第77話 幕を開ける学校祭
そんなこんなで、いよいよ学校祭当日が訪れた。
準備期間が始まった頃は、猶予なんてたっぷりあると思っていた。しかし、準備に精を出す毎日はいつも以上に濃密で、思い返せば日々があっという間に過ぎ去っていった。
校門も中庭も飾り付けられて、模擬店の露店が立ち並んで……毎日見ている学校の風景とはまったく違う。正直、同じ場所だとは信じられなくなるくらいだ。
学校生活の中でも五本の指に入るであろうビッグイベント、いよいよ始まるんだなと思うとワクワクした。準備はもちろん大事だったが、これから始まる学校祭本番はそれ以上に重要だ。
俺の今日の一番の仕事は、模擬店を成功させること。
これまでの努力を実らせるか、無駄にするか。代表である俺は、それを左右する重要なポジションにいるのだ。
「智、おはよう。ねえちょっと、こっち来て」
いつもどおりの時間に登校し、教室に向かう途中で七瀬に呼び止められ、手招きされた。
彼女は早めに来たようで、すでに学校指定のジャージとクラスTシャツに着替えていた。学校祭の時は、その格好でいることが規則となっていたのだ。
「どうした?」
「ほらほら、あれ!」
疑問に思いながらついていくと、廊下の壁に貼られた一枚のポスターが目に留まった。
大いに見覚えがある……当然だった。俺がデザイン案を出して制作された、ドラゴン交通安全ポスターだったのだ。
ゴチャゴチャしていると逆に目立たないと感じ、背中に人を乗せて飛行するドラゴンを横から描き、注意を促すメッセージを上下に書き込んだ構図のポスター。
シンプルイズザベストをコンセプトにしたのは正解だったらしく、周りのポスターより幾分か目立っているように思えた。
「シルヴィア先生、褒めてたよ。『下手に色々描き込むよりも、このほうが見る人の記憶に残りやすい』って。このポスター、賞が取れるかもしれないね」
「え、そうなのか?」
シルヴィア先生がそんなことを言っていたのか。
とはいえ、所詮素人の俺が原案を出したポスターだし、いくらなんでも受賞はしないだろう。
「まあ、褒めてもらえたのは嬉しいな」
先生にそう言ってもらえただけでもう満腹だ。
それより、今気にすべきは模擬店のほうだな……どちらかっていうと、やっぱりそっちがメインだ。
その後、俺は七瀬と一緒に教室へ行き、ホームルームに出席し……それが済んだあとで、中庭に向かった。そこは模擬店が出店される場所、つまり俺の持ち場だった。
他の模擬店もたくさん立ち並んでおり、たこ焼きやフランクフルト、ポテト、わた飴、かき氷にチョコバナナ……いかにも夏っぽい食べ物屋が並んでいた。
天気は快晴で、まさに学校祭日和だ。
模擬店のメンバーは、俺自身も含めて準備を開始する前からすでに額に汗を浮かべていた。
「それじゃ、準備を始めよう。さっそく作業に取り掛かって」
そこに集合した模擬店のチームメイト達に、俺は告げた。
メンバーの中には七瀬や真吾、それに日比野。他数人のクラスメイトがいて、担当する作業は事前に割り振ってあった。
学校祭は土日の二日間で行われ、どちらかといえば土曜の今日がメインだ。一般開放されるのは今日のみで、開放時刻は朝十時から夕方四時まで。そのあとには軽音楽部や吹奏楽部のステージ発表や、最後にはグラウンドでささやかな花火大会まで開かれることになっていた。
俺はとくに花火大会が楽しみで、ぜひとも最前列で見たい、花火をスマホで写真に収めたいと感じていた。
「ふー、汗が止まらないな……」
首にかけたタオルで、俺は頬を伝い落ちる汗を拭った。
ただでさえ今日は夏真っ盛りな気温だ。両手に軍手をはめ、トングを使ってコンロに着火剤と石炭を敷き詰めたまではよかった。事前に火の起こし方をスマホで調べまくっていたのが、功を奏した。
しかし、いざ火を付ければたちまち周囲は灼熱地獄だ。タオルを準備したのは、この状況を想定してのことだった。
団扇を持ってきて、ひたすらあおぎまくる。すぐに手首に疲れが溜まって、代わってもらいたいと思った。しかし俺は代表だ。皆が嫌がる仕事こそ率先してやらないとな。
「真吾、食材の準備はできてるか?」
「ああ、これで全部だ。いつでも使える」
真吾は、大きな段ボール箱を抱えてこっちに運んできていた。
スポーツマンの彼は、俺とは比べ物にならないほどにパワーがある。力仕事はお手のもんだ。
「智、これあげるよ」
