第94話 追い詰めるルキア
その後、ルキアはすぐに正面玄関前の広場へと向かった。
学校祭の最中だったので、そこには未だに多くの人が行き交っていた。
(どこに逃げたの……?)
周囲を見渡して、ルキアはふと校舎の屋上を目に留めた。そこは、さっきまで彼女やサンドラやシェアトが、ヒュドラと激戦を繰り広げていた場所だった。あそこには今も智やレオン、それにサンドラに秋塚がいるはずだった。
広場からは見えづらい場所であることに加え、ここでは大きな音で音楽が流され、さらには放送部の生徒がほぼ途切れることなく、マイク越しで饒舌にアナウンスを行っている。
屋上から発せられる物音は掻き消され、ここにいる人は誰もドラゴンバトルに気づいていないようだった。
ルキアとしては好都合だった。
ドラゴンガードたる彼女の今の任務は、学校祭を守ること。そこに余計な水を差してはならなかったのだ。
(何かやらかされる前に、見つけ出して止めないと……!)
ルキアは再び、ドラゴンのにおいを追った。
広場には多くの人がいるうえに、いくつも出店した食べ物屋からいいにおいが漂っていた。嗅ぐには構わないのだが、目的のにおいがそこに紛れてしまう。
そんな中でも彼女は、目当ての痕跡を嗅ぎ分けた。
(逃げた方向は……あっち!)
逃走先を特定すると、ルキアはすぐに駆け出した。途中で、七瀬達が客にせっせと焼きそばを売っているのが見えたけれど、声を掛けている暇もない。
さらに、半ば強引とはいえ自分の代理としてドラゴンガードの役割を担ってくれたファズマの姿もあった。前の事件でファズマとは色々あったものの、ルキアがサンドラの救援に向かうことができたのは彼の助けがあってこそだ。
この件が済んだら、彼にはお礼を言おう。
においを辿りながら、ルキアはそう決めた。
そしてターゲットを視界に捉えたのは、そのすぐあとのことだった。
「見つけた!」
人混みに紛れるようになっていたが、ルキアは見逃さなかった。
においの先にあるその姿、見づらいとはいえ完全な透明にはなっていなかった。人間の目にはほとんど見えないだろうが、ドラゴンならば視認できるだろう。
痕跡を残してしまっているということは、ステルス能力を完全には発揮できない状態にある――ルキアの読みは、的中していたのだ。
「なっ……!?」
半透明なドラゴンがルキアを振り向いた瞬間、明らかにだじろいだ。
と思った瞬間、すぐに踵を返して逃走していく。その反応こそが、彼がルキアの追うターゲットであることの動かぬ証拠だった。
慌てぶりから察するに、もう追ってはこないなどと高を括っていたのだろう。
まさか、ルキアがにおいだけで相手を追跡できるほどに優れた嗅覚を有しているとは、夢にも思っていなかったようだ。もしかしたら、自分がにおいという痕跡を残してしまっていたことにすら気づいていないのかもしれない。
いずれにせよ、その詰めの甘さはルキアには好都合だった。
「見つけたわよ、待ちなさい!」
ルキアは命令するが、もちろん相手がそれを聞き入れるはずなどなかった。
屋上から逃走した、ヒュドラを構成する三体のうちの一体――今の段階では、パティスなのかアドリスなのかも分からないドラゴンは、グラウンドのほうへと逃走した。
その最中、彼は数人の一般人や生徒に接触し、そのうちのひとりが地面に倒れ込んだ。
不完全とはいえ、ステルス能力を失っているわけではない。だから人々の目には、あのドラゴンが見えていないはずだった。なので、自分が誰にぶつかられたのかすら分からなかっただろう。
(はた迷惑な奴、もうのさばらせてはおけないわね!)
