第60話 レオン
「ルッキィ、こっちこっちー!」
智達と別れたルキアは、学校の屋上に向かうために翼を羽ばたかせ、空に向かうように飛んでいた。
その最中、弾むような声に呼ばれてそちらに視線を向ける。カールしたマゼンタの髪と赤いドレスが目を引く少女が、溌溂とした様子で手を振っていた。
彼女はサンドラ、この学校のドラゴンガードとして警備業務に従事しているコカトリスであり、ルキアにとっては先輩であり、同僚でもあった。先日のファフニールの時は増援に駆けつけ、事件解決に大きく貢献した。
今日の昼休み、サンドラはルキアに屋上で待ち合わせるよう申し伝えていた。具体的に屋上のどの辺りに行けばいいのだろうかと思ったルキアは、上空から彼女を探すつもりでいたのだが、サンドラが先んじて声を掛けてくれたので、その必要もなくなった。
一気に降下して、ルキアは屋上へと降り立つ。着地と同時に、必要なくなった翼を背中から消失させた。
その場にはサンドラともうひとり、ルキアには面識のない少年が立っていた。ふたりともルキアのそれと同じ、ドラゴンガードの腕章を着けていた。
「お疲れさま、今日はちょっと連絡があったのと、ルッキィに会わせたい人がいたんだ」
サンドラは仲間に愛称を付けて呼ぶことが好きらしく、智のことを『さとっち』、七瀬のことは『なっち』と呼んでいた。そしてルキアには、『ルッキィ』というニックネームが与えられたわけである。いかにも単純なネーミングセンスではあれど、まんざらでもないと感じたルキアは、サンドラの『名付け』を快く受け入れた。
屋上に吹きつけた風に、サンドラの華やかにカールした髪が揺れた。
彼女は隣に立っていた少年を手の平で指した。察するに、彼が『会わせたい人』なのだろう。
「こちら『レオン』、あたし達と同じドラゴンガードなの」
サンドラは、彼女とともにルキアを待っていたであろうその少年を紹介した。
彼、『レオン』は軽く頭を下げながら、「レオンだよ、はじめまして」と発した。
「あっ、こちらこそ……ルキアです」
ファーストコンタクトは大事だと思い、ルキアは慌てて会釈した。
彼もドラゴンガードなのであれば、ルキアにとってはサンドラと同様に先輩であり、同僚といえる立場にある。
ドラゴンガードということは、当然ながらレオンもドラゴンということになる。そもそもルキアは鼻が良いので、レオンからも人間とは異なる、ドラゴン独特のにおいを感じ取っていた。人間の姿でいるあいだにも、においは消すことはできないのだ。
「ルキア……サンドラから聞いていたよ。サッカーゴールが盗まれた事件を解決したそうだね」
レオンの声は抑揚が少なく、いかにも冷静沈着な気質が伺えた。
「あ、そんな……あれはサンドラが助けてくれたからこそで……」
「いや、頼もしいドラゴンが加わってくれたってシルヴィア先生も言ってたよ」
ルキアの謙遜を、首を横に振りながらレオンは否定した。
長めに伸ばされた彼の髪が、左右に揺れるのが見えた。
「ルッキィ、シル姉から期待されてるよ。そうだよね、レオン」
「余計なことは言うな、サンドラ」
サンドラのほうを向くこともなく、レオンは素っ気なく答えた。
「はいはい、相変わらずレオンはお堅いね」
しかしサンドラは気にする素振りなど一切見せず、両掌を空に向けた。いかにも慣れているようで、察するにレオンはいつもこのような感じなのだろう。
ふと、ルキアはサンドラがレオンに対してニックネームを付けていないことに気がつく。さっきの自己紹介を思い出すに、『レオン』というのが彼の本名と考えて間違いないはずだった。
唯一ニックネームを付けていないとは、何か理由があるのだろうかと気になったが、尋ねる余裕はない。
「そろそろ、本題に入ろうか」
やはり抑揚の少ない声を発し、レオンは腕を組んだ。彼の両腕にはゴツゴツと筋肉が隆起しており、体格の良さも相まってパワーのあるドラゴンであることが伺える。現時点では種族も、ドラゴンとしてどのような能力を有しているのかも分からないが、きっとそれなりに戦闘能力のあるドラゴンなのだろうとルキアは感じた。
「もうすぐ学校祭がある。その準備期間のあいだ、俺達ドラゴンガードが生徒達の見張りをすることになっているんだ。だから君にも当然、その仕事に加わってもらうことになる」
「見張り……?」
レオンの説明から、ルキアは『見張り』という部分を抜き出して応じた。
「そう。学校祭の準備期間中はみんな遅くまで残ったりするし、昼間は炎天下の中で作業したりもするでしょ? 普段は触りもしない工具とか、他にも重い物を扱ったりもするから、怪我とか事故がないようにあたし達が先生方に加わって見張るってことなの」
右手の人差し指を立てながら、サンドラが説明を繋げる。
「そういうことね、分かった」
「本当か?」
不意にレオンから発せられた声に、彼を向く。
切れ長の目に捉えられ、内心ルキアはだじろいだ。
「生徒達を見張るということは、俺達は彼らの安全の責任を持つということでもある。そこを理解しているか?」
ルキアは目を見開き、「え、ええ……」と答えるのが精一杯だった。
さっき知り合ったばかりの相手から、これほど威圧的に念を押される理由が分からなかったのだ。
レオンは、返事を受けると何も言わずに歩みを進め始めた。彼はルキアとサンドラに背を向けたまま、
「後日、詳しい説明がある。今言ったことをしっかりと頭に入れておいてくれ」
そう言い残して、レオンは自身の身長の何倍もの高さまで跳躍し、ためらいもせず校舎の屋上から飛び降りていった。
「な、何か気に障ることでも言ったのかな……?」
レオンの姿が見えなくなった頃、ルキアは呟くように言った。
「気にしなくていいよ、レオンっていつもあんな感じだから」
サンドラが、ルキアの隣まで歩み出てきた。レオンが去っていった方向を見つめながら、彼女は軽くため息をつく。
「ドラゴンガードの仲間としては信頼できるけど……堅いっていうか生真面目すぎるっていうか、とにかく融通が利かない性格なんだよね。あたしが知り合った頃なんて、『レオレオ』って呼んだだけで怒られたし」
そういうことか、とルキアは思った。
サンドラが、レオンのみニックネームで呼ばない理由に関して合点がいく。単純に、彼がニックネームで呼ばれることを好まないからのようだ。
「それにきっと、やっぱりあのことも関係あるのかな……」
小さく発せられたサンドラのその言葉を、ルキアは聞き逃さなかった。
「あのことって?」
サンドラは少し考えるような面持ちを浮かべたあとで、
「まあ、いずれ知ることになる話だろうし……ルッキィ、今からする話、絶対レオンの前では言わないでね?」
言いにくいなら、無理に聞くつもりはなかった。
しかしサンドラは打ち明けることにしたらしく、その赤い瞳でまっすぐにルキアを見つめてきた。
「レオンがドラゴンステイしてる家の息子さん、この学校に通っていたんだけどね……校内の事故で片足が不自由になっちゃったの」