160話 あるメイドの暮らし
お屋敷内は大騒ぎになっていた。広い厨房には大勢の人々が出入りしている。魚や肉を焼いている者。鍋を振って炒め物をしている者。スープを寸胴鍋で作っている者。人々は様々な料理を作り、皿へと盛り付け外へと持ちだしている。笑顔で皆は楽しそうに話し合いながら周辺の人々も総出で労働に勤しんでいた。
ガヤガヤとしながら、楽しそうな雰囲気にあてられて自分も心なしかわくわくして料理を運んでいる。
今日は関東半分奪還終了宣言がなされて、人類が化け物に最初に勝った記念日なのだから、皆が楽しそうにしているのは当たり前の話。その日を笑顔で迎えることができて良かった。
早瀬 環はナナ様に雇われて良かったとしみじみと感じたのであった。
◇
私はメイドとして、ナナ様のお屋敷に最近雇われた。雇われたのは最近である。それまでは辛い生活を過ごしていた。
学校にいた生存者の一人であった早瀬環こと私は学校よりも酷い生活なのではと若木コミュニティに移って暮らし始めてから思っていた………。
崩壊時に学校へと来ていた私は運動部というわけではなかった。単に本好き、ゲーム好きな世間一般でいうオタクであった。ただ、オタクということは隠していたし、身だしなみも気にしていたから、自分がオタクと知っているのは同じ趣味のオタク仲間だけだ。
そんな私は図書室へと本を返却に来ていただけだった。単に気まぐれで、休みの間でも本の返却は受け付けているとしっていたから、学校へとちょっと顔を出すだけのつもりだった。
顔馴染みの図書委員が受付でせっかくの休みなのに当番に当たっちゃったよと愚痴を言い、私もそれは残念ですねと適当に相槌をうっていた。
学校へと顔を出す、その気まぐれが私の命を救った。特段運動も得意ではなく、どちらかと言えば苦手な部類に入る方な私。きっと外にいたら死んでいただろう。ゾンビに喰われて同じように生者を呪うゾンビとして道路を徘徊していたかもしれない。
でも、運命は私を生き残らせた。天使のような美少女が学校へと救援に来てくれた。後少しでなくなる食料。外には見えない空間に潜む化け物。絶望の中にいた私たちを救ってくれた。
私はその光景を絶対に忘れない。少女の顔も絶対に忘れないだろう。
そうして若木コミュニティへと移動した私たち。周りの学生は助かったと嬉しそうに話し合いながら歩いてた。
私も単純に命が助かったことを喜んだ。あぁ、これでもう安心だと。
それは決定的な間違いであることをすぐに思い知った。
若木コミュニティは大樹の支援を受けて、なんとか生活できる状態だった。いや、必要最低限の生活は保証されていた状態だった。それ以上を望むなら通貨を使用して商品を買い求める。
通貨が使えて人々は商品を買い、生活をしている。避難民でありながら、生活の基盤がそこにはあった。
そして、通貨が使えるということは、反対の意味も持っている。
残酷な意味だ。通貨が無ければ最低限の生活しかできない。学生であり、コミュニケーション能力があるわけでもなく、力もない脆弱な自分。学校には運動部がほとんどで知り合いもいない。図書室にいた知り合いは学校で食堂に閉じこもったときにはいなかった。たぶん逃げ切れずに死んだのだ。
周りの学生たちは女の子でも同じ部活の子と一緒に暮らしたりして、きつい生活を耐えていた。
知り合いもいない自分は一人で生き残らなければならなかった。生活を一人でやらなければならなかった。若木コミュニティには親類も知り合いもいない。先生も助かった後は自分の生活をするために学生たちからいつの間にか離れていた。
頼りになるのは自分の身体のみ。そしてその身体が一番頼りにならないとわかっていたのは他ならぬ自分だ。
私の暮らしはビルの清掃が主となっていた。毎日毎日ビルの清掃だ。しかもただの清掃じゃない。血で汚れた床。割れた窓ガラス。ロッカーを開けると餓死したのか、枯れ木のような死体がでてきたこともあった。
その日も私は疲れた身体を鞭打ちながら受付へと脚を進めていた。清掃が終わったので日給を貰わなければならない。
「ほいよ、今日の給金だ。大事に使えよ?」
義務的な口調で淡々と受付が表情を変えずに言ってくる。受付から貰った封筒。見なくてもわかる薄っぺらさ。私は一番簡単な部類の清掃を選んでいたから給金も安い。大型の荷物を持つわけでもなく、危険な地域での清掃をするわけでもなく、安全宣言が出されたビルの清掃だ。小物を持ちだして、簡単な清掃をする。無理をすれば、もっと良い給金の清掃を受けられるが、すぐに身体が悲鳴をあげて、監督官に使えない奴と怒鳴られるのがオチだ。
「はぁ~。これで生活か無理があるよ………」
