第48話 絶対防御
「ぼきゅをデブだと言ったことを、こ、これから存分に後悔させてやる! ひ、ひねり潰してやるぞ!」
拳を鳴らしながら、ファフニールはルキアに宣言した。
ルキアは『デブ』とは一言も言っていないのだが、どうやら話を聞くつもりはないようだ。あのファフニールはとてつもなく思い込みが激しく、ひとたび暴走すればもう止まらないタイプの気質らしい。
巨体に反してその動きは素早く、脂肪の壁で物理攻撃を吸収するという奇抜にして厄介な能力まで持ち合わせている。一筋縄ではいかない相手であることを、ルキアは感じ取っていた。
だがもちろんのこと、引き下がるつもりはない。
ドラゴンガードの役目を果たすべく、ルキアはサッカーゴールを盗んだ犯人であるあのファフニールを捕えなくてはならなかったのだ。
「上等よ、やれるもんならやってみなさいっての」
一片たりとも怯む様子を見せず、ルキアは言い返した。
わけの分からない叫び声を上げながら、ファフニールが飛び掛かってきた。
ルキアに向けて、連続してパンチが繰り出される。その一撃のひとつひとつに自重が乗せられており、かなりの威力を伴った攻撃だった。脂肪を盾にして攻撃を防ぐことといい、あのファフニールは自身の体型を最大限に有効活用しているのが分かる。
ルキアは、ひたすらに攻撃を両手で打ち払い続けた。時には避け、時には翼を盾にして受け止めた。
そして合間を縫うように、反撃を繰り出す。
しかし、そのすべてが最初の一撃と同様に脂肪の盾に阻まれてしまい、まったくダメージにならなかった。より威力のある蹴りも喰らわせたが、結果は変わらなかった。
大振りで繰り出された攻撃を後方に飛び退いて避け、ルキアはそのまま距離を取った。
「そんな攻撃を繰り出しても無駄だ無駄! ぼ、ぼきゅの防御は絶対だ!」
ファフニールが、また自身の腹部をバンと叩いた。
彼の言うとおりだった、物理攻撃を繰り出しても意味がないようだ。
「そうみたいね、だったら……!」
ならば次なる一手は決している、物理攻撃ではない攻撃を繰り出すだけのことだ。
ルキアの口元に、炎が迸った。
「これなら、どうかしら!」
直後、ルキアは上半身を大きく後ろに屈め、思い切り息を吸い込み――そして炎を吹き出した。
ここは体育館の中だったが、壁や床全体が不燃塗料でコーティングされていることは事前に説明を受けていた。ドラゴンが人間と共存している昨今では、公共施設でも民家でもそういった処理がされているのが主流だった。
しかしながら、ルキアが放ったブレスは最大出力ではない。燃焼への対策が施されていると知っていても、やはり少なからず気が引けてしまうからだ。
とはいえ、威力を抑えていても無傷では済まないだろう。物理攻撃ではない以上、脂肪での防御も無意味なはず――ルキアはそう思った。
思ったのだが、ファフニールが不敵な笑みを浮かべたのが見えた。
「っ!」
あの余裕は何だ? 炎を吹きながらルキアは思う。
その疑問の答えはすぐに分かった。
迫りくる炎を前に、ファフニールがその口を大きく開けた。次の瞬間、なんと彼はルキアが放つ炎を吸い込み始めたのだ。
吸い込まれた炎はその熱までも吸収され、完全に無効化された。
このまま攻撃し続けていても無駄と感じ、ルキアは一旦炎を吹くのを止めた。
「まさか、そんなのアリ……!?」
脂肪で物理攻撃を吸収するというだけでも奇抜で厄介な能力だったが、まさかブレス攻撃までも無効化する手段を持ち合わせているとは思わなかった。
腹を押さえながら、ファフニールは舌なめずりをする。
「くく、物理攻撃じゃなければぼきゅにダメージを与えられるとでも思ったか? お、大間違いだ!」
炎を無効化された以上、ルキアにはもうそれ以上の攻撃手段は持ち合わせがない。
何も、言い返すことはできなかった。
「し、しかし妙な味だな……」
ファフニールは呟き、怪訝な表情を浮かべつつ自らの腹部を見つめた。
吸収された炎は、今もその中で燃えているのか。あるいは、完全に消滅したのだろうか。ルキアには分からない。
「ぼきゅは今まで、何百ものドラゴンの炎を吸い込んできた。しかし、お、お前のは何だか……は、初めてというか、他のドラゴンの炎とは違うというか……と、とにかく慣れない味だ」
ファフニールの発言に、ルキアはただ眉をひそめた。
顔を上げて、ファフニールは再びルキアと視線を重ねた。
「まあ美味いが……お、お前、もしや何か重大な秘密でも隠してるのか?」
「さあ? 知らないわよ」
身に覚えがないルキアは、ただ素っ気なく答えるしかなかった。
ファフニールの言葉の意味など、考えようとも思わなかったのだ。
◇ ◇ ◇
「どういう意味だ……?」
体育館の隅で戦いを見守っていた俺は、あのファフニールの言葉が引っ掛かった。
引っ掛かったのだが、今は深く考えているような状況ではない。
「智、助けを呼んだほうがいいんじゃない?」
七瀬の言葉で我に返る。
戦いを見守っていて、少なくとも俺には状況はルキアに不利であるように見えた。
パンチや蹴りは脂肪で跳ね返され、炎は吸い込まれて吸収されてしまう。ルキアが繰り出せる攻撃が、ことごとくあしらわれてしまっている。知っている限りでは、もうルキアが扱える攻撃手段はない。
だとしたら、もうダメージを与える方法はない……それは、勝ち筋が閉ざされたことと同義であるように思えた。
しかしあのデブドラゴン、あんな見た目をしていながら、非常に面倒な相手だ。はっきり言って、落合の時や爆弾魔岩石ドラゴン以上に厄介なのではと感じた。
ルキアの強さに疑問があるわけではないし、彼女が負けるだなんてにわかには考えづらい。
だが、もしものことがあれば……。
「そうだな……!」
七瀬に応じつつ、俺はポケットから携帯電話を取り出そうとした。
取り出そうとしたのだが、そこでさっきのルキアの話を思い出した。
「いや、そういえば……ルキアの仲間があとから様子を見に来てくれるって話じゃなかったか?」
「あ、そうか……サンドラさんが!」
俺は、たびたび話題に上っている『サンドラ』という子のことを知らない。
しかし七瀬の話を聞く限りでは、その子は腕利きのドラゴンガードで、ルキアの先輩の立場にあたるらしい。ルキアは『彼女』と言っていたので、女の子なのだろう。
思い返せば、凶悪なドラゴンを何体も捕まえた実績があり、先生方からも信頼されているとのことだった。そんな子が増援に駆けつければ、戦況は覆るかもしれない。
いや、そうでなくとも……少なくとも俺には、ルキアがこのまま成す術なく敗れるとは思えなかった。
これまで幾度か、彼女の圧倒的な強さを目の当たりにしてきたからなのだろう。確証こそないのだが、ルキアがあのファフニールの絶対防御を打ち破れるという気がしてならなかったのだ。
「もう少し……様子を見よう」
戦いはまだ始まったばかりで、俺達が介入するにはまだ時期尚早であると結論付けた。




