399話 現在の若木シティあれこれ
ホッホッと息を吐きながら、以前とは比べ物にならない速度でマラソンをする女性の姿があった。まだ朝早くで歩く人はほとんど見ない。そんな街並みを走っていく。車も崩壊前とは違いほとんど見ないし、排気ガスを出さないタイプなので空気も綺麗だ。
初夏に入っても朝はまだまだ涼しい。いや、崩壊後は自然の復活により全てが変わった。戻ったというべきだろうか。
荒須ナナは走りながらそんなことをつらつらと考える。額には薄っすらと汗が浮き出ており、多少の疲れも感じるが、それでもまだまだ余裕である。
たぶん今の自分ならマラソンで金メダルも余裕だろうと、走る速さを考えて苦笑してしまう。明らかに体力などが上がっているのだから当たり前だ。
防衛軍の人々も私には及ばないが、それでも身体能力が上がったと言っていた。
それに上がった証拠は目の前にいるのだから、疑う必要はない。
まだまだ朝早く、靄も多少見える街並みを走り抜けて自分の家に到着すると、既に先に到着していて身体を解している少女の姿があった。
小柄な体躯で華奢な肉つきで筋肉なんてどこにもついていないように見える少女だ。しかし自分と同じく10キロを走ってへっちゃらな表情を浮かべている。私よりも断然速く到着したらしい。これが超能力者という人間なのだろうと養女としたリィズを見て実感する。
リィズは私に気づいて声をかけてくる。その額に浮き出る汗は既に拭っており見えない。もしかしたら10キロ程度では汗をかかなかったのかも。それだけまたパワーアップしたのかな?
「ん、リィズは訓練も終えた。朝食に行く」
「そうだね。朝食にしよっか」
グ〜とリィズのお腹が鳴るのを聞いてクスリと笑う。超能力者でもお腹は空く。当たり前だけれども同じ人間でもあるのだと嬉しく思う。
「キャンキャンッ」
家へと入ると、庭からポメラニアンが六匹、私たちに気づいて走り寄ってきた。二匹は普通の大きさで、四匹は子犬だ。
足元をくるくると回って、ハッハッと嬉しそうに舌をだす姿は可愛らしくて笑みが浮かぶ。
「むふー、クリスとバーニィ、シュタイナー、ミーシャ、ガルシア、アンディ、ポケット隊は相変わらず可愛らしい。私と妹の次に可愛らしい」
リィズがしゃがんで、手を差し出すとぴょんとその手に収まる子犬たち。私の周りにも抱っこをしてほしいのだろう。キャンキャンと他の子犬が鳴く。
子犬もそうだけれども、親犬も可愛らしい。このポメラニアンたちはこの間の哨戒任務で発見した犬たちだ。野生化して狼と変わらなくなった危険な野良犬は仕方なく駆除していったが、このポメラニアンたちは尻尾を振って餌をねだりに来たのだ。痩せていて子犬も死にそうであったので引き取った。既にペットとしての犬は殆ど姿を消していたので貴重だとして持ち帰りを許可された。
なぜか私とリィズに凄い懐く。というか、私たちは動物に好かれすぎている感じがする。なにか理由があるんだろうか?
