372話 魔法少女の見る風景
遠くから鐘の音が聞こえてくる。段々と大きくなるその音が懐かしくどこか苛立たしい。
まだまだ私は眠いのだ。ぼんやりとした頭でその音が終わるのを待つ。
鐘の音ならばすぐに止むはずだと、目を瞑ったまま時間が過ぎるのを眠りの中で思う。
「お〜い、陽子! もうお昼過ぎたよ〜」
のんびりとした女子の聞き覚えのある声だ。久しぶりに聞く声のような気がする……。
「駄目だ、こいつ爆睡してるぞ」
呆れたような男子の声がさらに私を起こそうとする。
「休みの一日目から午前だけとはいえ、強化授業なんて学校がいれてくるからだよ」
「仕方ないだろ? 進学校を選んだ自分を恨め」
男子たちがいつものように、丁々発止でやり取りをしている。
……いつものように?
「起きろ〜、夕月陽子! 私たちもお昼ご飯を食べに行くんだから! おなか空いたよ〜」
怒ったような、それでいて陽気な感じの女子の声。さっきとはまた違った声だ。誰だろう……。
懐かしく思う私の肩は大きく揺さぶられた。机にうつ伏せに寝ていた私を絶対に起こそうとする意思が感じられて、渋々と頭をあげる。
ぼんやりとした頭で寝ぼけまなこで周りを見渡す。
夕月陽子と呼ばれた私は突っ伏して寝ていた机から頭をあげて周りを見る。
そうして驚いて、椅子をひっくり返して勢いよく立ち上がる。
ガタンと椅子が倒れる大きな音がしたが気にするどころではない。
「み、みんな? なんで……え……どうして?」
四人組の男女が私の目の前に立っていた。細い体格に見えるが剣道を長くやっていて全国大会にも出たことのあるそこそこ強い、そこそこお人好しの勇。
大柄な体格で、柔道をしているのにすぐ怠けようとする癖のある怠け者の武。
いつものんびり屋の女の子、可愛らしい外見と合わさってモテる聖。
眼鏡をかけてインテリ風なのに、いつも食い意地がはっていて、明るい性格の法子。
もう見るはずのない幼馴染の四人が目の前には立っていた。
「朝練してたの? なんかクタクタそうに見えるけど?」
聖が私を見て、体調が悪いのかと尋ねてくるが、それどころではない。
「生きていたのかっ! いや、ここはどこだ? 私は三重県を横断しようと師と共に山の中を歩いていたはずだ!」
そうだ。私は山の中を師と共に歩いていて……。
「うわっ! こいつ壮絶に寝ぼけているぞ! なんだよ師って? またなんかの漫画にハマったのか?」
勇がからかうようにツッコミをいれてくるのを耳に入れて首を傾げる。
……たしかに、なんだ師って。漫画の読み過ぎだろうか? 私はキックボクシングも好きだが漫画も大好きなのだ。なのでいつも夜まで練習して、勉強を終えたあとに漫画を見て寝落ちしてしまう時が多い。
じわじわと自分の言った言葉が恥ずかしくなり頬を赤くしていく。本当になんだ三重県って。行ったことなんてないのに。
そういえば私たちは連休初日にあった午前だけの強化講習のために学校に来たんだった。
なんでそんなことすら忘れて寝ぼけていたのだろう。あ〜、これも父さんが休みの朝から朝練だとか言ってきたからだ。だから疲れて寝てしまったのだ。進学校だけあって一年の最初から油断はできないというのに。
「あ〜。私はノートをとったのか? とっていないか、ミミズののたくった象形文字のような予感がする……」
がっくりと肩を落とす私をポンポンと慰めるように肩を叩いてくる法子。
「まぁまぁ、お腹が空いていない? だから疲れちゃうんだよ」
