第72話 確信に変わりゆく予感
「気づいたことがあるなら、教えてくれてもいいんじゃないか?」
ル・ソレイユを出たあと、ルキアの背中に寝そべりながら俺は彼女に問うた。
そう、ルキアは今ドラゴンの姿に変身しており、俺を乗せて空を飛び、帰路に着いていた。許可を得て、彼女の金色の角をしっかりと掴んでいた。
時刻はもう夕刻に迫っており、オレンジ色に染まった空が街を覆っていた。周りを見渡してみれば、俺と同じようにドラゴンに騎乗している人の姿が見受けられる。
ルキアの背の上から見下ろす街の景色は圧巻で、思わず目を奪われてしまいそうだ。
落合の件が済んだ時にもそう感じた記憶があるが、半ば食わず嫌いでドラゴンに乗るのを避け、ペーパーライダーを押し通していたことがもったいなく思える。まあ、ルキアがうちに来るまでその機会に恵まれなかったってのもあるけど……騎乗免許を取ってから、もっと積極的にドラゴンに乗ってみてもよかったかもしれないな。
ルキアは、俺の言葉に返事をしなかった。
彼女はただ前方だけを見つめ、飛び続けていた。鋭い翼爪が付いた翼が上下に動くたびに、ブオン、ブオンと重い風切り音が鳴り渡る。
「今の時点では確信がなくて、推測の域を出ないことなのよ。これからちょっと私のほうで調べてみて……そうね、近々サンドラあたりに探りを入れてみるから、それまでは詮索しないでもらっていい?」
少しの間を挟んで、ルキアは俺にそう告げた。
教えてはくれなかったが、彼女があの動画を見て何かに気づいたのは間違いないようだ。わざわざ渚先輩(俺もあのあと、彼女から『高森先輩』ではなく名前で呼ぶように促された)から例の動画を俺のスマホに転送し、保存するよう促されたくらいだ。
想像もつかないが……あの動画には、俺には分からない何かが映っているのだろう。
「それよりも、もうすぐ学校祭の準備期間が始まるでしょ? あんた大丈夫なの?」
「え、ああ……とりあえず準備は進めてるよ。模擬店の代表は大変だし、ドラゴン交通安全ポスターのこともあるから忙しいけど、まあ頑張るさ」
ドラゴンに変身したルキア、その独特の体温を感じ取りながら、俺は答えた。
ふっと笑い声が聞こえた、誰がそれを発したのかは考えるまでもない。しかし俺からはルキアの顔が見えないので、彼女がどんな表情を浮かべながら笑みを漏らしたのかは分からなかった。
「あんたのことだから投げ出して逃げるかと思ってたけど、ちゃんとやってるのね」
「何言ってんだよ、逃げるわけないだろ。学校祭は皆楽しみにしてるイベントなんだから、やらざるを得ないし……」
説明会に出たり、メンバーとの会議を取り仕切ったり、初の経験ばかりだ。これから準備期間に入れば、さらに忙しくなることだろう。
けれど、模擬店は出す品目も決まったし、ドラゴン交通安全ポスターもとりあえずアイデアは出た。あとは仲間達に助けてもらいつつ進めていけば、どちらも学校祭当日には間に合う見通しだ。
「ま、ほどほどに頑張るさ」
当初はダブル貧乏くじをゲットしてしまったから仕方なく、という気持ちが大きかった(とはいっても、ジャンケンの時に七瀬を信用しなかった俺の自業自得なのだが)。
転落事故のことが気になっているのは間違いない。しかし、今は学校祭のことを優先的に考えないとな。
「あ、そうだ。お願いがあるんだけど……今度ちょっとあんたのスマホ、借りてもいい?」
「へ? スマホを?」
ルキアからの不意の問いかけに、内心面食らった。
「例の動画、サンドラにも見せてみたいのよ。あの子が私と同じ意見を出すかどうか、気になっているの。検証が済んだらすぐに返すから」
なるほど。ルキアはスマホを持っていないから、渚先輩から転送してもらった動画をサンドラに見せるにはそうするしかないわけだな。
サンドラは、ルキアよりも長く高校でドラゴンガードとして働いている。彼女からなら、何か有益な情報が得られるかもしれない。
俺がルキアの立場だとしたら、きっと同じことを考えるだろう。
「まあ、それはいいけど……」
とは言ったものの、やっぱり気が引けた。
スマホって、基本は人に貸したりするものじゃないと思っていたので、歯切れの悪い感じでしか了承できなかった。
「心配しなくたって、別に変なことはしないわよ。約束する」
俺の考えを察したらしく、ルキアは弁明した。
「それとも何、見られたら困るようないかがわしい画像でも入ってるの?」
「は!? ねえよんなもん!」
ったく、何言ってんだか……!
