291話 おっさんはスキーをする
雲一つない快晴の中で、雪化粧が山肌を覆っている。その中でゲレンデをパラレルターンで鋭角にざっざっと雪を華麗に切りながら降りていく人影があった。
スキー用のゴーグルを被り、青いスキージャケットを着込みかっこよく降りていくのは、なんとレキではない。
くたびれたおっさんこと、朝倉遥である。まぁ、おっさんの名前など誰も興味はもたないと思われるが。
天変地異の前触れか? かっこよく降りていく姿は本当におっさんなのだろうかといつもの様子を知っている人間ならば目を疑うだろう。
だが、おっさんであった。くたびれたおっさんであった。
そして、スキーは得意なおっさんでもあった。
遥はスキーが一応滑れる。ボーガンだか、ボーゲンだか、ハーケンだが忘れたがスキー板をハノ字にしなくても滑れるという唯一かもしれない特技である。
といっても、大学生時代までの話であり、今や運動不足で滑ることは不可能と思われたのだが。足の筋肉が衰えてスキーに耐えられなかったのだ。凄い情けない理由である。おっさんにふさわしい理由かもしれない。
しかしおっさん+2となり、そこそこ筋力が復活したことと全体的にステータスが上がったことにより、若い時代のように動くことが可能となったのであった。
白銀の斜面を滑り降りて、ゴーグルを外して後ろへと視線を移す。
そこには数十人のスキーをしている者が見える。ちなみにボードの方は別の斜面である。あれはゲレンデをガタガタにしてしまうのでスキーとは絶対に別にしないといけない。畑でも耕すのですかという勢いで畝を作るボードなのに一緒のゲレンデで滑らせるとか意味が分からない。若い時代に何度作られた畝で転びかけたかと思い出して憤慨する心の狭いおっさんだ。
スキーヤーの中に一人、ボーゲンでよたよたと滑りながらゆっくりと降りてくる人間が見える。
見るからに初心者だ。こちらを目指してゆっくりゆっくりと近づいてくる。
「待ちなさいよっ! おっさん、速すぎでしょっ!」
よたよたと滑りながら降りてくるスキーヤーの声音は少女のものだ。遥目指して近づいてきたが、もうすぐたどり着くといったところで、コテンと倒れた。
フッと笑い遥は上手にスキー板を滑らせて、側へと近寄り手を差し出す。
「叶得君、ほらお手をどうぞ?」
その手を見ながら、あたふたとして周りを見て少女は何故か手をごしごしとジャケットにこすりつけてから手を差し出す。
「おっさんにしては気が利くわねっ!」
手を掴み、よいしょと立ちあがらせる。ふぃ~と息を吐いて少女は自分についた雪を落としたあとにゴーグルを外す。
相変わらず褐色少女な光井叶得である。今は褐色少女というか頬が赤く染まっているので赤色少女かもしれない。
「スキーは滑れると聞いたから連れてきたのだが、初心者だったかな?」
そのような話だったので連れてきたのだ。だが、今の滑り方は初心者にしか見えなかった。
「だ、だって………せっかくスキーに誘ってもらえたのだし………ナナシと一緒に行きたかったのっ!」
照れながらも少し強めに返答する叶得。なんというか昔ながらのツンデレだなぁと感心してしまう。あと、凄い可愛いとも思ったところ。
「きゃぁっ!」
もう一人が滑り降りてきて、遥へと突撃をしてきた。
どしゃんとぶつかり、二人して雪の中に転がる。遥が雪の上に倒れて、その上に突撃してきた人が乗っている格好だ。
「す、すいません。ナナシ様、今どきまますね?」
手を雪につけて立ちあがろうとするのは少女であった。
「きゃぁっ、上手く立ちあがれません」
コテンと手が雪に潜り、バランスを崩して遥の胸に飛び込む少女。
「ふんっ!」