「慰めるふりをして、昼ご飯を食べに行きたいだけだな法子」
私はうりゃうりゃと法子の脇腹をつつく。法子は体をよじりくすぐったがりながら頬を膨らませて、私の脇腹をつつき返してくる。
「陽子だってお腹空いてるでしょ〜。お互い食い意地張っているんだから」
「む、そんなことはないぞ? 私は文武両道の美少女として巷で有名なのだから」
ありえない風評被害だとキッパリと言い放つ。ご近所のおばさんたちにそう褒められているのだから間違いはないはずだ。美少女と呼ばれるのは照れるが。
それを聞いた四人はお互いの顔を見合わせて苦笑をする。
「はぁ〜……。たしかに美少女だけどね。それを口にしたらだめだよ? 相変わらず空気を読まないというか、なんというか」
「黙って立っていて経歴を聞けばそうなるんだろうな。たぶん一日付き合えばアホさが相手にはわかるだろうがな」
武がニヤニヤと笑いながら、そんなことを言ってくるが、私はアホではない。勉強だって、進学校のこの学校に入れるぐらいには頭が良いのだから。
なので抗議をしようと口を尖らせて言おうとしたところで気づく。もう一人幼馴染が足りない。
「なぁ、調はどこだ?」
なんだか胸騒ぎがするので尋ねる。私たちはいつもではないが、結構な頻度で集まって遊んている。そして五人がいる時はだいたいもう一人の幼馴染もいるのだ。
「あぁ、調ならジュース買いに行ったよ。喉が乾いたんだってさ」
勇が簡単に教えてくれるが少し胸騒ぎがする私は調を探しに行こうか迷う。
そんな私が考えている中で、教室のドアがガラリと開いたので視線を向ける。
「勇者諸君、お待たせ〜。もう陽子は目を覚ました?」
そこには気楽そうな様子で片手に缶ジュースを持った男子がいた。
「平凡なる調君、お帰り〜。陽子は起きたよ〜」
クスリと聖が笑いながら返答する。
「で、これからファミレスに行くことに決定しました。みんなお小遣い大丈夫だよね?」
「あぁ、午前で終わりと親に言ったら、昼飯代貰ったよ」
「私も〜」
法子がいつの間にか決まったファミレス行きを宣言するので、周りの面々も同意する。
「おし、今日こそは異世界転移イベントがあるな、きっと」
自称平凡な調が笑いながら、いつもの冗談を言う。自称平凡、成績中の上、運動中の下、顔立ちは平均的な男子のパーツを集めただけの平凡な人間だといつも公言している調。
そんな調は幼馴染たちの名前が勇者っぽいパーティだからと異世界転移をいつかされると冗談を言うことが多かった。それに俺は巻き込まれるのだと。
私も巻き込まれて、巻き込まれた二人は小説みたいに活躍するのだそうだ。その場合は私がヒロイン役なので、なんとなく恥ずかしくなり、それを四人が生暖かい目で見てくるのが少し照れてしまう。法子に言わせると間接的な告白だよという話なのだが……。
それに調は自称平凡と自分で言うが、私たちだってチートのような運動神経も、教科書をパラリと見れば理解するような頭の良さもない。みんな努力をしているが、それでもそこそこの運動神経にそこそこの学力だ。
平凡なる調は平凡なる顔立ちと言うが、平凡な顔のパーツを集めるとどうなるか? イケメン野郎が空気を読めと陰口を叩かれているのを知らないわけでもないだろうに。私たちも、注意をしたがなぜか平凡だと言いはるのだ。なぜなのだろう?
調からは結局なぜかは聞けなかった。いや、結局? いやいやいや、今なにを考えたのだ、私は?