「こら〜! 散歩をしているのにいきなり走り出さないでよ〜」
庭から犬たちを追いかけてきたメイドの環を見てクスリと笑ってしまう。それと庭だけで散歩になってしまう自分の家の広さに苦笑もしてしまうのであった。
◇
朝食を終えて、若木シティ本部へと出勤する。ワイワイと人々が大勢働いており、改築された昔の市庁舎を懐かしく思う。たった2年前の話なのにと。
「あの〜、荒須社長を見ませんでしたか?」
受付で見覚えのある人が尋ねている。誰を探しているんだろうか? 全然わからないや。でも身体はさっと柱の影に隠れてしまう。これは職業病かな? 職業病だから仕方ないよね。
「決済をして頂く書類がたくさんあるのにいないんです! 今日は会社への出勤日のはずなのに!」
なんだか大変そうな悲痛な叫びをあげているみたいなので、そばには寄らずそっと離れようと物陰を移動しようとして
「ここに荒須はいるみたいだぞ」
と、仙崎さんが後ろから声をかけてきた。受付で叫んでいた社員は私の顔を見て満面の笑みと怒りを含めた声音で近づいてきて……私は午前中、訓練もできずに書類を片付けるために社屋へと戻るのであった。う〜む、私に社長は似合わないんだけどなぁ。
ズリズリと抵抗虚しく社員たちに腕を取られて。その姿はどこかのアホな美少女を髣髴とさせたのである。
◇
あ〜疲れたと仕事が終わったので、ぐったりとしながら今度こそ若木本部の百地隊長に会いに行く。アポイントメントは必要ない。顔パスなので秘書にいるかどうか尋ねれば良いだけだ。
「こんにちは~」
片手をあげて勝手知ったる秘書室に入り挨拶をする。秘書さんが気づいて片手をあげて、こんにちはと挨拶を返してくれる。かなり緩い職場だ、崩壊前ならば考えられない緩さだけれども、こういうのも今のうちだけだろうかとぼんやり考えちゃう。段々規則というのは厳しくなるんだよね。アポイントメントがないのに会えるのはいつまでなんだろうかと、ふと思うけれど気にしても仕方ないと思い直す。
「百地隊長はいらっしゃいますか?」
「あぁ、いるよ。今は来客中だ、ほら大樹のお偉いさんの秘書さんが来ているよ。たしかヒソカさん」
「秘書さんが? 珍しいですね」
ナナシ本人と一緒に来ることはあっても一人で行動しているのはあまり見たことがないので不思議に思う。
私の表情に苦笑を浮かべつつ親指をたてて、応接室へと向ける秘書さん。
「ほら、この間ナナシさんが大怪我をしただろう? そのお見舞いのお礼らしいよ」
「あぁ………。大変だったらしいですね」
あの日は凄い大変だったらしい。大混乱となったと聞いている。私はたまたま他の哨戒任務があったので知らなかったんだけど。
その問いかけにコクリと頷き、秘書さんが口を開こうとしたときであった。
「あ~ん? お前たちはその命令をホイホイと聞いたというのか? 護衛をしている奴らだろうが!」
応接室から怒鳴り声が響いてきた。びくりと身体を震わしてその怒鳴り声を耳に入れる。あの声は百地隊長だ。なにかあったのだろうかと秘書さんと顔を見合せる。
「なにがあったんでしょうか?」
秘書さんが疑問の表情になるので、私も気になる。あんなに百地隊長が怒るような、なにかがあったのだろう。なんだろう?
なんとか聞けないかなと思い、少し考えて名案を思い付く。給湯室へと行き、コーヒーを二人分入れてお盆にのせてと。
てくてくと歩いていき、応接室のドアをコンコンと叩く。
「あ~ん? 今は立て込んでいるんだ。なにか用か!」
「コーヒーをお持ちしました~」
若干棒読みになったかもしれないけれど、言ってみる。
私の声で誰かを理解したんだろう。多少の時間が経過したあとに、入ってこいと声が返ってくるのでドアを開けて入る。
応接室には百地隊長とナナシの秘書のヒソカさんの二人が対面同士のソファに座り話し合っていた。テーブルには大きな白い紙の箱が熨斗袋を貼られて置いてある。どうやらあれが見舞いのお返しみたい。
