第82話 決死の説得
誰が見ても、自殺行為だっただろう。だが、そんなことは俺自身が一番よく分かっているつもりだった。
それでも俺は、この場に立たなくてはならなかった。秋塚の息の根を止めようとするレオンの前に、立ちはだからなければならなかったのだ。元凶こそ秋塚にあるのかもしれないが、こうなってしまった責任の一端が俺にはある。
いや、一端どころじゃないかもしれない。証拠となる動画を不用意にレオンに見せたことで、彼が報復に突き進む理由を作り出してしまったのだ。もちろん、俺にはそんなつもりなどなかった。ただ、真実を伝えたい一心だったのだけれど……ルキアにも言われたとおり、俺の行動は完全にマズっていた。
だから、身をもってレオンを止めなくてはならなかった。
止められるかどうかなんて分からない。単純に考えれば、人間である俺がドラゴンであるレオンに敵うはずがない。
「何の真似だ?」
俺は両手を広げたまま、イフリートに変身したレオンを見つめ続けた。
恐怖で、まばたきすらできなかった。
当然だろう。レオンは、ドラゴン三原則を破ってでも秋塚への復讐を成そうとしている。必要とあらば、邪魔者である俺を蹴散らすこともためらわないはずだ。
原則に縛られていないドラゴン――今のレオンは、はっきり言って猛獣と変わらない存在だ。いや、猛獣よりもよほど強大で、俺の抗いなど通じるはずのない相手なのだ。
「さとっち……!」
俺の身を案じたのだろう、サンドラが呼び掛けてきた。
彼女には申し訳なく感じた。ここに赴く前、『くれぐれも無茶はしないで』と忠告を受けていたが、さっそくそれをふいにしてしまったのだから。
両手を広げたまま、俺はサンドラを瞥見する。
「悪いサンドラ、少しだけでいい……俺に時間をくれないか」
サンドラは、その背中に翼を出現させたまま身構えていた。
俺に危険が及ぶ状況に陥れば、すぐさま助けに入ろうとしてくれているのが分かる。
今この場で、レオンを止められるのはサンドラだけだろう。俺と秋塚、それにサンドラ。今ここにいるレオン以外の三人で、ドラゴンであるのは彼女ただひとりだった。
俺とレオンに交互に視線を巡らせたあとで、サンドラは小さく頷いた。
「そこをどいてくれ。その男は……!」
「ああ、分かってる」
俺は首を横に振って、レオンの言葉を否定した。
「信じたくはなかったけど、さっきの自白で確信が持てた。こいつが……秋塚がお前の家族を傷つけた犯人なんだろ?」
もはや俺は、秋塚を教師として見ていなかった。だから呼び捨てにすることも、『こいつ』呼ばわりすることも厭わない。
レオンだって同じ……いや、俺以上に秋塚を許せないと思っているに違いなかった。
「レオン、悪かった」
「何だと?」
レオンには、俺の謝罪の意味が分からなかったのだろう。
「俺は別に、お前のことを煽って復讐に走らせようとしたわけじゃない。ただ、事故の真相を知ってほしかっただけだった。だけど、結果的にお前にこんなことをさせちまって……」
「何を言っている? 君にはむしろ、感謝しているよ」
俺の言葉を遮るように、レオンは口を挟んだ。
感謝していると言ったものの、その表情は険しく、威圧感が滲んでいるように感じられた。
「その男が俺の家族を……健人を傷つけた張本人だという証拠を、君はわざわざ俺に提示してくれたんだ。お陰で俺はやっと、健人の恨みを晴らすことができる。片足を不自由にされ、スポーツ大学への進学も棒に振らされ、命を奪わずに殺された健人の仇を討つことができるんだ!」
俺は思わず、一歩後ずさった。
「だ、だから、そんなに傷つけるつもりなんてなかった! 少し痛めつけてやろうと思っただけで、あれほどの重傷を負わせる気なんて微塵も……あれは、不幸な事故だったんだ!」
うしろにいた秋塚を、俺は振り返って睨みつけた。
余計なことを言いやがって……! こいつ、自分のやったことの重大さをまだ理解していないのか!?
バキン、という何かが砕けるような音が響き渡り、俺はまたレオンのほうを向いた。彼の足が、地面に深々とめり込んでいたのだ。
「黙りやがれ、このゴミクズが!」
クールな印象だったレオンからは想像もできないような、凄まじい怒声。秋塚の発言が、弁解どころかむしろ火に油を注ぐ形となった。
レオンが咆哮を上げた。
ドラゴンの咆哮は宣戦布告の合図……くそっ、マズい!
