265話 蜘蛛の巣から逃れた少女は
暗く深い眠りから狭間綾は目覚めた。なんだかとっても長く寝ていたような感じがして体が、いや、なんとなく頭が重い。
瞼を開けると、蛍光灯の白い柔らかな光が目に入る。
ここはどこだろう? 不思議に思い、自分がベッドに寝ていることに気づく。カーテンが陽射しを受け止めており、今が昼なのだと思いながら、寝ていたのが見慣れない病院に置いてあるベッドに見えた。もしかしたらここは病院なのだろうかと不思議に思う。
「えぇ〜、私なにか事故にでもあったのかな? 連休の始まりだったのに、一日無駄にしちゃったかな?」
学校が始まって、最初の連休だったのだ。自分は来年は高校受験を頑張らないといけない身だから、今年は遊び呆けようと計画していたのに、まさか初日に寝込むとは思ってもいなかったと、自分の間抜けさに悲しく思う。
でも病院だし、大怪我とかしたのかなと一瞬恐怖に襲われるが、ドラマとかで見た集中治療室とか、点滴が横に置いてあったりもしていないので、たいした怪我でもなかったのだろう。
はぁ〜とため息を吐き、周りを見渡すが静かなものだ。廊下からカチャカチャとなにかを運ぶ音とか話し声が微かに聞こえてくるが、それも僅かであり病院なのだろうと確信する。
「連休初日からついていないけど……」
誰もいないことを確認したあとに、そっと私は呟く。
「し、知らない天井だ! プフフフ」
いつか言ってみたかったセリフを自分で口にしながら笑ってしまう。誰にも聞こえないと良いなと思いながら。
そこへドアがシュインと開いた。驚くことに自動ドアらしい。今の病院ってすすんでるんだと感心する。
世の中は日進月歩だねぇ〜と、わかった風な感じで頷きながら中に入ってきた人を見た。
見た瞬間に驚いた。なんだか凄い可愛らしい美少女が入ってきたからだ。ショートヘアの艷やかな美しい黒髪、眠そうな瞳だけど、その輝きは宝石のようで、桜色の可愛らしい唇をした可愛らしい顔立ち。子猫みたいな愛らしい小柄な身体。抱きしめたくなるような愛らしさだ。そんな美少女が部屋に入ってきたのである。
どこかのアイドルだろうか? アイドルでもこれほどの美少女は見たことがない。そんな美少女が部屋に入ってきたのだ、私は慌てて、誰だろうかと考えてしまう。
無邪気な表情で入ってきた娘を私は見たことがない。こんな美少女なら絶対に覚えているはずだ。もしかしたら部屋を間違えたのかもしれないと声をかける。
コホンと一息つけて口を開いて相手を推何する。
「えっと、君は部屋を間違えているよ? ここは私の病室だ」
フフフと作り笑いをして演技をしてしまう。友達には厨二病に罹患したかと言われたけれど、今は中2なんだから別に良いじゃないと言い返している。
白衣をたまに着て、博士ごっこをするのだ。ちょっと自分の頭が良くなった感じがして楽しい。
私の予想では、この美少女はその言葉に慌てふためいて、すいません、部屋を間違えましたと告げて去っていくはずであった。そうなると確信もしていた。
だけど、その美少女はふわりと柔らかな微笑みを浮かべてかぶりを振った。
「いいえ、私は部屋を間違えていませんよ、綾さん。一日経っても目を覚まさないので、様子を見に来たのです。起きなければ治癒術を施す予定でしたので」
私はその言葉にピンときた。この娘も厨二病みたいだ。見た目は小学5年生ぐらいにしか見えないのに、早くも厨二病に罹患しているらしい。
だけど同志がいるならば、私も同じように発言をしないとと、ちょっと楽しく思う。そしてこの美少女の言葉で私は一日ではなくて、二日も連休を潰したのだと内心でがっかりした。
「治癒術とやらを受けたかったが、残念ながら私は起きてしまったよ。ところでお名前を聞いても良いかな?」
