第90話 ヒュドラ
「『あれ』って何? まだ抵抗しようっての……?」
襲い掛かってきた三体のドラゴンをひとまず返り討ちにし、後退へと追い込んだ。しかし、サンドラは臨戦態勢を解除しようとはしない。
セレス、パティス、アドリス。彼らの様子から察するに、さらなる切り札を隠している様子だった。持ち駒は、どうやらステルス能力だけではないようだ。
ほんの少しサンドラやシェアトと交戦しただけで、セレス達は戦力の差を感じ取ったようだった。
女の子のドラゴンであるとはいえ、戦力的に上回っていても何ら無理はない。サンドラもシェアトも、それなりの期間ドラゴンガードとして働き続けており、実戦経験もそれなりに有している。彼女達がその気になれば、そこらの犯罪ドラゴンを返り討ちにすることくらいは造作もないのだ。
しかしながら、今回は一筋縄ではいかないかもしれない。
目の前に立ちはだかる三体のドラゴンを見つめ、サンドラは思った。ドラゴンガードとして積み上げてきた経験、そこから培われた第六感が、彼女にそう感じさせていた。
「いくぞ、お前達!」
セレスが叫ぶ、途端に三体のドラゴンの身を淡い光が覆い包み始める。
「ああ!」
「ええ!」
パティスとアドリスが応じた。
(この光は……!?)
眩いばかりの光に、サンドラは思わず目を細めた。
それは、人間の姿でいるドラゴンが変身する際に発せられる光とよく似ていた。似ていたが、その先に待つ状況はまったく異なっていた。
光は数秒で収まり、サンドラは目を見開いた。
彼女の視線の先から、それまで対峙していた敵が消えていた。セレス、パティス、そしてアドリス。三体のドラゴンの姿が、影も形もなくなっていたのだ。
しかし、代わりに一体のドラゴンがいた。
そのドラゴンには翼があり、尻尾があり、手も足もあった。身体構造的には、ドレイクが近いだろう。
しかし、ドレイクとは決定的に違う点がひとつあった。
気づかないはずがない、誰もが目を奪われるであろう奇抜な特徴――そのドラゴンには、『首が三つ』あったのだ。
「え、ええっ……!?」
突然の出来事に、思わずサンドラは一歩引いた。
そんな彼女を目の前に、三本の首を持つドラゴンは天を仰いで咆哮を上げた。
三本の首があるということは、もちろん頭部が三つあるということ。そこから発せられる咆哮は非常に大きな音量を伴っており、その迫力にサンドラは思わず一歩引いた。
そんなサンドラに、誰かが駆け寄ってきた。
「サンドラ……!」
シェアトだった。
振り返らなくても、彼女が身に着けているアクセサリーが打ち鳴る音で、誰なのかは分かった。
「大丈夫、ありがとうシェイシェイ……!」
咆哮はすぐに止んだ。
しかしもちろん、安心はできない。ドラゴンの咆哮は宣戦布告の合図、これからが本番だろう。
「この姿になるのも、久しぶりだな!」
三つの頭部のうち、中央――セレスの声だった。
「本気でぶっとばしてやるよ、泣いても謝っても命乞いしても許してあげないからね!」
サンドラ達から見て、左側がパティス。
「あなた方が滅びゆく様を、しかと見届けさせていただきましょう!」
右がアドリスのようだ。
子供じみていたりキザな様子も、さっきまでとまったく変わらなかった。
しかし、戦闘能力まで据え置きではないだろう。
「サンドラ、このドラゴンは……」
「うん、あたしも相手にするのは初めてだけど、間違いないね」
シェアトの言葉に、サンドラは目の前にいるドラゴンを睨みながら応じた。
目にするのは初めてだが、ほぼ確信めいたものを感じていた。というのもサンドラが知る限り、他に一致する特徴を有するドラゴンがいなかったからだ。
「複数の頭に、それぞれ違う人格。あのドラゴンは……!」
◇ ◇ ◇
「『ヒュドラ』、やっぱりそうだったのね……!」
ルキアの口から出た単語に、俺は彼女を振り向いた。
「ヒュドラってつまり……『多頭竜』か?」
ルキアは頷いた。
多頭竜という異名が示すとおり、ヒュドラは複数の頭部を持つドラゴンだ。しかも、それらすべてが自我を有している。
「見た目にも似ていたし能力も同じだったから、もしかしてと思っていたけれど……やっぱりあいつら、三位一体のドラゴンだったのね。今までは分離していたみたいだれど、合体した今では強さも跳ね上がりそうだわ……!」
俺はふと、ルキアがあの三体のドラゴンを見て何か思い当たることがあるような反応をしていたのを思い出した。あの時から、ルキアはきっとあいつらが三体で一体のドラゴンであると疑っていたんだろう。外見が似ているのも同じ能力を持っているのも、ヒュドラであることが発覚した今では至極当然に思えた。
さっきまでのように分離した状態で、複数で四方から相手を取り囲んだり、今のように合体して相手に襲い掛かることも思いのままだ。
ステルス能力といい、とにもかくにも厄介な特性の多いドラゴンだな……!
