418話 異なる戦場の地にて
屍山血河とは昔の人はよくそんな言葉を作ったものだ。その言葉に相応しい世界が目の前にはあった。流れる川は毒々しい色の血で染まり、崩壊した世界にて雑草が生える平原であった場所は化物の屍で埋まっていた。
伏せる化物たちは和洋折衷、様々な種類がいる。羊の頭をもつ悪魔が身体を引き裂かれて死んでいる横には、腕を鎌に変えていた鎌鼬の遺体が転がっている。人の顔をもつ大木が裂かれており、その上には火のついていた車輪が壊れて積み重なっていた。
全てが万事、そのような状態であり、数万ともいえるその屍はなにか妖魔や妖怪たちが大勢での戦をしたのではと、見た人は考えることは間違いない。
しかしながら、その実態は違った。
戦ではあれど、戦うのはただ一匹の赤竜と、それを倒さんとして地面に群れなす化物たちであったからだった。
◇
顔のない中世の王子のような服装をした妖魔は唸りながら敵を睨む。
「し、信じられん……。吾輩自慢の落日の騎士団が傷もつけられぬとは!」
おぉ〜! と叫び声をあげながら、四本の腕を持つ獅子や、鉱石の身体を使い突撃をしているゴーレム、空を飛び背中に生える蛾の羽から毒の鱗粉を撒き散らす悪魔、大蛇がとぐろを巻いて押しつぶそうとし、人間の顔をいくつも生やして呪詛をかけようとする呪われた不死者。様々な異形なる騎士団は三万の軍勢にて竜へと襲いかかっていた。
しかしながら、近づくことも許されずに、竜の圧力にて抑えられてしまっていた。30メートルほどの小柄ともいえる赤竜。その鱗はルビーのようであり、その瞳は剣呑さを見せて縦に割れていた。
その竜の縄張りともいえるのか、数十メートルほどの大きさの体躯を持つ赤竜の周囲に入ると、化物たちの強靭なる身体は震えて、凶悪な力を振るえるはずなのに、まるで蝋燭の火のようなちっぽけなものだと、赤竜と比べて思い、知らず知らずのうちに後退っていく。
そうして振るう異形の軍団の超常の力は炎や雷、竜巻が巻き起こり、魔の力を宿す矢や投げ槍が飛び交うが、竜の鱗には毛ほども傷をつけることはできずに弾き返されるのみであった。
そして怯む先から、竜の爪に砲弾どころか核も防げるはずの硬い身体は紙のように引き裂かれ、尻尾を振るわれれば幾百の軍勢が轢き殺されてミンチへと変わる。
まるで太陽へと突撃をしようとする愚かな羽虫のようであり、その様を見て竜はアギトを開く。
その牙持つ獰猛な口の前には炎でできた赤きリングがいくつも浮かび、収束されて放たれた。
まるで極太のレーザーのように一瞬の光のように吐き出されたブレスは軍団を一気に引き裂き燃やし尽くす。
地面から爆炎が噴き出すように、辺りを照らして軍団は消滅していく。
断末魔の声をあげることも許されずに、顔のない化物は消滅をしてしまう。
「ギャース!」
爆炎が収まらぬ中で、その炎を突き破り、100メートルはある図体の黒竜が隙ありとばかりに、赤竜の首元を狙い噛みつく。
瘴気を放ち、全てを腐らせ食い破るはずの漆黒の竜の牙。その体格も子供と大人のような違いがあり、飲み込む勢いで首に噛みつき食いちぎろうとしているにもかかわらず、まるで子犬が鉄格子に噛みつくが如く、その赤竜の龍麟には傷もつかず、押さえつけようとしても、まるで岩山を押しているようにびくともしなかった。
その黒竜を冷ややかな目で見ながら、赤竜はその首を掴み上げる。体格が違い過ぎて引きずるようになるが、まるで綿でも入ったぬいぐるみのように簡単に押さえつけて、ブチブチと肉を引き裂き大木のような首を引きちぎった。
ギャァと、黒竜が哀れな悲鳴とともに死ぬのを確認したあとに、赤竜の身体は淡く光り、変化していく。
そうして屍の折り重なる山に立っていたのは、手に魔力の溢れる黄金の杖を持ち、光沢のある漆黒のローブに身を包んだ白き顎髭が腰まで伸びて、その皺だらけの顔が叡智を積み重ねているとわかる老魔法使いだった。
