第86話 駆けつける仲間達
「いいぞセレス、そのまま倒しちまえ……!」
固唾をのんで戦いを見守っていた俺は、秋塚が呟いた一言を聞き逃さなかった。
ドラゴンが人間を傷つければ原則違反だが、ドラゴンがドラゴンを傷つけることは制限されていない。それでも、秋塚の言葉は聞き捨てならないものだった。
俺は、この事件の元凶といえる男を睨んだ。こいつが教師であることなんて、もう完全に忘れていた。
秋塚が睨み返してくる。
「何だその目は、教師の恥とでも言いたいのか?」
「ああ、そのとおりだ」
俺は即答した。
先生に向かってこんな口をきくなんて、普段なら絶対にありえない。だがもはや、俺は秋塚への軽蔑の念を隠そうともしなかった。
ドラゴンと共謀して生徒を傷つけた挙句、自分のせいで片足が不自由になった生徒に対して『運が悪かった』と言い放つような男だ。そんな人間に向ける礼儀なんて、俺は持ち合わせていない。
レオンを止めておいてこんなことを言うのも何だが、俺がこの手でぶん殴ってやりたいくらいだ。
「ふん、お前に何が分かる……!」
秋塚は、ふてぶてしく鼻で笑った。
「何だと……?」
俺はどうにか、返答することができた。怒りを押し留めるのが大変だった。
「教師って仕事がどんなに大変か……時間外労働は多いし、休日も潰れるし、世間や親の厳しい目にだって晒される。今じゃ法も厳しくなって、馬鹿な生徒を無理やり黙らせることも許されなくなったんだ。たまったもんじゃねえんだよ」
屋上の地面に座り込んだまま、秋塚は言った。
生徒を預かる教師の仕事がどんなに大変で負担になるか、たしかにそれは俺には分からない。
昔……それこそ昭和とかの時代は、教師による生徒への体罰が当たり前だったと聞いたこともある。当時は子供の数も多く、力で押さえなければ学校教育が成立しない風潮もあり、それに体罰が今ほど問題視されていなかった側面もあったそうだ。
先生の中では古株だという秋塚も、きっとその時代を経験しているのだろう。
時代の流れについていけず、ストレスに身を任せて犯行に至ってしまった。そう考えることもできなくはなかったが、それが生徒ひとりの人生を潰す理由にはならない気がした。
当たり前のことだが、ひとりの少年を命を奪わずに殺したこの男に同情の余地はない。
「どんな理由を並べても、お前が健人にしたことを正当化できる材料にはならない」
レオンも、同じ意見のようだった。
俺の説得で復讐を思い留まってくれた彼は、依然と同じ冷静な声色に戻っていた。しかし秋塚に向けられた眼差しは鋭く、決して怒りを失ってはいないことが感じ取れる。
「ドラゴンを教唆して犯罪に加担させることは重罪だ。お前の罪、一生掛かっても償い切れるものじゃないぞ……!」
まばたきもせず、レオンは言い放った。
さっきやろうとしたように、内心では自分の手で秋塚に手を下したいだろう。目の前にいる家族を傷つけた男に、今この場で罪を贖わせてやりたいだろう。
だが、きっとそれが許されないということに気づいた。気づいてくれたはずだ。
正義に尽くすドラゴンガードであるレオンならば、しかるべき場所で裁きを受けさせなくてはならないということは、すでに承知のはずだった。
「っ……!」
レオンの剣幕に気圧されたのだろう、秋塚は俯いたまま、もう何も言わなかった。
この男は、もう逃げられない。
レオンは負傷していて、立ち上がることもままならない状態だ。それでも、秋塚ひとりをこの場に足止めしておくことくらいはできるだろう。
俺は改めて、サンドラのほうへ視線を向けた。
戦況はどう見ても、彼女に不利だった。セレスというドラゴンにじわじわと追い詰められ、一方的に攻撃を受け続けているように見えたのだ。
このままでは、まずい……!
