第73話 準備開始
「それじゃ、松野君のデザインを採用ってことで。大丈夫?」
「異議なし、それでいこう」
正直なところ、意外だった。
模擬店の代表でありつつ、ドラゴン交通安全ポスターも兼任していた俺。今はドラゴン交通安全ポスターのほうの会議に出席していた。模擬店と違ってこっちは代表ではないから、幾分気が楽だ。
皆それぞれ、ポスターの雛形といえる絵を持ち寄ってきたのだけれど、なんと俺のデザインが採用されることになった。
俺が提示したのは、空を飛んでいるドラゴンを横から見ている構図で描き、その上下に注意喚起を促す言葉を太字で書くというデザインだ。
俺よりも数段上手く、それに手が込んだ雛形を作ってきた子もいたのだけれど、勝ち抜いたのは俺のデザインだった。理由としては、『ゴチャゴチャしていると逆に目立たない。シンプルなほうがいいし、見る人の心に残る』ということだった。つまるところ、シンプルイズザベストだと代表の子が判断したわけだ。
マジか、選ばれるなんて夢にも思わなかったな……。
俺は改めて、自分が描いてきた絵を見つめてみた。
空を飛ぶドラゴンを横から描き、その背中に乗る人。我ながら、それなりに上手く描けたもんだと思う。
ルキアと母さんに感謝だ。というのも、これはあのふたりの協力があってこそ描けた絵だからな。
「それじゃ、もう少ししたら先生が画用紙をくれるから……そうしたらさっそく描き始めよう。松野君は模擬店の代表だから忙しいだろうし、無理にとは言わないけど……たまに様子見程度にこっちにも来てくれたら嬉しいな」
代表の女の子は、これまで一度も話したことがない子だった。
しかし、模擬店の代表でもある俺の立場を考えてくれているようで、心底ありがたい。
「ああ、分かった。仮にも発案者なわけだし、時間を見てこっちにも顔を出すよ」
代表の子の気遣いもあり、その日は俺は模擬店のほうに専念していいことになった。
ドラゴン交通安全ポスターの会議から抜けた俺は、校舎前の広場へと向かう。放課後のその時間、そこでは多くの生徒が行き交い、各々作業に励んでいた。
大きな出し物とかを制作する際は、そこは作業場として開放されることになっていた。大掛かりなオブジェとかを制作するなら教室では狭すぎてやりづらいし、木っ端とか紙片といったゴミを散乱させたら日頃の授業にも支障が出かねない。ボンドとか塗料で床や壁を汚されるのもまずいだろう。
俺達は、模擬店で使う看板を作ることになっていた。とはいっても、木材をちょっと切って釘で打つだけの簡素なものだ。
模擬店の代表者として、俺にはその材料を貰いに行く役割があった。
木材は校庭で支給されることになっていたので、そこまで向かっていた時だった。
「わっ!?」
「きゃっ!?」
曲がり角を折れた時、不意に女の子が目の前に出てきて、驚いた俺は声を上げてしまった。
危うくぶつかるところだったが、お互い寸前で止まったのでそれは免れた。
相手は七瀬だった。ケガはないようだったが、彼女が手にしていた小さなクラフト封筒が落ち、その中身が校庭に散乱する。
「っと、悪い七瀬」
謝罪しつつ、俺はその場にしゃがんで封筒の中身をかき集める。
「ううん。私こそごめん智、ちょっと人を探しててさ」
俺の前で、七瀬も同じように封筒の中身を集め始めた。
何かの資料かと思ったが、違うようだ。これって……写真? しかも結構な枚数があるらしく、封筒の中に十数枚は入っていたらしい。
何の写真だろう? と思った俺は、ふとその中の一枚を見てみる。
――その瞬間、そこに写ったドラゴンゾンビと目が合った。
「うわっ!?」
またもや声を上げてしまった。
思わず、拾ったばかりの写真を手放して落としてしまう。
仕方がないだろう、いきなり顔ドアップでカメラ目線のドラゴンゾンビを見てしまったんだ。驚かない人がいるのかが、疑問なくらいだ。
「どうかした?」
しれっとした様子で尋ねながら、七瀬はせっせと写真を拾い集めていた。
彼女が持っていた写真は、どうやら全部ドラゴンゾンビの写真のようだった。顔ドアップだったさっきのやつや、正面から身体全体を捉えた写真、翼を広げた様子の写真や、うしろから撮った写真……とにかく、さまざまなアングルで写されていた。
被写体であるそのドラゴンゾンビには、大いに見覚えがあった。
「これって、全部ベルナールの写真だよな……!?」
驚いた拍子に手放してしまったさっきの一枚を拾い上げつつ、俺は尋ねた。
そう。七瀬が持ち歩いていたたくさんの写真、それらはすべてドラゴンに変身したベルナールの写真だった。
ドラゴンゾンビなだけあって恐ろしい見た目をしているが、それとは裏腹に紳士的で穏やかな気質の彼。それでも、外見だけに注目すれば誰もがビビることだろう。誇張抜きにして、子供が見れば泣いて逃げ出すような見た目だからな。
どうしてこんな大量にベルナールの写真を撮って、しかもそれを学校に持ち込んだのだろうか。
「そうだよ、ちょっとクラス展示の友達から頼まれちゃったんだ」
