第88話 ヴィーヴルの瞳
「え、嘘だろ? 目が見えないって……」
離れた場所から戦いを見守っていたのだが、ここからでも会話を聞き取ることはできた。
今のシェアトの言葉に、俺は耳を疑う。それもそのはず、今日初めて会って、ほんの少し会話しただけの間柄ではあった。けれど、彼女が全盲だなんて……そんな様子は微塵も感じ取れなかったのだ。
さっき会話した時だって、シェアトはちゃんと俺やサンドラの顔を見て会話していた。それ以前にも、客として学校祭に訪れた一般人の案内だってこなしていた。
何かの聞き間違いか、と思ったのだが、
「『ヴィーヴル』というドラゴンを知っているか?」
そばにいたレオンが口を開いた。彼は座り込んだまま、負傷した右足首を押さえつつ戦いを見守っていた。
ヴィーヴル? 聞いたことのないドラゴンだ。
しかしルキアはそうではなかったらしく、
「女の子しか存在しないドラゴンでしょ? それに……」
こちらを向きつつ、俺に代わってレオンに応じた。
「ああ、そしてヴィーヴルには視覚機能がないんだ。生まれつきな」
ルキアが言おうとしていることを先読みしたように、レオンが続けた。
生まれつき視覚機能がない……ということは怪我とか障害が理由じゃなくて、先天的に目が見えないということのようだった。
シェアトと会った時、特徴的な目をしていると感じたのを思い出した。無色透明で、ほのかに虹色が混ざっていて……ダイヤモンドのように綺麗ではあったけれど、どこか空虚な感じも漂っていたのを覚えている。
そもそも、像を結ぶことを目的としていないようにすら感じられたのだが、まさか本当にそうだったとは。
「だから、彼女が……シェアトが言っていることは本当だ」
レオンはそう言うが、シェアトの様子を見れば到底信じられない話だ。
それもそのはず、会話した時や一般客の誘導はもちろん、今のシェアトはサンドラに的確な指示を出し、彼女と見事な連携を取って戦っている。それらはどう考えても、目が見えない人がにできることではなかった。
ということは目が見えない代わりに、彼女はそれを補う何かを備えているのだろうか……?
「彼女の額に付いているあの宝石、見える?」
「え、ああ……」
そもそも、サンドラがシェアトに協力を仰いだ時に見ていたので、俺はシェアトの額に菱形の宝石が付いていることを知っていた。
最初は彼女が身に着けているピアスやチョーカーと同じ装飾品なのかと思ったが、やはりそうではなかったらしい。あれが光ると同時に、シェアトはレオンや秋塚がこの屋上にいるということを特定していたので、何か特別な物なのだろうと思っていた。
「あの宝石は、『ヴィーヴルの瞳』っていうヴィーヴル特有の器官なのよ。もともとヴィーヴルは音や光、それに温度を感知して空間把握や個人識別ができるんだけど、あれを使えばその能力がより強度を増すの」
ルキアがすらすらと説明した。
そうか、それでシェアトはレオンや秋塚の現在位置を割り出すことができたわけか。
今日は学校祭で、校内には普段以上に多くの人がいる。そんな中で秋塚という一個人を見つけ出せるわけだから、相当なものだと思った。
千里眼というか……もはや、透視能力の域だ。
「それに、ヴィーヴルは『アーク』も視認できるから……人間の姿に変身したドラゴンを見破れるし、ドラゴンがどんな攻撃を繰り出してくるかもある程度予測できる。彼女にかかれば、もちろんステルス能力も無意味ってわけね」
目には見えないが、ドラゴンの身体からは常に微弱なエネルギーが発せられていると言われている。
通称『アーク』と呼ばれているそれは、本来人間でもドラゴンでも見ることはできないって聞いていたが……ヴィーヴルというドラゴンだけは例外のようだ。
それだけの感知能力を有しているのであれば、もはや視覚機能など必要がなくなるのも十二分に理解できた。もしかしたらヴィーヴルは、進化の過程で不要となった視力を自ら退化させたのかもしれない。
シェアトがどのように世界を見ているのか、俺には想像もつかない。少なくとも彼女の頭の中には、俺や他のどんな人とも違った景色が映し出されているのだろう。
それでも、今の状況において彼女は、救世主と呼べる存在であることは間違いなかった。
◇ ◇ ◇
「サンドラ!」
シェアトが、また人差し指と中指を立てて前方を指す。
サンドラは、その方向に向けて光弾を発射する。
その連携攻撃はすでに五回ほど繰り返されていたが、いずれも命中していた。撃ち出すたびにセレスが苦悶の声を発していたことが、その証拠だった。
サンドラはセレスの姿を見ることはできないが、シェアトは標的の現在位置を特定することができる。シェアトは遠くの相手を撃ち抜く術を持たないが、サンドラは羽を光弾に変えて撃ち出す能力を使い、離れた相手を攻撃することができる。
コカトリスのサンドラと、ヴィーヴルのシェアト。異なる種類のドラゴン少女達は、それぞれの能力を活かし、連携することで戦いを有利に進めていた。戦況はどう見ても、サンドラとシェアトに有利だ。
「ちっ、小娘どもが……!」
悪態をつくセレス、その姿が空間に浮かび上がり始めていた。それはまるで、ガラスで作られた像が動き回っているかのようだった。
攻撃を受け続けたせいでステルス能力が異常を来たし、正常に作用しなくなっているのかもしれない。
完全に視認不可能だったその姿が、今ではもうサンドラの目でも見えるほどになっていた。もう、シェアトの感知能力に頼らずとも戦えそうだった。
「形勢逆転ね……!」
サンドラが前に歩み出た。
ステルス能力が敗れた今、セレスはすでにただのドラゴンだ。光線で抵抗されても、サンドラは翼でそれを弾き飛ばすことができる。
もはや、彼の攻撃がサンドラに届くことはないだろう。
(ドラゴニュート? それともドレイク……?)
