第71話 真相への架け橋
『ちょっと渚、どうして撮ってんの?』
高森先輩のスマホ、その画面に映し出された映像を俺は食い入るように見つめていた。俺だけじゃなくて、ルキアも七瀬も同様だ。
映像には、数人の女子生徒が映っていた。さっきの話から察するに、彼女達は当時二年生だった高森先輩のさらに先輩――俺や七瀬の入学と入れ替わる形で卒業した、つまり現在は俺達の高校のOGである生徒達なのだろう。
さっきの話じゃ、高森先輩はテニス部と水泳部を掛け持ちしていると言っていた。
だとすれば、ここに映っているのはテニス部か水泳部に所属していた先輩達の可能性があるが、どちらなのかは分からない。所属部どころか、俺には彼女達の名前すら知る由もなかった。
しかしながら、重要なのはそこではない。
『だって先輩達、あと半年もしないうちに卒業じゃないですか。僕達と一緒にいられるあいだに、ちょっとでも思い出を残しておきましょうよ』
高森先輩の声だ。文脈もそうだが、それよりも何よりも『僕』という一人称を用いたことから、今の言葉の主が彼女であることはまず間違いない。
撮影された時期や時間は分からないが、場所には大いに見覚えがあった。
校舎一階、昇降口付近にある階段前の廊下だ。登校して教室に向かう際、俺も毎日通る場所なので、見覚えがあって当然だった。
『まったくもう、隠し撮りなんかダメだよ!』
映像に映っている、名前も分からない女子生徒が高森先輩を制していた。
とは言っているものの彼女はいかにも楽しそうで、和気藹々とした笑みを浮かべていた。当時、この人達に残された高校生活は残り僅かだったはずだ。きっと本心では、後輩……つまり高森先輩の提案に大いに賛成しているんだろうな。
皆楽しそうで、ここに映っている先輩方と高森先輩は仲が良かったことが伺い知れる。
『ほらほら、皆さんこっち向いてくださいよ!』
なおもカメラを回し続ける高森先輩、その時だった。
『うあっ、あああああっ!』
突然の悲鳴とともに、奥の階段から人が転げ落ちてきた。
その男子生徒は鈍い音を立てながら、階段を降り切った場所に位置する床にその身を打ちつけた。かなりの勢いを伴っていたように見え、思わず俺は息をのんだ。
高森先輩のスマホ、そのカメラの前にいた女子生徒達が一斉に階段のほうを向き、さっきまでの和気藹々とした様子が嘘であるかのように、沈黙した。
転げ落ちてきた男子生徒は、少しのあいだうつ伏せの体勢で床に倒れていた。しかしすぐに仰向けに身を翻し、苦悶の表情を浮かべながら両手でその右脚を押さえた。
『あ、足が、足がっ……! ぐあああああっ……!』
男子生徒の苦しげな声を、高森先輩のスマホが拾っていた。
それはとても痛々しい声で、まるで彼の痛みが俺にまで伝わってくるようにすら感じられた。
『ちょ、ちょっと……!』
『大丈夫!?』
戸惑うような声を発しながらも、女子生徒達が彼に駆け寄る。
高森先輩も、彼女達に続いたようだ。スマホを片手に持ったまま走り出したので、画面が乱雑に揺れ始めた。
そして、彼が転げ落ちてきた階段が映った次の瞬間、ブレた映像のまま動画が終わった。
カメラを回している場合ではなく、彼を助けることが最優先だとその時の高森先輩は判断したのだろう。
「と、こんな映像だよ」
高森先輩は、スマホを下げた。
もう片手でスプーンを取り、ほんのさっき運ばれてきたばかりのストロベリーサンデーを味わい始める。ホイップクリームやイチゴがふんだんに使われたそれは、見ているだけでも口の中が甘ったるくなってきそうだった。
しかし高森先輩の表情は曇っていて、まるで苦い物でも噛み潰しているかのようだ。
「それにしても渚先輩、どうしてこんな古い映像を今になって気にしているんですか?」
七瀬が問いかけた。
言われてみれば、たしかに疑問ではあった。撮影したのは去年だというのに、今になってこの動画を引っ張り出してきたのは、何か理由があってのことなのだろうか。
「秋塚のことは知ってるかな? 三年の生徒指導係で学年主任のセンコーなんだけど」
ストロベリーサンデーを食べ進めながら、高森先輩は質問に質問で答えた。
彼女が口にした名前に、俺は思わず息をのんだ。
三年の生徒指導係で学年主任の秋塚という先生……忘れようにも忘れられるはずがない。ついこのあいだ目撃した、理不尽な感じで女子生徒を怒鳴りつけていたあの教師だ。
七瀬は首を傾げた。
知らないようだが、無理もない。このあいだサンドラに教えてもらわなければ、俺も秋塚のことなんて顔を見た程度にしか知らなかっただろう。
