第91話 サンドラミサイル
「セコい手でネチネチ痛ぶってくれたけど、倍にして返してあげるからね!」
真の姿――コカトリスに変じたサンドラは、翼を羽ばたかせて滞空しながら宣言した。
その隣にはルキアも控えており、彼女達はすぐにでも本力を発揮できる状態にあった。しかし、それは相手も同じだろう。
セレス、パティス、それにアドリス。
三体が合体した彼らもまた、ヒュドラとしての真の姿に変じており、臨戦態勢に移行していた。
サンドラは戦意を露わにしているが、それでも迂闊に仕掛けようとはしない。相手がどのような攻撃手段を有しているか分からない今の状況で、下手に動くのは危険だと理解しているのだろう。
「面白い……ならばやってみろ!」
三本の首のうち、中央――セレスが言い放ち、ほぼ同時にその口から光線が発せられた。
高出力の熱エネルギーを伴ったそれは、サンドラが散々苦しめられた攻撃方法だった。ドラゴンの姿に変じていても、喰らえばまず無傷ではいられないはずだった。
ルキアとサンドラは、それぞれ右と左に飛び退いてかわした。
しかし、彼女達に気を抜く猶予など与えられはしない。続けざまにパティスとアドリスもまた光線を放ち、追撃する。
三つの首から繰り出される波状攻撃、それは多頭竜たるヒュドラならではの能力だった。
「あーっはっは! いつまでそうやって逃げていられるかな!」
嬉々とした声を発したのは、パティスだった。
捕まえた獲物をいびって遊ぶ猫のように、サンドラとルキアが逃げ惑う様子を楽しんでいるのだ。
だがルキアもサンドラも、いつまでも彼らの好き放題にさせておく気などあるはずがない。先に反撃に乗り出したのは、サンドラだった。
「いい気になってんじゃないよ!」
三つの砲口から放たれる光線が、まるで網目のように交差していた。その隙間を縫うようにしてかわしながら、サンドラは隙を見逃さずに光弾を放つ。
コカトリス特有の、翼にびっしりと生えた羽毛を光弾に変えて撃ち出す攻撃だった。超音波を使えない今の状況においては、サンドラが有している唯一の飛び道具であり、離れた場所にいるヒュドラを攻撃できる手段なのだ。
逃げながらであっても、サンドラの狙いは的確だった。
彼女が放った無数の光弾は、そのすべてが引き寄せられるようにヒュドラに向かって飛んでいき、そして命中した。合体している分、三体に分離している時と比べて図体も大きくなっているので、狙いを定めるのはさほど難しいことではなかった。
しかし、
「ふん、この程度か?」
サンドラの攻撃を嘲笑うように、セレスが言い放った。
全弾命中したのは間違いなかったが、ほとんどダメージになっていなかったのだ。
「合体しただけ、頑丈になってるってわけね……!」
戦況を見守っていたルキアは、あのヒュドラの能力を分析していた。
合体したことで的が大きくなり、飛び道具の標的になるリスクは増した。しかし、デメリットしか生まない合体を進んで行うはずはなかった。
三体に分離していた時はサンドラの光弾で怯ませられていたが、今となってはそんな攻撃は無意味に等しいようだ。もしかすると、三体分の防御力が加算されているのかもしれない。
そしてきっと、高まったのは防御力だけではないだろう。
「ふっ、それだけではありませんよ!」
アドリスの言葉を合図にするように、彼らはまた同時にその口を開いた。
それだけならば、これまでの光線を放つ前触れの動作と変わらなかったが、今度は違った。
彼らは目の前で光線を集約させ、巨大なエネルギー球を作り出し始めたのだ。それはさながら、小さな太陽だった。
「っ、サンドラ!」
ルキアが叫ぶのとほぼ同時に、それまでとは比べ物にならない太さの光線がサンドラに向けて放たれた。見た目だけではなく、破壊力も大幅に増大しているのが見て取れ、さらに速度もまったく損なわれていなかった。
逃げる猶予などなかった。
極太の光線はサンドラを直撃し、彼女の身は空高く打ち上げられていった。赤い羽根が、周囲に舞い散るのがルキアに見えた。
止めることも、庇う猶予すらもなかった。あんな光線を受けて、ただで済むはずがない――絶望感に似た感情がルキアの胸に広がりかけた、まさにその時だった。
「サンドラ!」
暗雲を打ち払うように、力強く透き通った声。
その主は、シェアトだった。
彼女は今戦線を離れ、後方で智達のそばにいるはず――思わずルキアが振り向くと、シェアトは迷いのない眼差しでサンドラを見上げていた。その額の宝石、ヴィーヴルの瞳が再び光を放っていた。