これ以上動かしておくのは危険と判断したルキアは、追い込むようにして相手をグラウンドのほうへと誘導した。
学校祭が行われている今、ここならば人気はない。
多少は周囲に気を遣わなければいけなかったが、戦闘を行っても大丈夫だろうと感じた。
この場で制圧する。そう判断したルキアは前方に大きく飛び上がり、相手の前に立ちはだかった。
「鬼ごっこは終わりよ、もう逃げられない……観念しなさい!」
ルキアが告げる。
すると相手はステルス能力を解き、その姿を現した。
しかし、ルキアは気を抜かない。秋塚のような人間に加担し、姑息な手段でサンドラを傷つけ、周囲を巻き込むことを厭わずに逃走を図るようなドラゴンが、素直に投降などするはずがないと分かり切っていたからだ。
反応は、案の定だった。
「やれやれ、まさかあなたまで我々を追いかけてくる能力を持っているとは思いませんでしたよ」
その言葉で、やっとルキアは目の前にいるドラゴンが、逃走した二体のうちのどちらであったのかを知ることができた。
このキザな口調――アドリスだ。
ということは、シェアトが追っているほうはパティスであることになる。
アドリスもパティスも、屋上での戦いでシェアトの能力には感づいていた。詳細までは分からずとも、彼女が自分達の現在位置を特定する力を有していることには気づいていたはずだ。
だから分散して逃げれば、シェアトに狙われなかったほうの一体は逃げおおせると考えたのかもしれない。もしそうだとすれば、まったくもって見当違いだった。
「ご自慢の消失マジックはもう役に立たないわよ、あんたの汚い尻尾は、私には隠せない」
「なるほど……では、試してみますか!」
アドリスが言い放った直後、彼の姿が消えた。
姿を消す力を行使したのだ。それだけならルキアは気にも留めなかっただろう、不完全なステルス能力であれば相手の姿は目でも追えるし、鼻で位置を探ることもできる。
しかし、今度は違った。
(完全に消えた? しかもにおいまで……!?)
アドリスの姿は、空気に溶け入るように見えなくなってしまった。そればかりか、においまで途切れたのだ。
それが意味することは、ただひとつ。
今しがたアドリスが行使したのは、さっきまでとは違う完全なステルス能力だ。
「ぐっ!」
ルキアの腹部に、衝撃が走る。
殴られたか、蹴られたか、あるいはそれ以外か。相手の姿が見えない以上、物理攻撃であること以外は何も分からない。
押し出されるように、ルキアの身は後方に飛ばされた。
(なるほど、ただ逃げ回ってたんじゃなくて、ダメージを回復させて完全なステルス能力を取り戻すことが狙いだったってわけね……!)
空中で態勢を立て直し、ルキアはグラウンドの土を巻き上げながら着地した。
すぐに身構えて周囲を見渡すが、当然アドリスの姿は見えない。においも嗅ぎ取れない。
一足遅かったと、ルキアは感じざるを得なかった。ダメージを回復させるまでの猶予を与えてはならなかった、ステルス能力を取り戻される前に追いついて、制圧しなくてはならなかったのだ。
言うまでもなく、姿が見えない相手と戦うのは圧倒的に不利だ。
シェアトの協力があれば違ったかもしれないが、彼女はここにはいない。
「勝ったような顔をしていましたが、形勢逆転ですね……!」
声が聞こえたが、どこから喋っているのかは分からなかった。
認めたくはなかったが、まったくもって彼の言うとおりだった。
アドリスの姿を捉えた時から、ルキアはすでに彼を追い詰めたと感じていた。しかし、追い詰められたのは彼女のほうだったのかもしれない。
「あなたはどうやら、我々には脅威になる存在のようだ。ここできっちり始末してあげますよ!」
姿が見えない相手からの宣戦布告に、ルキアはただ身構えた。
◇ ◇ ◇
「真人、大丈夫か?」
地面に倒れ込んだ真人を助け起こしながら、ファズマは声を掛けた。彼の肩には、ルキアから渡されたドラゴンガードの腕章が着いたままになっていた。
唐突とはいえ、ルキアに代理を頼まれたファズマはこの場を見張っていた。一般人に道を尋ねられれば答えたし、ゴミ箱の場所を訊かれれば誘導もした。
簡単な仕事ではあったが、まんざらでもない気になっていた頃だった。
突然、周囲の一般人数名が悲鳴を上げたと思うと、何かにぶつかられたようによろめいた。その中には彼のホストファミリーである真人も含まれており、バランスを崩した彼は転倒してしまった。
さらにファズマは、血相を変えてグラウンドのほうへ走っていくルキアの姿も目にしていた。
(さっきのあの様子……ド、ドラゴンがいたのか……!?)
何が起きたのかは分からないが、ドラゴンが絡んでいるとファズマは半ば確信していた。
「大丈夫、ちょっと怪我しちゃったから、保健室で手当てを受けてくるよ……」
転倒した拍子に、真人は腕を擦り剝いたようだった。彼の腕には傷が付き、そこから出血までしていた。
真人は何が起きたのか分かっていないようだった。しかし、ファズマは違った。
自分のホストファミリーに怪我をさせた者が、グラウンドのほうにいると確信していたのだ。
「ど、どこのどいつだか知らないが、よ、よくもやってくれたな……!」