「あの感じの悪さで有名な教師?」
しかし、ルキアは知っていたようだ。
ドラゴンガードという立場柄、秋塚のことを知る機会もあったのかもしれない。そしてどうやら、悪名高い男であることも耳に入っていたようだ。
俺も一応知ってはいたが、ここでは黙っておこう。
「そう、あいつこのあいだ、僕の友達の『篠崎由紀奈』って女の子を理不尽な理由つけて怒鳴り散らしやがったんだよ」
俺はまた、息をのんだ。
高森先輩が言う『篠崎由紀奈』というのは、このあいだ秋塚に怒鳴られていたあの女子生徒のことだ。秋塚が『篠崎、返事をしろっ!』とがなり立てていたのを、鮮明に記憶していた。
彼女、高森先輩の友達だったのか。
「実はこの事故、秋塚が裏で仕組んでたんじゃないかって噂が流れてたことがあってね。あんなんでも教師だし、いくら何でもそこまではやらないだろって思ってたんだけどさ、でも由紀奈が怒鳴られたって聞いて、やっぱり秋塚だったらありえるかなって思え始めてさ……この動画に何か、証拠になるようなものでも映ってないかって思って、データフォルダから引っ張り出してきたってわけさ」
友達を理不尽に怒られたことで、秋塚への疑念が再生したってわけか。
俺は事の顛末をサンドラから聞いていたのでそこまで驚かなかったが、七瀬は違った。
彼女は驚きに表情を染めながら、「そんな、先生が生徒を傷つけるなんて……!」と呟いた。この話をここで初めて聞いたのであれば、俺も同じことを言っていたかもしれない。
「でも、別におかしな点はなさそうだよね。最後に階段の上がチラっと映ったけど、不審者がいるわけでもない。転落した彼は『誰かに足を払われた気がした』って証言してたらしいけど、この時近くにいた生徒は『彼のそばには誰もいなかった』って言ったらしいし。やっぱりこれは、ただの不幸な事故……」
「あの、今の動画……もう一度見せてもらってもいいですか?」
マスカットのタルトが目の前にあるのに、それには目もくれずルキアが申し出た。
「え、どうしてだい?」
高森先輩は、ストロベリーサンデーを食べる手を止めた。
「ただの思い過ごしかもしれないけれど、とにかくもう一度見せてもらいたくて……」
高森先輩が言ったように、今の動画を見てもこれといって不審な点は見受けられず、階段からの転落事故にしか見えなかった。
しかし、ルキアはそう思っていないらしい。彼女の表情には確信めいた色が浮かんでいるように思えて……何かに気づいたようだったのだ。
スプーンを置いて、高森先輩はスマホを操作し始める。
「分かったよ、ちょっと待ってね」
ほどなくして、高森先輩はスマホの画面をルキアに向けた。
「ちょっと失礼しますね」
ルキアはそう断ると、スマホの画面に人差し指で触れ、シークバーを操作する。
最初らへんの先輩方が和気藹々と話している部分が飛ばされ、階段から男子生徒が転げ落ちてくる部分まで早送りされた。この辺に、気になる箇所があるのだろうか?
そして動画をまた再生したかと思うと、最後らへんの階段が映ったところで、ルキアは一時停止をタップして動画を止めた。
彼女は何も言わず、まばたきもせず、眉をひそめて画面を睨みつける。
「この辺に、気になる部分でもあるのか?」
俺が見る限りでは、階段が大写しになっているだけで別に奇妙な点は見当たらない。
ルキアは俺の問いかけに応じなかった。しかし、無言で画面を睨み続ける彼女の表情を見れば、何か引っ掛かることがあるのは容易に想像がついた。
◇ ◇ ◇
「健人、夕飯ができたそうだ。入ってもいいか?」
レオンはドアを叩き、自室にいるであろうホストファミリーの少年を呼んだ。
しかし返事はない。
留守だという可能性はなかった。外出しようにも、彼はひとりでは階段を下りることすら苦労する身なのだから。
恐る恐るノブを回し、ドアを開けてみる。
「健人……」
カーテンが閉め切られた室内は電気も付けられておらず、薄暗かった。
破壊されたサッカーボール型のトロフィーや破り捨てられた賞状が床に散乱し、その切れ端のひとつには『サッカー大会 準優勝』と書かれていた。
そして、レオンが呼ぶ少年――健人はぼうっとした様子でベッドに腰を下ろしていた。虚ろな眼差しで部屋のどこかを見つめる彼、その右脚には包帯が巻かれ、近くの壁には松葉杖が立て掛けられていた。
そんなホストファミリーのことを見て、レオンはもう何も言えなくなってしまった。
黙って部屋を出て、扉に背中を預ける。
「待っていろ健人、お前をそんなことにさせた奴は俺が見つけ出してやる。見つけ出して、そして報いを受けさせてやる……!」




