第97話 リーサルウエポン再び
リーサルウエポンと聞けば、ファズマが何をしようとしているのか、ルキアにはすぐに分かった。
彼と交戦した時、かくいう彼女も存分に苦しめられたのが記憶に新しい。直接傷つけられたわけではないものの、ここ最近で痛手を負ったのはあれが久しぶりだった。
ファズマは、あの攻撃をこの場で繰り出すつもりなのだ。
前とは違い、その対象が自分ではないと分かっていても、ルキアは思わず身構えてしまった。というより、ここにいれば彼女まで巻き添えになりかねないだろう。
「何をゴチャゴチャ話している、これを喰らえ!」
どこかから発せられたアドリスの声、ほぼ同時にファズマ目掛けて光線が飛んできた。
当初、アドリスはファズマを歯牙にもかけていない様子だったが、今は違った。二度の物理攻撃が無に帰したことで、ファズマを看過できない障害であると判断し、彼にターゲットを絞ったらしい。
殴っても蹴っても無駄ならば、光線ならば通じると考えたようだった。
戦闘中にマスキャットに気を取られ、自ら敵に隙をさらけ出すようなマヌケだ。しかしながら、一応の学習能力は持ち合わせているのだな、と内心ルキアは感心した。
だが、ファズマはまったく動じなかった。ルキアも同じだ。
「ふんっ!」
気合を入れるような声を発し、ファズマはその口を大きく開いた。
まるで引き寄せられるかのようにアドリスの光線がそこへ向かい、吸収される。
「な、何っ……!?」
物理攻撃が脂肪によって無効化されるならば、飛び道具なら通じるかもしれない。思い返せば、ルキアも同じことを考えたものだった。
しかし、それも無意味だ。
ファズマの防御力は物理攻撃のみならず、炎などの飛び道具に対しても有効だ。彼はブレス攻撃などを吸い込むことで、それらを吸収・無効化する能力を有している。
ルキアは自身の炎を高出力で放ち、それを過剰に吸い込ませることでファズマの防御を打ち破った。しかしアドリスの光線には、それほどの威力があるとは思えなかった。
つまりアドリスには、ファズマを傷つけることすらできない。ステルス能力を活用して不意打ちを仕掛けても、ルキアが背中をカバーすればファズマが背後を突かれることもない。
この勝負、もう決まったとルキアは感じた。
「こ、こいつはちっとも美味くないな……そ、それに量もない。こんなんなら、いくら吸い込んだって腹は膨れないぞ……」
光線を吸い込み尽くすと、腹を軽く叩きながらファズマは呑気な様子で言った。
ルキアの見立ては正しかったらしく、あの程度の出力の光線であれば、いくら吸い込み続けてもファズマには痛くも痒くもないだろう。
「ま、まさかこんなドラゴンがいるとは……!」
顔は見えなかったが、呆然となるアドリスの顔が目に浮かぶようだった。
ファズマの能力を目の当たりにした時、実際ルキアも同じことを思ったものだった。厚い脂肪で物理攻撃を阻み、飛び道具は吸い込んで吸収する。ファズマが有しているのは奇抜にして強力な能力であり、防御に特化しているが、ルキアはこれまでそのようなドラゴンは見たことはなかった。
反応から察するに、アドリスも同様なのだろう。
しかしまだ、彼はファズマが有しているもうひとつの能力を知らない。
ファズマは決して防御しか能のないドラゴンではないのだ。切り札――本人の言うところの『リーサルウエポン』を、彼はまだ使用していない。
「もう観念するべきよ、じゃないと冗談抜きにして後悔することになる……言っとくけどこれは、あんたの身を考えての警告だからね」
できればルキアも、アドリスには降伏してもらいたかった。ファズマが例の攻撃を繰り出す前に、この場を収めたかったのだ。
「誰が観念などするか、たしかに防御力には優れているようだが、貴様らではこちらの位置を掴めまい! 攻撃する手段などないはずだ!」
予想どおりの反応が、アドリスから返ってきた。彼は往生際悪く、抵抗を続けるつもりのようだ。
警告に応じるような相手ではないと分かっていた。では、仕方がないだろう。
「こ、こ、こんな奴を説得しようとしても無駄だ! 『アレ』をやるぞ、巻き込まれるなよ!」
「そうみたいね、分かった。学校のほうに被害を出さないように頼むわよ」
事前に忠告してくれたあたり、ファズマも一応の配慮はしてくれているようだった。
彼の身体が光に覆い包まれ、その中から一体のファフニールが姿を現した。
オレンジ色の体色に、首と脚が短くて、小さな翼が申し分程度に背中から生えている姿からは、人の姿でいる時のファズマの面影が色濃く残されていた。骨格はドレイクと似ているが、その重い身体を支える両脚は強靭に発達しており、さらに決定的な違いとして、指が三本しかなかった。
いかにも重量級なその姿は、まるで戦車のようでもあった。
「覚悟はいいか! い、い、今からお前は後悔することになるぞ!」
ドラゴンの姿に変じたファズマは、アドリスに向けて言い放った。
完全なステルス能力を発揮し続けているので姿は見えないが、そんなことは関係ない。目の前のどこかにいることさえ分かっていれば、ファズマのリーサルウエポンに支障はないのだ。
