第92話 戦いは終わらない
戦闘は終わったと、俺は感じていた。
いや、きっと誰もがそう思っていたに違いない。数分前まで激しいドラゴンバトルの舞台となっていたこの屋上は、今や静けさに包まれていた。
セレス達は三体とも気を失い、戦いは三人のドラゴン少女達の勝利という形で幕を下ろした。シェアトがヒュドラの弱点を暴き出し、サンドラとルキアが連続攻撃で制圧する。彼女達の連携が、見事に功を奏したようだ。
「まさか、セレス達が負けるなんて……」
秋塚が、情けない顔をしながら呟いた。
例の事故に関する証拠も出揃っていることだし、こいつももう終わりだろう。
ドラゴンを教唆して犯罪に加担させるのは重罪だ、教師をクビになるのはもちろんだが、さらなる罰も免れないはずだった。生徒ひとりの人生を潰したこの男に、同情の余地はないな。
軽蔑の眼差しを向けていると、誰かが駆け寄ってきた。
アクセサリーが打ち鳴る独特の音が聞こえたので、シェアトだろう。俺の予測は当たっていた。
「あの、怪我とかはありませんか……?」
俺に声をかけた時には、彼女はベレー帽をかぶり直し、額の宝石――ヴィーヴルの瞳を隠していた。戦闘が終結した今となっては、もう必要ないと判断したのだと思う。
サンドラに指示を出していた時とは打って変わったように、か細めで控えめな声色だった。これが素のシェアトなのだろうが、とにもかくにも今の戦いにおいてのシェアトの貢献度合いは、非常に大きかった。
「ああ、大丈夫さ」
彼女の探知能力がなければ、セレス以外の二体のドラゴンを引きずり出せなかっただろうし、ヒュドラの弱点を突くこともできなかった。まあ、ルキアならきっと戦闘能力だけで押し切れた気もするが……シェアトのお陰で、より早く勝負を決することができた。
と、俺はそこで気づいた。
「ところで……シェアトってドラゴンの弱点を見つけ出すことまでできるのか?」
ヴィーヴルというドラゴンの特性上、シェアトは目が見えない。
でも光などを感じ取る能力に長けているお陰で、全盲というハンデを乗り越えていた。加えて彼女はヴィーヴルの瞳の力でアークを視認することまでできる。だから、セレス達三体が有していたステルス能力を突破できた。
サンドラに『首の付け根を狙え』と指示していた時、シェアトはどう見てもそこが奴の弱点であると見抜いていた。きっと、彼女の探知能力と関係があるのではないかと思ったのだ。
シェアトは小さく頷いた。
「アークの放出が集中している部位……分かりやすく言えば、『ツボ』みたいな部分がドラゴンにはあるんです。これはドラゴンにとって急所と言える部分なので、そこを攻撃するのが有効な場合があります……」
そんな部分があったのか。
アークの放出が集中している部位……人間に置き換えると、心臓みたいな部分なのかもと思った。
血液を全身に循環させる役割を持つ心臓は、人体の急所と言って間違いない。もし刺されでもしようものなら、即死する危険性も十二分に考えられる。
ドラゴンにおけるそんな急所を見極める力を持つシェアト、よくよく考えればかなり脅威になる能力だな。
彼女自身がそこを突く戦闘能力を有していないとはいえ、今の戦いみたく仲間に伝達すれば優位に戦えるのではと思った。後方支援としては、破格の能力だと思う。
俺達と同じ景色を見ることはできないが、彼女にしか見えないものもある。そういうことだな。
シェアトの独特の瞳を見て、俺は改めてそう感じた。
「さとっち、大丈夫?」
続いてサンドラがこちらに来て、尋ねてきた。
「ああ、問題ない」
正直、俺よりもサンドラの身のほうが心配だった。
人間の姿に戻った彼女の身体には、光線を喰らった痕跡が数か所残っていた。
致命傷にまでは至らなくとも、傷の度合いは決して浅くはないのが分かる。それを裏付けるように、サンドラは負傷した箇所を押さえ、痛みに表情をしかめていた。
サンドラが防戦一方の戦いを強いられることとなったのは、決して彼女が弱かったからじゃない。ただ、状況と相手が悪かったのだ。
コカトリスであるサンドラの視力は非常に優れているが、セレス達のステルス能力を見破ることはできなかった。それに加えて、俺達や他の人に気を遣って超音波を封印せざるを得ない状況だった。
ルキアとシェアトが助けに来なかったら、サンドラは敗北していたかもしれない――とは思うものの、いざって時には俺はもう、周りのことなんか考えずに超音波を使うよう促す気でいた。