ちらりと私を見て呆れたようにため息を吐きながら、それでも黙ってソファに凭れ掛かる百地隊長。苦虫を嚙み潰したような表情でテーブルに置かれるコーヒーを眺める。
コトンとコーヒーを置き終わったら、そそくさと部屋の隅にお盆を持って待機する私。なにか用があったら大変だから待機しないとね。
ヒソカさんもこちらを見て、苦笑を浮かべる。私の顔はもちろん知っているから、話の内容を聞きたいから残っているとバレバレである。
はぁ~、と嘆息をして疲れたように額に手をあてつつ百地隊長は口を開く。
「荒須は段々お姫様に行動が似てきたよな………。いや、他の連中もどことなくあのお姫様の行動を真似している奴らもいるな」
てへへ、そうですか、と私は頭をかきつつ照れると
「褒めてないからな。いや、良いところは褒めるんだが」
じろりと私を見て呆れる百地隊長。むぅ、レキちゃんと似ていると言われて嬉しかったのに、破天荒な部分も似ているということだろうか。
「それより、ヒソカさんの話を聞いて俺は驚いた。ちょっと聞いていけ」
「はい、それでは失礼しますね」
百地隊長の隣に遠慮なく座ってヒソカさんへと顔を向けると、ヒソカさんは苦笑をしつつ教えてくれる。なぜ、百地隊長が怒鳴ったかを。
「ナナシ様がなぜこの間あんなに大怪我をしたのかという話をしていたんです。護衛がなぜ離れていたのかを」
なるほど、私もそれは気になっていた。あの用心深い男がなぜ大怪我をしたのか不思議であったのだ。
その解答をヒソカさんは伝えてくる。その内容はというと
「護衛では敵わない敵だろうから、強力な火器と援軍を呼んでくるようにと言われた? それを護衛の人は聞いたんですか?」
え? それは護衛の役目じゃない。それを聞いてホイホイと護衛は援軍を呼びに守る人から離れたというならば護衛失格である。少し信じられないので驚きの声をあげてしまう。
「その通りだ、お前でも驚くだろ? あり得ねぇ話だ。なんのための護衛だってんだよ? 敵が強いから主人から離れて援軍を呼びに行く? 通信機はどうしたってんだ? 呆れて物も言えねえ」
「ナナシ様が自分ならば時間稼ぎができるからと命令を下したんです。護衛では時間稼ぎもできずに倒されると判断しました」
「はっ! それでのこのこと逃げる護衛なんぞいらんだろ! その護衛は処罰を下したんだろうな?」
百地隊長がドカンと机を拳で叩いて、また怒鳴り声をあげてヒソカさんに問いかけるが、私も信じられない思いだ。そんな命令を受けて逃げる護衛なんて正直いらない。伝え聞いた話だとナナシはかなりの強者であるという話だけれども。刀一本で強力な化物を撃退したらしい。たしかにあの男ならそんなことも軽々としそうな雰囲気はあるけれども。
ヒソカさんは首を横に振り否定を示す。
「これはナナシ様の命令でしたので、処罰はありません」
意外過ぎる返答をしてくるヒソカさん。
「ふざけんな! 那由多代表はこの話を聞いてどうしたってんだ? なにも対応をしなかったのか?」
「その話を聞いた那由多代表は、彼らしいな………。の一言だけを呟いただけだったそうですね」
どうやらナナシが戦いで大怪我を負ったのは自己責任ということなのだろうか? それでもなんだかおかしい。
ガリガリと頭をかいて、百地隊長は苛立たしさを隠さずに呟く。
「あいつは知り合いの命がかかったときの対応が甘すぎる………。ちっ、あいつらしいが………」
ナナシと仲が良い百地隊長の言葉だけれども、そうだろうか? 彼は冷酷な人間だと思うけれど。でも水無月家族を守ったのだから、凄いと思う。なんだかナナシの人物評に合っていない感じがするんだけれども百地隊長は何かを知っているみたいだ。今度さりげなく聞いてみようと記憶しておく。
そして百地隊長はキッと威圧感溢れる眼光でヒソカさんを睨む。普通の人ならば恐怖するような怖い顔だ。だが、ヒソカさんは平気な表情で座っている。凄い。
「護衛任務をできる人間をうちで選ぼう。命令だからとホイホイと主人から離れる護衛を俺は信用できん。あいつが死んだら、どれだけの人間が困ると思っているんだ!」