「なっ、何が覚悟だ! 貴様っ!」
アドリスはまた逆上し、走り寄ってきた。
明らかな劣勢に追い込まれているうえ、怒りに駆られて冷静さを完全に失っているようだ。気配を消すことすら忘れているらしく、グラウンドの土が蹴り上げられて舞い上がるのが見えた。これでは、自分から『今、ここにいますよ』と現在位置を教えているようなものだ。
ルキアは、ため息をついた。
「つくづく、マヌケな奴……」
とは言ったものの、ルキアもただ黙って見ているわけにはいかなかった。
ファズマのリーサルウエポンの巻き添えになる前に、対策をしなくてはならなかったのだ。
ルキアはポケットからキーアイテム、洗濯バサミを取り出した。ファズマと交戦した時の教訓から、彼女は常にこれを持ち歩いておくことにした。彼女の嗅覚は非常に有用な能力だが、それが仇となる場合も少なからずある。
今、これから起こることも、まさにそうだろう。
「んっ、っと……」
ルキアは洗濯バサミで鼻を挟んだ。
正直こんなことをするのは恥ずかしいし、洗濯バサミで鼻を塞いでいるところを誰かに見られたくはない。とはいえ、こうしなければ彼女も巻き添えになりかねない状況であるのも、間違いない。
色々な意味で、ファズマのリーサルウエポンはそれほどまでに恐ろしい武器なのだ。
(一応、距離を取っておいたほうがいいわね……)
ルキアは背中に翼を出現させ、土埃を巻き上げつつ後方へと飛び上がった。
ファズマから離れたほうが得策だと判断した。嗅覚を遮断していても、十分であるとは言い切れなかったのだ。
その時にはすでに、ドラゴンの姿に変じたファズマは準備に入っていた。
両手の拳を握り、身を屈め、何やら力を溜めている様子の彼に、アドリスが駆け寄っている。姿は見えないが、グラウンドの土が巻き上げられているので、それが分かった。
――そして次の瞬間、放屁の音が響き渡った。
間が抜けていて、日常生活でも聞き覚えがありそうな音だった。しかしそれこそが、ファズマが有する能力の中でもおそらく一番の武器だった。
物理攻撃を吸収する脂肪や、ブレスなどの飛び道具を吸い込んで無効化する能力より強力で、ある意味もっとも警戒すべき……彼のリーサルウエポンだ。
(相変わらず、下品ね……!)
滞空してファズマから離れていたルキアは、鼻を両手で覆っていた。
洗濯バサミで鼻を挟んでいても、ファズマの屁を完璧に遮断できる保証はなかった。たとえ少しでも吸ってしまったら、人間よりよほど鋭敏な嗅覚を持つ彼女は大ダメージを免れない。
ファズマとの戦いでまともに吸ってしまった時は、涙が滲むほどの強烈さだったのを覚えている。もはや屁の範疇を逸脱しており、激臭を伴ったガス兵器だと感じたものだった。
――きっと今、アドリスもそう感じていることだろう。
「ぎゃああああっ!? な、何だこれは、鼻が、鼻がっ……!」
ファズマは翼を羽ばたかせ、空気中に放った臭気をアドリスのほうへと吹き飛ばしていた。
ステルス能力は自分のにおいを消せるらしいが、自分の嗅覚を無効化することはできないらしい。そのため、アドリスはファズマの屁をまともに嗅がされる形となっていた。
姿が見えていようがいまいが、まったく関係はなかった。
ファズマの屁によってステルス能力に異常を来たしたらしく、アドリスの姿が完全に現れた。
彼はしばらく鼻を押さえて咳き込み、その場に倒れ込んだ。あまりの激臭で、気を失ったらしい。
「や、焼きそばをたくさん食べていたからな……出力はマックスだ!」
ドラゴンを卒倒させるとは、ルキアに放った時以上に強烈な屁だったらしい。
(いらないわよ、そんな解説……!)
洗濯バサミだけではなく、距離を取っておいて正解だったとルキアは思った。
彼女は滞空したまま、ひたすら翼であおいで臭気を散らそうとしていた。
それでも簡単には洗濯バサミを外せないし、鼻を覆うようにしている両手も避けることができない。少しでも吸ってしまおうものなら、彼女もアドリスのように気を失う危険がある。
ドラゴンの姿に変じたまま、ファズマは仰向けに倒れ込んだアドリスに歩み寄った。重量級のドラゴンなので、彼が歩を進めるたびに重い音が鳴り渡った。
「ま、真人を傷つけたことが、お前の運の尽きだ!」
とは言ったものの、もうアドリスには聞こえてはいないだろう。
降伏しておけば、少なくともファズマの屁を喰らわずに済んだはずだ。気を失う直前、アドリスが何を考えたかは分からない。分からないが、おそらく後悔したのではないだろうか。
少なくともルキアは、こんな倒され方をするくらいなら降伏したほうがマシだと思った。
(ま、とりあえずは感謝しておかなきゃならないわね)
ファズマの背中を見つめつつ、ルキアはそう思った。
戦いは決したと判断したのだろう。ファズマの身体が光に覆い包まれ、人の姿へと戻る。
彼の腕にはまだ、ルキアが貸したドラゴンガードの腕章が着いたままになっていた。
もちろん、ファズマはドラゴンガードではない。しかし味方としての頼もしさを知った今では、腕章がとても似合っているようにルキアには思えた。




