第55話 語られる真実
「うう、くらくらする……」
頭を押さえながら、七瀬が言った。
サンドラの超音波を近くで受けてしまい、その影響で頭痛がするらしい。とはいえ、そこまで重傷というわけではなく、少し休んでいれば治りそうな程度だそうだ。
ルキアも同様……というかむしろ、七瀬以上に彼女のほうが心配だった。人間以上に五感が鋭いのだから、超音波によるダメージもより大きくなるだろう。屁を嗅がされた時といい、耳や鼻がいいことが裏目に出る場合もあるんだな。
「ごめんねふたりとも、大丈夫?」
ルキアと七瀬の肩に手を置いて、サンドラが声を掛けた。彼女はすでに人間の姿に戻り、臨戦態勢を解いていた。
「うん、私は大丈夫……」
七瀬が応じる。
頭痛は収まり始めているらしく、彼女の表情からは苦悶の色が薄れつつあった。
「私も……超音波を使う時は、一言お願いしたいわね」
「今度からそうする、ほんとごめんね!」
ぴらぴらと手を振り、軽い感じでサンドラは応じた。
間近で改めて顔を見て、本当に美人だと感じた。見た目だけじゃなくて、スタイルまで良いし……ドラゴンじゃなくて普通の人間の子だったら、間違いなくモテていただろう。
こんな子が、凶悪なドラゴンを何体も捕まえた実績を持つ腕利きのドラゴンガードだというのだから、ギャップがすごいな。しかしさっきの戦いぶりを見る限り、十二分に頷ける気がした。
「ところで、あなたは大丈夫なの?」
こっちを向いて、サンドラが問うてくる。
彼女と言葉を交わすのは、それは初めてだった。
「あ、ああ。俺は別に平気……」
超音波を受けた時は頭が割れるかと思ったが、今は何ともなかった。
「本当? あたしの超音波を受ければ、普通の人なら無事じゃ済まないはずだけど……」
「それじゃ、俺よりあいつの心配をしたほうがいいんじゃない?」
俺は、グラウンドの地面に座り込んでいる男を指差した。
肥満体型で、オレンジの髪をしたそいつ――ファフニールの人間の姿だ。
さっきまでこいつは気絶していたのだが、目を覚ましても襲ってくる様子はなかった。戦力差を思い知り、観念したのだろう。
「う、ぐぐ、き、気分が悪い……!」
まるで二日酔いのオッサンがごとく、頭を押さえて悶えている。
サンドラの超音波を一番間近で受けたのはこいつだ、ダメージが軽いはずがない。その様子を見る限り、立ち上がることもままならないようだった。
ルキアとサンドラが歩み寄り、ファフニールの前に仁王立ちする。
「さ、もう逃げられないわよ。こんなことをしでかした理由、聞かせてもらおうかしら」
ルキアが呼び掛けた。彼女の隣では、サンドラも腕組みをして奴を睨んでいた。
ファフニールには逃げ道はない。ましてや、抵抗などもってのほかだろう。状況はまさにチェックメイト、詰みだった。
「う、うぐぐ……」
悔しがるような声を出すと、ファフニールは大きくため息をついて視線を下げた。
「ホストファミリーの……マサトのためだよ」
「えっ?」
不意に奴の口から、聞き覚えのある名前が出てきて……俺は目を丸くした。
聞き違いじゃなければ、今……『マサト』って言ったよな?
