第68話 垣間見える気持ち
「うーん……」
帰宅した俺は制服から私服に着替え、居間のテーブルに向かっていた。
そこまでは昨日と同じ流れだった。しかし今はドラゴン交通安全ポスターではなく、模擬店で出す食べ物屋のことについて考え込んでいる。
とりあえずテーブルにルーズリーフを広げて、店で出せそうな食べ物をそこに書き出していた。
学校の設備、もしくは簡単に借りられるような機材で作れそうなもの、それなりに客の受けが良さそうなもの、俺達の技量でも作れそうなもの。いろいろと制約こそあれど、とりあえず今はそんなことは度外視して、案を出すのが先決だった。
模擬店のメンバー全員でアイデアを出してくることになっているが、代表である俺は率先して考えなくてはならなかった。今日みたいに代表者会議にも出席しなきゃならなかったし、明日にはもらったプリントをみんなに見せて説明もしなきゃならない。
つくづく、代表って大変だな。
兼任しているドラゴン交通安全ポスターのことだってあるし、やっぱ自分の部屋で考えていたら進みそうにない。あそこには漫画やゲームなど、とにかく誘惑が多すぎる。
タコ焼き、お好み焼き、チャーハン、焼き鳥、唐揚げ、かき氷、わたあめ、チョコバナナ、ベビーカステラ。とにかく俺は、夏祭りの屋台で出品されていそうな食べ物を思い浮かべつつ、シャーペンで品名を書き出していった。
そこでふと、さっきのサンドラとのやり取りを思い出した。
校内で生徒が階段から転落する事故があったと彼女から聞かされた、そのあとのやり取りだ。
◇ ◇ ◇
「それって……間違いないのか?」
もちろん、俺はサンドラの言葉をすぐには鵜呑みにしなかった。
当然だろう。事故を裏で仕組んで生徒を階段から転落させるだなんて、教師がそんなことをして許されるはずがない。いや、教師以前に人として言語道断のはずだ。
「あくまで噂だし、もうただの事故として処理された話だよ。でもその生徒が転落した場所には足を引っかけるような障害物もなかったし、それに転落した生徒は秋塚のやり方にかなり反感を持っていて、揉めたこともあったサッカー部の生徒だったから……そんな噂が立つのも無理ないかもしれないね」
あんな教師だし、反感を抱く生徒がいるのも当然に思えた。
直接話したこともない、遠目にその様子を見ただけの俺が悪い印象を持つような人間なのだ。当事者だった生徒は、そりゃあもう秋塚には腹を立てていたことだろう。
「転んだ生徒は、『誰かに足を引っ掛けられたような感じがした』って証言したらしいの。でも現場に居合わせた他の生徒は、彼の周りには誰もいなかったって言ってたし……そもそも、彼が転ぶ瞬間をちゃんと見ていた人なんていなかったらしいしね」
人差し指を立てながら、サンドラは教えてくれた。
それならたしかに、その生徒が自分で躓いて転んだと判断されるのも無理はない……状況的には、単なる事故である気がした。
しかし、『誰かに足を引っかけられた』と証言しているというのが引っ掛かる。
それはつまり、単なる気のせいだったということだろうか?
「でもちょっと引っ掛かってるんだよね。本人がそう言ってるのもあるし、何より結果も重大だったから……」
「結果?」
神妙な面持ちで語るサンドラに、俺は問い返した。
すると彼女は、真剣な面持ちで俺を見据える。
「転倒した生徒さんね、その時の怪我が原因で片足が不自由になっちゃったの。それでもう、サッカーも辞めざるを得なくなっちゃって、スポーツ系の大学に推薦入学が決まってたんだけど、それも諦めるしかなかったって……」
「えっ……!?」
俺は、それが単なる事故ではなかったということを知った。
サッカーも進学も失った……つまりその生徒は、将来を閉ざされたということと同義だ。
もちろん俺は、その生徒のことは知らない。男子なのだろうが、そもそも誰で、どういう名前で、どういう顔をしていて、どのような人生を歩んできたのか……何も分からない。
しかし、サッカーが好きで懸命に練習に打ち込み、スポーツ系の大学から推薦入試を勝ち取れるほどに努力してきたということだけは分かる。
それらがすべて失われたとなれば、どれほど絶望し、悔しかっただろうか。
もはや、俺には想像もつかない……。
「それ、もしも秋塚が本当に裏で糸を引いてたって言うんなら……とんでもない話だよな」
俺が言いたいことは伝わったらしく、サンドラは頷いた。
もしも、万が一にも例の噂が真実だとすれば、秋塚はその生徒を傷つけただけではない。彼の未来を奪い、人生を閉ざさせた。いわば、命を奪わずに殺したことになるだろう。
