391.5話 おっさんが倒れた日
これはおっさんが剣聖との戦いで倒れた日の話である。
◇
はぁ? 聞き間違えかと、代表室で仕事をしていた豪族は耳に入れた話を尋ね返す。なんだって?
「本当にナナシが倒れたというのか? 化物にやられて?」
怒鳴る俺の声を聞いて、青褪めて竦み上がり立ち尽くす部下はなんとか声を振り絞って頷く。
「はい、どうやら三重県の拠点設営地点を視察に行って襲われたようです」
「馬鹿言え! あいつは護衛をつけているし、危険な場所には行かない筈だ!」
「それが護衛と離れていたようでして……。どうやらかなりの重傷みたいです」
バンと机を叩き、その威力でコップが倒れてコーヒーが零れるがそんなことを気にしている場合ではない。
「今はどこにいるんだ?」
「はい、大樹本部へと移送させるのは体力的にキツイだろうと若木国立病院に入院しました」
「すぐに向かうぞ!」
チッと舌打ちをする。あいつが倒れた? 信じられないことだ。なぜそんなことが起きた? あいつが志半ばに倒れるなんてことがあるのか?
そして……あの厳しくもお人好しな馬鹿野郎に倒れられると若木シティはどうなる? 焦る心を胸にして俺は慌ただしく病院へと向かうのであった。
◇
病院には既に大勢の人間が詰めかけていた。大樹の兵士たちも多い。その顔は青褪めており、皆は難しい表情をして話し合っている。どうやらナナシの部下のようだ。自分の上司を守れなくて悔恨している様子であった。
「おい、ナナシの入院した部屋はどこだ?」
この超技術の揃った病院ならば生きていれば死ぬことはないと信じたいが、絶対ではないと理解している。絶対であるのならば軍や民間人に死者は出ないのだから。
受付は困った表情を浮かべてくるが、それでも俺の顔を知っているからか、こちらの顔を窺いながら答えてくる。
「現在ナナシ様、水無月志郎様は手術中です。内臓への負傷を治療中ですね。いえ、水無月志郎様は無事に手術が終わりました」
「わかった。ならば手術室はどこだ?」
水無月の爺さんも倒れていたのかと舌打ちする。どちらも今逝かれては困る奴らだ。特にナナシは。
足音荒く移動すると、手術室前のベンチに座っている水無月姉妹が見えた。二人とも青褪めており、手を固く握っている。
足音でこちらに気づいた姉妹が俺へと会釈してくるが手を振って省略させる。
「挨拶はいらねえ。なにが起こったのか教えて貰おうか?」
俺の言葉を受けて、二人は顔を見合わせて頷くと水無月穂香の方が表情を厳しくして口を開く。
「実は………」
◇
俺は水無月穂香の話を聞き終えて、ベンチの背もたれに身体を深く凭れさせて苦渋に満ちた声音で唸る。
「そうか……。レキの友人を守るためか……馬鹿野郎が、どこまであいつは甘いんだ……」
あの馬鹿野郎の本当の顔を知っている俺は深く嘆息してしまう。娘の友人を守る……。きっと娘の悲しむ顔が見たくなかったのだろうが、馬鹿野郎だ。あの甘さがいつか足元を掬うと思っていたが、こんな形になるとは……。
「あの……あの方はレキさんの友人を守ると仰ってました。そして上泉信綱へ名乗る名前はその……」
周りにいる人間がいないのを確認してから水無月穂香は躊躇いながら尋ねてくる。
「百地様はナナシ様の本当の名前を知っていますか?」
その言葉に何を聞きたいのか理解する。そしてナナシの真の名前を知ったのだとも。
「あぁ、知っている。敵に名乗りをあげたのか、あいつは?」
「はい、あの方は敵とはいえ、剣聖へと正々堂々と戦うために自分の名前を仰ってました。朝倉遥と……レキさんと同じ苗字を……」
「うん、僕も聞いたよ。どうしてレキちゃんと同じ名前なの?」
深刻そうな表情で尋ねてくる姉妹は決心したように話を続ける。
「教えてください。どうしてナナシ様は朝倉という名前を名乗っていないのかを」
「僕も聞きたい。なんで自分自身の名前を名乗っていないのか」
その言葉を受けて考える。この姉妹は頑固そうだ、そしてナナシの本名を聞いた以上、なぜ本名を名乗らないのかを俺の他にも聞いちまうかもしれない。それはナナシにとって非常に困る。
それを防ぐためにも、誰にも言わないようにと教えないと駄目だろう。
微かに息を吐きながら、ナナシの半生と推理したことを話す。
「これは俺が集めた情報から推測した内容だ。正しいとは限らねぇ。そして、悪いがあいつの本名は黙っていてもらえねえか?」
コクリと深刻な話だと理解して強く頷く水無月姉妹。この二人は口が堅そうだ。話しておこう、ナナシの悲しい半生を。
