの物凄い力を持つ勾玉の使い道を。
「壊す」
「は? こ、壊す?」
その言葉に口を閉じて、戸隠たちはナナシを驚愕の表情で見つめる。予想外の言葉が吐かれたからだ。
「当然だ。あの勾玉のおかげで、壁はできる、人々は力を吸収されてしまう。百害あって、一利なしだ」
「だが……だが、あれだけの力を手放すというのか? そうしてこの先どうやって生きていくというのだ!」
戸隠たちが怒気を交えて、ナナシを睨むがその冷酷な表情は変わらずに、冷ややかな笑みは崩れることはなかった。
「そのために私たちがいるのだよ。人間の力で暮らしていけるように。大樹は国民を大事にして、その暮らしを守るだろう」
眉を顰めて、口調を強めてナナシは告げる。
「化物を退治する兵士もいる……。君たちとは比べ物にならない戦士が。勾玉なぞに力を借りないで戦う者たちがな」
「ぬ、ぬう……。しかし……」
戸隠はナナシに気圧されて、話を続けることができなくなる。それほどナナシの視線は怖かった。
「儂らの負けじゃな……。神の力は人間が使えば、それはもはや神の力ではない。たんなる道具へと堕ちているのじゃよ。社を囲む者たちも壁を壊さないことに納得しまいて。勾玉を破壊するのに立ち会えれば良いじゃろう」
戸隠とは別の高僧の老人が悟ったように静かな声音で言う。その言葉に押し黙り肩を落とす戸隠。
「ナナシさん。日本の最後の総理になるかは壁が壊れたあとで良いかな? 申し訳ないが未だに半信半疑なものでね」
戸隠たちが納得したように肩を落として落胆を示したので、私も口を開く。
最後の総理などとは不名誉ではある。
しかし既に世界は崩壊しているのならば。
そして食料の配給もマトモにできないこの小さな市内だけでは国を名乗るのは限界だろう。なので最後の総理という言葉も仕方ない、納得しよう、本当に大樹という国が確認できたあとで。
それだけは譲れないとナナシへと言うと、あっさりと頷き返す。
「もちろんだ、ここであっさりと頷かれるとこちらも困るところだった。よろしい、壁がなくなった後に詳細は話すということで、とりあえずは勾玉の譲渡及び破壊を」
「ま、待て! 勾玉の破壊は良いだろうが今は困る。対抗策を考えねばならぬ」
「対抗策? なんの対抗策だね? ゾンビならば私たちが」
「いや、ゾンビではない。先月に現れた人外の力を持つ者たちを勾玉の力にて封印しているのだ。勾玉を破壊すればその封印が」
言葉を続けようと戸隠が話している時だった。社が地震でもあったように大きく揺れる。グラグラと机が揺れて、足元が震えて、さらに大きな爆発音が社の奥から轟く。
「しまった! 最近は人々の信仰心が少なくなったために、維持の力が失われていたのだ。その隙を狙われたか!」
「あ〜、聞く限り厄介事だな。なにかを封印していたのかね? なにか嫌な予感はするが仕方あるまい。勾玉の破壊と一緒にその者たちも私が引き受けよう」
苦笑混じりにナナシは大きく揺れる床をものともせずに立ち上がり、メイドたちを連れて、手をひらひらと振りながら部屋を出ていくのであった。
つまらなそうな表情は変わらずに、その憎たらしい余裕を見せながら。




