373話 魔法少女の覚醒
避難所となった学校には大勢の人々が集まっていた。避難してきた人々は不安そうな表情でひそひそとこれからのことを話している。最近の学校は防犯意識が高いため、2メートル程の壁に頑丈な鉄の門が周りを囲んでおり、簡単には入れない。
むろん、その程度ならば普通の人間ならば入れるだろう。あくまでも威圧目的で存在する壁なのだから。
だが、今学校を囲んでいる者たちには有効的であった。知性なくガシャガシャと鉄の門を揺らすだけの存在には。
そこには生ける死体、ゾンビがいた。崩れるはずもない壁を叩きながら、鉄柵を揺らしながら大群が集まっていた。
門の前には自衛隊隊員が銃を構え緊張状態で監視している。いつ突破されても大丈夫なようにとのことなのだが、銃弾の数はゾンビの数にまったく足りていないので、あくまでも気休め程度だ。
学校に避難している人々は周囲を囲んでいるゾンビたちを見て、そうしてまったく数が足りていない自衛隊隊員を見て、不安そうな表情で話し合うのだった。
「早く助けが来ないものかねぇ」
「まったく自衛隊はなにをしているんだ。税金を払っているんだぞ!」
「食料は大丈夫なのか?」
不安そうに背中を丸め床に座り、いつ救援が来るのかと話し合う人々。
その人々を見ながら、夕月陽子はこの避難所は幸運だったと思い出していた。
偶然が重なり合流できた自衛隊。広くて新築に近い学校。食料も災害用にと最近備えられたばかりの場所。
他の地区はこことは比べ物にならない程悲惨な状況であり、ここまでのんびりとは暮らしていないだろうことを知っている。
ここの避難所が崩壊して、他の場所へと避難したときにそのことがわかったのだ。
私たちは幸運だったのだ。あの時の幸運を私たちは無駄に使ってしまっていた。
武は碌な治療を受けられずに死んでしまい、法子は呆然としたまま、あのファミレスで食い殺されてしまっていた。
それでも悲しみに心を沈めて、この避難所でぼんやりと暮らしていてはいけなかったのに、崩壊するまで私はぼんやりと生きていた。
だが、今度こそやり直せるのだ。今度こそ………。
◇
「起きてっ、ねぇ、起きてよ陽子」
肩を揺さぶられて目を開ける。どうやら寝ていたらしい。ぼんやりと周りを見渡すと、学校の床で私は寝ていたらしい。
目の前には4人が元気に立っており、ぴんぴんとしているので安堵の息を吐く。
「なんだ、聖か。すまない、寝ていたようだ」
なにか思い出していたような気がするが、元気な4人を見て思い出しかけていた内容はあっさりと消えていった。
聖が起きた私を見て、ほっとした表情になる。
「間違いなく寝ていたわよ。でもなんだか魘されていたみたいだし。なにか悪夢でも見ていたの?」
「いや、もう思い出せないし、夢だったんだ。気にすることは無い。それよりどうしたんだ?」
勇たちが顔を見合わせて頷く。なにかを決心したような表情だ。勇が一歩歩み出てきて、口を開いて自分の提案を語りだす。
「なぁ、俺たちさ、話し合ったんだけどまずはお互いの家に行かないか? ほら、両親が生きているのかとかさ」
「うん、私も弟が気になるの。こんな状況で大丈夫なのかなって」
法子もおずおずとその話に追従する。家族を思う気持ちはわかりすぎるほどわかる。私も両親が生きているかが不安で仕方なかった。
だからその話にのって、この避難所が崩壊した後に自分たちの家を見に行ったのだった。
「無駄だ、もう死んでいる。そんなことより生き残ることを考えるべきだ」
硬い口調で冷たい声が口から零れ落ちる。そうだ、死んでいた。そしてそこまで行きつくまでに愚かな私たちは、私だけとなってしまっていた。調や武、法子が死んだ悲しみを誤魔化すためにも家族が生き残っているのかを確認することを目的としてしまった。
なぜあんなことをしたのかと、今でも私は………。私は………。なぜ私は結果を知っているのだろうか。あの時はもう勇と聖しかいなかったのに。
今は4人が目の前にいるのに。状況がまったく違うのに。
「………陽子、なんでそんなことを言うのっ?」
聖が私の言葉に抗議するように金切り声をあげる。他の三人も信じられないことを聞いたという表情で私を見てきた。
「家族は生きているかもしれないじゃない? 私たちがこうやって生き残っているんだから、きっと生き残っているよ」
「そうだな。なんだか陽子は変だぞ? 一体全体どうしたっていうんだ?」
勇が私へと疑問の表情で尋ねてくるが、私も答える術がない。なぜかそう思ったのだ。いや、思ったのではない、確信したのだ。
「………そういえば、なんで陽子は調がゾンビになったって、あの時にわかったの? 私はあれが不思議だったんだけど」
いつもの明るい声はなく、暗い声で法子が尋ねてくる。
………たしかにそのとおりだ。なぜ私はあの時に調がゾンビになったと確信したのだろうか。
あの時の調の呟きが耳に残る。調は自分の顔が良いと自覚していた、だからこそ自分の境遇に我慢できなかったのだろう。いや、私はあの呟きを聞いたことは無かったはずだが真実だったのか………?
