420話 元弓道部員の再会
私は出かける前に自分の姿を姿見に映して、身だしなみが変ではないかチェックをする。髪の毛から服装まで。
「う〜ん……変じゃないかなぁ? どう思う結花?」
「もぉ〜、何回私に聞けば納得するのかなぁ? 変じゃないったら、ない!」
呆れた様子で結花が私の服装に太鼓判を押してくれるけれども、それでもなんとなく不安があるのだ。
織田椎菜は結花を見ながら、不安感からため息を吐く。
だってこれから死んだと思っていた父親と対面をするのだから。
◇
その情報は唐突で予想できないことであった。
大きな戦いに勝利の凱旋をした兵士さんたちを迎え入れたあとであった。銀行カードを作りに来た大勢の大阪府の避難民さんの相手をしていたら、特別待遇でお願いしますと、レキちゃんが連れてきたのが、父親であった。
「し、椎菜か?」
第一声は驚いた表情の父親からであった。驚きの表情で受付の前に立っていたのだ。知らない少女を連れて。
レキちゃんも同じ名字だったとは思いましたが、まさか父親だとは思いませんでしたと珍しく驚いていた。
まぁ、それはそうだ。東京から大阪までどれぐらい距離が離れているというのか。ゾンビたちが徘徊する中で、この地を離れて、まさか大阪府まで逃げているとは思わなかった。思いつきもしなかった。
レキちゃんたちに助けられた当初は東京に私はいた。休日だから、家にいたはずの父親が、遠く離れた大阪なんて離れすぎていて想像もつかない。これでも助けられた時に両親が生き残っていないか、保護された人々が来るたびに調べていたのだから。
とりあえず話は後日ということにして、仕事に戻ったのである。
◇
ふぅ、と思いだしたことにため息をついてしまう。なんだか肉親に久しぶりに会うのに、凄い緊張をしていた。
なぜか胸をモヤモヤとさせながら。
「良かったじゃん、おじさんだけでも生きてて」
ニカッと、明るい笑顔で言ってくる結花。結花の両親はどちらも亡くなった。それに比べると、私は恵まれていると思う。
でも、思ってしまうのだ。どうして私を置いて逃げてしまったのかと。
たぶんそれがモヤモヤの原因だとも分かっていた。
結花も一緒に来てとお願いして、定期バスに乗って移動する。新興地域は少し離れているのだ。バスで30分程だから、そんなに離れてもいないけれど。
バスの窓から外を見ると最近では見慣れた田園風景の中に、新築が続々と建設されている。
生存者たちが増えてきたからだ。そして密集して市街地を建設しないという大樹の方針でもある。もしもゾンビが雪崩込んできても防げるようにと区画ごとに低い壁があり、自給自足できるようにと、田園も広がっている。最低限の守りがあるのが崩壊前とは違う都市計画といったところだろう。
バスも定期便が短時間で来るようになっており、移動するのも簡単なようになっていた。あと、渋滞がない。それだけの車がないからだ。物資輸送用として許されているのと、ウォーカーが使う行商用、そして限られた人々が使う高級車。全体で見ても僅かしかないので、渋滞が発生しようがない。
ガタゴトと都会の洗練された街並みと、田園風景が広がるのんびりとした田舎が入り混じった不思議な風景を見ながら私は教えられた家へ向かうのであった。
「とうちゃ〜く。うん、なかなか良い場所だね、椎菜」
ことさら明るい表情で結花が話しかけてくるので、素直に笑顔を浮かべて頷く。
大阪の生存者たちのために作られた住宅地の一つである。しかも仮設住宅ではない場所であり、お金がある程度あった人が購入した建物であると、銀行に勤めている私は理解していた。
小さな庭に二階建ての家屋。小洒落た洋風の建物でちょっと大きめの家だ。崩壊前の私の家より倍は広い。
「おぉ〜、お金持ち?」
コテンと首を傾げる結花だが、私も不思議な表情になる。そんなにお金持ちではなかったと思うんだけれども? 避難時にお金を集めていたのかな? それも気楽な性格の父親からは思い浮かばないけれど。
インターホンを押すとピンポンと軽やかな音がして、家の中からドタドタと足音が聞こえてきた。あのうるさい足音は父親だ。もう少し静かに歩いてと母さんに怒られていた記憶が懐かしい。
「ハイハイ、椎菜、結花ちゃん、よく来てくれたね。さぁ、中に入って入って」
ほらほらと、手を差し出して家へと招き入れようとする父親。相変わらず、その明るさは変わっていないようだと安心の息を吐く。
「父さん、久しぶりだね。お邪魔しま〜す」
挨拶を返しながら、中へと入ろうとすると、なぜか父親が黙りこくった。なんだろう?
