422話 夜の街で飲むおっさん
カランとグラスに入った氷が溶ける音がする。その涼やかな音は耳に沁みるように入ってきて、夏の暑い夜を一時忘れさせてくれる。
「ふむ……なかなかこのウィスキーは美味いな」
渋い声を出して、ダンディになりたい今日この頃なおっさんはそう呟いた。深々とソファに凭れ掛かり軽く息を吐く。すいません、あんまりウィスキーは好きじゃないです。でもウィスキーを飲むおっさんって、かっこいいと思うので。
「ナナシ、今日のお店は美味しかったわねっ!」
夜の街で、渋いおっさんが若木支部の屋敷の中、広いリビングルームで静かに飲んでいる。その姿はダンディでかっこいいに違いない。人が見たら、10人中1人ぐらいはそう思ってくれるはずだ。その一人は買収しておけば完璧だ。
「ナナシ様、おつまみはどうしますか? あ、お酒を作りましょうか?」
私は今、史上最高にダンディだ。渋いナイスミドルなおっさんなのだ。なんだか雑音がするけれども気のせいに違いない、最近疲れているしね。脚を組んで、渋い表情でウィスキーを一口飲む。うむ、不味い。やっぱり日本酒にしておけば良かった。
「ほら、あ〜ん、あ〜んったら、あ〜ん」
しつこく手に持ったサラミをグイグイと押し付けようとする少女なんかいないのだ。
「さっきからはしたないのではなくて? もう少しお淑やかにした方が良いわよ」
「馬鹿ねっ! こう見えてナナシは内心喜んでいるのっ。私にはわかるのよ、こうやって身体を押し付けると」
「まったく仕方ない娘ね。ナナシ様、私がその痴女とナナシ様の間に座りますわ。さ、どいてくださらない?」
ギャーギャーと顔を突き合わせて騒ぐ叶得と玲奈を見ながら嘆息する。こりゃ駄目だ、駄目駄目だ。ダンディなんか無理だよ、これはハーレムにいるおっさんだよ。憎しみと殺意の視線を受けるだろうおっさんに間違いない。
なぜならば私がその光景を見たら、そう思うからだ。
「いい加減にしたまえ。叶得君、悪ふざけが」
「叶得ね、叶得、そろそろ呼び捨てで良いわよ。と言うか、それ以外の呼び名だと、もっと凄い迫り方をするからねっ!」
マジですか、もっと凄い迫り方? 興味があります、先程の叶得の内心で嬉しく思っていると言う推測も当たっています。だって、こんなに可愛い少女に迫られて嫌なおっさんがいるか? いや、絶対にいないと断言しよう。
しかしながら、社会的地位を考えると、そんなことは顔に出せない。困ったようにするのが精一杯だった。モニター越しに冷たく輝く視線を向けてくる金髪ツインテールな娘が怖い訳じゃないよ? 本当だよ?
「わかったわかった、だが駄目だ。今までどおり叶得君で良いだろう?」
おっさん的に呼び捨てはきつい。呼び捨てはレキとナインとオマケでサクヤぐらい。あとはアインやツヴァイたちだけなんだよ? あれ、意外に多い?
「むぅ、仕方ないわねっ! それじゃ二人きりの時には呼び捨てねっ」
またサラミを押し付けようとするので、断固としてあ〜んをするつもりらしい。褐色少女、恐ろしい娘。
まぁ、そろそろ真面目なお話をしようかな。お遊びはここまでだよ、お二人さん。
遊んでばかりのおっさんは、キリリと真面目な表情に見えるかもしれない表情で鋭い眼光で周りを見渡す。鋭すぎて湯葉も貫けない威力だ。
だが、それでも褐色少女もハンター美女もふざけるのはやめて真面目な表情へと変える。ふざけていたんだよね? 本気でこんなに人がいる前で迫る気はなかったよね?