私の言葉に一瞬悲しそうな表情を浮かべる美少女だが、すぐに笑顔へと変えて、挨拶をしてくる。
「私は文明復興財団大樹所属の凄腕エージェント朝倉レキです。初めましてとなるのですね、狭間綾さん。綾さんと呼んでも良いでしょうか?」
凄い美少女は凄いかっこよさそうな組織名を頭につけて挨拶をしてくるので
「ああ、もちろん良いよ。私もレキさんと呼んでも良いかな?」
そう答えながら、私もなにかかっこよさそうな名前の組織名をつけようかなぁと考えるが、唐突な出会いだったので思いつかなかった。でもレキさんか、対抗してさん付けしたけど、こんな子供にさんづけは少しおかしいし、可愛らしい娘だから私も嫌だ。
「えっと、君は私を知っているみたいだね。どこかで会ったかな?」
なので、心の中ではレキちゃんと呼び、君呼びにて尋ねてみる。そんな私へと微笑みながら、レキちゃんは答えてくる。
「ええ、知っています。短い付き合いでしたがなかなか面白かったですよ。ふふふ」
クスクスと口に手をつけて笑う姿も可愛らしいので美少女はお得だなぁと考えながら、頭を捻って考える。こんな美少女に会ったら、絶対に忘れないはずなのにまったく覚えていない。だが、相手は見舞いに来てくれるほどの仲みたいだ。もしかしてもしかしたら、私は記憶を喪失しているのだろうか。厨二病の人が憧れる記憶喪失というやつだ。
私は連休最初の日に何があったか、さっぱり覚えていない。ううん………。たしか恐山に登って、観光をしていたはずだ………。そこからが全然覚えていない。友人たちと結構歩くね~と話しながら社へと歩いていたはず。
だけど、その記憶は朧気でその先に何が起こったかまったく覚えていない。
でも、きっとその後に劇的なイベントがあったのではないだろうか? この娘と血沸き肉躍るアクション映画さながらのイベントが。
そこで私は記憶を喪失してしまったのだ。その方が面白いと考えて、その考えに取りつかれた。本当はそんなことは映画やアニメの中でしかない。本当は階段から落ちたとか、強く頭を打ったとかだろうとは見当をつけている。点滴もないので、たぶん検査は終わってなんで起きないのかとかそんな感じになっていたに違いない。
これは連休が終わったら、皆に自慢できる。話のネタには最高だ、たまに着る白衣を着込んで、これ見よがしに学校に登校したら、皆に自慢しよう。
最初は何と言おうかな………。やっぱり実は私は記憶を喪失していてね………。その間に美少女と出会って大変なことがあったんだよ………。とかだろうか。きっと皆は目を輝かせて聞いてくれるに違いない。
私がそんなことを考えていると、レキちゃんが私の額にぴとっと手をあてて顔を覗き込んできた。
わわっ、凄いこの娘、近くで見るとさらに可愛いと私が照れていると、コテンと首を傾げて尋ねてくる。
「熱はないようですね。なんだかぼんやりとしていますが大丈夫ですか?」
心配気に聞いてくるので、あわわっと私は慌てて答える。
「だ、大丈夫。ちょっと休み明けの学校のことを考えていただけだよっ。あ、ち、違うよ? ふふふ考え事をしていただけさ」
キョトンとした表情となり、僅かに悲しい顔をまたレキちゃんはしてから口を開く。
「………学校ですか………。まぁ、そうなるんですよね。まぁ、仕方ないですよね」
なんか意味深な言葉だ。何だろう?ちょっと不安になって自分の姿を見るが変なところはない。もしかして長期にわたって意識を失っていたとか考えたけれど、筋肉も衰えていないし、痩せてもいない。なにより、レキちゃんは丸1日起きなかったら心配してお見舞いに来たと言っていたではないか。
だけど、それならなんで悲しい顔をしたのだろう?
