第84話 見えざるドラゴン
暫定的とはいえ、一件落着だと感じた矢先だった。
いきなり発せられた光線に、それによって足首を貫かれたレオン。何者かが襲撃を仕掛けてきたことは、考える間もなく理解できる。
ならば突然、ここに襲撃者がいるはずだった。さっき秋塚と話していた、聞き覚えのない声の持ち主。それこそが襲撃者と考えて間違いないだろう。
しかし、屋上のどこを見渡しても、その姿が見えないのだ。
どういうことだと思っていた矢先、
「さとっち、ここからはもうあたしに任せて」
サンドラが、俺の前に歩み出てきた。
そう命じつつも、彼女は周囲に視線を巡らせていた。姿の見えない敵は、いつ襲ってくるか分からない。
不意の攻撃に備え、常に周囲を警戒する必要があるのだろう。
「で、でもサンドラ! お前ひとりじゃ……!」
その様子から見て、サンドラにも相手の姿は見えていない。
秋塚に加担している、セレスなるドラゴン――それがどんな奴なのかは分からないが、レオンの足首を貫くほどの光線を放つ能力まで持ち合わせている。攪乱に加えて、強力な攻撃手段を有するドラゴンだ。
この状況下で俺に何ができるのかと問われれば、返答に困るのは間違いなかった。
しかし、サンドラひとりにそんな奴の相手をさせるのは、荷が重いではないのかと感じたのだ。
「心配しないで、あたしの強さは知っているでしょ?」
いつもどおりの弾んだ声で、サンドラは俺の懸念を払い飛ばした。
厄介なドラゴンが目の前にいる(姿が見えないので確信は持てないが)というのに、友達と語らうような陽気さが感じられた。
とはいえ、彼女の言うとおりであることは間違いない。
ファフニール……つまりファズマの一件の際、俺はサンドラの戦う様子を目の当たりにした。
弾丸のごとき勢いを伴った蹴りであの巨体を吹き飛ばし、翼に加えて下半身をドラゴンの姿に変じさせて、さらに鋭いかぎ爪で追い詰め、最後には音響兵器のごとき超音波で勝負を決めた。
腕利きのドラゴンガードであると聞いていたが、それを真実たらしめる戦いぶりだった。
「レオンのこと、止めてくれてありがとう。あたしじゃきっとできなかったと思うから……だからもう、ここからはバトンタッチね」
その言葉に、レオンが顔を上げた。
「サンドラ……」
レオンは、光線で貫かれた足首を押さえたまま地面に伏していた。
血は出ていない(ドラゴンだから、出ないのかもしれない)ようだが、それでも痛みは強いらしく、彼の表情は苦悶に歪んでいた。
丸投げするようで申し訳ないのは間違いない。けれど、この場で戦えるのはもう、サンドラだけだ。
「分かった、レオンのことは俺が見ておくよ」
この後のことは、サンドラに託すのが賢明だった。
◇ ◇ ◇
不利な戦いであると、サンドラは身をもって理解していた。
これから彼女が相手取るドラゴンは、姿を消す能力を備えている。それはつまり、コカトリスたるサンドラが有する並外れた視力が役に立たない……とまでは言い切れなくとも、真っ向から相反する能力であることに変わりはないからだ。
火に水をかければ消えてしまうように、サンドラの視力はステルス能力にかかれば無力化されてしまう。
見えざるドラゴンとの勝負――腕利きのドラゴンガードたるサンドラであっても、そのような戦いは経験したことがない。
「まずは、お前からか?」
姿の見えないドラゴン、セレスの問いかけに、サンドラは頷いた。
「まあね。ところで、姿くらい見せてくれない? 挨拶は面と向かってするのが礼儀ってもんでしょ?」
このような最中にあっても、サンドラは挑戦的に言い放った。
常に周囲への警戒は続けており、襲われればすぐに対処できるようにしていた。
「これから潰す相手に、挨拶など必要ないだろう」
「それもそっか、もっとも……潰されるのはそっちだと思うけどね!」
セレスはもう、答えなかった。
周囲を警戒し続けていたサンドラ、彼女は自身の視界に緑色の閃光が映ったのを捉えた。
サンドラは、レオンの足首が光線に撃ち抜かれる光景を目の前にしていた。だから、これから何が起きるのかは容易に想像がついた。
