第66話 うらめしや
「くれぐれも安全を第一に考えて、火器の取り扱いには十分注意するように……」
事故があった翌日の放課後、俺は先生の説明を受けていた。
周囲には俺と同様に、模擬店の代表者の役割を負ったであろう生徒達が着席していた。皆模擬店についての要項が書かれたプリントを机に広げ、それに視線を向けている。
そう、これは代表者会議だ。
他の人は俺のようにジャンケンに負けたか、それとも自ら進んで引き受けたのかは分からない。分からないが、代表者となった以上は放課後の自由時間を削り、この会議に出なくてはならなかった。
説明会は三学年合同で行われていたので、俺のような一年生だけでなく、二年生や三年生もいる。
「ふあ、あ……」
俺の隣に座っている一年生(見覚えのある隣のクラスの生徒だ)が、口を手で覆いつつ欠伸をした。
説明会とはいっても、所詮はプリントに書かれた内容を先生が読み上げているだけだ。これだったら、このプリントだけを全員に配って即解散でよかったんじゃないかと思ってしまう。
しかし、俺はとりあえずは説明を聞いておくことにしていた。
ジャンケンの結果とはいえ、俺は模擬店の代表者になってしまった。なってしまった以上はやり遂げなきゃならないし、もしかしたらプリントに書かれていない重要な説明でもあるかもしれない。
と、思っていたのだが。
「よし、それでは代表者説明会はこれまで。何か不明な点でもあれば、俺のところまで来てくれ」
結局、最後まで先生がプリントの内容を朗読するだけで終わってしまった。
わざわざ全学年の代表者全員を集めて説明会を開いた意味、あったのか? と思ってしまう。まあともあれ、重要なことは一通りプリントに書いてある。これさえ失くさないようにすれば大丈夫だな。
用は済んだし、早いとこ帰ろう……と思っていたんだが、俺は道を間違えてしまった。
説明会の会場となった会議室は、普段ならまず立ち入らない場所だった。いつもの授業後の感覚でいたせいで、逆の方向へ向かってしまったのだ。
「何やってんだ……」
方向転換し、昇降口へと向かい始めた時だった。
どこからとこなく聞こえてきた声に、思わず足を止めた。
「ん……?」
耳を澄ませてみた。
「めし……や……」
……飯屋?
女の子の声のようだが、何を言っているんだ?
その声と一緒に、何だか重々しい音や楽器の音まで聞こえてきた。これは……三味線か?
何を言っているのか、それにどうして校内でそんな楽器を弾いているんだと気になった俺は、より耳を澄ませてみる。すると、声や楽器の音色が発せられている場所はすぐに分かった。
そこは、この時間は誰も立ち入らない教室の一室だ。他の教室やトイレからは離れた位置にあるので、周囲には人気もない。
好奇心からだろうか。気づいた時には、俺の足はその教室へと向かっていた。
「うらめしや……」
少女の声は、より明確に耳に届いた。
さっきは断片的にしか聞き取れなかったが、『うらめしや』と言っていたのだ。俺の知る限り、それは幽霊とかが発する言葉だった。上手く言えないが、まあ相手が恨めしいといった意味合いで……とにかく、良い意味では使われないだろう。
さらに、不気味な音楽や三味線の音もより明確に聞こえてきた。
「うらめしや……」
おどろおどろしい声色で、また発せられる。
さらに不気味な音楽と三味線が妙にマッチしていて、恐ろしくて……俺は思わず唾を飲んだ。
ゆ、幽霊か? いやそんな、まさか……と思いながら、教室のドアに手を触れる。こめかみに浮き出た汗が、一直線に頬を伝っていくのを感じた。
怖いもの見たさな気持ちに突き動かされ、俺はゆっくりとドアを開けた。
――そして、三味線を抱えるのっぺらぼうの姿を目の当たりにした。
「うわあああああっ!?」
驚いた俺は、尻もちを付く形でその場に崩れた。そののっぺらぼうは髪がずぶ濡れになっていて、まるで雨の中を走ってきたかのようだった。ぼたぼたと雫が滴り、彼女の制服に染みができているのが見える。
すると、のっぺらぼうが立ち上がって三味線を下げ、そして自らの顔に手を伸ばした。
面が外され、見知った顔が現れる。
――花凛だった。俺は驚いていたが、彼女もまた目を丸くしてこっちを見ていた。
「え? さ、智さま……!?」
その後、花凛は持参したタオルで頭を拭き、頭に花をあしらった髪飾りを着け直した。