「ナナシは朝倉遥、即ちお姫様の父親だ。恐らく妻は崩壊前に既に亡くなっている」
フゥ、と一息ついて語り始める。
「お姫様は英雄創生プロジェクトで選抜された超能力者だ。選抜された時に何をナナシが思ったのかはわからねえ。しかし今の状況を考えると嫌々仕方なくだとはわかる」
「レキさんは父親だと知らないんですよね?」
「あぁ、お姫様は改造されるまでの記憶を持たない。そして、教育も大樹に都合の良いように吹き込まれている。そこに父親の記憶は必要なかったのだろう」
大樹のやり方を見るに間違ってはいないはずだ。当時の状況からもっと酷かったとも思う。もしかしたら無理矢理娘を連れ去られたのではなかろうか。あのお姫様に甘い姿を見るにそうとしか思えない。なにしろお姫様の友人を守るのに命をかけてしまう馬鹿野郎だ。
水無月姉妹は黙って話に耳を傾ける。
「それからあいつは名前を捨てて出世を目指した。自分の娘を守るために。知ってるか? 最初お姫様は失敗作だと前線で使い潰されようとしていた。それをナナシは何もない場所へと送り込んだ。どんな理由付けをしたかはわからないがな」
手術中のランプが赤く光っているのを眺めながら話を続ける。
「大量に化物がいないために、まだ弱かった当時のお姫様でも対応できると考えたんだろう。戦争の前線で潰されるより全然マシだ。それにある程度の成果が出たら、撤収させてそのまま引退させるつもりでもあったと考えている。上手くはいかなかったがな」
「なぜですか? レキさんと一緒に暮らせるチャンスでしたのに」
疑問を呈する水無月穂香の言葉は当然だ。
「そのまま失敗作として、多少人より強かった程度だったらそうなっていただろうな。だが、お前さんたちも知ってのとおりそうはならなかった。お姫様は成長タイプ唯一の成功例として頭角を現しちまった。兵器の技術革新を上回る成長速度でみるみるうちに強くなっちまった」
肩をすくめながら皮肉げに言う。
「大樹は成長タイプを手に入れて狂喜した。ナナシの権力程度では引退させることができないレベルでな。以降、あいつは実の娘を部下として扱いつつ、出世をして権力を手に入れて娘を守るために人生を懸けることになったわけだ」
最後にため息をもう一度吐く。
「あいつの頑張りが報われる日が来れば良いと思っていたが、まさかこんなところで……くそっ!」
死んで貰っては困る、あいつにはいつかお姫様と平和に暮らして貰いたい。そして今の若木シティにも必要なのだ。他の大樹のエリートでは駄目なのだ。あの合理的と言いながら、ポンと人々のために祭りを行ったり補助をしたりするお人好しが必要なのだ。
あいつが死んだら確実に若木シティは荒れるだろう。弱者を食い物にする風潮になるかもしれない。そうなれば、これだけ人が増えたシティは地獄となってしまう。
そう考える俺の耳にグスングスンと泣き声が耳に入ってきた。見ると水無月姉妹が泣いていた。
「うぅ、そんな苦労しているのに、誰にも知られていなかったんですね……」
「僕が昼ごはんを危険な場所なのに、あんなところで食べようなんて言わなければ……」
シクシクと泣く姉妹たちを見て、どう声をかけたらよいか迷う。正直、俺もそのとおりだと考えていた。
「レ、レキさんの友人というだけで命をかけてくれるなんて、や、優しすぎます」
手で目元を抑える水無月穂香。
「僕、遥さんが死んじゃったら出家する。生きていたら一生を尽くすよ」
「晶、わたくしも同じ考えです」
二人はガシッとお互いの手を握り合う。ナナシが死ぬという、悪夢のような事態にならないよう祈る中で手術中のランプが消えて、ポッドに入っているナナシが担架に乗せられて運ばれてきた。
イーシャさんが疲れた様子ではあるが穏やかな表情で歩いてくるので、ベンチから立ち上がり声をかける。
「百地だ。すまないがナナシは?」
「あぁ、水無月さん達が回復薬を使っておいてくださったんですね。そのおかげでぎりぎり助けることができました」
笑みを浮べるイーシャさんの言葉にワッと喜び飛び跳ねる姉妹。
「良かった、本当に良かったです」
「うん、良かったよ! うぇ〜ん」
泣きながら喜ぶ水無月姉妹を見ながら、俺も安心してベンチに座り込んでしまった。どうやらかなり緊張していたようだ。
「へっ、良かったな、ナナシ。お前はまだ地獄へ行くのは早いとよ」
ホッと安堵の息を吐く中で、遠くから喜びの歓声が湧くのを耳にしてニヤリと笑う。
お前は冷酷そうにしているが慕っている人間たちがこれだけいるんだぜと。
見舞いが可能になったら、一発殴ろうと考えながら。




