第93話 二手に分かれる
シェアトの申し出を、ルキアは快諾した。
彼女自身が言ったように、ステルス能力を持つ相手との戦いにおいてシェアトの能力がどれほど有用なのかは、ルキアもよく分かっていた。誇張抜きにして、ヒュドラとの戦闘を優位に進められたのはシェアトの能力があってこそだ。
サンドラは追撃に加わらず、屋上に残っていてもらった。
負傷している彼女を動き回らせるのは負担になるだろうし、秋塚が逃走しないよう監視する者が必要だった。それに可能性は低いとはいえ、セレスが目を覚ますようなことがあれば、誰かが彼を制圧しなくてはならなかったのだ。
サンドラがその役目を引き受けると言った時、シェアトは難色を示した。怪我人たる彼女をひとり残して離れることに、気が引けたのだ。
しかしレオンが協力を申し出てくれたことでシェアトも納得し、ルキアは彼女とともにパティスとアドリスを追うことにした。
復讐心に駆られて報復に走ったレオンも、今はドラゴンガードとしての仲間だった。
彼は、どのような処分を受けることになるのだろうか? ルキアは気になった。気になったけれど、考えないことに決めた。
今はとにかく、パティスとアドリスを拘束……場合によっては撃破することが、彼女の役目だった。一般人に危害が及ぶようなことがあってはならないし、生徒達が必死で準備してきた学校祭を台無しにされるような事態は、絶対に防がなくてはならなかった。
「見つけた、両方とも正面玄関前の広場にいる……!」
ヴィーヴルの瞳を活用し、シェアトがパティスとアドリスの現在地を特定した。
状況から考えて、彼らは屋上から飛び降りた可能性が高いとルキアは考えていた。だから、すでにシェアトとともに下の階へ向かっていたのだが、その選択は間違いではなかったらしい。
事前の読みは単なる勘ではなく、ルキアにはもちろん根拠があった。
「やっぱりね。連中のにおい、下に向かって残留してたから……きっとそうなんだろうと思ったわ」
逃げることはできても、においという痕跡はどうしても残ってしまうものだった。
それは言わばパンくずで、あの二体を追うにあたって重要な手掛かりになる。探知能力としての強度はシェアトに及ばないものの、ルキアの嗅覚も有用な能力だった。
現在地が掴めたのであれば、最短ルートでその場に向かうのが最善策。
その階は一般開放されていないので人気が少ないが、少なからず誰かが出入りしているようだった。
だから、開いている窓があった。きっと空調のためだろう。
「そういえば、連中のにおいって最初は分からなかったんだけど、今は嗅ぎ取れるのよね。ステルス能力に異常を来たしているからなのかな?」
開いている窓を見つけた時点で、次に取るべき行動をルキアはすでに決していた。
しかしそれをすぐに実行には移さず、疑問に感じていたことをシェアトに打ち明ける。
セレス達が有していたステルス能力はにおいまでも消し、鼻でも位置を掴ませなくするという便利で面倒なものだった。しかし今では、逃走先を大方予想できるくらいにはにおいを感じ取ることができたのだ。
考える限りでは、逃げるにあたってステルス能力を使わない理由は思い浮かばなかった。
だとすれば、ステルス能力を使っていないわけではなく、においという痕跡を消しきれない状態にある可能性が高いとルキアは考えたのだ。
「きっとそうだと思う、いくら何でも無傷でいられるはずがないと思うから……」
シェアトは頷き、ルキアに応じた。
きりもみ回転しながらの体当たりに、火球。サンドラとルキアの連続攻撃を、あのヒュドラはまともに喰らった。三体すべてを戦闘不能に追い込むには至らなかったものの、大ダメージを受けたことは間違いない。
戦闘を続行できない、もしくはまともに戦っても勝ち目がないと判断したからこそ、パティスとアドリスはあの場から逃亡した。そう考えると合点がいく気がした。
しかしもちろん、逃がす気はない。
「それなら、傷が治ってあの厄介な能力を取り戻される前に捕まえないとね……!」