「冗談よ冗談」
より一層の力を込めて翼が動かされ、ルキアは速度を上げた。
全身に風を感じながら、俺は彼女とともに家に向かう。
◇ ◇ ◇
数日後、学校祭の準備期間が始まった。
夜六時まで生徒達は居残り、各々作業をすることが許される。放課後になれば、いつもなら生徒達は部活動に精を出したり、帰路に着くものだが、準備期間中は基本的にそのような生徒の姿は見受けられない。
校門前の校庭では、多くの生徒が荷物を抱えて行き交っていた。準備に使う材料や器具などを校内に運び込んでいるのだ。
そんな生徒達を、教員やドラゴンガード達が見守る中、ルキアはサンドラとともに屋上にいた。
サンドラは屋上の端に腰を下ろし、長く綺麗な足を組んでスマホの画面を見つめていた。
彼女が手にしているのは、ルキアが智から借りてきたスマホだった。そこに映っているのはもちろん、渚から貰い受けた例の動画だ。
ルキアは『見てほしいものがある』とサンドラを誘い、人目に触れづらい屋上で彼女と面会していた。もちろん長々とサンドラをここに留めておくつもりはなく、動画を見てもらって彼女の意見を聞いたら、すぐに解散するつもりだった。
転落事故の貴重な証拠となりえる映像ということもあり、サンドラはまばたきもせず、真剣な眼差しで画面を見つめていた。
「っ……!?」
一通り最後まで動画を再生したかと思うと、サンドラは息をのんだ。
彼女の指先がシークバーに触れ、動画が少し前に引き戻される。そこはブレているが、階段が大映しになるところだった。
そして、渚に動画を見せてもらった時にルキアが着目したのとまったく同じ箇所である。
サンドラはまたそこで動画を止め、よりスマホに顔を近づけた。眉間に皺を寄せ、目を細めて画面を睨む。
「ちょっと待って、これってもしかして……!」
サンドラの反応から、ルキアは彼女が自分と同じことに気づいたのだと察した。
「やっぱり分かった? コカトリスはドラゴンの中でも目がいいから気づいてくれると思ったけど」
サンドラはコカトリス、鳥類のような風貌を有するドラゴンだ。
鋭いかぎ爪やクチバシ、さらに羽を飛ばす能力や超音波を武器にするが、ドラゴンの中でもとりわけ視力が鋭敏なことでも知られている。
そんな彼女であれば、きっと気づいてくれるとルキアは考えていた。
結果はルキアが考えたとおり、反応を見る限りサンドラは、ルキアと同じことに着目してくれたようだった。
「ルッキィ、これ」
サンドラは立ち上がると、もう大丈夫といった様子でスマホをルキアに差し出してきた。
ルキアが智から借りてきた彼のスマホを受け取ると、サンドラは腕を組み、どこかを見つめながら難しい面持ちを浮かべる。
「やっぱり……ただの事故じゃない可能性が高まったね」
屋上に風が吹き、カールしたサンドラの髪や彼女の赤いドレスが揺らいだ。
華やかな装いに似合わず、彼女は神妙な面持ちを浮かべている。例の動画によってこの一件が単なる事故ではなく、由々しき事態であることがほぼ確信に変わりつつあったからだ。
「サンドラ、単刀直入に訊いてもいい?」
サンドラは腕を組んだまま、ルキアのほうを向いた。
「この学校内……それとも校内の誰かの関係者で、『姿を消す能力を持っているドラゴン』に心当たりってある?」




