第79話 シェアト
校内に戻った俺は、そのままサンドラを追いかけた。
サンドラのカールしたマゼンタの髪や、腰にリボンが付いた赤いドレスは人混みの中でもよく目立っていた。だから、見失うことはない。それでも、ドラゴンである彼女と俺とでは足の速さに大きな差がある。サンドラの後ろ姿はぐんぐん遠ざかっていき、見えなくなりそうだった。
廊下をひた走り、サンドラは校舎裏手のほうへと向かっていた。さっき真吾は裏手の階段を上る秋塚を見たと言っていたので、そっちを捜索するつもりなのだろう。
一般開放されていない場所に出て、周囲に人気はない。
ここでなら、誰の目にもつかない――それを確認した俺は、ひた走るサンドラに呼びかけた。
「サンドラ!」
サンドラは足を止め、俺のほうを振り返った。
俺が追ってきているとは思わなかったのだろう、彼女は驚きに表情を染めた。
「さとっち、お店はどうしたの……!?」
模擬店をほっぽり出してまで追ってきた俺に、サンドラは問いかけてきた。
彼女がそう言うのも分かる。今こうしているあいだにも、七瀬や真吾、それに他のみんなは忙しい思いをしているはずだ。あれほど多くの客が並んでいたのだから、俺ひとり抜けただけでも影響は大きいはずだった。
そんなに長い距離を走ったわけではなかったが、必死にサンドラを追いかけてきたので、息が荒いでしまっていた。
弾むような呼吸をどうにか整えつつ、俺はサンドラと視線を重ねる。
「抜けてきちまった。一緒に探させてくれないか、俺もレオンを見つけたい理由があってさ……!」
「何言ってるの、そんなのダメに決まってるでしょ!」
眉の両端を吊り上げて、サンドラは俺の提案を拒否した。
陽気な彼女からは想像もつかない剣幕と、強い口調。至極当然に思えた、普段は明るい女の子に見えても、サンドラはルキアより長くこの高校に勤めている、腕利きのドラゴンガードなのだ。生徒が仕事を放棄してどこかに行くのは容認できないだろうし、それに仕事柄、一般人である俺を巻き込むわけにはいかないのだろう。
彼女の腕に着けられたドラゴンガードの腕章が、そのことを物語っているように思えた。
しかし、
「って、言ってみても……聞かないんだよね?」
次の瞬間にはもう、サンドラの語気は弱まっていた。
両手を腰に当てつつ、彼女は諦め……というよりも、納得したような面持ちを浮かべる。
「ルッキィから事情は聞いてたよ、もしさとっちがそう言い出したら、許してやってほしいって。ケジメをつけたいんでしょ?」
驚いた。
まさかルキア、サンドラに口利きしておいてくれていたのか。
「ああ。悪気はなかったんだけど……もしレオンが報復に走ろうとしているなら、俺にも責任の一端はあるわけだからさ」
きっとサンドラは、ルキアから諸々の事情について聞かされているのだと思う。
この場で長々と説明する必要はないと感じた。それに状況を考えれば、そんな余裕もないはずだ。だから俺は簡潔に述べたのだ。
サンドラは小さく頷いた。
「くれぐれも、無茶はしないでね?」
彼女のその言葉は、許可の証であると俺は解釈した。
サンドラは踵を返し、横目に俺を見ながらサムズアップで後方を指した。彼女は何も言わなかったが、『ついて来て』という意思表示に感じられた。
駆け出した彼女の背中を、俺は追った。
「でも、どうやってレオンや秋塚を探すんだ?」
手掛かりに乏しい中、この校内から特定の人物を見つけ出すのは容易ではないように思えた。
「それは大丈夫。任せて、『アテ』があるから」
校舎裏手の階段を上り続けるのかと思いきや、サンドラは教室があるほうへと向かった。
そこは一般開放されていく区画であり、多くの人々で賑わっている。
「あ、いたいた。ほら、あの子!」
立ち止まったサンドラが指差した先には、多くの一般客や生徒に混ざる形で、ドラゴンガードの腕章を着けたひとりの女の子の姿があった。
一般客と何か話しているようだ。
「お手洗いはあちらです、あの角を曲がったらすぐ右手に……」
彼女の言葉を聞いた一般客が、お礼を言って去っていく。
