第49話 リーサルウエポン?
戦況はまさに、膠着状態にあった。
物理攻撃は脂肪の壁に阻まれ、炎は吸い込まれて吸収・無効化される。ルキアにはそれ以外に攻撃手段がなく、ファフニールには一切のダメージを与えることができない。
対して、ファフニールの攻撃もまた、ルキアには通じなかった。
彼が繰り出す攻撃には、その一撃一撃に見た目に違わない威力が込められていた。しかしルキアの俊敏さはそれらを容易くかわし、また彼女の翼による強固な防御はそれらを完全に阻み、防ぎ続けていたのだ。
互いの攻撃が、ことごとく無に帰す状況。
一応、ルキアには戦況を進展させる手段がないわけではなかった。そもそも彼女は真の姿に変身していなく、自身の力を完全に発揮していない。
しかし、ここは体育館。
ドラゴンガードという職務を遂行している最中である以上、この場で本気を出して戦うのはどうしても気が引けてしまう。
(備品を壊したりすれば、さすがに大目玉よね……!)
ドラゴンの姿に変身すれば、ファフニールの防御を打ち破る自身があった。
しかしそれでは恐らく、周りにも被害を及ぼしてしまう。尻尾の一振りで壁に風穴を開けてしまう自信があったし、ルキアが本気で放つ炎ならば不燃塗料もろとも周囲を炎上させてしまうだろう。
少し床を壊すだけでも、どれほどの影響が出るか分からない。誇張抜きにして、体育館が使用停止になるという事態に発展しかねないのだ。そもそもサッカーゴールを盗み出した犯人を捕まえるのが目的なのに、更なる被害を出しては本末転倒だろう。
ならば、どうすればいいのか。
ファフニールから一旦距離を取り、ルキアは思案する。答えは簡単に出た。
(とりあえず、思い切り戦えそうなところに誘い出すか。それともサンドラが来てくれるまでここに足止めし続けるか……!)
思い浮かんだ選択肢は、現時点でふたつだった。
周りに気を遣うことなく、気兼ねなく戦えそうな場所――たとえばグラウンドなどに移動し、戦闘力を最大限に発揮してファフニールを制圧すること。もうひとつはこの状況のまま時間を稼ぎ、増援を待つことだった。
望ましいのは、前者の選択であるとルキアは結論付けた。増援を待とうにも、サンドラがいつこの場に来てくれるのかは分からない。今から何時間も過ぎてからでは遅すぎる。
では、どうやって相手をここから連れ出し、おびき出すか。
「あまりダラダラとここに留まるのも危険か、わ、悪いけど次で決めさせてもらうぞ……!」
ルキアが考えていた時、ファフニールがそう宣言した。
ひとたび頭に血が上れば、他のことが一切見えなくなる気質かと思っていた。しかし意外と頭も回るようで、もしかしたら増援が駆けつける可能性に気づいたのかもしれない。
「『次で決める』って、何をしようっての? あんたの攻撃は、私には通じないわよ」
「ふ、ふふ……は、ははははは!」
ファフニールが突如、腹を抱えて笑い始めた。
「お、お前馬鹿か? ぼ、ぼきゅが攻撃方法を全部見せているとでも思ったか! い、今からとっておきのリーサルウエポンを披露してやるよ!」
リーサルウエポン――つまるところの、『最終兵器』。
ルキアは即座に智と七瀬のところに駆け寄り、その前に立った。ふたりに危険が及べば、すぐにでも庇えるようにするための位置取りだ。
「ルキア!」
「ルキアさん!」
智と七瀬が呼び掛けてくるが、ルキアはファフニールを注視したまま振り返らなかった。
彼女の背中には翼が出現させられたままになっていて、何かあればすぐにそれを盾にできるようになっていた。
「ふたりとも、そこから動かないで!」
危険を察知していたルキアは、とにかく智と七瀬を守ることを第一に考えていた。
ファフニールが両手の拳を握り、その場で身を屈め、何やら力を溜め始めた。
何をする気なのか? 物理攻撃か、それともブレス攻撃か。彼の言うところのリーサルウエポンが何なのか分からない以上、ルキアにできるのは、即座に対応できるように身構えていることだけだった。
まばたきもせず、ルキアはその動きを注視する。
「い、い、い、行くぞ!」
来る! ルキアがそう思った次の瞬間だった。