一抹の不安を持ちつつも、内心を隠して今日決まったことに対しての感謝を述べておく。
「今日は来年へと迫る税制の草案が問題なく通ったことに感謝の言葉を言おう。ありがとう、これで来年からの税の法案も決まったも同然だ、既に本部では決まっていた草案ではあるが、若木シティの面々にも受け入れて貰わなければならなかったからな」
遥がリビングルームに寛いでいた人々をぐるりと見渡す。そこには豪族に元女警官、褐色少女にハンター美女、ゴリラたちと侍お爺ちゃんが座っていた。
あだ名で考えると凄いメンツだと多少笑ってしまう。
「累進課税にして、基本的な税制は所得税のみか……。安いか、高いか、難しいところだな」
「配偶者控除やら健康保険、地方税と……。難しい内容ですね」
ゴリラ。いや蝶野が苦笑混じりに同意するが、わかる、わかるよ。おっさんはさっぱりわからないということがわかるよ。いい歳をしてわからないのか? わからないよ。だって源泉徴収だし、株で儲けた税金は儲けた時点で支払うようにしていたしね。年末調整で保険金控除を書くぐらいであった。だから普通のおっさんはよくわからないと思うのです。
まぁ、全てわかっていますという顔で議会では、うんうん頷いていたんだけれどね。不思議なことに誰も理解していますかと私にツッコんでこなかったし。
草案はもちろん四季たちが作ってくれたのです。
「日本の時と違い、安いはずだ。消費税などもないしな。相続税もポンポンと人が死ぬこの世界ではなしだ」
昔々、消費税が導入された頃はチラホラとオレは絶対に消費税を払わないからなと、店員に怒鳴っていた人々がいたが、いつの間にか皆は疑問に思わずにまた消費税が高くなるのかとうんざりするぐらいで終わってしまった税金。
あれは計算すると凄い税金を支払っていると気づいちゃったんだよね。昔、計算したことがあるのでわかっている。
そんな消費税はいりません。他の税金で支払ってね。しかも、裏ではマテリアルによる搾取を行っているので、実際に日本の税金の半分以下になっているのだ。
だから表向きは素晴らしく安い税制。さすがは大樹だと感心して喜ぶだろう。詐欺師な大樹である。
「そういえば年金制度はなくしたのですね?」
玲奈がわかり切ったことを尋ねてくる。そのとおり、制度の中で年金制度は作らなかった。
「この崩壊した世界だ。年金制度はまだ早いし、自分自身で未来の備えをしておくことも重要だ。銀行でもその用意を手伝う準備はできているはずだが?」
「ふふっ、ナナシ様のおっしゃるとおり、万が一のシェルターに、個人の財産を預かる貸し金庫から、今はまだ小さいですが投資財団法人も設立しました」
「よろしい。国などに大事な資金を預ける必要はあるまい。年金制度だって国が金が余っていると勘違いしなければ、使い果たして無くなるようなことはなく、子供たちに支払いを任せようなどとは考えなかっただろうしな」
うむうむ、と尊大に見えるようにする遥であるが、尊大に見えるのは演技スキルのおかげ。すべてのフィクサーは演技スキルだったのだ。あと、年金制度云々は豆知識として知っていたので適当です。年金制度って、始まった頃は年金を貰う人々のお金だったらしい。それが大量に貯まったので少しぐらい使っても良いよねと勘違いした政治家の政策で使い果たしてなくなってしまい、子供たちの支払うお金を今の年金者たちに渡すようにし始めたとか。
「でも、人々からお金を集め過ぎじゃないですか? 少しやりすぎな感じがするんですが」
ナナがグレープフルーツサワーをちびちびと飲みながら言ってくるので、鷹揚な頷きで返事をする。