放たれた光線は、猛スピードでサンドラの顔面目掛けて飛んできた。
「っ!」
視認してから着弾までの猶予は、一瞬にも満たなかった。
しかし警戒していたことが功を奏し、サンドラは素早く顔を横へ逸らすことで光線をかわした。顔にこそ当たらなかったものの、ポニーテールに結われたマゼンタの髪の一部が焼き切られる。
高出力の熱エネルギーを伴った光線だった。喰らえばどうなるかは、考えるまでもない。
「まさか、これを避けるとはな」
どこからともなくセレスの声が聞こえた。
サンドラはすぐさま体勢を立て直し、光線が飛んできた方向に向き直る。少なくとも、発射地点はその方角のはずだった。
「そっちは、まさか外すなんてね。姿まで消してるのに仕留め損ねるなんて、とんだノーコンじゃない?」
煽り立てるような言葉を、容赦なくセレスへ投げつけるサンドラ。
しかし、さきほど回避に成功したのは幸運の賜物と言って間違いなかった。偶然彼女の視界に光線の光が映り、とっさに顔を逸らしたことが功を奏したに過ぎないのだ。
もしもサンドラの目が光線を捉えていなければ、もし一瞬でも回避の動作が遅れていれば。あの光線は、サンドラの顔面を焼き貫いていただろう。
九死に一生、という言葉を絵に描いたような状況だった。
そう感じていることを悟られないよう、平静を装った表情を取り繕うとしていたのだが、
「そう言っている割には、表情から余裕が薄れているようだがな……」
セレスには、心中を見透かされているようだった。
サンドラは何も言わず、身構えた。一瞬の油断もできる相手ではない。
「心配するな……ノーコンかどうかは、これから存分に確かめさせてやる」
次の攻撃は、その言葉の直後に発せられた。
再び放たれた光線を、サンドラは地面を蹴り、身を横へ跳ねさせるようにして回避していく。
一発かわそうとも、直後には追撃が襲ってくる。気を抜く猶予は、一切与えられなかった。光線が着弾すれば……いや、光線に少しでも触れようものなら、かなりの痛手を負うこととなるのは間違いない。
(あと少し……!)
攻撃するセレスと、回避するサンドラ。
一方的といえる戦況ではあったものの、サンドラは立場を逆転させる機会を狙っていた。
光線が発射される際には、必ず前触れに光が見えた。姿は消せても、セレスはその光まで隠すことはできないらしい。前触れさえ見逃さず、さらに即座に回避行動に移れば、光線をかわすのは不可能ではなかった。
しかし、決して誰にでも可能な芸当ではない。優れた視力と運動能力、それに戦闘経験を併せ持つサンドラだからこそ、セレスの光線に身を焼かれずに済んでいるのだ。
「そんなもの、当たらなきゃ何の意味もないよ」
サンドラに言われずとも承知だったらしく、セレスは光線の繰り出し方を変じさせた。
それまではサンドラを直接撃ち抜くように発射していたのだが、今度は光線をどこかに射出させ、それを左右に振り抜くようにしてきた。つまり、光線を剣のように振ってサンドラを切り裂こうとしているのだ。
しかし、それもサンドラの想定内だった。
「ふっ!」
サンドラはその場でしゃがみ、光線による一閃をかわした。
低い位置を狙って追撃が繰り出されるが、それは後方へ飛び退くようにして避ける。
「そんなもの、もう見切ったよ!」
どこにいるかも分からない相手に向けて、言い放つ。
サンドラの言葉は、決して偽りや出まかせではなかった。
飛び退いた直後、空中の彼女の狙い撃つ形で光線が放たれるが、サンドラは器用に身を翻してかわす。その勢いを止めないまま、彼女は両手から着地した。そのままアクロバティックにバク転し、続けざまに放たれた光線も難なく避けた。
体操選手顔負けの運動神経だが、無意味にそれを披露しているわけではない。光線が着弾する地点をすべて先読みし、回避の算段を組み上げての行動だった。
最後の光線を、サンドラは体を大きく後方へ反らす形で回避した。自分の顔のすぐ上を、目標を失った光線が通過していくのが見えた。
(よし、今!)