私の不思議そうな表情に気づいたのか、苦笑を浮かべてかぶりを振る。
「……いや、なんでもない。その、娘がお邪魔しますとは、少し違和感を感じてな」
寂しそうに言うので、私も多少気まずく思ってしまう。たしかにそうかもしれないなと考えてしまった。
「はぐれてから二年以上経つんだから仕方ないでしょ。リビングルームに案内してよ、父さん」
急かすように言うと、それもそうだなと頭をかきながら、案内をしてくれる。
中は表から見たとおり結構広い。豪邸と言ってもおかしくないかも。ぎりぎり豪邸とは言えないかな?
キョロキョロと周りを見ながらリビングルームへと案内されると、中では小さい少女が立っていた。
「こんにちは、椎菜お姉さん。いらっしゃいませ」
元気よく頭を下げてくるのは、可愛らしい少女だ。父親がその少女の頭をポンポンと優しく叩いて笑顔でこちらを見る。
「この娘は椎菜の妹だ」
「織田光八歳です! よろしくお願いします、椎菜お姉さん!」
しっかりとした挨拶で、多少子供らしくないかも。それに私に妹はいなかった。なにが起こったのか、ううん、だいたい想像はついてしまうけれども。
きっと悲しい出来事だ。それなのに笑顔で挨拶を返してくれる光ちゃんへと私も安心させるように笑顔で返す。
「織田椎菜です。光ちゃんのお姉ちゃんね、よろしく」
「不破結花だよ。椎菜の親友兼同居している者です」
結花も笑顔で返す。それを見て緊張していたのか、肩の力を抜く光ちゃん。
「でも……なんでくノ一の服装? それに背中に天使の羽根をつけているの?」
光はくノ一の服装を着ており、かつ背中に天使の羽根の玩具をつけていた。子供らしくて良いとは思うけれども、どうしたんだろう?
「それは私の作ったくノ一の服装です、天使の羽根はなぜか帰ってきたら大流行していた売れ行きナンバーワンの玩具ですね」
リビングルームは段ボール箱だらけになっていたが、その陰から聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえてきた。ぴょんと出てきたのは友人のレキちゃんだった。
むふふと相変わらずの楽しそうな笑みを浮かべて、こちらへと歩いてきた。こんなところで、なにをしているのかな?
「お手伝いしに来たんですよ。織田さんには結構お世話になりましたので」
「父さんに? お世話をしたんじゃなくて?」
いつも危険な場所に潜入して、華麗に人々を助けていると言う噂のレキちゃんだ。きっと誰にも気づかれずに困窮した人々を助けているに違いない。事実、劇場でそういう活躍ぶりを劇にした内容がたくさんできているし。
颯爽と現れて困った人々へ食料を分けて、強き化物たちを退治していくのだ。ファンもたくさんいるのだ。まぁ、ファンがついているのは劇に出ている女優さんだけれども。でもレキちゃん自身にもたくさんのファンがいる。会えたその日は幸運になるとも言われている自慢の友人なのだ。
「織田さんはかなりの弓の使い手でした。その腕にだいぶ私も助けられたんですよ」
「弓? 父さん、弓を使えたの?」
意外に思って尋ねると、反対に父親が意外そうな顔で聞き返してきた。
「ん? 椎菜は俺の真似をして弓道を始めたんじゃないのか? たしかにそれならアーチェリー部だろとも思ったんだが……。え? 知らなかった?」
「うん、父さんがアーチェリーをしていたなんて聞いたことなかったし。弓道は楽しそうだから入ったんだよ」
「あぁ〜、そうだったのか。アーチェリーはなぁ………金がかかるから結婚してからは止めたんだよ。そういや、話したことなかったかもな」
世知辛い話であった。弓道もお金がかかるもんね……当時でもお金がかかるなぁと思ったぐらいだし。アーチェリーもそうだったんだろう。
「まぁ、とにかく座りましょう。私は飲み物を作りますね」
なぜかレキちゃんが仕切って、私たちは苦笑を浮かべつつソファに対面になるように座る。
レキちゃんは段ボール箱を開けて、バナナを取り出していた。よく見ると、全ての箱にバナナと書いてある。まさか全部バナナ?