「ホストファミリー? ってことはあんた、ドラゴンステイしているの?」
驚いた様子で、ルキアが問う。
無理もない、人間の家族としてともに過ごしている立場でありながら盗みを働くなど、常識的にありえないことだった。
ファフニールは頷くと、
「マサトの母さん、去年病気で亡くなってしまったんだ。そ、それでぼきゅは代わりにマサトを守るって誓ったのさ。で、でもマサトは悲しみから立ち直れなくて、高校に進学しても友達もできなくて……とりわけ運動が苦手で、体育の授業が苦痛で仕方がないって悩んでたんだ」
同じ名前の別人かと思った。しかしその話を聞くうちに、パズルのピースが組み上がるように、浮かんだ予感が頭の中で確信へと変わっていく。
マサトという名前、友達がいない、そして運動が苦手……きっと間違いない。奴が言っているのは……。
「この前、サッカーの授業で嫌がらせをされたって言ってたんだ。だ、だからサッカーゴールを盗めばもうサッカーの授業がなくなると思って……でも今度はバスケの授業で責められたって言うから、だ、だから今度はバスケットゴールを盗んでやろうと……!」
そういうことだったのか、と一応の納得を覚えた。
ホストファミリーがサッカーの授業を嫌がっている、だからサッカーゴールを盗んだ。今度はホストファミリーがバスケの授業で嫌な思いをした。だからバスケットゴールを盗もうとした……単純で分かりやすい動機だった。
けど、いくらなんでも……。
「なるほど、その『マサト』って子のために手を汚したってわけね。でも、発想が短絡的過ぎるのよ。今後その子が『もう学校に行きたくない』って言ったらどうするつもり? 学校を丸ごと叩き潰したりでもするの?」
俺の気持ちを代弁するように、ルキアが言った。
私利私欲のためじゃないのは分かるが、ファフニールの動機は短絡的だし、安直だった。
「少なくともあたしだったら、そんなふうに助けてもらっても嬉しくないし……家族が罪を犯せば残念に思うし、悲しいけどな……」
サンドラも、ルキアに続いた。
ファフニールは何も言わず、ただ俯いた。自分のやったことが間違いだったと気づいたのだろうか。
一時の沈黙が流れる。俺はその合間を縫うようにして、口を開いた。
「なあ、お前が言ってる『マサト』って……もしかして、日比野真人のことか?」
ファフニールが顔を上げて、驚いた表情でこっちを向いた。
「えっ? お、お前……知ってるのか?」
俺は頷いた。
「知ってるも何も、同じクラスだよ」
「私も同じクラスなの。日比野君のこと、知ってるよ」
隣に歩み出てきて、七瀬も続いた。
やっぱりそうだったのか、このファフニールのホストファミリーとは、俺や七瀬と同じクラスの日比野真人だったのだ。
内向的であまり誰かと話したがらず、運動が苦手だということは知っていた。だが、まさか去年に母親を亡くしていただなんて知る由もなかった。家族の死……か。俺は経験したことがないので想像もできないが、相当に辛い思いをしたのだろう。
このファフニールが犯罪に手を染めたのも、そんな彼を思い遣っての気持ちからに違いなかった。いなくなってしまった母さんの代わりに、何としてでも家族を守ろうとしたのだ。
やり方は極端だし、ルキアが言ったように発想は短絡的すぎるが……その気持ちまで間違っているとは、俺には思えなかった。
「あのさ、ひとつ提案があるんだけど……これからは俺も、日比野が嫌がらせをされたりしないように協力するよ。もちろん友達になったっていい。真吾もいるし、花凛だっているから……だから、この場は手を引いてくれないか」
前々より気に掛かってはいたのだが、日比野の家庭事情を知ったら、放っておけないと強く思えてきた。
「智、私も……」
七瀬が、俺の肩を叩いてくる。
振り返ると、彼女は自分の顔を指差した。
「そうだったな、七瀬もいるから……親を失った気持ちを分かることはできないけど、お前が盗みなんてやるより、よほどマシな方法だと思うんだ。やり方はともかくとして、そこまでして日比野を守ろうとするほどに家族を思い遣れるお前なら、分かるだろ?」
現時点では、こいつは人を傷つけるようなことはしていない。
しかし今後日比野がいじめられるようなことがあれば、下手をすればこのファフニールはそいつを襲いかねない気がした。言うなれば、それは最悪の事態だ。
日比野のためにも、こいつのためにも……ここでどうにかしなくてはならないと思ったのだ。
ファフニールは俯いたまま、何も言わなかった。
けれど、その首がわずかに縦に振られたのが見えた。