ぶんぶんと首を振る。まだ寝ぼけているのだろうか。
「大丈夫、陽子? なんか調子悪そうだけど」
聖が今度は本当に心配そうに聞いてくるが笑顔を浮かべて私は否定する。
「いや、大丈夫だ。少し不思議な感じでな。どうやらまだ寝ぼけていたのだろう」
「そっか、それじゃ行こっか」
あぁ、と頷き教室を出ようとドアに手をかける。
が、ふと気になって後ろを振り返る。
もう私たちが最後なのだろう。誰もいない教室はなぜか非常に悲しい想いを抱かせた。
「コホッ、コホッ」
調が咳をしているのが耳に入る。
「なんだよ、風邪か? 明日から休日を楽しめるのに」
「いや、コホッ、なんか急に咳が……。いや、たぶんなんでもない。明日から休日を楽しむのに休んでなんかいられないしな」
「一年の春から風邪で休むと、友人ができるタイミングを逃しちまうぞ」
「でも、私たち遊ぶとしたらこのメンツだしね〜」
たしかにそうだと皆が笑いながら廊下を歩いていく。
私も追いつくように、なぜか後ろ髪をひかれながら教室から出て歩き出す。
「アホウが」
後ろから老人の声が聞こえて、私は驚いて再び振り返る。だが、教室はガランとしていて誰もいない。
「どうしたの〜? 行っちゃうよ〜」
法子が来ない私を気にして声をかけてくる。なぜか釈然としない感情を抱きながらも私は歩き出す。どこかで聞いたような感じがしたんだが、どこでだったろうか。
「コホッコホッ」
調の咳がやけに私の耳に入ってきた。なぜか不吉に感じる咳だった……。
◇
ファミレスに到着して、いつものようにドリンクバーを頼み、それぞれ料理を頼み終える。
やはり肉だなと、ハンバーグセットを頼み終えた私はお腹が空いてたのだなと改めて意識して、意識したせいだろうか微かにお腹が鳴る。
微かであったのに、その音を聞きつけた法子がいたずらそうに笑う。
「陽子もやっぱりお腹が空いていたんじゃん。もぉ〜」
「まぁ、ハンバーグなんて久しぶりだからな。いつもはパンだけだし、最近食べて美味しかったのは朝倉レキから貰ったたこ焼きだったな」
恥ずかしくて、ぶっきらぼうに答えてしまう。というか、私も乙女なんだぞ、そこは聞かないフリをしてくれても良いのに。
「たこ焼き? 誰だ、朝倉レキって?」
武が不思議そうに尋ねてくるが、その問いかけに言葉が詰まる。
「誰だったか……久しぶりに熱々の食べ物を食べれて感動したような……」
誰であったろう? そこでなにか大切な事があった記憶があるような……。
首を傾げて不思議がる私を見て調がからかうように言う。
「なんだよ久しぶりに熱々の食べ物って。最近は熱々の食べ物をおばさん作ってくれないわけ? コホッ」
「いや、うちは肉好きだから昨日も熱々の……熱々の……」
靄がかかったような感じがする。なぜか思い出さないといけないような感じがするのだ。
「そういえばさ〜、なんだかパトカーがそこら中を走っていなかった?」
答えに詰まる私をフォローするように聖が話を変えてくれる。他の面々も同じようにその話にのってくる。
「そうそう、なんだかそこら中を走っていたよな〜。なんだろうな、大事件?」
「通り魔が現れたってさ、呟かれているよ」
勇の問いかけに武がスマフォを操作して教えてきた。相変わらず怠けようとする癖に勤勉で行動が素早い。
「通り魔? それはどこで起きたんだ?」
その言葉に私はテーブルを乗り越えるような勢いで尋ねる。
その言葉はなぜか不吉な印象を私に与えてきた。通り魔?
「どこかだって? 少し待てよ。こんなのはすぐにわかるからな」
ポチポチと武が操作をするが、すぐに不思議な表情へと変える。
「……おかしいな? 場所がわかんねぇぞ? というか、そこら中から呟かれているような……」
「急いで帰ろう! 皆、昼ご飯は中止だ!」
なぜか私はその言葉を聞いて焦る。なぜだかはわからないが、ここにいてはいけないような感じがするのだ。心が警鐘をガンガン鳴らしている。
そんな私をキョトンとした顔で眺める四人。急になにを言っているのだと言う表情だ。化け物を倒して地域を安定させようと私が叫んでも誰も彼も話を聞いてくれない。そんな記憶を思い出す。
「ほら、お腹が空いたなら座って。もぉ〜いきなりなんなの? 漫画のセリフ?」
呆れたような表情であったならまだ抗弁しただろう。怒ってきたなら、怒り返しただろう。だが、四人はこちらを気遣うような表情で見てきた。
その様子に心配をかけていると理解して一瞬口ごもる。
そんな私を見て様子が変だと思った四人は口を開こうとしていて、違和感を感じる。四人?
勇、武、聖、法子が座って、私を見てきている。………調は?