私が段ボールを見ていることに気づき、父親は口を開く。
「実は何も持っていないんだ。この家は嬢ちゃんというか、手伝った礼として大樹のお偉いさんから貰ったものだ。家具付きで貰えて助かっている。あとは手持ちが100万マター? 程度しかない」
「少し派手に戦い過ぎまして、大阪府は人の住めない場所になったんです、灰の降り積もる地域となってしまったので、皆、着の身着のままなんですよ。でも今まで助けてきた人たちもそんな感じだったんで別に気にする必要はありませんよね。えぇ、私は悪くありません、悪くないんです」
なにか言い訳じみた感じでレキちゃんが早口で言うけど、納得だ。
「そうだね、私たちも着の身着のままだったよ。もっと酷くて家も仮設住宅だったし。あ、仮設住宅自体は酷くなかったよ」
最初の頃は辛かった、レキちゃんに仕事を紹介してもらわなければ、今でも大変だったかもしれない。今は以前と違い困窮する人たちは個別に面接をして、適切な仕事がないか役所の人が走り回っているらしいけれども。
「そうか……そんなに大変だったんだな……。今は銀行に勤めているのか? 化粧も上手くなったんだな」
父親が大変だった時期に一緒にいられなかった罪悪感から暗い表情で聞いてくるが
「今は充実した暮らしをしているから大丈夫! 父さんは今までどうしていたの?」
私を残して逃げたのかと、喉元までせり上がるが言わなかった。だって、今は充実した暮らしに大切な優しい友人たちもいるし。
「すまない! 俺は椎菜を残して逃げちまった! あの時、ゾンビだらけになった日は……」
ガバッ、と頭を下げて悲しげにこれまでの話をぽつりぽつりとしてくれる内容は思った以上に波乱万丈であった。
ゾンビがそこら中に現れて母さんと一緒に逃げたんだけれども、その時にトラックに慌てて混乱するままに、乗り込んで逃げたこと。そのトラックに逃げ込んでしばらく進んでから、山中に逃げたこと。トラックに乗っていた人の中で噛まれていた人が死んで、逃げられた集団はパニックになり、そのパニックの声に集まったゾンビたちに母さんが殺されてしまったこと。
弓を手に入れてゾンビを倒しながら逃げていたが、逃げた先で助けた女性がすでに噛まれて瀕死であり、子供を託して亡くなったこと。その子供を守りながら、なんとか西へ西へと逃げていたが大阪にてサルモンキーたちに捕まったこと。
なんだか映画が一つできそうだなぁ、と段ボール箱をうんせうんせと運び込んでいるレキちゃんへと視線を移しながら思う。
「……仕方ないよ。私も父さんや母さんは死んでいると思っていたし、おあいこだね」
自分は笑顔でそう言えてるだろうかと、不安になる。光ちゃんが不安そうな表情でこちらを見てくるので、こちらもますます不安になってしまう。
「いや、おあいこじゃ全然ない。俺は椎菜が生きているかを確認しに戻るべきだったんだ。頭から椎菜は死んじまったと思いこんでしまった親失格の人間だ……」
そうなのかな。そうかもしれないなと、私は思ってしまった。それは感情的な心情から湧き出してくる黒い心だ。理性ではそんな行動をとっていたら父親はきっと今頃は生きてはいないだろうと理解している。光ちゃんも死んでしまっているだろう。
だが、感情的な部分が許せないと、叫んでいる。その叫びは大きくはないけれど、自分の嫌な部分だ。
「わかったよ。ううん、わかっているけど……。ごめんなさい、父さん。頭を冷やして、また来るよ」
すくっと立ち上がり帰ろうとする。そんな私の前にコトリとコップが置かれた。見るとレキちゃんがニコリと笑って立っていた。
「まぁまぁ、頭を冷やすのならばこれが良いでしょう。バナナジュースです。大阪で手に入れた原種のバナナを使ったんですよ」
原種? と小首を傾げる。たしか原種って不味いんじゃ?