作業していた俺に、七瀬がペットボトルを手渡してきた。
ミネラルウォーターだった。彼女は片手にスーパーのレジ袋を提げており、その中にはまだ数本のペットボトルが入っているようだ。
「え、いいのか?」
問い返しながらも、俺はタオルで顔の汗を拭き取る。
「うん。こまめに水分補給して、熱中症には気をつけてね」
暑い中での作業を想定して、七瀬は人数分のミネラルウォーターを用意してきてくれたようだ。
いや、気が利きすぎる……大いに喉が渇いていた俺にとっては、嬉しい助けだった。
かくいう七瀬自身も暑さを感じているようで、顔に浮かんだ汗をしきりに手の甲で拭っていた。そんな中、他人のことまで気遣ってくれるなんて、やっぱ優しいな。
「助かる、ありがとう」
俺がペットボトルを受け取ると、七瀬は続いて真吾に、それから日比野に……他の皆にも順番にペットボトルを手渡していった。真吾からは『お礼』と称してセクハラを受けそうになっていたけど、よからぬ気配を察知した七瀬はカウンターとばかりに強烈なボディーブローをお見舞いし、真吾はしばらく腹を押さえて悶えていた。
学校祭の時でも相変わらずだなと、思わず笑みがこぼれる。
「さて、作るとするか」
一般開放が始まるのは十時、それまでには焼きそばをパックに詰めとかなきゃならない。
さっそく調理に取り掛かることにした。火起こしで使った団扇を片付けて、コンロに調理用鉄板を乗っける。油をしいて麺や具材を準備したが、開始直前で思わず尻込みしてしまった。
家庭科室で予行練習は何度かしたものの、本番となるとやっぱ勝手が違う。ちゃんとできるのかと不安がよぎり、手が止まってしまったのだ。
「大丈夫だよ智、私達も手伝うから。一緒に頑張ろうよ」
俺が不安に感じていることを察し、七瀬が声を掛けてくれた。
近くには真吾や日比野もいて、彼らも俺と視線を重ねて頷いた。他の皆もそうだ。
「ああ……そうだな」
代表という立場ではあれど、別にひとりで作るんじゃない。いざって時には、仲間を頼ってもいい。
そう考えた俺は、恐れることなく材料を鉄板へ放り込んだ。
麺や具材が炒められ、耳に心地よい音とともに素敵な香りが周囲に広がる。
家庭科室で予行練習をした時も思ったけれど、このにおいは食欲をそそられるな……朝飯をしっかり食ってきたのに、思わず腹が鳴ってしまうそうなくらいだ。
っと、いけないいけない。
当然ながら、この焼きそばは自分で食うためじゃなくて、客に売るために作っているのだ。
「こんなもんか……」
ものの数分くらいで、とりあえず焼きそばは出来上がった。予行練習の時の手順をなぞるようにして作ったし、見た目的にも十分食欲をそそられる出来栄えだった。
しかし、気を抜く暇もない。
真吾や七瀬にも手伝ってもらって、パックに焼きそばを取り分けていく。ふとスマホを取り出して現在時刻を確認すると、一般公開の時間はもう目前だった。校門のほうを見てみると、一般の人が大勢集まってきているのが見えた。
こうしちゃいられないなと思った俺は、看板を運んできた。それは俺が苦心して木材を組み上げ、そこに他のメンバーが制作したポスターを貼り付けて作った看板だった。
ポスターには、『焼きそば 火竜 一本一本に魂を込めて!』と書かれていた。
一番大きく書かれている『火竜』ってのは、俺らで決めたこの模擬店の店名だった。
「はっ、悪くないな」
笑みを浮かべながら俺は呟き、焼きそばのパック詰め作業へと戻った。
まもなくして、一般開放の時間が訪れる。校門から多くの人達が中庭にやってきて、模擬店を巡り始めた。周囲は一気に賑わい、神社とかの祭りにも引けを取らないほど、活気に包まれているように思えた。
先生方が、メガホンを使って一般の人達へ注意を促していた。自分のクラスの模擬店へ客を呼び込んでいる生徒もいた。
「焼きそばはいかがですか! 作り立てでとても美味しいですよ!」
少し離れたところでポップを掲げて、客を呼び込んでいるのは七瀬だ。
彼女はいわば『看板娘』的な役割を担っており、快活とした声が明瞭に響き渡っている。美少女と言われる程度の女の子だし、適任だろう。
さっそく、一番客がやってきた。
「いらっしゃいま……あれ?」
その客の顔を見て、思わず目を丸くした。
それもそのはず、その彼には見覚えがあった。というより、それどころじゃない。
「あ……ま、ま、まじか……!?」
向こうも俺の顔を見て驚いていた。