「荒須社長、今は投資をするほどの金持ちは大樹のみだ。そして信頼性があり、自分の金を預けることができると思える会社もやはり大樹の国営のみなんだ。闇金などが生まれてくるのを防がないといけないしな」
「そりゃわかっていますけど……私もその話に乗るのは気が引ける感じが……」
投資財団にはナナと叶得の会社も水無月も設立に関わる。それすなわち、お金儲けに関わることになるので、罪悪感でもあるのだ。正義感溢れる主人公らしい。
「荒須社長、それは」
玲奈がナナを気遣うように言葉を繕おうとするが
「わかっていますけど、若木シティの会社も関わっていれば、そこに雇用なども発生するし、投資が行われることで活性化すると言うんでしょう」
ほっぺをプクッと膨らませて、玲奈の言いたいことを答えるナナ。どうやら成長はしているようだ。金持ちには金持ちの義務がある、特に崩壊した世界では金持ちは貴重な存在だ。
たとえその結果がさらなる利益を生むとわかっていても、最初に金を出すのが、この崩壊した世界の金持ちのルールだ。
「まぁ、儲けたお金はどんどん設備投資に振れば良いのよっ。荒須さんは全然仕事をしていないのに、そんなことばかり言うんだから、私よりも子供ねっ!」
叶得が腰に手をあてて、プンスコと怒ったように言う。
痛いところを突かれたと、顔を歪めるナナ。ナナが全然社長業をしないのは有名な話である。兵士として人々を助けることに邁進する英雄なのだ。
人々にその話は美談として話されているが、叶得は容赦しなかった。ちゃんと仕事をしろと言ってくる。
「まさか他人に資産を譲るなんて言わないわよねっ。やり始めたんだから、責任持って続けるのよ」
叶得が逃げる道を塞ぐように話を続ける。ナナならやりそうだからだ。寄付でもしそう。
大金を払って、失敗するかもしれないのにインフラを整えるために行動したナナを遥も尊敬している。おっさんならば絶対に妖怪食っちゃ寝になっていただろう。現実にそうなっているので説得力抜群だ。
そのナナがまさかとは思うが全財産を寄付するなどと言うのは遥も許すつもりはない。悪いけれども贅沢な金持ちとしての暮らしを満喫してね。頑張った人にはそれなりの報酬が必要なのだから。
「三年ぶりの税金だからな。これまで税金を支払わないで暮らしてきた奴等だ。文句を言われないようにしないとな」
ワインを口にしながら、豪族がゆっくりと言う。コクリと素直に頷くナナ。周りではゴリラたちが苦笑しつつ、酒をコップに注いでいた。
「金があることに悩むとはなぁ、羨ましい話だぞ荒須」
仙崎ゴリラが言うが、結構稼いでいるはずだ。まぁ、それでもナナや叶得は稼ぐ桁がいくつも違うけれども。
「今はベビーラッシュですからね。なるべく人々に税金で負担のないようにしないと。別に男尊女卑という訳ではありませんが、赤ん坊の世話で奥さんは大変ですからね」
さすがは蝶野ゴリラ。みーちゃんの弟を作っただけはある。赤ん坊がいる状態では共働きはなかなか難しい。テレビもなく、ゲームもなく、崩壊前と違い、やることがない人々はたくさん子供を作っているのだ。
「まぁ、あとは来年までゆっくりと決めれば良いだろう」
ふぅ、と息を吐きソファへと再び凭れ掛かると、キランと、目を輝かせていそいそと近寄ってくる褐色少女。またもや迫る気満々の様子だが、先程のナナに向けた言葉はなかなか良かった。
なので、労りの視線を向けると、身体をくねくねとさせて照れてみせる。
「そういうのはあとでね。もうエッチなんだからっ」
はぁ〜、とため息を思わず吐いてしまう。なにかな、この娘は常に発情期なのかな?