彼女はまた、窓越しに秋塚のほうを見つめた。
「誰にも姿を見られずに生徒の足を払って階段から転落させるなんて、きっと人間にはできないと思う。でも、ドラゴンなら不可能じゃない……仮にこれから証拠が出て、例の噂が本当だって分かったりしたら、あたしはあの男を許さないと思う」
もちろん確証などなく、現時点では推測の域を出ないことだった。
日頃から理不尽な指導で有名だったし、事故に遭った生徒とも不仲だった。サッカー部の練習中にも、俺には知り得ないトラブルとかがあったのかもしれない。
だが根拠としては弱いだろうし、何より証拠もない。
それにどうか、噂は噂であってほしかった。
あの秋塚にだって、少なくとも教師としての良心があると信じたかったのだ。いくら気に食わないからとはいえ、自分の生徒を危険な目に遭わせるだなんて……。
「人を傷つけるドラゴンは最低だけど……ドラゴンを唆して人を傷つけさせる人間も、あたしは許せないから」
そう語るサンドラの横顔に、思わずまばたきも忘れてしまう。
秋塚のほうを睨む彼女の表情に、凄まじいまでの怒りと威圧感が滲んでいるように思えたからだ。
知り合ってからさほど時間は経っていないが、俺はサンドラのことを陽気で純粋な気質の女の子だと思っていた。そんな彼女からは想像もできないような鋭い目つきで、これまでのサンドラとは別人とすら感じられた。
ドラゴンによる犯罪を許さないのは、ルキアと通ずるものがある気がした。
しかしサンドラはルキアとは違い、正義感というより……うまく言えないが、『怒り』や『憎しみ』からドラゴン犯罪を嫌っているように見えたのだ。
過去に、何かあったのだろうか。
気にはなった。けれど、もちろんそんなことを尋ねられるわけがなかった……。
◇ ◇ ◇
さっきの出来事を思い返していると、いいにおいが漂ってきて……俺はシャーペンをテーブルに置いて立ち上がった。
台所へ向かってみると、エプロン姿の母さんが夕飯の支度を始めていた。さっき学校から帰ったばかりだと思っていたが、もうそんな時間になっていたのか。
「智、今日は焼きそばね。紅生姜をルキアちゃんが買ってきてくれるから」
フライパンの中で具材を炒めながら、母さんがこっちを向いて告げた。
母さんがフライパンを振るたびに、刻まれたタマネギやニンジンに豚肉、それに……ピーマンが舞い踊っているのが見える。
俺の天敵たる緑色の拷問器具が具材に使われている――と思ったが、それより先に気づくことがあった。
「焼きそばか……!」
焼きそば。
学校の設備で作れそうだし、考える限りでは特別な機材とかも必要ないだろうし、たぶん俺達の知識でもおいしく作れそうな気がする。
受けも良さそうだし、模擬店で出すにはうってつけな料理だと感じた。というか夏祭りの屋台で出品されていそうな食べ物を基準に考えていたのに、どうして思いつかなかったのだろうか。
「どうかしたの?」
じっとフライパンを見つめる俺を不思議に思ったのだろう、焼きそばを作る手を止めないまま、母さんが尋ねてきた。
いいにおいが鼻の奥にまで届いてきて、さっきまで別に空腹を感じていなかったのに食欲がそそられる。
その時だった、思わず腹が鳴ってしまった。
それなりに大きな音だったので……調理中の母さんの耳にも届いたようだ。
目を丸くした母さんが手を止める。恥ずかしさに顔がみるみる赤くなるのが、自分で分かった。
「ぷっ、あははははは! 智、そんなにお腹空いてたの?」
「やっ、別にそんなんじゃ……代表者会議もあったから疲れてたんだよ、それで……!」
俺は弁明する。しかし派手に腹を鳴らしてしまった手前、説得力なんか微塵もない。
「もうすぐできるし、ルキアちゃんも帰ってくると思うから……もう少し待っててね」
「母さん、ルキアには言わないでくれよな!」
「はいはい、分かってる分かってる」
いかにも楽しげに、母さんは応じた。
本当に分かっているのだろうか。ていうか、ここにルキアがいなくて本当によかった。俺の腹の虫をあいつに聞かれていたら、絶対からかわれていたに違いない……。
とにもかくにも、俺はテーブルの前に戻る。
そして、ルーズリーフに書き出した模擬店で出す食べ物候補リストに、『焼きそば』と書き足した。思いついた中でもとりわけ有力な候補だと感じてたので、他の料理よりも大きな字で書いた。
学校祭の準備期間が始まるまで、あとわずかだ。
明日は代表者説明会で配られたプリントをみんなに見せて、それからこのリストを模擬店のメンバーに公開し、何の食べ物屋をやるかを協議するつもりでいた。