「あいつらは本気の力を出すつもりだ。もう止められない……!」
秋塚が発すると、ルキアは奴を振り向いた。
「さあ、どうかしらね。そう決めつけるのはまだ早いんじゃない?」
俺も同感だ。というより、こんな男の言葉に納得したくなかった。
セレス達が合体し、本気を出すのであれば勝負は分からないかもしれない。だが、サンドラとシェアトにはまだ、強力な味方がいるのだ。
まだ戦線に出てすらいない、無傷で体力を持て余しているであろうドラゴン少女。そう、今俺のそばに立っている彼女、ルキアだ。
今まで戦闘の余波から俺やレオンを守るためにここにいてくれていたが、連中が合体して一体のドラゴンとなった今では、もうその必要もないだろう。
複数体に分離したヒュドラは、その全員が一か所に集まらなければ再度合体することができない。合体したというのは、もうこれ以上あいつらに伏兵は存在しないという証拠でもあった。
「ごめん、ちょっと私も加勢しに行くわ。代わりに誰かをこっちに来てもらえるようにするから」
こっちはもう大丈夫だ。だから、サンドラ達を助けに行ってくれ。俺がそう告げる必要もなく、ルキアは自分も戦線に加わることを告げてきた。
ぜひそうしてほしいと思っていたので、俺は即座に頷いた。
「分かった、早くサンドラ達を助けに行ってくれ」
◇ ◇ ◇
「まずは、あの気味の悪い目をした女からだ!」
セレスが言い放った。三体に分離していた時と同じく、合体した今でも彼がリーダー格のようだ。
どうやら、シェアトが自分達のステルス能力にとって天敵といえる存在であることを見抜いたらしく、彼女にターゲットを絞り、確実に潰そうとしているようだった。
多頭のドラゴンは三つの口を一斉に開き、そこに光が充填され始めた。セレス、パティス、それにアドリス。彼らは一斉にシェアト目掛けて光線を放つつもりなのだ。
三体同時であれば、光線の威力はきっと増大するはずだった。
「シェイシェイ!」
サンドラはシェアトを振り返り、彼女に避難を促そうとした。
しかし、その時にはすでにシェアトは後方へと飛び退いていた。
ヴィーヴルは優れた探知能力を有している反面、戦闘向きな能力は一切持ち合わせていない。だから、危険を察知できたとしても次なる行動は『逃げ』の一手なのだ。
「逃がさないよ、消えちゃえ!」
パティスが言い放った直後、彼らは一斉に光線を放った。
示し合わせたかのように同時に放たれた三本の光の筋は、目にも留まらぬ速さでシェアトへと向かい、着弾して爆発を引き起こした。
「きゃああっ!」
危険を察知して素早く後退したことが功を奏し、直撃は免れた。
しかし爆発の煽りを受け、シェアトの身体は後方へと吹き飛ばされる。
そんな彼女の身体を、空中で誰かが抱き留めた。
「っ……!?」
驚いたシェアトは、その目を見開いた。彼女が身に着けているアクセサリーが揺らぎ、音を鳴らし続けていた。
彼女を抱き留めたのは、ルキアだった。
「大丈夫?」
ルキアは背中に翼を出現させ、それを羽ばたかせながら滞空していた。
シェアトが吹き飛ばされたのを目にし、即座に飛び上がって空中で受け止めたのだ。
「う、うん……!」
ルキアは屋上に降り立つと、シェアトの身を放した。
「ここからは私がバトンタッチするから、シェアトさんは向こうをお願いできる?」
ルキアは、智やレオン、それに秋塚がいるほうを指差した。
ヴィーヴルの能力は強力で汎用性も高いが、決して戦闘向きではない。だから、シェアトに代わって自分がセレス達と戦うべきだと思った。
決して、シェアトが用済みと言いたいわけではなかった。ステルス能力を破り、あの三体のドラゴンを合体させるまで追い詰めたことにはもちろん感謝している。そもそも、シェアトがいなければこの場所を突き止められなかっただろう。
「分かった……」
シェアトが戦線から離脱し、去っていく。
それを確認したルキアは、サンドラの隣に立った。
「ここからは、私も手伝うわよ」
サンドラが頷き、彼女達はヒュドラへと向き直った。
ふたりの少女の身体が淡い光に覆い包まれる。ルキアは純白のファイアドレイクの姿に、サンドラは赤きコカトリスの姿へと変身した。
彼女達の咆哮が、青空まで突き抜けるようだった。