さっきまで彼女がしていたのは、のっぺらぼうに見えるようにするただのお面だった。趣味の悪い店で売っていそうな、珍しくもないイタズラグッズだ。
「は? お化け屋敷の練習……?」
俺は花凛に、こんなことをやっていた理由を尋ねた。
至極当然だろう。のっぺらぼうの面なんか着けて、頭をびしょ濡れにして、スマホからおどろおどろしいBGMを流し、それに合わせて三味線を弾き、さらには『うらめしや……』なんて不気味な声を発していたのだから。
そう、花凛の返答は『お化け屋敷の練習』だったのだ。
「クラス展示でお化け屋敷をやることになったんです。それでわたくし、『お化け』の役という大役を務めることになりまして……だから、今から練習を始めていたんです」
へえ、クラス展示はお化け屋敷なのか。
「マジか……いや、いくら何でも気が早すぎないか? まだ準備期間にも入ってないんだぞ」
学校祭までは、まだ時間がある。
のっぺらぼうの面や三味線をわざわざ学校に持ち込み、さらに頭を濡らしてまで練習する……すごい熱の入りようだな。
熱心なのは大いに結構だが、時期尚早にも思えた。
「いえ、引き受けた以上は全力でやり遂げなくてはなりませんから。ですからわたくし、身の毛もよだつようなお化けを演じてみせますわ。役作りのために、本番では和服も着る予定なんです」
ショートボブの黒髪をさらりとかき上げて、花凛は意気込みを語った。
いつもどおりの穏やかで落ち着きのある声色だった。さっきまでの『うらめしや』という声だが、聞く分にはそれが花凛の声だとはまったく分からなかった。あんなおどろおどろしくて不気味な声、とても花凛とは結び付かなかったのだ。
そこでふと、俺は彼女が手にしているのっぺらぼうの面を見て気づいた。
「ところで、それ着けてたら前が見えないだろ? よくそれで三味線が弾けるな……」
見たところ、面には視界を確保する穴が開いていない。装着すれば、完全に前が見えなくなってしまうはずだった。
俺は弾くどころか触ったことすらないから分からないが、手元が見えなくても三味線は演奏できるものなのだろうか?
これを見てと言わんばかりに、花凛は両手で抱えた三味線をかざした。
「慣れれば、手元が見えなくても三味線は演奏できるものですわ。小さかった頃からわたくし、姉さまから三味線の稽古をつけていただいていますから」
大和撫子を体現したような女の子である花凛は、茶道や華道を嗜み、三味線の他に琴も嗜んでいると聞いていた。他にも将棋部と百人一首部を掛け持ちし、どちらも実力は折り紙つきだそうだ。
普段着は和服らしいし、お化けの役には適任なのかもしれない。
「姉さまって……この前言ってた、『クレハ』さんてドラゴンのことか?」
花凛は頷いた。
俺から視線を外し、彼女は手元の三味線を見つめる。
「『いかなる時も全力を以て臨め』、それが姉さまの教えでありまして。ですからわたくし、手を抜いたり途中で投げ出すということは好きではないんです」
「へえ……」
花凛は物静かで穏やかな気質で知られているけど、決してそれだけの子じゃないなと感じだ。
今から練習を始めるなんて時期尚早、とさっきは思ったけれど、あれは取り消しだ。責任感と使命感のもとで、全力でお化けを演じるつもりなんだな。
「あ、そうだ。お化け屋敷のシナリオもあるんですよ」
「シナリオ?」
花凛は彼女のトートバッグを探り、中から一枚の紙を取り出して俺に渡してきた。
「智さま、ぜひご覧になってください」
「あ、ああ……」
言われるまま、俺はその紙に視線を集中させてみる。
なんの変哲もないルーズリーフには、綺麗な字が並んでいた。
「ドラゴンゾンビに恋した少女……でもドラゴンゾンビは彼女を裏切って湖に突き落とし、その少女の怨念でドラゴンゾンビは生涯成仏できないようになり、やがて怨念の矛先は無関係の人々へ……」
ふと花凛に視線を向けると、彼女はいかにも興味津々といった様子でこちらを見ていた。
「いかがですか? この物語、わたくしがアイデアを出しましたの」
なるほど、湖に突き落とされたという設定があったから頭を濡らしていたんだな。
しかし、こんな物語を考えたりお化けの役を引き受けるあたり、花凛はホラー好きな一面があるのだろうか。
気にはなったが、まあ訊かないでおこう……。