かぶりを振りながら、小声でぼそぼそと自信なく答える。
「なんとなくわかったんだ………。なぜか記憶にあったのだ………。自分でもわからないんだが、デジャヴというのではない。生々しい記憶があったんだ」
「………デジャヴ? なにか私たちに隠していることは無い?」
聖が優しい口調で尋ねてくるが、私を疑っているのだということは理解できた。いや、疑っているというのとは少し違う。なにか得体の知れないことが起きていてそれを理解したいという感じだ。
「わからない、わからないんだ。だが調はゾンビになっていた。そして、これから家族を探しに行けば、私以外は全滅することを覚えているんだ。だから、まずは生き残ることを考えよう」
俯きながら答える。こんな答えでは誰も満足はしないだろうことも理解していたが、それしか言えなかったのだ。
「そうか………。デジャヴっていうか、予知なのか? 漫画の受け売りって………わけじゃないよなぁ」
う~むと唸りながら武が腕を組んで悩む。私がこんな冗談を言わないことを知っているからだ。
「仕方ない………。俺たちだけ死んじゃうんじゃ外に出るわけにはいかないよな。わかった、少し様子を見よう」
勇が硬い口調で伝えてくるので、すまないと頭を下げる。これが最善のはずなのだ、きっとこれなら生き残ることができるはずだ。ゾンビは対処を間違わなければ倒すことができる。倒すのは難しいが、それでも倒すことはできるのだから。
「でもっ! まだ弟は小学生なんだよ? お父さんだってお母さんだってどこに避難しているのか………」
法子が責めるように勇へと視線を向けるが、首を横に振った勇を見て諦めたように口を紡ぐ。
どうやら納得してくれたようだと、安心する。これで大丈夫だ、きっと上手くいく。
それから数日間、ゾンビを倒すことに慣れていた私は対処法を周りの人間に伝えて、周辺のゾンビを倒すために椅子を分解して鉄パイプを作り、壁の上からそれらを使いゾンビたちを倒していく。食料もまだ十分に余裕があるし、大丈夫だと安心しながら。
自然に中心人物となっていく私をチラチラと窺うように4人が見てきていたが、まずは生き残ることだと私は仕事に没頭した。
やり直すと決心していたのだ。4人は生き残らせると。
◇
「は? 4人がいない?」
ゾンビの対処法を伝え終わり、学校を囲んでいたゾンビたちもなんとか駆逐して安全を確保して、教室で休憩していた私に声をかけてきた人が教えてくれた内容に頭が真っ白になった。いない?