気合を入れた声と共に叶得が後ろから少女の首元を猫のように掴み後ろから立ち上がらせる。
「だ、大丈夫だったかしら? ここは初心者が滑るゲレンデじゃないわ? あっちの隅っこがいいんじゃないかしら?」
ゲレンデの隅っこを指さして、口元を引きつらせて叶得が言うが
「いえいえ、ナナシ様のお世話をしないといけないので離れる事はできません」
少女もゴーグルを外して、帽子を取ると、サラサラの金髪ツインテールが流れるように現れる。
ふわさっと多少の風をうけて、なびく美しい金髪を見せるのはナインであった。
くるりと遥へと振り返り、ナインはニコリと可愛らしく微笑み口を開く。
「寒くなってきたら、温かいお飲み物をお持ちしますので、いつでもおっしゃってくださいね」
「あぁ、よろしく頼む。まだ、とりあえずは良いだろう。しばらくはスキーを楽しむからな」
遥の答えを聞いて、了解しましたと綺麗なお辞儀をするナイン。
「あんた、お休みじゃなかったの? 駄目よ、おっさん。ちゃんとお休みは仕事をさせないようにしないと」
叶得がもっともらしく告げてくるが、顔が怒っているので説得力がない。
「ふふふ、お休み中ですので、これは私のやりたいことなのです。仕事は関係ないです」
むふんと平坦なる胸をはりながらナインがドヤ顔で言う。珍しい表情だなぁと、それでも可愛いなぁと遥は思いながら再びリフトへと向かうのであった。
ナインが存在するここはどこかと言われれば、ここは大樹偽本部の艦内に設置されているスキー場である。
空も森も全て作りものであるが、見分けることは不可能である。本物の空に見えるし、時折吹く風も自然の風に感じる。ホットケーキ内部に無駄にいくつも作った娯楽施設の一つであった。ちなみに温泉付き。
なぜこんなスキー旅行をしているかというと、トラクターをトラックに改造している困り者へと注意しにナナシの姿で行ったのだ。
ナナにはレキとして定期健診で大樹に数日行ってきますと説明してあるので、いなくても不自然に思われない。
そうして注意しに行ったのだ。工房はいくつかのレベル1の工廠として増築されているので随分と未来的な工房となっていた。
来訪したナナシは厳しい目つきで叶得へと事情聴取をしていた。
「なぜ、トラクターをトラックに改造した? トラクターが元だからそんなに速度もでないだろう?」
「最大速度50キロだと思うわ。だってナナシに貰った新しい製造マシンを使っていたら、トラックに改造可能とでたんだもの。冬はトラクターなんか使わないでしょ? だからトラックに改造したの」
はぁ~とため息を吐き、さすがはマッドサイエンティストな叶得だねと納得する。できるのならばやろうという考えなのは明らかだ。
それに人々が車を欲しているのも知っている。今は電車と輸送トラックで誤魔化しているが、だいぶ輸送トラックも増えてきたし、ちょっと管理が面倒になってきたところだ。
「これからはナンバー制とするからな。トラックへの改造は申請して許可を得たものだけに行うんだ。わかったな?」
厳し目に伝える。悪気はないのはわかるが、そのトラックを使い少なくない数の生存者が危険地帯に足を伸ばして死んでいるのだ。看過はできない。
まぁ、使う人が悪いので叶得は悪くないとは本当に思うが。
叶得は素直に目を潤ませて頭を下げてきた。
「ごめんなさい。私のせいでたくさんの人が死んだのね?」
罪悪感は一応持っていたようだが、武器を作って配り歩いたわけでもない。
しょうがないなぁと、頭を下げている叶得を恐る恐る手を伸ばしてナデナデする。褐色少女の髪の毛は少しぼさついており、乾いた感じなので手入れが必要だねと、ナインや最近ではドライを頻繁に撫でている遥は思った。随分おっさんも変わってしまったものである。まだ恐々といったところが昔の小心者の心をまだもっているのかもしれない。
