第87話 シェアトの目
一時は助けを呼びに行こうとも考えたが、その必要もなくなった。
サンドラを助けに、この場にふたりのドラゴン少女が駆けつけてくれたからだ。ひとりはルキアで、もうひとりはシェアト。ここに来る前に、サンドラがレオンや秋塚の居場所を割り出すために協力を仰いでいた子だ。青いベレー帽に特徴的な目、全身にいくつも光らせたアクセサリーと特徴が多い子だったので、はっきりと覚えている。
探知能力を有しているということ以外、シェアトが何のドラゴンなのかは、俺には分からない。それでも、少なくとも俺にはルキアが来てくれただけでも心強かった。きっと彼女ならこの戦況を打開できる、姿が見えない相手であっても勝てると思えたのだ。
その期待の相手たる彼女は、俺やレオン、それに秋塚がいるこちらへと駆け寄ってきた。
「ちょっと、怪我とかしてない?」
俺達に視線を巡らせたあとで、ルキアはまず俺に問うてきた。
「俺は大丈夫だ、けどレオンが……!」
ルキアは、レオンに視線を移した。
彼が負傷しているのは一目瞭然だろう。セレスの光線で右足首を貫かれ、レオンは立ち上がることもままならない状態だった。
何も尋ねようともせず、ルキアはただ息をのんだ。
彼女はレオンの目を見つめる。しかし、レオンはそれから逃れるように、視線を逸らした。
「今はまだ、何も訊かないでおくわ。でも、これが片付いたら説明してもらうわよ」
ルキアはそう言うものの、レオンの様子を見て経緯を察したようだった。
俺が見せたあの動画から確信を得たレオンは、秋塚への報復に走り、危うく奴を殺害するところだった。ドラゴンガードの規律はもちろん、ドラゴン三原則にも反する行為だったが、俺がどうにか説得したことで未遂に終わった。
何も言わなくても、状況からすでに、ルキアはそれを察しているように思えた。
俺に声を掛けたあとも、彼女は俺達のそばから離れようとはしなかった。無防備な俺達を、戦闘の余波から庇おうとしてくれているようだった。
「加勢しなくてもいいのか?」
ルキアの背中に、俺は問いかけた。
しかし彼女は振り返ろうとせず、サンドラとシェアト……それに姿は見えないが、セレスがいるであろう方向を注視し続けていた。
「あんた達に危険が迫った時のために、ここに誰かが控えていたほうがいいでしょう?」
思ったとおりだった。
レオンは負傷しているし、俺も所詮ただの人間だ。セレスが撃った流れ弾がこっちに飛んできたり、秋塚が暴れでもしたら、手に負えなくなるだろう。
ルキアは、そういったリスクを考慮してこの場にいてくれることにしたらしい。
「それに、私の能力ではたぶん、役には立てないと思うしね……」
「どういう意味だ?」
俺が問い返すと、ルキアは横目で俺を瞥見した。
「相手のドラゴン……姿が見えないだけでもう目の前にいるんでしょ? 私の鼻ですら嗅ぎ取れないのよ。嗅覚でバレないようににおいまで遮断するなんて、便利で面倒なステルス能力だわ」
薄々だが、ルキアの鼻があればセレスのステルス能力も見破って、現在位置を割り出せるのかとも思っていた。だが、そこまで甘い相手ではないらしい。
ふと、俺は気にかかったことがあった。
「そういえばお前、ドラゴンガードの仕事は……?」
「ああ、それなら心配ないわよ。ここに来る前に『代理人』を頼んだからね」
気づけば、ルキアの腕にはあのドラゴンガードの腕章が着けられていなかった。
青地に、白で盾のような模様が描かれたあの腕章だ。ドラゴンガードの仕事に従事する時は、外してはいけないと規則で定められているはずなのだが。
「代理人って?」
怪訝に思いながら、俺は問い返した。
詳しくは知らないが、ドラゴンガードの仕事に代理人なんて立ててもいいものなのだろうか?
