閑話 ゾンビとの日常
遥はそっと庭から外を見る。いつもはおばちゃん連中が井戸端会議をして、少なからず話し声がするのに、とても静かでシーンとしている。
近所の家屋はドアにはべっとりと血がついており、窓ガラスは割れて、ゾンビによる大混乱が起きたことはわかる。だが、ゾンビの姿がどこにもない。
聖域の力が働いているとナインは言っていたことを思い出す。近くにいるゾンビは外に出る際の障害にならないように浄化されたということだ。
明晰なるおっさんは、すぐにその答えに行き着くと、うむうむと頷いて自宅へと目を向ける。
ナインもサクヤも家の中から出てくる気配はない。ナインは昼食の支度、サクヤは昼寝の支度をしているのだろう。実に素晴らしいメイドである。約1名に対しては出撃がない時は、暇を潰す方法を多彩に持っていて泣けてくる。
とはいえ、今日はダラダラするから。たまには休息しないとねと、崩壊した世界になってから息抜きの合間に探検をする多忙な人間となった遥は、出撃する気はないよとメイドたちに伝えていたので、誰もそばにいないのである。
おっさんボディである可能性も少しあるかもしれない。
そして、遥はダラダラして暇なので庭の外を眺めていたのである。
「悲惨だ。悲惨だよね。これぞゾンビ世界ってやつだよね」
悲しげに呟きながらも、自宅から誰も来ないかチラチラと見る。誰も出てこないことを確認して、ソワソワとし始めた。
「少しだけ外に出てみても良いんじゃないかな? おっさんでも、崩壊した世界というのを見ないと駄目だと思うんだ」
ゾンビのいる崩壊した世界。ゲーム少女ではなく、おっさんぼでぃで外に出たい今日この頃である。
まぁ、おっさんぼでぃで出掛けても、ハイそうですか、頑張ってくださいねと、メイドたちからは冷淡なる答えが返ってくるとは予想しているが、それでも闘えない自分が面白半分で外に出ることに罪悪感を抱いたのである。
面白半分に。そう面白半分である。イージーモードで敵のいない崩壊した世界を彷徨いて、俺は孤独なストレンジャーごっこをしたいのだ。ゾンビ映画とかでも、そういう場所を一度は装甲車に乗って出歩いて見たいと思っていたのである。
装甲車という時点で完全に守られないと外には出ないヘタレさを見せているが、きっと脇役気質なので、装甲車に乗っても、エンストして最後は動かない車の中で食べられる役どころであることは間違いない。
というわけで、おっさんはレキ愛用の鉄パイプを手にして、外に出かけることにしたのであった。
ゾンビ世界で少しは活躍できるかもと思いながら。
◇
「クリア! この家は大丈夫そうだな」
鉄パイプを持って、家周りを調べることにした遥は目の前の家に入った。近所だけど挨拶どころか、苗字すら知らない。これぞ不毛なる情がない東京砂漠と内心で思いながら、不法侵入にならないようにと、ビクビクして足を踏み入れた。
そうして確認して来なけりゃ良かったと顔を顰めさせる。ゲームではよく見てきた光景だ。
しかし、実際はというと血の臭いがする。ゲームでは臭いは実装されない理由がわかったねと、実にくだらない真実を悟りながら、真っ赤に染まったベッドを見ていた。
ここで食べられてしまったのだろう。特に肉片とかはないが、状況からわかる。靴にもべっとりと血はついているし、自然に血が落ちて綺麗になることはないのだから。
やっぱり現実は違うなぁと、一つずつ部屋を確認し、誰もいないことを確認するのであった。
隣3棟まで、同じ感じであった。ゾンビはいないが、襲われた跡は残っているという、遥のか細い精神力をカリカリと削っていくだけであった。SAN値チェックを行わないのは、大失敗をしても大成功と同じ効果しかないからである。
最初は腰が引けて、オドオドと探検をしていたおっさんも、段々と慣れてきて大胆に部屋を確認して飽きてきた。
「やれやれ、俺のサバイバル能力が高すぎて、もう適応しちゃったか」
俺こそが新人類かなと、フンと鼻を鳴らし調子に乗る。遥のサバイバル能力とは、三食食べれてお風呂に入れて、ふかふかのベッドでぐっすりと寝れるレベルです。