すぐに気を取り直したのだろう、レキちゃんはいつの間にか果物を入れた籠を手に持っていた。
「ふふふ、お見舞いといったら果物の詰め合わせですよね。私はこんな果物の詰め合わせは実際にはテレビの中でしか見たことがありませんでしたが、せっかくなので持ってきました」
ほいと備え付けのテーブルに置く。よくよく見るとこの部屋は凄い豪華だ。皮張りの長椅子タイプのソファが2脚あり、高価そうな本物の木でできていそうなテーブルが置いてある。なんかの応接室と言われてもおかしくない。おかしいのはそんな中で病人用のベッドが置いてある点であった。
驚くことにメロンをその中で取り出して、果物ナイフをやっぱりいつの間にか手にしていたレキちゃんがいつの間にか置かれている皿にメロンを置いて切り始める。
こういう場合はリンゴを剥くのではないだろうかと、私は呆れながらもちっちゃい子供が刃物を持っているので慌てるが、慣れているのだろう、トントンとリズムよくメロンは8等分に切られて、またもやいつの間にか置いてあった他の皿に置かれる。その皿にはスプーンもついており、レキちゃんは無邪気な笑顔で手渡してくる。
「ふふふ。ちゃんと冷え冷えですよ。常に気が利く美少女レキちゃんなのです。やっぱり甘いのと冷たいのはメロンには外せませんよね」
「あ、ありがとう。えっと、いただきまーす」
いきなりメロンなんか食べていいのかなと思うが、高級そうな、ううん、間違いなく高級なメロンなので誘惑に負けて口にする。
甘くて冷たくて、そしてほどよい柔らかさのメロンだ。私はこんな美味しいメロンを食べたことは無い。
「おいしーい!」
「そうでしょう、そうでしょう。メロンの王様、キングメロリンですので美味しいのは当たり前です」
なんだか聞いたことの無い品種だけど、美味しいのは確かだ。なんだか体から力が湧き出てくるような感じもする。
「効果は6時間の器用度+5です。かなりの性能ですよね」
小動物みたいにちまちまと可愛くメロンを食べながら、ゲームにありがちなことを言うレキちゃん。なかなか設定をぶち込んでくるねとにやりと口元を微笑みに変えてしまう私。
「なら、なにかアイテムを作らないとね。大成功が発生するかもだし」
フリフリとスプーンを揺らしながら、私もそれっぽい返しをしてみる。子供には現役厨二病としては負けてはいられないのだ。
「そうですね。今度叶得さんに食べさせた後になにか作ってもらうことにしましょう」
またクスクスと可愛らしく微笑むレキちゃん。知り合いにでもこの凄いメロンを食べさせるつもりなのだろう。
この娘はお金持ちだと確信する。もしかして、私はこの娘を助けるとかして怪我を負ってこの部屋にお礼として入れられたのではないだろうか。
それなら、尾ひれをつけて背びれもつけて学校で武勇伝を話しちゃおうとワクワクしてレキちゃんに尋ねる。
「ねね。なんで私はここにいるの? あぁ、いや、なんで私はここにいるのかな? まったく記憶にないんだ。うっ、もしかして記憶喪失かもしれないね………」
頭をかるく押さえる演技をして、多少笑いが含まれたセリフになっちゃったけど、そこはスルーして欲しいと思いながら。記憶喪失なんて口にするのは楽しすぎるんだもん。
コトリとスプーンを置いて、レキちゃんは眠そうな目をこちらへと向けてくる。なんだか、さっきまでの無邪気な表情じゃなくて、重苦しい感じを私は受けた。
「そうですね………。まず綾さんの親御さんたちには起きたことを伝えておきました。じきにここに来るでしょう」
連絡をした? 不思議なことを言う少女だ。なにも連絡をした感じはしなかったのに、いつの間に連絡をしたのだろう?