「どこに、どこに行ったんだ?」
「わからないが、彼らは食料を集めていたらしい。それを持って外に行ったのを見た人がいると私に教えてくれた人がいて」
最後まで話を聞かずに私は教室を飛び出した。どこかで聞いたことがある話だ。迂闊だった、安全を確保するために4人とこの数日は話していなかった。きっと家族を探すことを諦めなかったのだ。ちゃんと話をしておくべきだった。
歯ぎしりをして、悔やむ私は勢いよく走り出す。教室を数歩で出ていき、驚く人々を尻目に校舎から出ていき、2メートルの壁を軽くジャンプすることで飛び越えていく。
なぜ私はこんな運動能力があるんだ? これは人間の力じゃない。壁をジャンプで乗り越える時に自然とできると予想していた。いや、慣れていたのだ。体が覚えていた。
だが、今はそれを気にしている状況ではない。急いで周囲を見ながら考える。最初にいく場所はどこだ? 最初に行く場所………。4人が生き残っていることにより選択肢が変わる。以前は聖の家から見に行ったが、違うかもしれない。ここから一番近い場所は………。
「法子の家かっ! たぶんそうだ!」
身体をふわりと浮かせて、家の屋根に飛び移り、屋根伝いに移動をする。軽く地を蹴るだけでふわりと体は浮くように離れた家屋の屋根まで飛び移ることができる。
もう人間の力ではないなと苦笑して、走っていく。そうだ、この力があれば妖魔を倒せるのだ。この世の妖魔を全て倒していく力が。
そのために私は偉大なる魔法使いに弟子入りしたのだ。ようやく弟子入りできたのだ。
あぁ、そうか………。そうなのか………。皮肉にもこの力が蓋をされていた記憶をゆっくりと思い出させていく。
そうして法子の家が近くなり、私はその光景を見た。
法子は子供らしきゾンビを抱きしめるようにして食べられており、勇や武は近寄るゾンビから聖と法子を守ろうとしてゾンビの群れに食べられていた。
聖はすでにこと切れているのだろう。コンクリートにその身体を伏しており、ゾンビたちが同様に集まっている。
「そうか………。まぁ、こんなものなんだろう」
はぁ、とため息を吐く。その光景を見て絶望はしなかった。この光景は記憶と違うと理解していたからだ。
「アホウが、ようやく目覚めたか」
師の声がどこからか聞こえてきて、私は苦笑を浮かべる。師の声を無視していたことにあとで謝罪をしなければ。
4人の傍へと屋根から飛び降りると、ゾンビに喰われていた4人が虚ろな目で立ち上がりこちらを向く。
「あぁ~」
呻き声をあげて迫りくる4人。大切だった4人。だが記憶の中にしか、もはやいない4人だ。
「自分が受けて初めて分かる。漫画ならば早く気づけと主人公に対してツッコミを入れていたのだが」
片手を振り、身構えて呟く。
「剣の指輪よ、その力を解放せよ」
あるはずだ。常につけているのだから。何もつけていないはずの指を見ながら呟き力を込める。
ふわりと見えない指輪から剣が生み出されて私の手に入る。改めて師から作ってもらったチェーンブレードだ。レキには悪いが、何本も落ちていたのを拾っておいたのだ。
直剣状態を解除し、チェーンモードへと切り替えてだらりと地面へと流す。
そうしてゾンビと化した4人へと優しい声音で声をかける。
「すまない。私は死ぬわけにはいかないのだ。お前たちの分も生きるとは言わない。私は私のためだけにこれからも生きていこう」
腕を横薙ぎに振る。人に非ざる剣速でチェーンブレードが振られて、目の前の4人も周りのゾンビたちも全て一薙ぎにしてバラバラにしていき、その光景が薄れていくのを見た。
薄れゆく光景。懐かしかった記憶から生まれた幻が消えていく。
さようなら、皆。
◇
途端に目の前が真っ暗になったと思ったら、私は目を覚ました。覚醒した上半身を起こして私は慌てて周囲を見渡す。
どうやら寝ていたらしい。暗い山中の中で目の前には焚き火がパチパチと火花を散らしており、向かい側には偉大なる魔法使い、私の師が座って、のんびりと本を読んでいるのが見えた。
「ゴホッゴホッ、申し訳ございません、師よ。私はどれぐらい寝ていましたか」
喉がガラガラだ。声が枯れて、体もだるい。かなりの長い時間寝ていたらしい。
師はパタンと本を閉じると、その鋭い眼光で私を見てくる。
「アホウが。3回目の呼びかけに起きなかったら、貴様は弟子失格として、ここに放置していくつもりだったぞ」
ふらつく身体を抑えながら、その言葉に感謝の礼として頭を下げる。
「申し訳ありません。私が未熟でした。まさかこんな攻撃にさらされるとは」
「ふむ………。儂も迂闊ではあった。この霧が自然のものではないと警戒するべきだったのだからな」
周りを見ると焚き火を中心に半径30メートル程は視界がクリアであるが、そこからは一寸先も見えない霧に包まれていた。山にありがちな霧だろうと気にせずに山中を歩いていたのだ。
「これはなんなのでしょうか? っとと」
私の疑問の声と共によろけた様子を見て、師はため息を吐く。
「貴様は3日間、そこで倒れ伏して寝ていた。なにも食べていないのだ。先になにか食えばよいだろう。あの小さき女神に貰った神器を使え」
「は、はい。申し訳ございません。すぐに体調を戻しますので」
レキから貰ったバングルには色々な食料だけが入っていた。食料だけが入るようで他の物は一切入らない不思議なバングルだ。通信も可能であると取扱説明書には書いてあった。
ポチポチとボタンを押下すると、目の前に蓋を開くだけで熱々となるお弁当と飲み物が現れる。
不思議なお弁当の蓋をぺりぺりと剥がして、湯気が生み出されるのを見て飲み物の蓋を開ける。
「師よ、お茶です」
まずは師にと、お茶を手渡すと師は受け取り口にする。
その後で私もお弁当を食べ始めるべく箸をとる。
「この霧はナイトメアだな」
突如口を開いた師へと顔を向けて疑問顔となる。ナイトメア?
