第69話 智とレオン
「俺としては焼きそばあたりが有力候補じゃないかと思うんだけど、どうかな?」
総合学習の時間は、学校祭の事前打ち合わせの場となっていた。
俺は昨日作成したリストを机の上で広げ、模擬店で何の食べ物屋をやるかを協議していた。机をくっつけて向かい合っているのは、七瀬に真吾、その他模擬店をやることになったクラスメイト数人だ。
七瀬や真吾はじめ、皆各々アイデアを用意してきてくれていたのだが、最終的に代表者たる俺の判断に委ねるという話になった。
冗談みたいな話だが、真吾は寿司屋をやらないかと提案してきた。
実家が寿司屋なのは知ってるけど、学校祭に寿司屋はさすがにそぐわないと思うし、この夏の季節に生魚を扱うのはリスクが大きい。そもそも真吾だって寿司屋の息子とはいえ、客に提供できるレベルの寿司を握れるわけじゃないだろう。
という諸々の理由から即刻却下となったわけだが、真吾としては自信満々のアイデア(俺らとしては信じられないが)が水泡に帰してショックだったらしい。
俯いて落ち込んだ……と思いきや、彼はすぐに立ち直って七瀬に八つ当たりじみたセクハラを行使した。
真吾の両手が七瀬の胸を掴んだ次の瞬間、七瀬の鉄拳制裁が炸裂して真吾は派手に吹き飛ばされた。
運動神経はいいし、顔だってかっこいい。この女好きな気質さえなければ……と思わずにはいられない。つくづく、真吾は残念イケメンだな。
「焼きそば……いいね、いかにも夏のお祭りって感じがするし、特別な設備とかも必要なさそうだし。それに、私達でも作れそう」
七瀬が俺の提案に同意した。
彼女もアイデアを持ち寄ってくれており、かき氷はどうかと言ってきた。真吾の寿司屋よりは数段マシだと感じたけれど、かき氷はそれ専用の設備が必要になるし、聞いたところによると他のクラスですでに出店する班があるらしい。
ということで、七瀬の案の採用も見送られることとなった。
他の班員からもこれといった異議が出ることはなく、焼きそばでいこうと意見がまとまった。
「それで、どんな焼きそばでいくんだ?」
真吾が尋ねてきた。
すでに、寿司屋を却下されたことなど気にも留めていない様子だった。
焼きそばが有力な候補である以上、もちろん俺なりに先のことも考えてはいた。具体的にどのような焼きそばにするのか、である。
「まあざっくりとなんだけど、豚肉とかもやしとか入れて、紅生姜も乗っけて……まあ、どうすれば美味くなるのか、家で調べてくるよ」
母さんに訊けば、美味い焼きそばを作る方法を教えてもらえそうな気がした。それに、ルキアからも有益なヒントが得られるかもしれない。ドラゴンだけど、あいつは料理が上手いしな。
「それから、準備期間中のどこかで家庭科室を借りて、試しにみんなで焼きそばを作ってみようかとも思うんだけど……どうだろう?」
「へー、いいね。やろうよ」
俺が提案すると、七瀬が快諾した。
模擬店のメンバーは、俺含めてみんな料理の経験なんかない……もしくは浅いのではと思っていた。家庭科室ではコンロは使えないけれど、サンプル的に焼きそばを作ってみることはできる。
ぶっつけ本番でやったら失敗するかもしれない。そうなったら材料がもったいないし、いろいろと支障が出るかもだし……事前にちょっとやってみたほうがいいのではと考えたのだ。まあ、家庭科室を借りる許可が下りるかは分からないけど。
「俺も賛成だ。作ろうぜ、俺達の焼きそば」
真吾も賛成してくれた。
正直言って、七瀬と真吾は難しいのではないかと思っていた。というのも、ふたりは帰宅部の俺と違って部活動をやっている。七瀬はテニス部、真吾はサッカー部だ。でも、七瀬も真吾も難色を示すことなく賛同してくれた。もう感謝しかない。
あくまで個々のスケジュールを優先し、無理やり家庭科室に来てもらうつもりはなかった。だから他のメンバーからもこれといった異論は出ず、俺の提案は可決された。
「わり、ちょっとトイレ行ってくるわ」
模擬店についての会議が一区切りついたところで、俺は席を立った。
先生にトイレに行く旨を伝えて廊下に出るとほぼ同時に、大いに見覚えのある少年と出くわした。
「ん?」
レオンだった。
この前の一件で暴走車から親子を救い、あのふたりの命を救う大活躍を見せたイフリートだ。
サンドラと同じように、ルキアにとってドラゴンガードの先輩にあたる彼。顔を見る機会は幾度かあったが、あの時までは言葉を交わしたことがなかった。