「し、調はどこだ? あいつはどこに行った?」
胸騒ぎがする。こんな光景を見た記憶がある。あの時は私は普通にハンバーグを食べていて……。
カシャンとガラスが割れる音がした。
なぜか賑わうファミレスの中で。
私は嫌な予感を膨らませていた。
「大丈夫ですか、お客様?」
ガラスの割れた方へと視線を向けるとドリンクバーに行っていたのだろう。調が床にコップを落として苦しそうにうずくまっていた。
そんな調を見て、その苦しみようが尋常ではないと思った店員が近寄りながら声をかけている。
駄目だ……。近づいては駄目だ……。だって調は……。
「大丈夫かよ、調!」
武が慌てたように立ち上がり、他の面々も驚いて立ち上がろうとしている中で。
私は強いデジャヴを感じていた。
こんな光景を以前に見たことがあると。
「武っ! 近づくなっ!」
思わず怒鳴る私に驚いた表情で四人が見るが、
「ギャァ〜!」
調に近づいていた店員が悲鳴をあげていた。絹を裂くような声と小説などでは言われるが、実際は心に恐怖心を呼び起こす断末魔の悲鳴であった。
私を見てきた四人は慌てたように、再び顔を調のいる方向へと向ける。
そこには首筋を調に噛まれている店員の姿があった。ブチブチと肉を食いちぎられて、凄い勢いで血を流しているのが見えた。
ゾンビだ。調はゾンビになっている。
なぜかそのイメージが強く湧く。もう調を助けることはできないと確信してしまう。
「なにやっているんだ、調!」
勇と武が慌てたように近付こうとする。
そうだ……このあとに武が抑え込もうとして嚙まれたんだ……。その怪我は重くて数日後には……。
「どけっ!」
私は誰よりも早く調に近づくために怒鳴りながら床を蹴る。
一気に調へと近づく私は調が店員に噛みつきながらも、なにかを呟いているのが聞こえてきた。
「お、おでは、二枚目だんだ……こんなオデはもっとぢやボヤされるべきだんだ」
調の心の声が聞こえてきた。それは悲しくて哀れな声であった。まさかそんなことを考えていたとは思いもしなかった。
「調っ!」
私は好意を抱いていた元人間に近寄りながら、思いきり力を込めてハイキックをいれる。そこには躊躇いはない。
ダッシュからのハイキックが決まった調は頭を仰け反り後ろへと勢いよく倒れる。
躊躇いは死を意味するからだ。愛しい夫、親しい友人、可愛らしい子供、すべてゾンビとなれば倒さなければこちらが殺される。躊躇いを見せて死んでいく人々を嫌になるほど見てきたのだから。
……そんな風景を私はいつ見たというのだろうか。
私がやった行状に驚き怒りを見せる法子。
「何してるのよっ! 調、大丈夫?」
法子が駆け寄ろうとするが手で制して、調の異常を伝える。
「調は駄目だ。もう死んでいる……いや、ゾンビになっている。そこの店員のように」
悲しい気持ちと共に伝えるとポカンとした表情になり怒鳴ろうとするが
「うぁぁァァァ」
調はあれだけ勢いよく叩きつけられたというのに、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。
悍ましい呻き声をあげて、白目を剥きながら。
噛まれた店員もガクガクと体が震えたと思ったら、首から血を流しながら、同じように呻き声をあげて立ち上がってくる。
「逃げるぞっ!」
悲鳴をあげようとする友人たちへ言葉を被せるように叫ぶ。すまない、調。もうお前と異世界転移はできそうにない。
ヒュウと息を吸って悲鳴をあげようとした法子の手を掴み、周りを見る。
「ギャー! や、やめて!」
「か、噛むな〜」
「誰かたずげで」
いつの間にか周囲の人々も悲鳴をあげていた。隣人が友人が襲いかかってきて地獄絵図だった。
「な、なんだよ、これ?」
「急げ! ここを離れるぞ!」
目の前に来たゾンビを蹴り倒して店を出ようとする。四人は慌てたように後ろをついてくるのを確認して呟く。
「今度は、今度こそは皆を助けるんだ」
駆け足で地獄と化した街中を走りながら呟く。今度は大丈夫。武は嚙まれていないし、法子は呆然と立ち尽くしていない。
「アホウが」
どこからか老人の声が聞こえてきた。その声がなぜか逃げるのに必死なのに耳に残った。