半透明ではあったものの、これまでは見えなかったセレスの実像に、サンドラは怪訝な面持ちを浮かべた。
ドラゴンとしての種別を特定するには至らなかったが、別に問題ではないだろう。
「サンドラ、待って!」
不意に呼び止められ、サンドラは振り返った。
その時にはすでに、シェアトは右手の人差し指と中指で上空を指していた。
「えっ!?」
サンドラは困惑した。
というのも、シェアトが指している方向がセレスがいる場所からは遠く離れていたからだ。彼女の指の先には青空が広がっているだけで、他には何もないようにサンドラには見えた。
どういうことなのか、と思ったが、
「早く! 撃って!」
問い返す間もなく、シェアトは急かした。
控えめな彼女にしては珍しく、切羽詰まるような様子だった。サンドラの脳裏に、ある予感が浮かぶ。
「まさか……!?」
シェアトの指示に従い、サンドラは即座に狙いを定め、上空に向けて光弾を撃ち出した。
「ぎゃっ!」
セレスとは違う者の叫び声が発せられる。それまでは影も形も見えなかったドラゴンの姿が現れ、屋上へと一直線に落下した。
サンドラは驚いたが、気を抜く猶予はなかった。
「サンドラ!」
続いてシェアトは再び上空を、今度は別の方向を指していた。
まさか、他にも……!? とにかく、今は彼女の誘導に従うことが最優先事項だった。
また光弾を撃ち出す、三体目のドラゴンがその姿を現した。
「いっ、痛……どうして僕らの姿が見えるんだよっ!」
二体目のドラゴンは、いかにも子供じみた声で憤慨した。
「くっ、まさか……我らの能力が敗れるとは……!」
そして三体目は、どことなくキザな口調が印象深かった。
姿を現した二体のドラゴンは、セレスと非常によく似ているように思えた。
サンドラはふと、さっき受けた光線を思い出した。
「なるほど、あたしも難しく考えすぎてたってわけか」
時折放たれた、あの死角からの攻撃――セレスが撃ち出した光線が、何らかの方法で反射されて戻ってきているのかもしれないとも思った。しかし、真相はもっと簡単にして単純なカラクリだった。
そう、あれはセレスとは『別の』ドラゴンが放っていたのだ。シェアトによって存在を突き止められ、今しがた上空から叩き落されたこの二体のドラゴンが、その犯人だ。
つまるところ、敵はセレスだけではなかったということだ。
この二体のドラゴンは伏兵として身を隠し、機会をうかがっていたのだろう。
シェアトの能力を警戒し、自分達の存在が発覚するのを恐れて攻撃の手を止めていたようだ。しかし、それも無駄に終わった。
きっと、シェアトはこの場に赴いた時点でこのセレス以外の二体のドラゴンの存在も察知していた。あえて放っておいたのは、気づいていないと錯覚させて隙を待ち、確実に引きずり出そうという考えがあったのかもしれない。
「攻撃しなければ、自分達の存在がバレることはないと思っていましたか?」
以降、シェアトはサンドラに攻撃の合図を送ってはこなかった。
もうこれ以上、身を潜めているドラゴンはいないということだろう。
「もしもそうだとしたら、大間違いです。ヴィーヴルの瞳によってアークを視認できるわたしの感知能力から、逃れる術はありません……」