「このあいだはどうも。えっと、松野智君……だったっけ?」
「そう、覚えててくれたね」
ルキアの紹介もあって、彼も俺の名前を覚えててくれたようだ。
「学校祭の準備は進んでいるかい? 模擬店とドラゴン交通安全ポスターを兼任してるって聞いたけど」
「んなっ……!」
レオンの言葉に面食らった。
まさか、そのことが伝わっていたとは。誰から情報が漏れたのかは、考えるまでもない。
「まあ、色々あったのさ。そうだ、模擬店じゃなくてドラゴン交通安全ポスターのほうも進めなくちゃな……もう大忙しさ」
視線を逸らして頭をボリボリと掻きつつ、俺は取り繕った。
色々あった……というのは、俺が七瀬を信じずにジャンケンで敗北したということ。所詮は自業自得なわけだが、さすがにそれは恥ずかしすぎて話せない。
「大忙しか……それは俺達も同じでね。学校祭の準備期間中は、生徒達をしっかりと監視しなければならないから」
監視、という言葉がどことなく引っ掛かった。
「監視、か……そこまで神経質にならなきゃいけないのか?」
入学してから数か月しか経っていないので、俺のそれは根拠に乏しい意見かもしれない。
けど、この学校は少なくとも上から数えたほうが早いレベルの高校だし、七瀬や花凛といった『お嬢様』といえる子だって在学している。まあ、落合のような奴もいるが……あいつもルキアに負かされてからはすっかり大人しくなり、以前のように調子ぶっこいてる様子は見かけなくなった。
不良が集まる底辺校ってわけじゃないんだし、もっと生徒を信用していいのではと思ったのだが。
「どんな学校の生徒だろうが、事故の危険は常にあるものさ。窓から転落する、食事を喉に詰まらせる、授業や部活動中の事故……どんな学校だったかなんて、関係ないだろう?」
「それは、まあたしかに……」
レオンの言うとおりだった。暴力沙汰とかじゃない限りは、学校で起きる事故にその学校のレベルなんて関係ない。どんなに真面目で勤勉な生徒だって窓から転落するし、食事を喉に詰まらせるし、授業や部活動中に何らかの事故に遭う可能性がある。
廊下のどこかを見つめて、レオンは黙った。
少し考えるような面持ちを浮かべたと思うと、おもむろな様子で口を開いた。
「俺のホストファミリーはこの学校に通っててサッカー部に入っていたんだが、校内の転落事故で片足が不自由になってしまったんだ。そのせいで、スポーツ系大学への進学も諦めなければならなくなってね。今は家で、完全に塞ぎ込んでしまっているのさ」
「えっ……?」
既視感に似たものを覚えた。
どこかで聞いたことがある……というより、大いに記憶に新しい話だった。
「彼、いつも言ってるんだよ。『こんなはずじゃなかったのに』ってさ」
俺はまばたきも忘れて、レオンの話に聞き入っていた。
バラバラだったピースが組み上がるように、予感が確信へと変わっていく。
レオンのホストファミリー、それはおそらく、サンドラが言っていた事故の被害者と同一人物なのだろう。
証拠こそないのだけれど、可能性は高いように感じられた。というのも、サッカー部にいたことといい、片足が不自由になってしまったことといい、それにスポーツ系大学への進学を諦めなくてはならなくなったことといい……サンドラの話と合致する点が多かったからだ。
そんなことになってしまったホストファミリーを見ているのは、胸が痛かっただろう……その時のレオンの心中は、それこそ察するに余るものがあった。
「どうかしたのか?」
何も言えずにいた俺に、レオンは問いかけてきた。
「いや、その……家族がそんなことになっただなんて……」
俺はあえて、サンドラから事件について聞いていたということは打ち明けなかった。
だが、事故の話に胸が痛んだのは事実だ。レオンとその生徒がどんなに仲が良くて、深い絆を築いていたのかは俺には分からない。分からないが、少なくともレオンがその彼のことを大切に思っていたのは間違いないだろう。
突然事故で片足が不自由になり、夢も断たれ……俺ならば、そんなことになってしまった家族をどう励ませばいいのかすら分からなかった。
「過去に戻れるわけでもないから……俺にできることは、せめて同じような事故が起きないよう見守ることくらいさ」
レオンは歩を進め始めた。
「あれが本当に、ただの『不幸な事故』だったならな……」
俺に背を向けたまま、彼はそう言い残して去っていく。
もちろん、その表情は見えなかった。