サンドラはそのまま後転し、背中に翼を出現させて飛び上がった。
いつまでも好き放題させているつもりはなかった。
(やっぱり、あいつのステルス能力は完全じゃない!)
防戦一方に見せかけて、サンドラは反撃の機会を狙っていたのだ。
そのためにはまず、セレスの現在地を割り出す必要があった。当初は光線の発射地点を狙えばいいと思っていたが、より確実な方法があった。
かすかではあったものの、サンドラの目はセレスの姿を捉えていた。
ステルス能力を行使している以上、視認することはもちろん容易ではない。しかし、セレスは完全に姿を消しきれてはいなかったのだ。
ガラス板を通して向こうを見ているかのように、空間が歪んでいる場所があった。
あそここそが、セレスの現在地に違いなかった。
(不意を突けば、きっと成す術はないはず……!)
セレスは、サンドラが飛び道具を有していることを知らないはずだった。
コカトリスは超音波という強力な切り札を有しているが、それ以外にも武器はある。そう、彼女の羽だ。
羽を光弾に変えて、無数に撃ち出す――威力も速度もあるこの攻撃方法であれば、遠距離から攻撃してきているセレスにも命中させられるはずだとサンドラは考えた。
光線は見切ったし、現在地も掴んだ。
この勝負、制したとサンドラは思いつつ、羽を広げて光弾を放とうとした。
「っ!?」
しかし、サンドラの翼から光弾が放たれることはなかった。
否、彼女は放つことができなかったのだ。
突然の衝撃に全身が震え、右肩に痛みが突き抜けるのを感じた。サンドラは体勢を崩し、たちまち屋上の地面へと落下した。
「ぎっ……!」
落下時の衝撃は、大した痛手にはならなかった。それよりも問題なのは、突如サンドラの右肩を襲った痛みのほうだった。
サンドラが光弾を放とうとしたまさにあの時、後方から射出された光線が一直線に彼女を貫いた。
前方からではなく、彼女の死角を突くように発射されたそれを、サンドラは回避どころか予期することさえできなかったのだ。
右肩を押さえながら、サンドラはどうにか立ち上がる。
うしろに視線を向けてみるが、もちろんドラゴンの姿はない。そこにはただ、屋上の風景が広がっているのみだった。
(どういうこと……?)
光線が発射される際、必ず前触れとなる光が発せられるのをサンドラは目にしていた。
しかし、今の光線はそれが見えず、しかも背後から飛んできた。
組み上げたピースがバラバラにされるように、サンドラの分析が根底から覆されてしまった。どういうことなのかと、思案を巡らせていた時だった。
「『当たらなきゃ何の意味もない』、か……つまり、当たれば意味は大いにあるってことだよな?」
今のサンドラの状態を嘲笑うかのように、セレスの言葉が聞こえてきた。
ステルス能力で姿を消している以上、表情など一切見えないはずだった。しかしサンドラには、相手が悪意ある笑みに顔を歪めているのが手に取るように頭に浮かんだ。
この勝負、制した。
ほんの数分前、サンドラはたしかにそう感じていた。しかし、否応なく取り消さざるを得なくなった。
見えざるドラゴンは、一筋縄でいく相手ではなさそうだ。