竜王ファフニール、魔法使いの姿の名はファフが威厳を漂わせて立っていた。
「そろそろ馬鹿げた紙吹雪は終わりか、愚か者よ」
穏やかながら、雷鳴のような、地の底から響くような、震えのくる威厳を備えた声をかけられて、少し離れて様子を見ていた中性的な男女どちらか判断つきかねぬスティーブンは深く疲れたように息を吐いた。
「信じられないよ。貴方がどれだけの僕の部下を倒したかわかるかい? 終末の四騎士とそれらが抱える異形の騎士団。あっさりと蝋燭の火を消すようにブレスで吹き飛ばしてくれたけれども」
かぶりをふりながら、老魔法使いへと返事を返す。
「黒竜だって、それは竜には見えても悪神だよ? セトは竜如きでは勝てないはずだ。なのに貴方は噛まれても傷もつかないし、反対にあっさりと倒してくれたよね?」
「アホウが。神だと? 紙の間違いであろう、その手に持つ魔導書は大分薄くなったようだが」
老魔法使いファフは鋭き相手の心を貫くような視線を呆れと共に睨みつけて言う。
「貴様の落書きで受肉を果たしても、所詮落書きは落書き、力ある存在にはなれん。適当な概念では我には勝てぬ。そして力ある存在となった時には、貴様では扱うことは敵わぬ。自らの愚かさを呪いながら殺されるだろうよ」
「他の人なら、そうかもしれないね。でも今まで僕は裏切られたことはない。それは僕がこの魔導書を使いこなしているという証拠だよね」
「……そう思うのならば、思い続けるが良い、アホウがもつ幻想ほど質の悪いものはないが」
ファフの言葉に眉を顰めつつ、その手に持つ魔導書を見る。百科事典のように分厚く、強力な幻想の存在が描かれた書はこの魔法使いとの戦いでかなりの消費を強いられていた。既に学習ノートのような薄さになっており、復活させるにはまた負の力を集めないといけない。
そして、この魔法使いを倒せる程の力の持ち主は粗方倒されてしまっていた。しかも碌に相手を傷つけることも敵わなかった。信じられないことに、力の次元が違うのだ。
どうやって、この場を乗り切るか、そして新たな分岐点に立っているとも考えていた。
考え込むスティーブンとは別に傍らで守りについていた、自分が選んだ最高の幻想の一人がファフを睨みながら一歩前にでて吠える。
「おぉぉ! 創造主よ、俺に任せておきな! こいつをずたずたにしてやるからよ!」
ローブを脱ぎ去り、姿を現すその妖魔は鳥人であった。金銀の装飾品をジャラジャラとつけている二本足で立つ化物。
鉤爪のような手を突き出して、嘴を歪ませて自身の周囲に風を生み出しながら
「俺の名はガルーダ! 神鳥にして風を司るものよ。爺はここで死んでいけ!」
「哀れな紙切れよ。自身を神だと信じながら消えてゆくが良い」
余裕を見せて泰然としながら言い放つファフへと、ガルーダは怒りを目に宿して地を蹴る。
ガルーダの羽がふわりと数枚舞い散り、その姿が加速されて巻き起こす風に消えていく。
そしてファフの周囲を嵐のような激しさで風が巻き起こって、草木を切り裂き地面を削る。
「この速度に貴様はついてこれるか? 俺様は風! 風に追いつける者はいない!」
「ふ、周りを飛ぶしか能がない鳥如きが風とはな。大きく出たものだ」
ファフが冷たい見下した声音で言いながら、黄金の杖を掲げると、その杖がなにかに当たったように震える。
そうして、数回杖を掲げると、やはり同じように震えて揺らぐ。
「どうした? 我の身体を引き裂くのではないのか? 風となってその爪で」
クックッと皮肉げに口元を曲げながら告げるファフ。ファフの周りを風と化しているガルーダが苛立ちながら、風が鳴るような声をあげる。
「チッ! 風となった俺様の動きがなぜわかる? 大気に溶け込んでいる俺の動きは見えないはずだ!」
「見えないのは未熟ものだからだ。力の流れは貴様がどこにいようが、闇夜に灯る明かりのように丸見えだ、アホウが」
ファフが杖を振り、力の言葉を口にする。
『見えざる幻を穿つ槍よ』