シェアトは、人差し指と中指を立ててヒュドラを指していた。
この戦闘の最中、ルキアも幾度も目にしたその動作。意味は、『攻撃』だ。
「首の付け根を狙って!」
シェアトがまた声を張り上げると、高く打ち上げられたサンドラが空中でその身を翻し、態勢を立て直した。
「オッケー、シェイシェイ!」
あんな光線を受ければ、戦闘不能になるのは必至だとルキアは思っていたが、そうではなかった。
光線が着弾する直前、サンドラは自らの翼を交差させて盾にし、防御を固めたのだ。逃げる猶予がないと判断した彼女は、即座に回避という考えを放棄し、光線を『防ぐ』という選択肢に振り切った。
翼を交差させて守りを固めただけではなく、さらに頭を埋めるようにして急所を守り、ダメージを最小限に留めた。
彼女の判断は功を奏し、空高く打ち上げられはしたものの、そのお陰で光線を受ける時間も短時間に留まった。結果としてサンドラは、無事といって差し支えない状態だった。
シェアトの指示に従い、サンドラは空中からヒュドラの背中――首の付け根に狙いを定めた。
「よくも馬鹿みたいにエネルギーぶっ込んだ光線ぶち当ててくれたわね! 倍返しどころか、千倍にしてやるわ!」
サンドラはクチバシを下に向け、空中で真っ逆さまの状態になる。
彼女はそのままドリルのようにきりもみ回転し始め、重力に従って急降下してきた。その先にはもちろん、ヒュドラの首の付け根があった。
「な、何っ!?」
高出力の光線を直撃させたので、サンドラはすでに戦闘不能になったと思い込んでいたのだろう。
セレス、パティス、アドリス。彼らはまさか攻撃をしのがれたとは夢にも思っておらず、サンドラが繰り出した必殺技にすぐには気づけなかった。
そう、それはサンドラの必殺技だった。
彼女の一番の武器は超音波ではなければ、翼から放たれる光弾でも、そしてかぎ爪でもない。
鋭利に尖ったそのクチバシこそ、コカトリスの象徴にして最大の武器なのだ。
そして、そのクチバシを軸にする形できりもみ回転し、相手に体当たりするその攻撃こそ、サンドラが有する攻撃手段の中でも最大の威力を伴う技だったのだ。
光線に晒された時のサンドラがそうだったように、ヒュドラにも回避の猶予は与えられなかった。さらに油断で反応が遅れたこともあって、防御すらできなかった。
竜巻のごとき風圧が発生するほどの勢いで回転しながら、サンドラのクチバシは的確にヒュドラの首の付け根を捉えた。
「ぐがっ!」
わずかな叫び声の直後に、轟音と砂埃が舞い上がる。
三体のドラゴンのうち、誰がその声を発したのかは分からなかった。
◇ ◇ ◇
「サ、サンドラミサイル……」
戦いの様子を見守っていた俺は、サンドラの繰り出した攻撃を見て思わず呟いた。
ファズマとの戦いの時、彼女が超音波やかぎ爪による攻撃を繰り出すのを見た。クチバシを武器にすることも知ってはいたのだが、まさかあんな技まで持っていたとは思わなかった。
効果は劇的だったようだ。
「あ、がっ……貴様、よくも……!」
光弾を受けても全然平気そうにしていたヒュドラが、地面に叩き伏せられて呻いていた。
サンドラの攻撃が効いたのだと思うが、たぶんそれだけじゃない。
さっきシェアトが、サンドラに首の付け根を狙うよう指示していた。ヴィーヴルの瞳はアークを視認できる、その能力を応用すれば急所を見極めることもできるのだろう。直接戦闘を行うには不向きであるとはいえ、本当に心強い能力だと改めて思った。
「い、今のは効きましたよ……ですが、これだけで勝ったと……!」
「思っていないわよ」
立ち上がろうとしていたヒュドラの後方から、ルキアの声。
その時にはすでに、彼女の口に炎が迸っていた。
ヒュドラが振り向くとほぼ同時に、ルキアはその口から火球を放った。今まで見てきたような炎のブレスじゃなくて、何というか……炎を口腔内で丸く圧縮して撃ち出したような、そんな感じだ。
かなりの弾速を伴って放たれたそれは、一直線にヒュドラへと向かっていき、着弾と同時に爆発を引き起こした。もちろん、首の付け根を的確に狙っていた。
サンドラの攻撃だけでもかなりの痛手だっただろう、さらに今のルキアの火球がダメ押しとなったようだ。
爆発の直後、ヒュドラは声を上げることすらなくその場に倒れ込んだ。
「一が三つ集まったところで、所詮は三にしかならない。三下ってわけね」