さすがに玲奈も呆れた表情になっていた。無理もない。
「喫緊の課題も片付いてよかった。ナイス提案だったぞ、ナナシ」
「そうじゃな、酒蔵を作る提案は儂らにとって福音じゃったな」
豪族とお爺ちゃんが話を変えてくるので、それに乗っかっておく。
「喫緊の課題が酒とは呆れるしかないがな」
酒を安くほしいという声が段々大きくなってきており、物資調達で酒を中心に回収する人たちも現れた。まぁ、もはや食べ物は腐り回収できないのだから、腐らない酒ならば問題はないのだが。
だが、それでも需要に対して供給が間に合っていない。仕方ないので、酒蔵を作ることに決めた遥である。
「まぁ、近代化されていない酒蔵だし、米も今年はそんなに余らない。葡萄は収穫できるかも怪しいところだな」
「まぁ、そこは仕方あるまい。来年になったらもっと米の収穫は増えるだろうし、古米、古古米なども結構見つかっているからな。それと少ないが杜氏が生存者の中で見つかった。あとは水の問題だが、なぜか各地の湧き水はどんどん綺麗になっている」
だろうね。地表に負の力は吹き出して、世界は汚染された状態から浄化されている。たぶん、プラスチックやビニールなどが不自然に土に還っているだろうし、原子力発電所も既に森へと還って放射能汚染もない。核も使えなくなって木へと変貌しているはずだ。それらの負の源はすべてミュータントが受け持っているのだ。壮大な世界浄化が行われた、知力+1になって、なんとなく世界の真理がわかってきたおっさんである。
まぁ、最初から知力はカンストしていたから、気のせいかも知れないけれど。
世界の真理に触れても、まったく変わらないおっさんであった。そこは真理に触れたのだぁ、とか叫んで絶望したり、私は神になったと高慢な性格に変わっても良いところだが、脇役なおっさんは少し雑学トリビアを知っちゃったという感じで変わることはなかった。
さすがはおっさんの世界代表になれるかもしれない遥である。
「まぁ、各地に作ったからな。いずれは美味い日本酒でも生まれるだろう」
「近代化していないから大変な分、雇用も増えるしな」
冬に出稼ぎにくる人たちが昔はいたらしい。それほど労力を使うのが酒造りだ。と言う四季の話。おっさんはよくわからないので、うんうん頷くのが仕事です。
うむ、楽しみだなと豪族とお爺ちゃんが嬉しそうに話し合っている。それを見ながら、ノアの方舟にしては、今回の浄化は中途半端だなぁとも考える。今までは一部の人々以外はすべて滅ぼしてきたのに、今回は多くの人々が生きており、技術力も残っている。
完全なる善人だけを選んだわけでもない。苦しい生活ならばすぐに悪人になる程度の善人だ。なにか理由があるのだろうと推測するが、モニター越しにわくわくしながら、話したいですという表情の銀髪メイドが遥を見ているので、気にしないことにする。
ふふふ、私はサクヤの期待を裏切る男なのだよ。その内心を悟ってガ〜ンというショックな表情へと変わるサクヤ。どれだけ話したいのだろうか。
正直終わった話だ。あんまり興味はない。これが主人公ならば、真剣な表情でサクヤと対峙して、驚愕の表情で真実を知ってショックを受けるんだろうけど。
そこから始まる葛藤やら、優しいヒロインがそれを支えたりとか色々話は膨らみそうな予感はする。
でもねぇ、そういうのは現実だと凄い面倒くさいと思うんだよね。優しいヒロインはいるけれど、ナインはあっち側だしね。
くたびれたおっさんとしては、のんびりと暮らしながら、へぇ〜、そうだったんだと酒でも飲みながら聞き流す程度で良い。
それこそ、新しい日本酒ができた時でも良いだろう。その時は美味しいツマミもナインに頼もうかな。
とりあえず、今やることは決まっている。
「叶得君、君はまだ未成年だから、酒は禁止だ」
さり気なくおっさんの飲みかけのウィスキーを飲もうとグラスを取ろうとしていた褐色少女から、ひょいと奪い取る。
むぅ、と不満そうに頬を膨らませて
「もぉ、私のほろ酔い姿を見たくないの? 世界は滅んだんだから未成年なんて関係ないはずよっ」
と、そんなことを言ってくる褐色少女。
「悪いが女性の酔った姿が艶やかで美しいと言うのは迷信だ。だいたいが泥酔して、醜態を晒すのがオチだな」
ニヤリと悪そうに笑って、奪い取ったウィスキーをゴクリと飲む。
「それに世界は滅んだが、今は復興を始めている。それが私の役目だしな。それと大樹でも酒は20歳からだ」
コツンと叶得の額を軽くつつき言う。その様子に酔ってもいないのに、顔を真っ赤にする叶得。
「それとウィスキーは君にはまだ早い」
そうして、ワイワイと二次会を続けるおっさんたちであった。
うむ、ウィスキーは不味い。おっさんにもまだ早いね。