姿を消していようが、聴覚まで遮断することはできないはず。超音波ならきっと、三体まとめて悶絶させて行動不能に追い込めただろう。
「そっか、なら良か……痛っ……!」
サンドラがまた、痛みに身体を強張らせた。
傷を負った状態であんな技を繰り出したのだ、負担は軽くなかっただろう。
「ちょっと、サンドラこそ大丈夫?」
ルキアが駆け寄って、サンドラの身を支えた。
俺も同感だ。サンドラには、俺以上に自分の身を心配してほしかった。
「平気だよこれくらい、ちょっと休めばすぐ治るから……ドラゴンガードの職務上、生傷なんて日常茶飯事だからね」
サンドラは軽い口調で語るが、その表情には苦悶の色が滲んでいた。
というか肩を貫かれたりしていたし……彼女が負った傷は『生傷』という範疇に収まるのか疑問だ。
「ごめんサンドラ、もっと早く来ていれば……」
サンドラの身体を支えながら、ルキアが謝罪した。同僚が負傷したことへの罪悪感を感じているのだろう。
「いいの、謝らないで。むしろ来てくれて助かったよ、ルッキィもシェイシェイもね」
俺は、彼女達に駆け寄った。
「とにかくサンドラ、傷の手当てをしないと……!」
とは言ったものの、俺は戸惑ってしまった。
今日は学校祭という人が集まるイベントが行われているので、学校の保健室が救護所的な場所となっており、怪我人や体調不良者を受け入れるために開放されている。
しかし、そこで手当てを受けられるのは人間だけだ。ドラゴンはたぶん、無理な気がした。
そもそも、学校でこんなドラゴンバトルが繰り広げられることすら想定されていないはずだ。では、どうすればいいのだろうか?
とりあえず誰か……そうシルヴィア先生あたりに言えば……そう思った時だった。
「待て……危ない!」
レオンが不意に声を発したが、俺は返事どころか、彼を振り向くことすらできなかった。
突然、何かが噴き出るような音とともに視界が真っ暗になった。どこからともなく、黒煙が巻き上がったのだ。
突然の出来事に慌てふためくと、俺の足に何かが当たるのが分かった。
「これって……発煙筒!?」
鼻と口を覆いながら、奪われゆく視界の中で、俺は黒煙の発生源が足元に落ちているこの黒い筒状の物体であることを理解した。
これって、さっきセレスが使っていたのと同じ物じゃ……!? そう思った時だった。
「あっはっは、倒したと思って油断したね!」
「詰めが甘い、戦闘中に気を抜いてはいけませんよ」
黒煙に阻まれて顔は見えなかったが、声の主が誰なのかは分かった。
子供じみた声色と、キザっぽい喋り方……パティスとアドリス、セレスの仲間で、ステルス能力を使って当初は身を潜めていた二体だ。
サンドラの攻撃とルキアの火球を受けて、三体とも気を失ったと思っていたが、そうじゃなかったのか!?
「くっ!」
シェアトが俺の前に歩み出て、再び帽子を上にずらした。額の宝石を出し、ヴィーヴルの瞳を使うつもりのようだった。
「いけない、逃げる!」
シェアトはそう言うが、この状況では彼女以外にはあの二体の姿すら見ることができない。
それはルキアも承知だったのだろう。彼女は俺の足元に放られた発煙筒をどこかに蹴り飛ばし、さらに背中に翼を出現させると、それを大きく羽ばたかせて黒煙を払い飛ばした。
視界が一気に開いたけれど、そこにはもうパティスとアドリスの姿はなかった。
ただ一体、セレスだけがうつ伏せになる形で倒れていた。
「もういない、止めが浅かった……!?」
あれほどの攻撃を連続で受けても、立ち上がることができたということになる。
もしかしたら、気を失ったように見えたのも芝居で、最初から逃走の機会を狙っていたのかもしれなかった。連中はルキア達には勝てないと踏んで、逃げの選択肢を決したのだ。
そこで俺達の不意を突いて発煙筒を投げ、視界を阻んだ隙にここを去ったということだろう。
どこまでも姑息な連中だと思った。思わずにはいられなかった。
「追わないと、あんな奴らを放っておいたら何をしでかすか……!」
サンドラは駆け出そうとするが、すぐにその足は止まってしまう。
まったく同意見だった。あんな姑息で卑怯な奴らなのだ、一般客を人質にして立てこもるだなんてことも十二分に考えられた。
「痛っ……!」
光線で貫かれた肩が痛むらしく、その場に膝を折ってしまった。
「サンドラは休んでて、あいつらは私が追うわ」
「あの、わたしも……!」
サンドラを気遣いつつ駆け出そうとするルキアの背中を、シェアトが呼び止めた。
「ステルス能力を持っている相手を追うなら、わたしの能力がきっと役に立つはず。だから……!」