なんだか怖い感じだ………。聞いてはいけないような、それでも聞かないといけないような感じ………。
僅かに小首を傾げて、少し考え込んだレキちゃんは、優しい微笑みを浮かべて私を見る。
「ちょっと屋上まで行きましょう。今日は晴天ですしお話をするのにも良い天気です。もう夏も終わりですから風も優しく陽射しもそんなに熱くないですし」
ソファから立ちあがり、私へと小さい手を差し伸べて伝えてくる。私はその手を恐る恐る取りベットから起き上がる。そして自分は青い入院患者の着る病人着を着ていると起きて気づく。
「な、夏も終わる? え、今なんて?」
夏が終わる? なんだか怖い。まだ春だ、夏にも入っていないし梅雨もきていない。手をひかれながら備え付けの鏡の横を通り過ぎるが、私はいつもの私だった。不安でいっぱいの顔をしているが、老婆になったり、大人っぽくもなっていない。
その事実にほっとする。もしかして記憶喪失とは本当なのだろうか? 数カ月間記憶を失くして春を通り越して夏も終わるころになっちゃった? 記憶喪失の人は記憶を取り戻すと記憶喪失中の記憶を失くすとか聞いたことがある。私はそれなのだろうか?
小柄な身体のレキちゃんに連れられながら、部屋をでる。その小さい背中を不安と共に見つめながら。
さっきまでの記憶喪失かもというふざけて考えて楽しんでいた感情はすっかりと消えていた。
病室を出てから、廊下を見て驚いた。ぽかんと口を開けて思わず立ち止まる。
手をひいているレキちゃんがこちらへと不思議そうな表情で、なぜ立ち止まったかを聞いてくる。
「なにかありましたか? 痛いところでもありましたか? メディカルポッドは完全に綾さんを治したはずですが………」
なんだか未来的なアイテムっぽいことを口するレキちゃんだが、私は通路を驚きで見ていた。
「すごいよ、今の病院ってこんなロボットもいるの? それにあれはホログラフだよね? ほら見てみて、あの壁に表示されている物。あれホログラフだよね?」
さっきまでの不安は消えて、周りを興奮してみてしまう。
柱型のロボットがそこかしこを通り、壁や天井には空中に色々な内容が表示されていた。
空中に映し出されているのだ! これに興奮しなければ厨二病じゃない!
レキちゃんへと興奮した表情で話しかける。
「すごい、すごいよ! ここまで病院は凄くなっていたんだ! ここはどこの病院? 私も今度から風邪とかになったら、この病院に通う事にする!」
またクスクスと笑い、レキちゃんは私を見る。
「安心しました。その様子なら体に問題は無さそうですね。綾さん、素がでてますよ?」
悪戯そうな表情を浮かべて、私の態度にツッコミをいれる。これはまずい! 思わず素がでちゃったと慌ててしまう。
「あ~、コホン、今のは忘れてくれたまえ。さぁ、屋上へといこうじゃないか」
頬を赤くしながら、私よりも年下の少女にツッコミをいれられたので、慌てて口調を戻す。レキちゃんに負けていられないもんね!
屋上へと移動しようとする中で、ふと外を見る。窓ガラスを通して見る街並みは見たことが無い場所であった。ビルは少なく2階建てぐらいの家屋が多い。それに遠くには畑が広く広がっている。まぁ、畑はいつものことだ。おかしいことはない。でも見たことの無い風景だ。ここはどこだろう?
そんな私は庭で寛いでいる人たちを見つけた。子供たちだ、というか私の友人たちだ。
なんで、友人たちもここにいるんだろう? もしかして私のお見舞いかな?
窓を開けて声をかけようとしたが、窓はロックがかかっているのだろう。開けようとしてもびくともしない。
残念がる私に、レキちゃんもその行動が何を意味するのかわかったのだろう。庭へと視線を向けて頷く。
「あとで友人にはいくらでも会えますよ。ささ、屋上へどうぞ、博士」
からかうように手をくいくいと引っ張ってくるので、私はおもむろに頷いた。
「うむ。案内してくれたまえ、レキ君」
さんより君呼びの方が良いやと思いながらついていく。
屋上へと向かい、屋上のドアがガチャリと開けられて、私は日差しの眩しさに目を細めるのであった。