体育館中に、その音が響き渡ったのだ。爆音のごときそれは、ファフニールの背部から発せられたように聞こえた。しかし、危機的状況を想起させるにはどことなく間が抜けていて、日常生活でも大いに聞き覚えのあるその音。
音の正体を察するのに、さほどの時は要しなかった。
それは、放屁の音だった。
「……は?」
戦闘中にはあまりにも不似合いな、素っ頓狂で間の抜けた声を出してしまう。
状況を理解できずにいるルキア達に対し、ファフニールは笑みを浮かべながら後方へと飛び退き、その翼を羽ばたかせた。
次の瞬間、表現しようのないほどの臭いがルキアの鼻に飛び込んできた。
「うっ、げほっ! げほっ!?」
さらに後ろにいた七瀬も、鼻を押さえて咳き込み始める。
「やああっ! く、くさいいいいい!?」
空気中に充満させた屁を、ファフニールは翼を羽ばたかせて発した風圧に乗せてルキア達に放ったのだ。
涙が滲むほどのそれは、もはや屁という範疇を逸脱し、激臭を伴ったガス兵器そのものだった。
鼻を手で覆って咳き込む、ルキアはそれ以外の行動を封じられてしまい、ファフニールの様子を窺うことすら忘れてしまう。それほどまでに強烈な臭いだったのだ。
「ごほっ、げほっ! 最悪……!」
「ちょ、大丈夫かふたりとも!」
そんな中、智が駆け寄ってきてルキアの肩を叩いた。
ルキアと七瀬がパニックになる中で、彼だけが平気そうにしており、鼻を覆うことすらしていなかった。
「だ、大丈夫なわけないでしょ! 私の嗅覚、人間の何倍だと思って……ていうか、どうしてあんた平気なのよ!?」
「へ? いや、確かに臭いっちゃ臭いけど……そんな大げさにリアクションするほどか?」
しれっとした様子で、智は応じた。
「さ、智……ごほっ! どうして平気なの!?」
ルキアはもちろん、人間の七瀬まであまりの臭いに悶絶していた。それなのに智は何故か、平気そうにしていたのだ。到底、やせ我慢しているようにも見えない。
どういうことなのか? 激臭に噎せながら、ルキアは智の顔を見つめる。
しかし、今はそんなことを考えている場合ではなかった。
「ぶははは、ざまあみろ! あ、あ、あばよ!」
捨て台詞を残して、ファフニールが体育館から逃走していったのだ。
追わなければと思ったが、依然として臭いが充満し続けており、ルキアは咳が止まらない。
「翼で臭いを飛ばせばいいんじゃないか?」
「うげほっ、そっか……!」
智の提案に、ルキアは頷いた。
まさか、彼に助言される時が来るとは思っていなかった。
背中の翼を羽ばたかせ、ルキアはその場で風を巻き起こした。それによって空気が循環し、臭気が飛ばされて散り散りになる。やっと息ができるようになった。
「ったく、何が『リーサルウエポン』よ。ただの『ものすごいオナラ』じゃない。七瀬さん、大丈夫?」
滲んだ涙を拭いつつ、ルキアはまず七瀬に問うた。
「うん、とりあえず。服ににおい付いてたらやだな……」
七瀬も無事なようだ。
ルキアは智に向き直った。どうして彼だけが平気だったのかが、気になったのだ。
「どうした? 急いであいつを追わないと……!」
ファフニールが走り去っていった方向を指差しつつ、智が言う。
ルキアは我に返った。彼の言う通り、今は考えている時ではない。このまま、ファフニールを逃がすわけにはいかなかった。
「だ、だけどまた同じことをされたら? こんなにおいを何回も嗅がされたら、ルキアさんだって参っちゃうよね……!」
七瀬が制する。
彼女の言うように、ファフニールが放ったのはもはや屁という次元を超えており、一体何を摂取すればこんな臭いが生成されるのか問い詰めたくなるほどで、何度も嗅がされれば身体に悪影響を及ぼしかねないレベルだったのだ。
また喰らおうものならば、冗談抜きで気を失いかねない。
「参ったわね、鼻をつまんで戦うわけにもいかないし……」
屁を抜きにしても、ファフニールはルキアの攻撃をことごとく無効化してしまう厄介な相手だ。
何か対策を考えなければ……と、ルキアが思った時だった。
「ん、鼻をつまむ? あ……そうだ!」
智が、何か閃いた様子を見せた。
彼は右手の人差し指を立てて、ルキアに向き直った。
「俺に考えがある!」