「あ〜、まさかあれを使ったのか? 椎菜、やめておけ、原種はかなり不味いぞ」
慌てたように父親が言うが、レキちゃんは可愛らしく小さな肩をすくめた。
「そうですね、二年以上、そんなバナナを食べて暮らしてきたから説得力は満点ですよね」
その言葉にジュースをマジマジと見つめる。原種のバナナを食べて暮らしてきたの? その間、私たちは助けられたあとは平和に暮らしてきたのに……。
「頭を冷やしてまた来るなんて意味ないですよ。きっと冷却期間というのは、離れていたら冷えるだけなんです。一緒に住まないとね、ましてや家族なんですから。気まずい思いで一緒の家に住んでください。きっと打開したいと椎菜さんなら思うでしょう」
レキちゃんがいつもと違う理知的な優しい笑みで私を見つめてくるので、言葉を失う。そしてその優しい笑みに心が溶かされる感じがする。
「でも、結花と一緒に私は住んでいるんだし、そんな簡単には!」
「あ〜、それなんだけれどもね、椎菜。怒らないでこの段ボール箱をよく見て」
結花が苦笑混じりに頬をかきながら段ボール箱へと指差す。段ボール箱になにが? と疑問に思って、すぐに気づく。
「あぁ〜! 椎菜の物って書いてある。こっちは結花のって書いてあるよ?」
「えへへ、実はもう先に私は会っていたりして。レキちゃんがきっと椎菜は一緒に住むのに私に遠慮をすると言うしさ。それなら大きい家を用意したから一緒に住んじゃいましょうってね」
悪戯そうに笑う結花とレキちゃん。どうやら知らないのは私だけだったようだ。
「椎菜お姉ちゃん、私と一緒に住んでくれませんか?」
うるうると泣きそうな瞳で聞いてくる光ちゃん。こんなのずるい! これで断ったら私が悪者じゃん!
「もぉぉぉぉ〜! 私だけ蚊帳の外だったんだね! ずるい、ズルいよ! もぉ〜、教えてよ!」
喚くように叫ぶ私へと遠慮がちに父親が尋ねてくる。
「どうだ、椎菜? 親子なんだ、結花ちゃんと椎菜は家族だろう? 俺と光も家族だ。俺と椎菜は家族。家族同士で一緒に住もうじゃないか」
「そうそう、そして私と椎菜さんも家族同然ですよね。バナナは引っ越し祝いとして置いていきますよ」
レキちゃんが悪気のない親切心100%の微笑みを見せる。
はぁ〜、とその問いかけにジト目となってしまう。なんだか、シリアスに考えていた自分が馬鹿みたいだ。
なぜだか、私の瞳から涙が流れているような気もするが気のせいと言うことにしておく。
お人好しの友人たちが、ここまで考えてくれるなんてと、嬉しく思う。
自然に微笑みが生まれて、私は父さんへと悪戯そうに返事をした。
「良いよ。頭を冷やしながら一緒に暮らすよ。ただし!」
ピシッと指をたてて、父さんへと告げる。
「新しい家なんだから、あんまり足音をたてないでよ。もっと静かに歩いてね」
そう伝えると苦笑混じりに父さんが頷くので、皆で笑ってしまうのであった。
ありがとうね、結花、レキちゃん。