魔法の力が光る槍となり、風の中へと飛んでいく。ひと抱えもありそうな大きさの白光の槍は放たれたと思った次の瞬間には風を撒き散らして穏やかな春のような凪ぐものへと風の勢いを変えた。
そうして、空からはバラバラとなったガルーダの肉片が降ってくるのであった。
「さて紙切れの鳥は消えたようだが次はどうするのだ?」
皺だらけの顔が、見られただけで殺されそうな眼光鋭き視線でスティーブンへと問いかける。
最後に残った上泉信綱が刀の柄に手をのせながら
「竜とは強えんだな。殿よ、儂じゃ厳しいぞ、こりゃ」
自身と魔法使いの力の差を感じて、冷や汗混じりに言う。恐らくは自身の化生の力でも敵わないと悟ったのだ。戦うのならば、決死の一撃を狙わなければならないと。
敵わぬとは頭で理解していても、力の差で勝負が決まることはないとも上泉信綱はわかっていた。なので勝負を捨てる気はないが、その場合、自らの主君を守ることはできない。
スティーブンは切り札のほとんど全てが滅ぼされて、嘆息した。魔導書に載っていたはずの九尾の狐もシュウも消えており、妨害のために残らせた者たちも敗れたことはわかっている。
「出雲で神の力を貰おうと思ったんだけど、残念ながらお爺さんには今は勝てないようだね」
出会ったのは偶然か、必然か。同じ出雲の力を狙う相手として対峙して戦いを始めたのだ。スティーブンの惨敗ではあったが。
僅かに魔導書を持つ手に力を込めて、それでも余裕を崩さずにスティーブンは言う。その様子に、ファフは不自然さを感じた。敵わぬことは理解したはずだ、だがそれでも他の手法があるという様子であったからだ。
「素直に諦めるとするよ。やっぱり狙いは一つにしておいた方が良いと実感したしね」
飄々とした声音で言いながら、スティーブンは魔導書を開き、力を解き放つ。
ペラペラと魔導書のページが捲られて、闇の粒子が吹き出して二体の異形を生み出した。
「それが貴様の切り札か? たいした力は持たぬようだが」
二体の異形は今まで戦ってきた異形と比べても弱々しい力しか感じない。その様子に疑問を口にするファフであるが、スティーブンは薄く笑って否定をする。
「違いますね。この二匹は貴方のお陰で選ぶことができるようになった選択肢を選んだ結果です」
その言い方に違和感を持つファフ。どうやら戦うために作られた妖魔ではないらしい。
その姿は一匹は宙に浮く青銅の鏡であった。枠の部分が雲となっており、空を飛ぶ妖魔だ。
もう一匹は貧相な妖魔であった。ボサボサの髪、やつれた身体の男であった。
一息でファフならば倒せるだろう。馬鹿弟子でも倒せるぐらいの弱さを見せていた。
「小賢しいことを企んでいるようだが、これで我を倒せると?」
ファフから投げかけた問いかけにかぶりを振ってきた。
「こう使います。雲外鏡よ、倒れし異形の力を集めよ!」
スティーブンの命令を聞いて、フラフラと浮く雲外鏡が眩い光を放つ。その光に誘われたのか、倒れ伏していた異形から闇の粒子が漏れ出して、その全てが雲外鏡へと集まっていく。
膨大な力が集まり雲外鏡が震えるようにヒビを入れながら砕けようとする中で、スティーブンはさらなる指示を出した。
「さあ、反転させよ、枕返し。その力にて負の力を反転させよ」
枕返しと呼ばれた妖魔が雲外鏡へと手を掲げると、雲外鏡に集まった闇の力が反転して光輝く力へと変わっていった。
膨大な力を扱ったせいか、枕返しは煙となって消えてしまうがスティーブンは気にしなかった。
喜びを顔に浮かべて、両手を掲げる。
「反転せし雲外鏡はあらゆる闇を引き裂き、光に包まれた物を貫き道を示すんだ。その名は照魔鏡、これがあれば京都へと入れるんだよ」
そう告げるスティーブンの視線の先には光輝く金の枠に神秘的な湖を思わせる鏡面となった照魔鏡があった。ライトロウの壁を打ち破る鏡、膨大な力が必要となり、選択肢としてはあったが、魔導書のほとんどの力を使うので選ばなかった手段だ。