封筒の中身は1500円だった。一日働いて、たった1500円だ。1カ月休みなく働いても5万円にもならない。光熱費に銀行の保管費用、食費を抜くと手元には全然残らない。
「あ、ごめんなさい」
疲れた体を引きずり、ため息をついて道を歩いていたら、落胆をしていたら肩に誰かがぶつかった。
「いえ、こちらこそすみませんでした。ちょっとぼんやりしていたので」
「いえいえ、私こそすみませんでした」
見ると、ぺこりと頭を軽く下げた女の子であった。見たことがある。人々の噂で聞いたことがある。サイドテールのおとなしめの可愛らしい女の子。織田 椎菜。
「もう~、椎菜ったらぼんやりとしすぎ!」
「結花が脇をつついてきたからでしょ! もぉ。ごめんね?」
からかうように隣にいる女の子が織田さんに話しかけて、怒ったフリをしながら、織田さんが注意をしている。その女の子も知っている。不破 結花だ。
この二人はレキ様へと馴れ馴れしく近づき友人となった。そして、そのコネで銀行に雇われた有名人だ。もちろん悪い意味でだ。でも、人柄もあるのだろう、一部の人間は嫌っているが、他の人は友好的に接していた。
計算もある。またなにか美味しい話があったら、この二人を通してレキ様へと働きかけることができるかもと思っているのだ。醜い人間の面だが、そこは崩壊前と変わらない。
私もレキ様と友人になりたかった。でも恐れ多くて話しかけることもできなかった。遠目に眺めるだけで満足していたのに、この二人はいつもいつもレキ様のそばに侍っていた。取り巻きぶって、そばにいたのだ。
ずるい、ずるいずるい。私もそうしたかったといつも思う。でも、思っていても変わるものなどない。そしてコミュニケーション能力が無い自分では同じことをしても、うまくはいかなかったとわかっている。
「いえ、私もぼんやりとしていたのでお互い様です。それではもう行きますね」
「あぁ、うん、それじゃあね早瀬さん」
織田さんの返事にぎょっとした。まさか自分の名前を知っているとは思っていなかったからだ。顔に驚きがでたのだろう。それに気づいた織田さんがペロッと舌を出した。
「生き残った学生は全員名前を知っています。………と言いたいところだけど、銀行に勤めるようになったから人の顔と名前は覚えるようにしているの」
「同僚の人に銀行業は人の名前と顔は絶対に覚えるように言われたんだよね~。正直大変だったよね。最近は慣れたけど」
両腕を頭の後ろにまわして不破さんが快活な声音で答える。
「………そうですか。それは大変でしたね」
そんなものは苦労でもなんでもないと苦々しく思いながらも、それを表情には出さずに私は返事をする。口元が引き攣っていないか不安だが。
「ううん、大変だけど遣り甲斐はあるし、せっかくの仕事にありつけたんだしね。頑張らないと」
ムンと右腕を曲げて、おどけるように言う織田さん。呑気でいいものね。良い暮らしをしているんでしょ。こちらは大変なのにと、惨めな気分が沸き上がる。
「それじゃあね」
「またね~」
二人は軽く手を振って離れていく。離れながら、今日は水無月さんのお店で食べていこっかという話し声が伝わってきた。
「外食ね、外食………。気軽にそんなことが言えるとはいい身分ね」
ぼそりと軽い嫉妬も混ぜながら呟く。あの二人みたいに、せめて二人暮らしであれば、少しは生活が楽になったのに。
恋人でも作るか? 自分は可愛いほうだと思っている。誰かに媚びをうれば男が釣れるのではないか? 体を売っていくという選択肢はない。狭いコミュニティだ。そんなことをすれば、売った人間も買った人間もすぐに知れ渡る。風俗業とは平和で人が多くないとできない職業だと、最近わかった。そもそも防衛隊がそんなことは許さない。
「やっぱり恋人か………。 でもなぁ………」
同年代の男子………。学校からの生存者はたくさんいる。恋人同士となり同棲している人もいると知っている。
「でも、嫌だなぁ………」
苦しい生活。毎日が清掃と安いご飯を食べる毎日。それを変化できるであろう選択肢。でも、それのどこが身体を売るのと変わらないのだろうか? 愛がないのに、恋人を作る?無理だ。自分はそこまで合理的には動けない。
意外と潔癖性であった自分に苦笑する。ペコペコのお腹をさすりながら、ぼんやりと市場を歩く。
夕方となり、人々は店前に集まっている。わいわいと喧噪がしているが、その内容には楽しそうな会話が多い。
「今日の夕飯は何にしようかねぇ?」
「お嬢さんっ! 良い肉を仕入れたよっ! 買っていかないかい?」
「今日は甘い物がたべたいよ~。おかあさん」
「しょうがないねぇ、一つにするんだよ」