そんな彼女にサンドラが駆け寄り、俺もそれに続いた。
「シェイシェイ!」
サンドラが声を上げると、その子は俺達のほうを向いた。
シェイシェイ……って中国語みたいだなと感じたけれど、言わないでおこう。
「サンドラ……どうしたの?」
小さな声で、彼女はサンドラに応じる。
青いロングスカートやベレー帽が目を引くその子は、やはり青い髪を束ねて結び、それを左肩の前に垂らしていた。声色といい見た目といい、いかにも控えめでおとなしげな印象の子だ。
俺は見覚えもなかったが、ドラゴンガードの腕章を着けているので、ドラゴンであることに間違いないだろう。
「シェイシェイごめん、ちょっと力を貸してほしいの」
そう告げた直後に、サンドラは俺とその子の顔を交互に見つめた。
「さとっち、この子『シェアト』っていうの。あたしやルッキィと同じ、この学校のドラゴンガードの子なんだ」
どうやら俺と彼女が初対面であることに配慮し、本題より紹介を先にしてくれたようだった。
シェアト……それでサンドラからは『シェイシェイ』って呼ばれてるのかと、俺は納得する。
「あ、その……わたし、シェアトと申します。以後よろしくお願いします……」
おずおずとした感じで、彼女……シェアトは頭を下げてきた。
「あ、ああ。こちらこそよろしく……」
かしこまっているというか、お堅いというべきか。そんな彼女の様子につられたようで、俺の挨拶も無意識に小さくなってしまっていた。
控えめでおとなしげな子、という俺が抱いた第一印象は間違いじゃなかったらしい。陽気で社交的なサンドラとは正反対で、シェアトはコミュ障な気質のようだ。
しかしながら、サンドラが彼女を頼っているのは間違いない。どんなドラゴンなのかも分からないけれど、きっと有用な能力の持ち主なのだろう。
「シェイシェイごめん、レオンのことを探してくれない?」
「え、レオンを……?」
サンドラが本題を切り出し、シェアトは目を見開いた。
その時俺は思わず、シェアトの目をまじまじと見つめた。
彼女の目が独特だったのだ。無色透明で、ほのかに虹色が含まれていて……ダイヤモンドのようだった。
綺麗だとは思った。しかし何というか、うまく表現できないけれど……彼女のような目は見たことがない。どことなく空虚さを感じさせるシェアトの瞳は、そもそも像を結ぶのを目的としていないかのようにも感じられた。
……いや、考えすぎか。彼女の独特な目は、ただ種族的な特徴なのだろう。そういうドラゴンだということ、それだけに違いない。
「分かった……」
事情も聞かされていないであろうシェアトには、きっと突然の申し出だっただろう。
しかし彼女は何も訊かず、被ってるベレー帽を少しだけ上げた。彼女のおでこが覗くと同時に、額に付いた菱形の宝石のような物体が姿を覗かせた。
何らかの装飾品かと思った。
それもそのはず、シェアトは数多くの装飾品を身に着けていたからだ。耳には菱形のリング状のピアス、首にはチョーカー、両腕にブレスレット、さらに腰にはロングスカートに繋げる形で、チャームのようなアクセサリーまでぶら下がっていた。
それらはすべて銀色で、彼女の青い服装が合わさり、一層に引き立っているように思えた。数々の装飾品は、シェアトがほんの少し動くだけでも揺れ動き、チリンチリンと耳心地の良い音を鳴らした。
控えめな性格とは裏腹に、光物を好むのだろうか?
それを問う暇は、なかった。
シェアトの額の宝石が、青く光を放ったと思うと……彼女は周囲をキョロキョロと見渡し始めた。
どうする気なんだ? シェアトの能力も何も知らない俺は、思わず問いかけそうになった。しかし俺が何かを言うより先に、シェアトが再度こちらを振り返った。
ベレー帽を元の深さに被り直して、彼女は額の宝石を隠す。
「どう、見つかった?」
サンドラが問いかけると、シェアトは頷いた。
また、彼女のピアスやチョーカーが揺れ動いて音を鳴らした。
「レオンは今、屋上にいるよ。もうひとり、誰か人がいるみたいだけど……」