いつまでも痕跡を残し続けてくれるようなことはしないだろう、ステルス能力を正常に行使できなくなっている今のうちに捕まえる必要があった。
健常に回復してしまえば、シェアトの能力なくしては追跡が難しくなるし、追いつけたとしても不利な戦いを強いられることになるはずだった。
チャンスは今のうち、そういうことだ。
「急ごう、シェアトさん!」
ルキアは助走をつけ、一気に開いた窓へと駆け寄る。
「ちょ、ルキアさん……!?」
シェアトの声が聞こえたが、ルキアは反応しない。
彼女はためないもなく窓から飛び降りた。
その先は校舎の裏手で、人の姿はまばらだった。向かう先である正面玄関前の広場までは少し距離があったものの、人目に触れずに済むのは好都合だった。
空中で翼を出現させ、できる限り風圧を起こさないようにしてルキアは着地した。少ないとはいえ周囲には人もいるので、あまり目立ちたくはなかった。
内密に行動するならば、窓から飛び降りずに階段を使うべきだっただろう。
だが、もちろんそんな暇はない。そんな悠長なことをしていては、連中に逃げろと言っているようなものだ。
あの二体は、何としてでも逃がすわけにはいかなかった。こうしているあいだにも、彼らのステルス能力が回復してしまうかもしれない。
「においが分散してる……」
着地したルキアは、翼を消失させた。
すぐににおいを追ってみると、ターゲットであるパティスとアドリスのにおいがそれぞれ、別方向に広がっているのが分かった。
それはつまり、
「それぞれ、別の場所に逃げた……」
ルキアを追う形で、シェアトも校舎の裏手に飛び降りてきていた。
額の宝石、ヴィーヴルの瞳に光を宿したまま、彼女は左右を交互に見渡したあとでそう言った。
優れた探知能力を有するシェアトの言葉で、ルキアは自分の見立てが誤りではないと確信する。どっちがどっちに逃げたのかまでは分からないが、パティスとアドリスは一緒に逃げず、散開したようだ。別行動のほうが、捕まるリスクが小さいとでも思ったのかもしれない。
では、どうすればいいか。
ルキアはすぐに、この状況における最善策を導き出した。
「二手に分かれましょう。私はこっち、シェアトさんは向こうをお願い」
それぞれが向かう方向を指差しつつ、ルキアは提案した。
「分かった……でも、大丈夫? わたしの能力がないと、向こうの位置情報が……」
「それは心配しないで。私、鼻がいいの。においを消せなくなっている今のあいつらなら、居場所を突き止めるくらい造作もないわ」
とは言ったものの、パティスとアドリスがステルス能力を完璧に行使できなくなっている今だけの話だった。
しかし逆に言えば、今のうちならばルキアは、シェアトの力を借りずとも相手の居場所を知ることができる。もちろん、それがいつまで続くかは分からない。数分後までか数十分後までか、一時間後までか。
逃げるだけの体力が残っていたとはいえ、サンドラとルキアの攻撃を立て続けに受け、深手を負っていることは間違いなかった。そのダメージはきっとすぐには治癒しないと思うが、確証はない。
いずれにせよ、早急にあの二体を止める必要があることは間違いないだろう。
「それじゃあ、あとで合流しましょう。ルキアさん、気をつけて……!」
「ええ、急ぎましょう!」
アクセサリーが打ち鳴る音を発しつつ、シェアトは走り去っていった。
そしてルキアもまた、彼女とは逆の方向へと駆け出した。
においはまだ、はっきりと感じ取ることができる。どうやらさほど遠くないようだ。
自分の向かう先にいるのがパティスか、それともアドリスのほうなのか。それはルキアには分からない。においだけでは、どちらであるのかを特定することまではできない。
しかしパティスだろうとアドリスだろうと、止めるべき敵であることに変わりはない。
(逃がさない……!)
ドラゴンガードとしての正義感と使命感、何よりも犯罪に加担するドラゴンを許さないという気持ちに突き動かされるまま、ルキアはひたすら走り続けた。