「クラス展示……?」
ドラゴンゾンビの写真とクラス展示、考える限りでは関連性が見当たらなかった。
「クラス展示でお化け屋敷をやるそうなの。そのお化け屋敷、ドラゴンゾンビが絡んだストーリーでやるみたいなんだ。目玉として、ドラゴンゾンビのオブジェを作るんだって」
ふと、こないだ花凛と会った時のやりとりを思い出した。
そういえば、ドラゴンゾンビに恋した少女を巡るバックストーリーがあるお化け屋敷をやるとのことだったな。
シナリオを書いたのは花凛で、さらにお化け役を引き受けた彼女がのっぺらぼうの面を着けて、髪を濡らしてまで練習していたのが記憶に新しい。というか、忘れようにも忘れられない。
しかもドラゴンゾンビのオブジェまで用意するのか、本格的だな。
「ほら見て、あそこで作ってるんだって」
七瀬が指差した一角で、クラスメイト数人が集まって木材を運び込んでいた。
木で枠組みを作るわけか。
「LEDで目が光るようにするんだって。それにオブジェの近くには大きなスピーカーも据え付けて、咆哮も流れるようにするらしいよ」
へえ、手が込んでるな。実現すれば、本物のベルナールに負けず劣らない恐ろしさになるかもな。
そこでふと、七瀬の言葉が引っ掛かる。
「咆哮? てことはつまり……」
ポケットからスマホを取り出すと、七瀬はそれを操作し始めた。
数秒後、彼女は俺に画面を見せてくる。そこには『ベルナール 咆哮』と表示されていた。
七瀬の細い指が再生ボタンをタップすると、ドラゴンの咆哮がスマホのスピーカーから発せられた。掠れており、不気味さと迫力の双方を内包した咆哮――その主が誰なのかは、考えるまでもない。
「これって、ベルナールの咆哮か?」
「正解! これもベルに頼んで録音させてもらったの。よく録れてるでしょ?」
ベルナール、貢献しまくってるな。
恐ろしすぎる外見が原因だと思うのだが、ドラゴンゾンビはドラゴンステイには圧倒的に不人気だ。探し回ってみれば分からないけど、俺の知る限り、七瀬以外にドラゴンゾンビを寄宿させている生徒はいない。
だから、ドラゴンゾンビの写真や鳴き声といったサンプルを手に入れるには、必然的に七瀬やベルナールを頼ることになるってわけか。
それにしても、七瀬から撮影や鳴き声の録音を頼まれた時、ベルナールはどんな顔をしたのかが気になる。
七瀬の頼みであることだし、ベルナールは無下には断らないと思う。けど、少なくとも進んで引き受けはしなかっただろうな。たぶん、苦笑いしながらしぶしぶ引き受けたのではなかろうか。
「そこまで材料が揃ってるんなら、最恐のお化け屋敷になるかもしれないな」
誇張抜きにして、そう思った。
花凛演じるお化けに、これほど準備万端で制作されるドラゴンゾンビのオブジェ。双方が合わさればどんなお化け屋敷が出来上がるのか、見物だ。
「あ、いたいた! それじゃ智、私この写真と録音データ、渡してくるから!」
そう言い残して、七瀬は遠くにいる生徒達のほうへと走り去っていった。
察するところ、七瀬にベルナールの写真と咆哮の録音を頼んだ依頼主ということだろう。注文の品を届けに行くわけだな。
と、俺は校庭近くの道路に彼の姿を見つけた。
――レオンだった。どうやら、材料を運搬する生徒達を見守っているらしい。
「足元に気をつけて、ひとりでは運べないと思ったら必ず誰かに手伝ってもらって!」
レオンはしきりに声を上げて、安全に配慮するよう生徒達に促していた。
学校祭の準備期間中は、生徒をしっかり監視するのが自分達ドラゴンガードの役割である、と彼は言っていた。神経質になりすぎじゃないかとも思ったけれど、彼は自分の役目をしっかりと果たしているようだ。
そこで俺はふと、今自分のポケットに入っている自分のスマホ……そこに保存されている例の動画のことを思い出した。渚先輩からコピーさせてもらった、事故の瞬間を偶然記録したあの動画だ。
ルキアはそれを見て、何かに気づいたような反応を見せていた。その理由は教えてもらえてないけれど、どこかに重要なことが映っていたのは間違いないだろう。
レオンのホストファミリーは、あの事故で片足が不自由になってしまった。それが理由でスポーツ大学への進学を諦めなくてはならなくなり、『こんなはずじゃなかったのに』と言うしかない毎日を過ごしていると聞いていた。
事故に遭った本人はもちろん、そんなホストファミリーを見守るしかないレオンも気の毒だった。
前も思ったが、もしも俺の周りで誰かがそんなことになれば、俺はその人を励ます言葉すら見つけられないだろう。
ポケットからスマホを取り出し、その画面に映った自分自身の顔を見つめつつ俺は考えを巡らせた。
そして、やはりレオンには例の動画を見せておくべきだと結論を出した。
「レオン!」
彼のところへ走り寄りながら呼ぶと、レオンはこちらを振り向いた。
「どうした?」
俺はスマホを片手に、彼としっかりと視線を重ねたまま口を開いた。
「忙しいところごめん、ちょっと見せたいものがあってさ」