「申し訳ありませんが、それは無理です。ナナシ様は自分が信頼できる人間しか傍に置かないので。機密保持のためにもどこにでも一緒に行ける人が必要でして」
「あ~ん? 信頼できる人間なのに逃げたって言うのか? あいつが死んだらお前たちも困るだろう? こちらだって気前の良い対応をしてもらっているのは理解している。あいつが旗手となっているから、今の生活があるんだろう? ナナシが死んで、木野が後を継いでみろ、きっとあいつは貴族主義を持ち出すぞ! 金持ちを優遇する案しか出さないのは簡単に想像できちまうからな! 最近も怪しいサルベージギルドを支援する会社に一枚噛んでいるらしいしな!」
百地隊長の言葉は否定できない。たしかに合理的な行動を主として行動するナナシは国民を優遇することばかりしている。それが合理的なんだろう。そこには賄賂や優遇措置などは必要ないということだ。結果的に善政となるのだから、あの木野という拝金主義者が後を継いでしまったら全力で抵抗をするしかない。
「護衛にはよく言い聞かせておきます。ナナシ様が死んだら今の勢力関係も大幅に変わりますから。ナナシ様にもこの件は伝えておきます」
そう答えてヒソカさんは軽く頭を下げる。どうやら話は終わりらしい。そっと手を差し出して、白い箱を指し示して
「これはナナシ様のお見舞いのお礼となります。レベル3のふんわりお饅頭。餡子、カスタードクリーム、チョコと味が3種類ありますのでご賞味ください。賞味期限は1週間ほどです。100個程入っているので、皆さんでどうぞ」
「レベル?」
私が聞きなれない言葉にコテンと首を傾げるとヒソカさんはクスリと笑って教えてくれる。
「はい、高級品にはもれなくレベルがつきます。これは美味しいですよ、びっくりしないでくださいね」
なるほどと頷いた後に、本当は百地隊長に聞きたいことをヒソカさんに聞いてみることを思いつく。もしかしたら知っているかも?
「あのヒソカさん、レキちゃんはどこにいるか知っていますか? 最近レキちゃんに会っていないのでレキちゃん成分が足りないです」
レキちゃん成分ってなんだとジト目で百地隊長が見てくるがスルーしておく。私には必要な成分なのです。ないとストレスが溜まっちゃうので仕方ないよね。
「レキ様ですか? レキ様は只今大阪府に潜入工作中です。どうやら大阪府もかなり厄介なミュータントが支配しているようでして、どう対応をすればよいか軍とやり取りをしているみたいですね」
「え~! だって、まだ和歌山も制圧が終わっていないのに、先に大阪府に行ったんですか? 私も行きます!」
知りたかった内容をヒソカさんがあっさりと教えてくれて助かったけれど、また危険な場所にいるらしい。いつも危険な任務ばかり平気な表情で行くんだからと私も行かないとと挙手をするが
「ダメだ、残念ながら俺たちは和歌山制圧を進めないといけねえからな。蝶野の部隊が先行しているらしいが、またそんな危険な任務をあのお姫様は受けたのかよ………。ちっ!」
百地隊長が苛立たしそうにしながらも禁止してくる。その意見はわかる、私たちはレキちゃんみたいに強くない。大勢で行動しなければ致命的なことになりかねない………。レキちゃんが帰ってきたら、お話し合いをする必要があると考える。
「それでは私はこれで。またお会いしましょう」
ヒソカさんが出ていき、私もソワソワする。蝶野さんの部隊に混ざれば大阪府に行けるだろうか? いや、私も空騎隊を預かっているから簡単に行動はできないや。さっきは勢いで言ったけれど。
以前と違って責任という言葉が私を縛るなぁとがっかりする。でも、復興から始まって頑張って作った街で発生した責任だ、仕方ないのだろう。
なら、私はレキちゃんが帰ってきたら優しく抱きしめて労わろうと決心をするのだった。
少しして、お饅頭の美味しさにびっくりして、若木本部にてお饅頭戦争が起こったんだけど、それは別の話なのであった。あのお饅頭は反則な美味しさを誇っていたからね。