「ナイトメアとはあの美女がなるという?」
「アホウが。貴様がなんの伝承から思ったのかは知らぬがナイトメアは精神体だ。この霧はナイトメアの力そのものだな」
「この霧が全て? 全てナイトメアだとおっしゃるのですか?」
周囲には霧が立ち込めている。それはこの山中全体に広がっているのだろう、いや、もしかしたらこの地域全体に?
「うむ、その通りだ。これは意図的な妨害行為だな、何者かがここを通過させないように配置したのだろうよ」
「ではこのナイトメアを倒すのですが?」
勢い込んで私は師へと尋ねる。こんな危険な妖魔を残していくことなどできないだろうと。
だが、師はかぶりをふって否定する。
「このナイトメアを倒すには私よりも相応しい者がいる。こいつは倒すのが極めて面倒な敵なのだ。あの小さき女神ならば相手にはならぬだろうがな」
むぅ、と不満を思うが仕方ない。師が言うのならばその通りなのだろう。レキはゴーレムをあっさりと倒した。その力は私など比べ物にならない程凄かった。どれぐらい凄かったかというと、自分との力の差がわからない程であった。
「この霧は精神攻撃ではない。人の最も悲しい記憶を己に対して投影するだけだ。ゆえに精神攻撃無効である者など、誰にでも通用するのがこの霧の厄介なところだな」
ん? とそこで首を捻る。その説明はおかしい。
「ですが、私は過去に囚われていたのですが?」
4人と共に過去にいた記憶がある。というか、まさにそれで私は3日間も寝ていたわけだし。
「投影された記憶の悲しみにより心が弱まるところに精神攻撃をしてくるのがナイトメアの手段だ。精神攻撃無効な者には単なる嫌がらせにしかならぬ」
「なるほど、この霧は精神攻撃をする前の事前準備といったところなのですね」
「あの小さき女神には相性が良い。儂もこのうざったい光景はうんざりだ。さっさとこの地域を抜けるに限る」
肩をすくめてお茶をすする師。どうやら師にも何かが見えたのだろう。それがなにかは聞くのは憚られるが。
「ですが、レキにも悲しい記憶が投影されるのでは? そこから精神攻撃をされるはずなのでは?」
「アホウが。神には精神攻撃は効かぬ。支配、洗脳は完成された精神を持つ神族には効かぬのだ。あの小さき女神は投影される記憶も………。まぁ、儂が気にすることではない」
そこでギラリと目を光らせてお叱りの言葉が紡がれる。
「それより、不肖の弟子よ。お前が体調を戻したら、さっさとこの地域を抜ける。さっさと飯を食え! アホウが」
「は、はい。すいません」
怒られてしまったと、慌ててお弁当を食べ始める。
偶然であろうか。それはハンバーグ弁当であった。あのファミレスで食べられなかった物だ。
私は肉を喰らう。
これからも肉を喰らい敵を倒していくと決心して、ハンバーグを仇のように喰らうのであった。
妖魔を殲滅するためにも私は強くなると心に誓いながら。