短い髪をしていて、肥満体型で、何より決め手だったのは吃音気味の独特な口調。
忘れもしない……今は人間の姿をしているが、サッカーゴールの盗難事件のファフニールだ。
「あっ、ファズマ兄ちゃん! 来てくれたの?」
焼きそばをパック詰めしながら、日比野が声を上げた。
そう、このファフニールは日比野の家にドラゴンステイしているドラゴンなのだ。
「お、おお真人!」
ファフニールが、その片手を上げながら日比野に応じた。
こないだの一件の時には知る由もなかったけれど、このファフニールは『ファズマ』って名前だったのか。
思わず俺は、ファズマの顔を見つめた。何を言うべきか、分からなくなってしまっていた時だった。
「智、どうした? お客さんじゃないのか?」
真吾の言葉で、我に返った。
「焼きそば、買いに来たのか?」
俺が問うと、ファズマは頷いて引換券を差し出してきた。
「あ、ああ……ひとつ貰うよ」
俺は引換券を受け取って、そこに表記された金額を確認した。
模擬店で物を買ったりする時は、受付で購入できる引換券を使うことになっていた。
引換券は先生方が販売していた。というのも生徒に現金を扱わせるのは不安だし、トラブルの種になりかねないので、それを考慮して考え出されたシステムらしい。
「ありがとう」
彼とは色々あったが、少なくとも今は客だった。
買ってくれた礼を添えながら、俺はファズマに焼きそばが詰められたパックと割り箸をセットにして手渡した。
「皆悪い、少しだけ離れる!」
直後、俺は真吾達に断って、「ちょっと来てくれ」と小声で告げてファズマを校舎の裏側へと連れ出した。そこには人気がないので、何を話しても誰かに聞かれる心配はなかった。
「お前、大丈夫なのか? ここに来たりして……!」
そう疑問に感じるのだって、無理はないだろう。
このファズマはこないだの事件でサッカーゴールを盗んだ窃盗犯だし、ルキアやサンドラと交戦した相手でもある。物理攻撃を脂肪で吸収したり炎を吸い込んで無効化したり、さらには屁という隠し玉まで繰り出していたのが、記憶に新しい。
でも最終的には制圧されてルキアとサンドラによる尋問を受け、犯行に至った動機がホストファミリー、つまり日比野のためを思っての行動だったということが語られた。
ルキアも言っていたとおり、こいつのやり方はいくらなんでも極端すぎた。
極端すぎたけれど、日比野のことを思い遣っての犯行だったという点には同情の余地があり、二度とあんなことはやらないと誓わせて放免された。その後、七瀬の厚意で学校には新しいサッカーゴールが贈与され、もう犯人探しは行われていないそうだ。
ファズマがこの学校に来ることは、リスクでしかないはずなのだが。
「わ、分かってる。け、け、けど、真人にどうしても来てほしいって頼まれて……」
頬をぽりぽりと掻きながら、ファズマは言った。
「日比野から? ああ、そういうことか……」
日比野は、こいつが窃盗を犯したことを知らないはずだ。
模擬店を出すから来てほしい、そう頼まれたのであれば、少なくともファズマには断る理由がなかったのだろう。日比野のためにあんなことをしでかすあたり、ファズマが家族を大切に思っていることは間違いないだろうから。
よからぬ方向に暴走してしまったことはあれど、少なくとも根っから悪いドラゴンじゃないと俺は感じていた。
「もう二度と、あんなことはやらないよな?」
「や、やらない! 絶対にだ!」
俺の質問に、ファズマは即答した。
まあ色々あったのは間違いない。でも、今の彼は俺にとっては、焼きそばを買ってくれたお客さんだった。
「焼きそば、食ってみな」
「あ、ああ……いただきます」
パックを開けて割り箸を手に取り、ファズマは作り立ての焼きそばを口に運んだ。
「う、う、うまい! こんなうまい焼きそばは初めてだ……!」
「そうだろ?」
その後、ファズマは憑りつかれたように夢中で焼きそばを平らげた。
初めてのお客さんからの評判は上々、『うまい』の一言がこんなにも嬉しいものだとはな。何度も予行練習して、試行錯誤した苦労と努力が報われたというものだ。
ふと模擬店のほうに目を向けてみると、他にも数人のお客さんが並んでいた。こうしちゃいられない、店に戻って焼きそばを作らないとな。
学校祭、始まったなと思った。
しかし、同時に『事件』も動き始めていた――しかし俺にはもちろん、そんなことが分かるはずもなかった。