「出雲はいずれ貰いに行くよ、魔法使いさん。僕はとりあえず京都の力を貰い受けに行くとしよう」
得意気に興奮気味に伝えるスティーブンの手元に照魔鏡が移動する。それをしっかりと持って、移動用の悪魔を創造して逃亡を選ぶ。
その様子をファフは哀れな視線で見つめていた。嘆息しながら、逃げようとしても倒せるのはわかっていたが、敢えて見逃すと決めて、一言だけ忠告を口にする。
「……いつの世も変わらぬな……。過ぎたる力は身を滅ぼす。汝はそれを思い知るだろうよ、アホウが」
思いがけない忠告を受けて、一瞬驚き、次には疑惑の表情を浮かべるスティーブンであるが、肩をすくめるのみであった。
「ご忠告感謝するよ。でも、僕は今まで挫折したことはないんだ、最後に笑うのはいつも僕なのさ」
「なるほど、いつの世もアホウの吐く言葉は決まっているものだな。何人の身の程知らずがその言葉を口にして身を滅ぼしたことか」
「昔の人間を例えにだされてもね。それではさようなら、また会いましょう魔法使いさん」
悪戯そうな笑みを浮かべて、片目でウィンクをして、空間移動にてスティーブンたちは消え去った。そこには自信に満ち溢れて己の失敗など考えもしてない姿があった。
即ち、いつもどおりアホウな身の程知らずが見せる姿であった。
「本当にいつの世も身の程知らずが見せる姿というものは決まっているものだな。もはや貴様に会うことは二度とあるまいて」
呆れた口調でファフは呟く。過ぎたる力で滅ぼされるか、女神の天罰を受けるかはわからないが、その行く末は想像がついていた。
フムフム、と周りに転がっている妖魔たちを見て考える。偽りの妖魔といえど、その素材は役に立つ。なぜならば負の力を抜かれても、骸は未だに力を保っているからだ。
しかしながら、数が多すぎる。これ程の数を回収するとなると、極めて面倒くさい。さりとて諦めるのも惜しい。黄金へと変えても良いのだがと思案にふける中で、遠くから若い少女の声が聞こえてきた。
「師匠〜。戦いは終わったのですか? 力の波動を感じなくなりましたが」
と。フヨフヨと頼りなく飛んできた馬鹿弟子が声を張り上げてファフへ向かい飛んでくる。
未だに浮遊の魔法を使いこなせていないのだろう、その魔法は頼りなくすぐに霧散してしまうような感じであった。
もう少し魔法を安定的に発動させるように練習をさせねばならんかと思いながら、ファフはニヤリと笑った。
「よく来た、馬鹿弟子よ。既に戦いは終わった、アホウは既に逃げ去ったあとだ」
「さすがは師匠! これ程の妖魔を滅ぼすその力、私もいつか辿り着きたいです」
目を輝かせて、狐の尻尾をぶんぶんと振りながら陽子は師匠を褒め称える。その目には師匠への信頼と尊敬が混じっている。
「陽子よ、たしか貴様は人間共を保護していたな?」
「あ、はい。食べ物もなく困窮している人々を保護していますが?」
これまでに出会った人間たちは食料を持つファフたちについてきた。既にファフは守るつもりも、契約するつもりもないが、陽子はその人々を保護したのだ。馬鹿弟子の成長にも繋がるだろうと、ファフは放置していたが、今回はそれが利用できる。
「何十人か呼んでこい。報酬を与えるゆえ仕事を頼むとな」
「仕事ですか? え、ま、まさかこの妖魔たちの?」
陽子は師匠の言葉の先を悟り、冷や汗をかく。だって見渡す限りに伏す妖魔たちだ。その素材を採れと命令されるのだろうと理解していた。
「もちろん、馬鹿弟子も同じ仕事をやるのだ。我はゆっくりと休むのでな」
ニヤリと底意地の悪そうな笑みで命令を下す。あの魔導書を持つ者との戦いで少なくない数の魔法を使ってしまった。出雲とやらに行く前に、もう一度魔法を覚えねばなるまい。
肩を落として、陽子が仕事を頼んできますと重労働を呪いながら離れていくのを眺めつつ、魔導書を取り出して読み始める。
先程の戦いは記憶からすでに消え去っていた。興味がなかったゆえに。