その内容は様々であり、温かみが感じられる。その温かさが自分には関係ないことに目元に涙が思わず浮いてくる。私のことを考えてくれる人などいない。これからも一人で生きていくと考えてしまう。
こんなことではだめだ。いつものことよ。自分に言い聞かせ足を心持ち速めて、いつもの店に移動する。防衛隊直属の店だ。
お米、野菜が置いてある。最低限の生活ができるラインナップ。防衛隊が大樹から買い取り売っている食料品だ。かなり安いので助かっている。ここが無かったら餓死していたかもしれない。他は防衛隊から店に卸されている。
そこで買い物客を相手に忙しそうにしているおばさんに声をかける。
「………あの………お米を2合ください………。あと、もやしを1袋と卵を1個」
毎日毎日買っていく内容は、崩壊前ならありえない少なさ。正直毎回これだけを買うのは恥ずかしい。顔が真っ赤になる。他の人々の買い物はもっとちゃんとしているから、なおさらだ。
でも、冷蔵庫なんて買う余裕はない。廃墟から冷蔵庫を持ってくるのも嫌だ。他の人々もそれはやらない。鉄屑として大樹に買い取ってもらうだけだ。怨念か何かが宿っていそうで、冷蔵庫や洗濯機、様々な家電製品は廃墟から持ってきて使う人はいなかった。使っていたら、自分がゾンビになりそうで、ならないとわかっていても、感情が邪魔をして人々は使っていない。それだけ崩壊のインパクトは人々のトラウマとなっているのだ。
私の声に気づいたおばさんが元気よく返事をして、こららへと視線を向けた。
「はいよっ。いつもありがとうね」
愛想よく紙袋にサッと詰めて手渡してくる。今日の日給から貴重なお金を手渡す。チャリンと硬貨の音がしてお釣りを返される。
軽く頭を下げて、さっさと私はその場を急いで離れる。だって毎回これだけしか買わない自分は、第三者から見たら貧しいとわかる内容だ。はっきり言って哀れみの視線を受けるのは恥ずかしいし、自分が惨めになるだけだから。
悲しく思いながらも節約しないといけない。そろそろ冬がくる。その前に冬着を揃えるぐらいはしないといけない。大樹は生活必需品の中に洋服はいれていない。
「服は高いし、ここは我慢しないと………」
グッと我慢して家に帰る。家といっても資料室だ。南京錠でドアを施錠しているが簡単に開けられることは知っている。安全性など無い気休め程度。そこを自分の住まいとしていた。
「鍵なんかあってもなくても、盗られるような物なんかないしね」
家に入りながら呟く。最近独り言が増えたかもしれない。部屋は簡易組み立てベッドに数着の洋服。そして炊飯器のみ。何もない寂しい部屋。
「共同炊事所に行って、ご飯を炊いて、もやしを炒めて………」
指をおりながら考えて、また独り言を呟き、ふと、外を見る。何かチラチラと白いものが降ってきていた。
「うそ………雪? なんで? だってこんなに早い降雪なんて見たことないよ………」
愕然とする。崩壊前なら雪だと喜んでいた。もしかして学校休みにならないかなぁと気楽に考えてもいただろう。
だが、今は死活問題だ。ストーブもなく冬着だってまだ無いのだ。寒さでこのままでは凍死してしまう。
「こんなことってないよ………。だってこんな、うそでしょ………」
思わず床にへたり込む。ひんやりとした床の冷たさを感じる。
「どこまでこの世界は私を追い込むつもりなの………」
よろよろと立ちあがり、それでもご飯を食べなければと私は共同炊事所へ足を向けた。なんで生き残ったのかと疑問に思い、一人であることの悲しみを持ちながら。
しばらくして、雪は本格的に積もり始めた。テレビで見る雪国みたいに積もり始めた。夜中にシンシンと降り積もり、もう雪かきを懸命に行う人もいない。道や屋根など最低限しか雪かきはしていなかった。
「ほいよ、今日の給金だ。大事に使えよ?」
私は受付にいた。清掃の報酬をもらうため、雪の中でも休むことは許されない。
いつもの受付との無味乾燥なやり取り、薄っぺらいが保温効果のある砂トカゲのコートを着こんでいる私は受け取る。砂色の可愛げの欠片も無いコートだ。少し高かったが保温効果は抜群で無理をして買った。寝るときも掛け布団代わりにかけているぐらいだ。
いつもどおりに給金を受け取り、封筒の中身の薄さに悲しみを持ち、立ち去ろうとした。温かい物が食べたい。暫く肉も魚も食べていない。栄養が心配になる。そう考えながら、立ち去ろうとした。
だが、今日はいつもと違った。
「あぁ、待て待て、早瀬。今日はお前に用がある人がいるんだ。会っていけ」
いつもと同じ事務的な口調で淡々と言ってくる。
「え? 誰ですか?」
私に会いたい人なんているわけがない。何の用だろう?