「やめろレオン、お前の家族が復讐なんて望むと思うか! お前が罪を犯せば、家族はきっと悲しむはずだ……!」
一触即発なこの状況で、逃げ出さずにレオンの前に立っていること自体が奇跡のように思えた。
不思議だったのだが、俺には離れるという選択肢が浮かばなかったのだ。レオンがその気になれば、俺なんてたやすく葬り去ることができる。さっきも感じたが、俺の今の行動は自殺行為としか言いようがなかった。
どうして俺は、命を投げ打つ覚悟でレオンを止めようとしているのか?
「黙ってそこをどけ! どかなければお前ごと秋塚を葬る……! ドラゴン三原則があるからといって、俺がお前を傷つけないと思っているのなら、大間違いだ!」
レオンの剣幕に、俺は一瞬引きそうになったが……それでも踏み留まった。
突き上がってくるような感情に流されるまま、口を開く。
「本当に、そんなことができるのか!?」
レオンの怒声にも劣らない声で、俺は反論した。
返答はなく、一時の沈黙が訪れる。
静けさの中、思案を巡らせてみた。ああ、そうか……俺がどうしてここまでして彼を止めたいのか、やっと分かった。
「レオン、このあいだお前……女の人とその娘さんを助けただろう?」
沈黙をこじ開けるようにして、俺は穏やかに語りかけた。
言及しているのは、俺とルキアでみりんを買いにデパートに向かった時に遭遇した事故のこと。高齢者が車を暴走させ、危うく女性とその娘さんを撥ねるところだった、あの一件だった。
現場に居合わせたレオンの活躍で、ふたりは事故に巻き込まれずに済んだ。
「それが一体何だっていうんだ? ドラゴンガードである以上、あんなのは当然のこと……!」
「当然なんかじゃない、お前は、自分がやったことがどれだけ尊いことか分かっていない!」
レオンは、黙った。
俺は、まばたきもせずにレオンを見据えていた。
「もしあの場でお前が助けなかったら、あのふたりは車に撥ね飛ばされて……そうなっていたら、あのふたりの命はあそこで終わりだった。それだけじゃない、家族、友達、知り合い……あのふたりに関わりがあるすべての人に影響があったんだ」
人はいつか、命を失う。
その人の最期がどういう形で訪れるのかは誰にも分からないし、誰にも想像できない。
しかし、もしもあの場にレオンがいなかったら。彼が助けなかったら……言ったように、あの女の人と娘さんの命は、あそこで終わっていただろう。何の罪もない、恨まれることをしたわけでもない。ただ車が暴走した現場に居合わせたというだけで、命を奪われていただろう。理不尽だなんて言葉では、到底表せられるものではない。
そんな現実を押し退け、ふたりの命を繋いだレオン。彼の功績は、とてつもなく大きいものだった。
動機を考えれば、彼が報復に走ろうとするのは至極当然に思えた。
俺もレオンの立場になれば……いや、きっと誰だって同じだと思う。それでも俺は彼を止めたかった。
人のためを思って行動できる彼に、復讐なんてしてほしくなかったのだ。
「そのことを理解して、お前はドラゴンガードの仕事に向き合ってきたんじゃないのか? 命がどれほど重たいかを知っているからこそ、死に物狂いで人助けをしてきたんじゃなかったのか?」
わずかではあったけれど、頑なだったレオンの表情に動揺が浮かんだのが見えた。
俺は、彼の片腕を指差した。ドラゴンの姿に変身していても、レオンの腕にはドラゴンガードの腕章が巻かれたままだった。青色の地に白で『DRAGON GUARD』と記され、盾のようなマークがプリントされた腕章――ドラゴンガードの腕章だ。
レオンにとって、それは自身の誇りそのものであるはずだった。
「その腕章着けて、人を傷つけられるのかよ!」
レオンは視線を落とし、身を震わせていた。
復讐すべきか、それとも中止すべきか……揺れ動いているのが分かった。
「だ、黙れ……! 俺が敵を討てば、きっと健人だって喜ぶはずだ。そうに決まってる!」
再び顔を上げると同時に、レオンは言った。
喜ぶだと、本気でそう思っているのか……!?
「俺の邪魔を……するな!」
血を吐くような叫びを上げながら、レオンが真正面から俺に向かって突進してきた。
ドラゴンの力を俺にぶつけられれば、命などないことは百も承知だった。だけどどうしてだか、俺には逃げるという選択肢が浮かばず……迫ってくるイフリートを睨みつけながら、ギリッと拳を握りしめた。