そろそろゾンビの一匹でも出てこないと退屈だぜと、鉄パイプを肩に乗せて格好をつけていた時であった。
「きゃー!」
どこからか、絹を引き裂くような女性の悲鳴が聞こえてきたのであった。
「なぬ! なんでここで女性の悲鳴が!?」
焦って調べていた家からバタバタと外に出る。まずいという思考が奔る。
一つは助けないとまずいという思考。
もう一つは聖域がバレるとまずいという自己中心的な思考だ。
遥は誰も聖域に連れてくるつもりはない。善人なら、他の人たちも連れてこようと言うだろうし、悪人なら拠点を奪おうと周りへと吹聴するだろう。
どちらにしても、遥の信じる相手はメイド二人だけだ。
とはいえ───。
「放置するわけにはいかないだろ!」
ダッシュで家から飛び出ると、悲鳴のした方へと走り出すのであった。
運動不足のおっさんは、小学生レベルのスピードで走っていく。ここらへんの住宅地はほとんどの家屋は塀を作って家を囲んでいる。そのために道路の角が酷く見にくく、ゾンビが潜んでいてもわからない。
「こ、こういうのあったよな。一人を助けるために大勢が犠牲になる映画」
映画の脚本なのでツッコんでも仕方ないが、あれは現実ではないと思ったものだ。自分だけでなく、他の人たちもそんなことはするまい。
「英雄でもなけりゃだけど!」
角を曲がっていくと、段々と悲鳴が近づいてくる。視界には左右に並ぶ塀と、ドアが開け放しの車、倒れかけた家の門しか見えない。
「きゃー、来ないで〜。おまわりさーん、ママ助けて〜」
そこで再度の女性の悲鳴が聞こえてきて、辺りを見渡す。壊れた門扉の家から聞こえる!
「レキで来りゃ良かったな!」
家に戻ってレキに替わってから来れば、すぐに助けられたかもしれないと、思考の片隅で後悔する。だが、戻っていたら間に合わない可能性もあったとすぐに考え直す。
「英雄的な行動は苦手なんだけど。せめて体力が回復するビームソードだったら良かったんだけど」
せめての基準が天元突破している呟きを漏らし、家に入る。塀がある割には狭い玄関で外からも小さな家だとわかる。
一人が歩けばもう限界だろう狭さの廊下をごめんくださいと一応断って、中を進む。
居間は荒れ果てており、出しっぱなしのコタツがひっくり返り、血だらけの座布団が転がっているのが見える。
誰もいないことを確認し、台所を覗くがシンとしており、人気はない。そのまま、他の部屋を見渡すが誰もいないことを確認し眉を顰める。
悲鳴は聞こえたのに、誰もいない?
それに予想よりも狭い家だと顔をしかめる。コレだとゾンビが一匹きただけでも、逃げられないで襲われるだろう。
隣の家ならさっさと外に出るかと思っていると、上からガタゴトと音がして、思わずビクリとしてしまう。
「二階なんてあったか? みなかったけどなぁ」
入ってまっすぐ来たが、寝室や子供部屋、居間や台所はあるが、階段は無かった。
「いや〜、来ないで〜」
その悲鳴が上から聞こえてきたことで、ピンとくる。なにかの映画かなにかで見たことがあるのだ。
「昔の家ならもしかして………」
居間を見渡して、障子に手をかける。位置的に物置だと思っていたが……。
───ガラリと開けると、二階に続く階段があった。梯子といっても良いかもしれない程に急角度だ。
「こんなことだと思ったよ!」
舌打ちして、急いで登る。ギシギシと軋み音を立てて二階に登ると、普通の二階が目に入る。階段をつけるスペースが無かったのだろう。時折このような階段をつけて、無理矢理二階建てを建てていたのだ。
「きゃー、きゃー!」
きゃー、しか言わないから、なにかの罠かなと思いつつも急いで部屋を回る。あぁ、映画ではもっと慎重に行動しろよと思っていたけど、実際はこんな行動をとっちゃうものなんだなぁ。
嘆息しつつも、最後のドアを開けると洋服タンスにしがみついているゾンビがいた。
白目で頬は抉れて血だらけの乱杭歯が口から覗いている。服もボロボロで骨が見えて、皮膚は剥がれて枯れ木のように痩せ衰えている。
「うァァァ」