「あんたもよく知ってる相手。先月の事件でサッカーゴールを食べた食いしん坊万歳。あの『貪食なる無法者』よ」
俺は思わず、目を見開いた。
記憶上、該当者はひとりしかいなかったので、それが誰なのかと問い返す必要すらなかった。
「それって、ファズマのことか?」
「っ……!」
ルキアは息をのんだ。
俺の口からファズマの名前が出てきたことが、意外だったようだ。
「あんたも会ったのね。そう、ファズマよ。私がここに向かわなきゃいけなくなったことを話したら、協力を申し出てくれたのよ。だから腕章を預けて、代理人を引き受けてもらったってわけ。こないだの償いに何でも協力するって言ってたから、お言葉に甘えたわ」
つまりルキアの腕章は、今ファズマの手に渡っているってわけだな。
ドラゴンガードの腕章を誰かに貸す……シルヴィア先生とかにそれがバレたりしたら、大目玉を食らうんじゃないかと思った。
しかし、そんなリスクはルキアだって重々承知のはずだろう。彼女が腕章を貸したのは、サボるためでも怠けるためでもない。
仲間が危険な目に遭っているかもしれない、同僚……つまりレオンが原則に反する行動に走っているかもしれない。その現場に駆けつけるためだ、多少怒られることは厭わない覚悟でこの場に赴いたのだろう。
俺だって模擬店をほったらかして来ている身だ。ルキアの決断に、言えることは何もなかった。
「そうだったんだな……」
ルキアから腕章を差し出され、ドラゴンガードの代理を頼まれるファズマの姿を想像してみた。
そりゃもう、無茶ぶりに等しかったに違いない。少なくとも、俺が同じ申し出を受ければ断るだろうと思う。
けど、引き受けてくれたらしかった。何でも協力するって言ったということは、ルキアが押し付けたというより、ファズマが進んで引き受けたんじゃないかと思った。
「だから今は、余計なことは考えなくてもいい。とにかくこの戦いに集中して、この場で収められなければ、学校祭にも被害が出るかもしれないんだから」
ルキアの言葉で、我に返った。
セレスというドラゴンは、金のために容赦なく人を傷つけるようなドラゴンだ。
そんな奴がこの場を離れようものなら、ルキアが言ったように学校祭にだって影響が出かねない。生徒や一般の人を傷つける恐れだって、十分に考えられる。
俺自身も含めて、学校祭は皆が楽しみにしていて、日々懸命に準備してきた大事な行事だ。
あんな奴に水を差されるだなんて、絶対にあってはならないことだ。
◇ ◇ ◇
「サンドラ!」
シェアトはそう叫び、その手の平を前方へと掲げた。彼女の額の宝石は、青い光を放ち続けていた。
「オーケー!」
シェアトの呼び声に応じ、サンドラが彼女の前に歩み出て背中に翼を出現させ、それを交差させた。
次の瞬間、飛んできた光線がそこに着弾し、盾となってサンドラとシェアトを守った。
シェアトは、すぐさま右手の人差し指と中指で前方を指す。
「サンドラ!」
「オッケー、シェイシェイ!」
交差していたサンドラの翼が開かれ、そこから多数の光弾が放たれる。
サンドラの能力のひとつである、羽を放つ技だった。超音波を除けば、サンドラはルキアの炎のような特殊なブレスを吐く能力は持ち合わせていない。しかしそれを補うように、翼を覆うように生えた羽毛のひとつひとつを光弾に変え、撃ち出す能力を備えているのだ。
サンドラが放った羽は、シェアトが指差した方向へと正確に射出された。
一見すれば、何もない場所に思える。しかし、狙いは正確だった。
「ちっ!」
どんな表情を浮かべているかは分からないが、明らかにだじろぐような声が発せられたのを、サンドラもシェアトの耳にした。
まるで透明な壁に当たったかのように、光弾が着弾するのを見た。
「小娘、その奇妙な目……俺の姿が見えているのか!?」
忌々しげな声とともに、どこからともなく黒い筒状の物体がサンドラとシェアトに向けて放られる。
自分の目を奇妙だと言われても、シェアトは一切反応しなかった。投げつけられた黒い筒が音を立てて黒煙を発しても、それが目の前をみるみる覆い尽くしていっても、表情を変えることすらない。
煙に毒性はなく、ただ視界を奪うための煙幕にすぎなかった。
「どんな能力かは知らないが、これで俺の姿は見えまい!」
勝ち誇ったように、見えざるドラゴンが叫んだのが分かった。
ステルス能力を破り、自分の現在位置を特定する能力を持つシェアト。どうやら、力の秘密が彼女の独特な瞳にあると判断し、発煙筒を用いて視界を遮断する作戦に打って出たようだった。特殊な視覚機能を備えた相手と対峙する場合に備え、常に発煙筒を持ち歩いていたらしい。
だが所詮そんな物は無意味だったし、的外れな行為だった。
「馬鹿な奴……」
呆れ果てたように、サンドラが吐き捨てた。
シェアトは再び、右手の人差し指と中指で前方を指した。
「サンドラ」
「あそこね、分かった!」
シェアトはサンドラの名以外、何も口にはしなかった。しかしそれだけで、シェアトの意志は伝わっていたのだ。
サンドラが再び、その翼から光弾を放った。
それは黒煙を押し退けるように飛んでいき、
「がっ、な、何っ……!?」
命中したのだろう、まただじろぐような声が発せられた。
サンドラは発煙筒を蹴り飛ばし、充満していた黒煙をその翼で振り払った。
「目くらましは、無意味です」
いくつものアクセサリーを打ち鳴らしながら、シェアトが前に歩み出る。
「そもそもわたし、生まれつき目が見えませんから……」