「あぁ、会えばわかる。きっとお前にとって良い話になるだろう」
やっぱり表情を変えずに淡々と言ってくる受付の人は、会議室に行けばわかると教えてくれた。
自分に会いたいなんて誰だろうと不思議に思いながら、言われるままに会議室へ向かう。どうせこれ以上悪くなることなんてない。
「良かったな」
向かう途中で受付からボソリと声が聞こえた。振り向いて、まじまじと受付の人をつい見てしまう。そうしたら気まずそうに受付の人は口を開いた。
「あ〜……。えこひいきはしてはいけないんだ。今のは、ただの独り言だ。ほら、いけいけ」
しっしっと手を振られるので、ますます不思議な思いに囚われながら会議室へ向かう。いったいなんだろう?
会議室のドアを開けると一人の女性が座っていた。ドアの開閉の音に気づいて、立ちあがりこちらへと笑顔を向けてくる。
「初めまして。早瀬さんですね? まずは椅子に座ってください。お話をしましょうか」
そこには有名人がいた。英雄と呼ばれる人気者。化け物を大量に倒し、インフラ系の会社を設立したお金持ち。それでも前線で人々を守るために闘い続ける現在の英雄。きっと歴史に名前を残す人物。生きる伝説。荒須ナナさんだった。勧められるままに椅子に座り、恐る恐る尋ねる。
「あ、あの………。私に荒須さんが何の用でしょうか?」
緊張して、呼ばれた理由を聞いてみる。何か悪いことでもしただろうか? 清掃場所でネコババもしたことは無い。呼ばれる理由はないよね。
緊張した私へと柔らかな笑顔を向けて荒須さんは話しかけてきた。
「実は私は屋敷を新築したの。それでお手伝いさんを二人雇おうと思うんだけど、早瀬さんはどうかなって思って声をかけたの。住み込みで、月給8万円で光熱費抜き、三食付きで」
急な提案に驚く。なぜ自分がと戸惑いもする。荒須さんと接点はないはずだ。今まで話したことは無いと断言できる。だから、美味しい話であるが、戸惑いの方が大きかった。その話を受ける前に疑問を口に出す。
「ど、どうして私なんですか? 私は荒須さんとお話したことも無いですし、知り合いでもないですよね」
そうだ。荒須さんは初めましてと私に挨拶した。知り合いどころか、顔を合わせたこともない。
「あぁ~、怒らないで聞いてほしんだけどね?」
指で頬をポリポリとかきながら気まずそうに荒須さんは教えてくれた。
「生活が厳しい人を選んだの。早瀬さん、このコミュニティで多分一番か二番ぐらいに………、その、ね? 貧乏みたいだから………」
言いづらそうに教えてくれるが、真実だ。雇用をしてくれる理由がわかった。でもわからないこともある。
「あの、なんで私が………その貧乏だとわかったんですか?」
疑問だ。どうやって知ったのだろう。私は自分が貧乏だと周りに言ったこともないし、そんな友人もいない。
「それはね。毎日給金を受け取っている受付の人や、お米を買っている先の防衛隊直属の人が教えてくれたの。そういう人は注意するようにしているんだよ。ほら、助け合いは必要だと思うからね」
気まずそうに語る内容が、私の耳を通り頭に染み込んでくる。毎日淡々と事務的に給金を渡してくれる受付の人。我ながら恥ずかしいレベルの安い物しか買わないお店のおばさん。
そしてさっきの受付の人の言葉を思い出した。えこひいきはできないと。確かにそう言っていた。
「え。やっぱりショックだった? ごめんね、赤の他人から貧乏ってはっきり言われると怒るよね。ごめんね」
私を見ながら慌てる荒須さん。なんで慌てているのかと不思議に思うが、頬を伝わる涙に気づいた。
自分はどうやら泣いているみたいだ。そう自覚して返事をする。
「いえ、違うんです。これはショックではないんです」
どうやら自分は一人ではなかったみたいだ。ちゃんと見てくれている人がいたのだ。嬉しい。本当に嬉しい。
そしてはっきりと声にだしてナナ様に答える。
「お受けします。私、頑張りますので。メイドとして頑張りますのでよろしくお願いいたします!」
勢いよく頭を下げる。今まで見てきた人への感謝も込めて。
◇
当時を思い出し、クスリと笑う。見渡すと人々が忙しなく仕事をしている。今日は記念日なのだからと楽し気な表情とともに。
自分も頑張らねばと早瀬は人々の中に加わるのであった。楽し気な表情をして、人々の輪に加わる。もう一人ではないと知っているのだから。




