第51話 さらなる隠し玉
二体のドラゴンが相手目掛けて突進したのは、ほぼ同時のことだった。
距離が詰まった瞬間、ルキアとファフニールがお互いの両手を掴み合い、真正面から押し合う状況となる。ドラゴン同士の腕力の鍔迫り合いは、さながら巨大な山と山のぶつかり合い。怪獣映画顔負けの迫力があった。
双方の力は拮抗しているように見えたが、わずかにルキアが押していた。
「ちっ、クネクネしてる割に力があるな……!」
忌々しそうに、ファフニールは言った。そのあいだにも、彼の身は少しづつ、しかし確実に後方へと押し動かされている。
ドラゴンの姿に変身したルキアは、細く曲線的でいかにも女性的なフォルムをしていた。青い目や白い身体など、外見的特徴だけでなく、その体系にも人間の姿でいる時のルキアの面影が残されていた。
彼女のフォルムからは、とてもファフニールを押し返すほどの力があるようには見えないが、その表情には余裕すら浮かんでいた。
「そういうあんたは、メタボのお手本みたいな体をしてるわりに力がないわね」
体型のことを言えば、ファフニールの逆鱗に触れかねない。しかしルキアはもう、そんなことにはお構いなしだった。
相手を『メス』呼ばわりする無粋な輩に、礼儀を払う必要などない。
「ぐっ、こ、この野郎!」
ルキアの手を振りほどくと、ファフニールは彼女の顔面目掛けてパンチを繰り出した。
重量とスピードを伴っていたものの、ルキアはそれを横に受け流す形で打ち払い、無力化する。それでもファフニールは懲りることなく、続けざまに同じような攻撃を繰り出した。しかし、ルキアはそのすべてを難なく打ち払い、時には翼を盾にする形で受け止めてしまう。
必死の形相を浮かべるファフニールに対し、ルキアは表情を曇らせることすらなかった。
「あ、あ、当たりやがれ!」
ことごとく攻撃をあしらわれてヤケになったのか、あるいは女性であるルキアに押されて苛立ちが募ったのか。
ファフニールはそう叫びながら、大振りなパンチを繰り出した。それはこれまで以上の威力を乗せた一撃だったのだが、同時により大きな予備動作を伴ってもいた。
拳を振り上げた時点で、ルキアはその攻撃の方向や軌道を瞬時に読み切り、ほんの少し身を横へ動かした。たったそれだけの動作で、ファフニールの拳は目標を失い、空を切った。
それだけでは、終わらなかった。
隙を突いたルキアは後方へと回り込む、そして彼女はガラ空きとなった相手の背中目掛け、その尻尾を叩き付けた。
「おごっ!」
鞭のごとき勢いで振り抜かれたそれは、ファフニールを遠くへと跳ね飛ばした。
ドラゴンの姿に変身した時にのみ使えるルキアの尻尾は、器用さと強靭さ、それにリーチも兼ね備えている。翼や炎と並ぶ、彼女の強力な武器のひとつであると言えるだろう。
打ち飛ばされたファフニールは砂埃を舞い上げながらグラウンドを転がり、おもむろに立ち上がってルキアに向き直った。
ファフニールの防御は、絶対ではなかった。
至極単純なこと、物理攻撃が脂肪の壁に阻まれてしまうのならば、腹部ではなく背部を狙えばいいだけの話。どんな強固な盾を構えていようと、周囲を完全にカバーすることはできず、後方はガラ空きとなる。
防御の死角を突くこと、それがルキアが導き出した策だ。
「く、くそ……!」
ルキアが真の姿に変身したことで、戦況は明らかに、彼女に有利な方向へ傾いていた。
そもそも、ルキアは決してファフニールに押されていたわけではない。体育館の中では、周囲の備品に気を遣って全力を発揮できなかっただけだ。
「あんたにとっての死刑って、一方的にぶちのめされるって意味?」
「ち、ち、畜生! こ、このままじゃ済まさないぞ!」
力の差は感じ取っているのだろうが、ファフニールは往生際悪く抵抗の意を示した。しかしその様子を見れば、狼狽しているのは明らかである。
きっと彼は、ルキアがここまで強いとは思っていなかったに違いない。本力を発揮したルキアの戦闘能力を完全に見誤っており、自分がとんでもない相手にケンカを売ったということに今頃になって気づき始めているのだろう。
ファフニールはすぐに、次の手を繰り出してきた。
腹が膨れるほどに息を吸い込む、次の瞬間、彼はグラウンドの地面目掛けて思い切り息を吹き出した。
特殊なブレスではなかったが、強風のごとき勢いで放たれたそれは砂埃を舞い上げ、ルキアの死角を遮断した。
「視界を塞いで逃げようっての? 無駄よ!」
ルキアは翼を羽ばたかせて、ファフニールが舞い上げた砂埃を一気に打ち払った。
視界が開ければ、すぐにでも相手の姿が見えると思った。
(えっ、いない……!?)
ルキアは表情を曇らせた。
前方にいたはずのファフニールの姿が、どこにも見当たらなかったのだ。
あんな巨体で目立つフォルムのドラゴンなのだ、隠れようがないはずだし、ここには物陰になるような場所もない。そもそも砂埃で視界が奪われたのはほんの数秒なので、身を隠す時間すらなかったはずだ。
どこに消えたのか?
ルキアは周囲を見渡した。その時だった。
「ルキア、上だ!」
智の声に、ルキアは弾かれるように上を向いた。
そして、頭上に浮かんでいたその物体に気づき、目を見開く。
夜空を背に飛んでいたファフニールは、まるでアドバルーンのごとく球状に膨れ上がっていた。正確には飛んでいたのではなく、浮かんでいるのだ。
はっきりとは分からないが、どうやら砂埃でルキアの視界を奪った隙に思い切り息を吸い込み、全身を膨らませて空へと浮き上がったようである。その大きさは先程までの数倍はあり、月光が遮断されてドラゴンに変身したルキアの全身が陰になってしまうほどだった。
屁や脂肪の壁に加えて、こんなトンデモ能力まで持っていたのか、とルキアは内心面食らう。
しかし、驚いている暇はなかった。
浮かび上がったファフニールは、自分の頭上にいるのだ。次に彼が何をするのか、どんな攻撃を仕掛けるつもりでいるのか――ルキアには容易に想像がついた。
「つ、つ、潰してやるぞ!」
嫌な予感は的中した。浮かび上がっていたファフニールが、ルキア目掛けて一直線に落下してきたのだ。全体重と、かなりの速度を加えて繰り出されたボディープレスだった。
予想外の攻撃を繰り出され、回避する余裕などなかった。なす術もなく、ルキアは下敷きとなった。
地震のごとき振動と砂埃、そして轟音がグラウンド中に響き渡った。