秋塚をレオンに見張ってもらい、助けを呼びに行こうと考えた。ルキアなら事情も知っているだろうし、きっと無駄な説明は省いてすぐに来てくれるはず……そう考えて、俺は立ち上がった。
その行動も、そしてサンドラへの心配も不要だったと知るのは、そのあとすぐのことだった。
◇ ◇ ◇
「どうして、あんな男に加担したわけ……!?」
攻撃が途切れた一時を見計らって、サンドラは問いかけた。
戦闘開始時点から変わらず、セレスはステルス能力を行使し続けていた。だからその姿をサンドラは見ることができなかったが、彼女の声は間違いなく届いているはずだった。
「何……?」
光線は止んでいたが、それでもサンドラは警戒を解きはしなかった。
姿を消しての攻撃という姑息な手段を用いる相手だ、いつ不意打ちを仕掛けてくるか分からない。
「無理やりやらされているだなんてことはないでしょ、人を傷つけるのが原則違反になるのは分かってるはず、それなのにどうして!」
ドラゴンは人を傷つけてはいけない、それは第一の原則であり、基本中の基本ともいえる事項だ。
実行犯であるセレスは、決定的に重要な役割を果たした。彼が秋塚に従わなければ、健人というレオンのホストファミリーが人生を潰されることもなかったし、レオンが復讐に駆り立てられもしなかった。それに、こんな戦いだって起こらなかっただろう。
秋塚の命令(もしくは依頼だったのかもしれないが)とはいえ、セレスはそれを拒否することができたはずだ。
セレスは答えなかった。どんな顔をして耳を傾けているのかすら、分からない。
「秋塚に従わなきゃならなかった理由でもあるってわけ?」
「そんなもの、ない」
セレスは、サンドラの質問を一蹴した。
「俺はただ、金を受け取れればいいだけだ。人間界で遊ぶには金が必要だからな、それが貰えるなら何でもよかったわけさ。あの小僧があれほどの重傷を負うとは予想外だったが、別に俺とは何も関係のない奴だ。どうなろうと知ったことではない」
あの小僧、つまり健人のことだろう。
期待など最初からしていなかったが、セレスが原則違反を犯した理由は至極くだらないものだった。あのドラゴンは、ケチな金欲しさに秋塚の言いなりになった。
夢も将来も潰された健人のことを思えば、こんな理不尽な話はなかった。もしも彼が命を落としていようものなら、それでもすまないはずだった。
「そんな、そんなことのために……!」
サンドラは、ギリッと拳を握りしめた。
何か事情でもあったのかとも思ったが、やはりそんなものはないらしい。
本気を出すことに、ためらいはなくなった。どんな小細工を使われようが、力ずくで叩き潰せばいいという結論に達した。
サンドラの身体が光に包まれ、風が吹いていないのにその髪やドレスが揺れ始める。
「そんなことのために、人の命を危険に晒したっていうのか!」
怒りそのものを吐き出すような叫び声とともに、サンドラは変身しようとした。
しかし、直後に。
「サンドラ!」
その呼び声に、サンドラは上空を見上げた。
ふたりの少女が背中に翼を出現させ、それを羽ばたかせながら滞空していた。
ルキアとシェアト――ともに、サンドラと同じドラゴンガードとして働いている同僚であり、仲間だった。
「ルッキィ、シェイシェイ……!」
自分が付けた愛称で、サンドラは彼女達を呼んだ。
この場にふたりが駆けつけたことに、驚きを隠そうともしない。
というのも今は学校祭の最中であり、ルキアにもシェアトにもそれぞれの持ち場があるはずだった。勝手に離れることは、許されていないはずだった。
まずは、シェアトがサンドラの近くへ降り立った。地に足を付けるのとほぼ同時に、青い翼が彼女の背中から消失していく。いくつも身に着けたシェアトのアクセサリーが、独特の音を奏でた。
シェアトに続くように、ルキアも屋上に降り立った。
「助けに来たよ……」
シェアトは、被っているベレー帽に手で触れた。
さっきサンドラを呼んだのは、彼女だった。
「シェアトさんが教えてくれたの。もしかしてと思って来てみたけど、やっぱりね……」
ルキアは、周囲を見渡した。
智やレオン、それに秋塚も視界に入ったようだ。それだけで経緯を察したらしく、ルキアはサンドラに状況を尋ねてくることはなかった。
「傷だらけじゃない、最初から私達を呼んでくれればよかったのに……」
サンドラが負傷していることに、ルキアは一目で気づいたようだ。いや、気づかないほうが無理な話だろう。セレスの光線で付けられたサンドラの傷は、隠そうとしても隠せるものではない。
傷自体は大したものではなかったが、このままでは致命傷を負うのも時間の問題だった。ルキアとシェアトが来てくれたことに、サンドラは素直に感謝しなくてはならなかった。
「ルッキィとシェイシェイにだって、仕事があるでしょう? 巻き込んだら申し訳ないと思ってさ。でも……来てくれてありがとね」
「お礼なんてしなくていいよサンドラ、仲間でしょ?」
サンドラに応じながら、シェアトが前に歩み出た。
彼女は、深めに被っていたベレー帽を上げた。彼女の額に付いた菱形の宝石が、その姿を覗かせる。
「ルッキィ、シェイシェイ、気をつけて。相手は姿を消す能力を持っているドラゴンなの、不意を突いて襲ってくるよ」
駆けつけてくれた仲間達に、サンドラはこれまでの戦闘を踏まえたうえで警告した。
ステルス能力に加えて、光線という素早く、そして威力も高い攻撃方法を有する相手だ。サンドラも致命傷は免れたが、急所に命中させられれば戦闘不能に追い込まれることは間違いなかっただろう。
姿が見えないだけで、敵は今も目の前にいる。今この瞬間にも襲い掛かる算段を整えているに違いなく、いつ攻撃を仕掛けてくるか分からない。
サンドラはそれを伝えたかったのだが、ルキアもシェアトもそれを察してくれたようだった。
「大丈夫……わたしの能力は知ってるでしょ?」
敵は非常に特異かつ、危険な能力を有するドラゴンだ。サンドラの説明を受け、シェアトもそれを理解しているはずだった。
それでも動じる様子を見せず、シェアトはピアニストのように細い指先で、額の宝石に触れた。
すると、宝石が青い光を放ち始めた。