よだれを垂らして、ゾンビは洋服ダンスをドンドンと叩いている。私は貴女を食べたいんですと、たんすを齧ってもいる求愛ぶりだ。
「うァァァァ!」
ゾンビに負けない雄叫びをあげて、遥は鉄パイプを勢いよく振り下ろした。洋服タンスに夢中のゾンビの肩に叩き込む。ゴスンと鈍い音がして、ゾンビはぐるりと振り返ってきた。
とっても不気味でおっさんはその姿に怯むが、それでも気にせずに鉄パイプを再び振り下ろす。気分はヒロインを助けるモブ役である。
だが遥は思い知った。レキだとあっさりと倒せたので勘違いしていたけど、ゾンビは強いと。
「うァァァ」
まったく怯まずに、ゾンビは遥へと襲いかかってくる。おっさんの鉄パイプ攻撃はダメージゼロの模様。
頭を狙えば良いのだが、襲いかかってくるゾンビを押し返しながら、力を込めて叩くと狙いがずれる。
「ちきしょー、そこの君。洋服タンスから早く出てくるんだ! 俺が押さえている間に早く!」
決死の言葉に洋服タンスがキィと開くと、学校の制服を着た少女が顔を蒼白にして覗いてくる。
絶賛掴みかかってくるゾンビと戦っているというか、もはや掴まれないように、鉄パイプで防いでいる遥は悲鳴にも似た叫びをあげる。
「さっさと逃げるんだ! 家の前に車があった。ドアが開け放しだったから、車に閉じこもっているんだ。すぐに助けが行く!」
少女だよ、ヒロインだよ、やっぱり俺は喰われるおっさん役どころだねと、苦笑をしつつ言うと、少女は困った顔になる。
「おじさんが死んじゃいますよ!」
「大丈夫だ。こいつを助けたらすぐに追いつく!」
善人な少女へと、一度は言ってみたかったセリフを言って満足顔となるしょうもないおっさんである。倒したらではなく、助けたらとセリフをまちがえたことは気づいていない模様。
「はやく! 早く行くんだ!」
「わかりました! すぐに助けを」
「駄目だ! すぐにスーパーヒロインが助けに来るから、それまで車の中で隠れてろ!」
助けを求めに行ったら、他のゾンビに殺されるだろう。
怒鳴る遥におずおずと少女は困った顔になる。まだ逃げるつもりはないらしいと、少し強めに言おうかと思って、ゾンビを懸命に押し返そうとする。
「噛まれたらとても痛いですよ? 死ぬほどの痛みですよ?」
「あぁ、大丈夫。可愛い女の子を助けるのは夢だったんだ。ほら、逃げるんだ!」
たしかに噛まれると痛い。痛覚がなくなったわけではないのだ。とっても嫌である。嫌であるが、少女を助けるためなら別に構わないだろう。一度は言ってみたいセリフをまた言えたし。
遥の言葉に少女はキョトンとした顔となり、笑顔へと変わってくる。
「死ぬほど痛いのに可愛い私を助けてくれるとは思いませんでした」
うふふと、小さな花が咲くように少女は嬉しそうに微笑む。
……その言葉で遥はジト目となった。
さっきから噛みつこうと掴みかかってくるゾンビへとジト目を向けて抵抗を止める。
と、ゾンビは遥の肩を掴む。が、掴むだけで噛み付いてはこなかった。
「なるほど。もしかして聖域ってここらへんも含まれるの?」
「効果範囲には入っていますね、マスター」
制服姿の少女の姿が一瞬でかき消えると、金髪ツインテールな見慣れたメイドさんへと変わった。
「ぷぷぷ。ひ、暇そうだったので、少し非日常をと思いまして」
ゾンビの姿もかき消えると、そこには銀髪メイドが立っていた。ニマニマととっても楽しそうな小悪魔的なスマイルを浮かべている。
どうやら俺はからかわれたらしい。きっと家を出るところを感知されたに違いない。
「ゾンビに噛まれるよりも、可愛らしい私を助けてくれるとは思いませんでした。きっとレキ様の姿に替わって助けに来ると思ってましたよ」
ナインが嬉しげに遥の腕に自分の腕を絡めてくる。
「へいへい。まぁ、俺でも、たまにヒーローっぽいことをやりたかったの」
「今日の夕ご飯はご馳走にしましょう」
やさぐれて、ケッと舌打ちしつつもナインの腕組みは嬉しいねと思いながら、遥は家に帰るのだった。
俺のゾンビとの日常はどうやらないらしいと苦笑しながら。




