第56話 一件落着
真相が究明され、事件は終わった。
あのファフニールの処分については、俺の発案で今回は不問ということになった。やり方こそ極端ではあったものの、まだあいつは誰も傷つけてはいない。ホストファミリーである日比野のためにやったことだし……何よりも、日比野が母さんを亡くしていたという事実が大きかった。
母さんの代わりに、日比野を守りたい。あいつはただその一心だった、その気持ちに罪はないと感じたのだ。とはいえケジメは必要だと感じたので、謝罪させて、二度とこんなやり方はしないと誓わせた。
そして、今後は俺や七瀬、それに皆にも協力してもらって日比野を守るということになった。
「それにしても、まさかサッカーゴールを食べてしまってるとは思わなかったわね……」
俺と七瀬を背中に乗せて飛びながら、ルキアが言った。
彼女はドラゴンの姿に変身し、俺達ふたりを送り届けてくれていた。規則上、限度を超えない範囲ならば複数人を騎乗させて飛ぶことは問題ないそうだ。
「本当だね、どんな味がしたのかな?」
ポニーテールに結われた茶髪を揺らしながら、七瀬が応じた。
サッカーゴールを盗む際、ファフニールはその隠し場所に難儀したそうだ。当然だろう、あんなデカくて目立つものをふたつも置いておく場所なんて、そうそう見つかるはずがない。というか、運ぶ際に誰かに目撃されかねないだろう。
そこであいつは、その場でサッカーゴールを食っちまったそうだ。聞く分には冗談みたいな話だが、ドラゴンならば容易なことである。バリバリとサッカーゴールを噛み砕き、飲み込むあいつの姿が、頭の中に浮かんだ。
まあ確かに、腹の中に隠せば誰も見つけられないだろうな。
「でもなっち、よかったの? 弁償を肩代わりするだなんて……」
七瀬に問うたのは、サンドラだった。彼女は人間の姿に戻り、背中に翼を出現させてルキアの近くを飛んでいた。羽毛を散らしながら飛ぶ彼女の姿は、まるで天使のようだ。
そう、あの場を丸く収めるには問題があった。盗み出されたサッカーゴールがファフニールに食われ、失われてしまっていたのだ。
そこで七瀬が、『自分が父親に頼んで代わりを用意してもらう』と名乗り出たのだ。七瀬は金属加工を主力事業とする大手企業のお嬢様であり、それくらいは造作もないと言った。
「全然大丈夫だよ。智も言ってたとおり、あのファフニールが事件を起こしたのはあくまで家族のためなんだし……それに、私も日比野君の力になりたいから。できることがあれば、協力するよ」
日比野の事情を知ったのは、七瀬も同じだった。
「へえ……あなた、智君て言うんだね」
サンドラが話しかけてきて、俺は彼女を向いた。
「『さとっち』って呼んでもいいかな?」
「え、別にいいけど……」
不意にニックネームを授与されて、内心面食らった。
思えば七瀬のことも『なっち』って呼んでたし……ニックネームを付けるのが好きなのだろうか。
「学校で会ったらよろしくね、それじゃあたし、こっちだから……またね!」
彼女もルキアと同じく、俺が通う高校でドラゴンガードをしている。きっと今後、顔を合わせる機会もあることだろう。
翼を大きく羽ばたかせたと思うと、サンドラの姿がぐんと遠くまで離れていく。俺は彼女に手を振った。
「さようなら、サンドラさん!」
と七瀬。
「来てくれてありがとね!」
とルキア。
ふたりの声はしっかりと届いたらしく、サンドラが手を振り返すのが見えた。
その後、七瀬を家まで送って、俺とルキアだけになった。
許可をもらって角を掴み、俺は彼女の背に寝そべる姿勢で騎乗していた。ドラゴン独特の体温が、腹から伝わってくるのを感じていた。
「とりあえずは、一件落着か」
前方に広がる夜の街の風景を眺めつつ、俺は呟いた。
とは言ったものの、まだ問題は残ってる。家に帰ったら、母さんを起こさないように部屋まで行かなきゃならない。夜中に抜け出したのがバレたら、きっと面倒なことになるだろう。
それでも、この件を解決できたことは大きい。これできっと、真吾も思い切りサッカーの練習に打ち込めることだろう。
「けど、やっぱり気になるわよね」
ルキアが、聞き覚えのある言葉を発した。
「気になるって?」
「決まってるでしょ? あんたの力のことよ」
前方を見やり、翼を規則正しい間隔で羽ばたかせながら、ルキアは言う。
「あのファフニールのオナラも、サンドラの超音波も……普通の人間ならまず平気でなんていられないはずなのに、あんたはほとんど影響を受けていなかったでしょ? あんたのゲスな同級生とやり合った時もそうだったし、何ならあの火事の現場に突っ込んだ時から思ってたけど……あんたの『謎の力』が働いているのよ」
「火事の現場って……お前がうちに来てすぐの、あの時のことか?」
ルキアが言っているのは、ドラゴンによる放火事件が起きた時のことのようだ。俺はたまたま現場に居合わせ、炎上する家の中に女の子が取り残されていると聞き、いても立ってもいられなくなって突っ込んでいってしまった。
あとからルキアが助けに来てくれて事なきを得たけれど、そうじゃなければどうなっていたか……想像もできない。
「あの時あんた、火の中に突っ込んでいながら火傷も負っていなかったでしょ? そもそも、服にすら汚れのひとつも付いていなかったわよ」
「え、そうだったのか?」
思い返せば、あの時は熱かったけれど……『痛い』とは感じなかったな。
「間違いなさそうね、やっぱりあんたには何か……完全にとはいかなくとも、『ドラゴンの力を打ち消す』能力があるのよ。それが何なのかは、見当もつかないけどね」
「ドラゴンの力を打ち消す……いや、まさかそんな……!」
とは言ってみたものの、確かにそうじゃなきゃ今までの出来事の説明がつかない。
もちろん、俺にはそんな能力に心当たりなどないし、根本的に普通の人間がそんなものを持ち合わせているはずなんか……。
右手の平を見つめて、考え込んでいた時だった。
「まあ、少なくとも……今はそんなに深刻に考える必要もないんじゃない? あんたにとって害になるものじゃなさそうだし」
ルキアの言うとおりだった。
自分にこんな力があるなんて知る由もなかったし、得体の知れないそれがどことなく恐ろしくも思えた。だが少なくとも、俺にとって悪い影響を及ぼすものではないのは確かだ。
力の正体を突き止めたいと感じたが、現時点では調べる方法もアテもない。
「とりあえず、今日はもう休むことね。今度からあのファフニールのホストファミリーの子……守ってあげることにしたんでしょ?」
「ああ……そうだな」
「あ、そうだ」
ルキアが、何かを思い出したように言った。
空を飛んだまま、首を曲げるようにして俺のほうを向いてくる。青い瞳に、俺の顔が映った。
「できることがあれば、私も協力するわよ」