「いや、車など使う者の自己責任だ。そこまでの過失はない。まぁ、これからは注意して改造をしろというところだろう」
少しの間、頭を撫でるおっさんとそれを耳まで真っ赤にして受けている褐色少女という姿が続く。
名残惜しいけどという感じで叶得が頭をあげて
「これからは許可をもらった人の車両だけ改造するわねっ」
元気を取り戻して、それなのにもじもじとこちらをチラチラと見ながら尋ねてくる。相変わらず気を取り直すのが恐ろしく早い。
「ねぇ、おっさんの実家へは、いえ、違うわっ。私も本部に行ってみたいの! 連れて行ってくれない? 大樹の技術を眺めてみたいわ!」
なんだか最初の発言が怪しい感じがするが、それは別に良いかなと思う。あとでレキとしてリィズやみーちゃん、椎菜たちも連れて行こうと考えていたのだ。問題はないだろう。
問題ありまくりですとウィンドウ越しにナインが鋭い視線になるが、遥は迂闊なので気づかなかった。いつもは気づくだろうに、レキの姿で他の人々と遊ぼうと考えていたので。
「ではレキに連れて行かせ」
「おっさんがいいわっ! おっさんと私の長い付き合いでしょう? たまには私をエスコートしなさいよっ!」
身を乗り出して顔を近づけてきて、食い気味に叶得が声をかぶせてくる。
「私と一緒でもつまらないぞ? 旅行なら友人たちと一緒に行った方が」
「これから行ける? すぐに用意するわねっ!」
ドタタタとソファから勢いよく立ち上がり叶得は応接室を走って出ていった。
「好意をもってくれるのは嬉しいんだけどさぁ、あれは行為を求めてない?」
ウィンドウ越しに見ると、サクヤの画面はお休み中と書いてあり映っていない。ナインがにこやかに見える笑顔で答えてくる。
「大丈夫です、マスター。その場合は私が全力でマスターのお相手をしますので叶得さんの出番はないです」
ナインの言葉が少し変だよねと、冷や汗をかく遥。ここは漫画や小説のセオリーのように全力で妨害しますとかいったセリフではないだろうか? ナインと全力でなにをするのかな? 意味は分かるがわかりたくない。そのために叶得とはできないとかいった感じかな?
ちょっと怖さを感じるので話を変えるおっさん。ヘタレ極まりない。
「まぁ、旅行なんて親御さんが許さないよ。それに今日これからってどんだけアグレッシブなんだ」
苦笑いをして遥は呟く。たしかにナナシが会いに来る日を待っていたらいつになるかわからないかもとは思うが、それにしてもアグレッシブすぎる。
親御さんに急すぎるでしょうと怒られると考えていた遥ではあったが甘かった。
砂糖菓子より甘かった。たぶんマカロンより甘い。大福といい勝負かもしれない。
「おかあさーん、ナナシと旅行にいってくるわっ!」
「あらあら、孫の名前を考えておいた方がいいのかしら? わかったわ。ちゃんと相手のことを考えてね、貴女は若いんだから」
「まてっ! 父さんは許さんぞ! 許さんからなっ!」
「お父さん、野暮なことを言ったら可哀想ですよ?」
「お嬢様、この下着なら一発ですよ。あ、スタミナドリンクも持っていった方がいいですよ。ナナシ様は若くないですし」
「そうねっ! この下着、紐みたいじゃないかしら? このネグリジェ薄すぎない? おかしくないかな?」
「あのお年の方なら、興奮すること間違いなしですよ。それで良いですよ」
おぉぅ………。凄い会話が耳に入ると慄くおっさん。さすが肉食獣の家族だと考え直す。いつの間に自分はサバンナに来てしまったのであろうか?
それからすぐにドタバタと音がして、カバンを持った叶得が姿を現すのであった。
「さぁっ! 行くわよっ! 1週間ほど休みを取ったから!」
なんというか自由で良いなぁと思ってしまう。冬だからそんなに仕事もないのだろうか? いや従業員は忙しそうだ、そんなことはあるまい。これが社長令嬢か、偉いって凄いねと感心してしまう。
興奮してキラキラと目を輝かせて、遥を見てくる叶得へ行かないよとは言えない遥である。美少女の期待した表情を裏切るなど、くたびれたおっさんには不可能なのだ。これは世界の法則なのだ。
そうして大樹偽本部へと連れてきたおっさんである。きゃいきゃいと物凄い機嫌の良さで叶得は騒いでいた。その騒ぎを聞き、周りの人々が見てくる視線が痛かったと思う遥。
ますます噂が強固となるだろうと思うが、叶得と一緒に移動していて思う。
話す内容があんまりないな………と。年代が離れすぎているし、崩壊後はテレビもない。まぁ、元々崩壊前もほとんどテレビを見ることはなかったのだが。
仕事の話、叶得のゲームの話とふむふむと頷きながら聞いていたが、ちょっと話す内容が尽きちゃうかもと思う。聞き役なので、叶得が話す内容が尽きちゃうかもと。
どうしようかと考えながら、屋敷へと二人で移動した。機嫌よく叶得は屋敷を見渡しながら感心する。
「広い屋敷だけど、そこまでは広くないのね。矛盾しているようだけど、住みやすい?」
「あぁ、メイドが二人いるし、生活には困らないな」
そう答えた瞬間であった。機嫌が良かったはずの叶得はピタリと屋敷に入る足を止める。
「メイド? ………たしかにそれぐらいはいるわよね? お婆さんのハウスキーパーかしら?」
むぅと考えながら、再び歩き始める叶得。
ぎぃと屋敷の扉が開き、可愛いナインが
「お帰りなさいませ。ナナシ様」
とニコリと小首を僅かに傾げて、見る人が癒されるだろう微笑みを浮かべる。
叶得はバッとこちらへと向き直り、身を近づけて焦ったように尋ねてくる。
「あれがメイド? まだ子供じゃない。私と同じぐらい?」
ちらりとナインの胸を見て、叶得は自分の胸をおさえて。
どこらへんが同じくらいなのだろう? 年齢かな?
その疑問を口にするのは怖いので、遥は素知らぬふりをして答える。
「彼女はナイン。私の世話をしてくれるものだ。もう一人母親たるベルサーチがいる」
一応叶得へと一人じゃないよと伝えておくと、パタパタと音をたててベルサーチが姿を現す。
「ナナシ様、お帰りなさいませ。そちらは光井様ですね、客室へとご案内します」
叶得はちらりとベルサーチを観察して、体つきを見て、その表情を見てから安心したように息を吐く。
「よろしくお願いします。今日はナナシにどうしても自分の家にお泊りをしていけって言われたので来ました。急遽の訪問となりすいません」
ナナシに強引に誘われたんですとベルサーチを見ずに、ナインへと視線を向けて挨拶をする叶得。
どうやらナインを敵認定したらしい。ナインも玲奈の時は、そこまで表には出なかったのに、叶得の前では対抗心を見せている。極めて珍しい。
「客室はナナシ様の寝室から一番離れた場所にしますね、年頃のお嬢様ですし、変な噂がたたないように」
「大丈夫よっ! ナナシの隣の寝室でっ! 私は噂なんか気にしないし、その噂は本当になる予定だしねっ!」
むふんと鼻息荒く敵対心を見せるナインに対して、腰に両手をあてて怒気をあらわに叶得が答える。
「ダメです、ナナシ様の寝室の隣は私の部屋なので。一番離れた寝室しかないですよ?」
二人の火花を散らす視線にて遥は一歩後退る。
「ふむ、まぁ、その、なんだ、とりあえずは旅行らしく過ごそうじゃないか。ナインたちもお休みを取ってスキーにでも行かないか?」
秘技・場所を変えれば仲良くなるかもしれない。
あと、会話ばっかりよりもなにか遊んだほうが良いだろうとおっさんは思ったのだ。
そのために、本部に無駄に作ったリゾート地で遊ぶことを決めた遥である。
とりあえずスキーにでも行こうと、混沌を極めそうな提案をするおっさんであった。




