第44話 夜の学校
時刻は午後九時を回っていた。
夜の帳に包まれた学校には、もちろん生徒の姿はない。教員用駐車スペースにも車は一台も停車しておらず、教員も全員が仕事を済ませ、帰宅していることが分かる。花壇や植え込みからかすかに虫の鳴き声が聞こえるが、どこからも人の声は聞こえなかった。
校内の照明は当然ながら電源を落とされていたが、敷地内にいくつか設置されたLED街路灯と月の光が周囲を照らしていたので、真っ暗というほどではなかった。
なので、この場に赴いたルキアはすぐに、校門の近くに智がいることに気づいた。
サッカーゴールが何者かに盗まれ、その対策としてドラゴンガードが誰かひとり、見張り役として常駐することになった。ルキアがそのトップバッターを務めることになったのだが、自分のホストファミリーがいるなど夢にも思ってはいなかった。
「で、どうしてあんたがこんな時間にここにいるわけ?」
学校の敷地と歩道を隔てるフェンスに背中を預け、腕組みをしながらルキアが尋ねる。
ルキアの見たところ、いつもならば智は本来この時間には自室で勉強をするか、それともゲームでもしてすごしていた。
「いや、えっと……その……」
智はごまかすように、後頭部をぽりぽりと掻いた。
彼はTシャツに半ズボン、それにスニーカーという出で立ちで、いかにも夏といった装いだった。
「しかも……七瀬さんまで」
ため息交じりに、ルキアは智の隣にいた彼女のほうを向いた。
「あ、あはは……」
そう、この場には智だけではなく、七瀬まで来ていたのだ。彼女はギリギリ膝が見えるくらいの丈のワンピースを着用しており、中に何が入っているのか、茶色くて洒落たショルダーバッグを肩から提げていた。智と同様に、夏を演出するようなコーディネイトである。
いくらこの学校の生徒であるとはいえ、常識的に考えてこんな時間にふたりがいるなど考えられなかった。智と七瀬、彼らがここに来た理由は大方予想がついていた。
ついていたのだが、一応ルキアは尋ねることにした。
「サッカーゴールが消えた事件の犯人、見つけ出そうとでも思ったの?」
「正解……」
智の言葉に、ルキアは彼に詰め寄った。
「ったく、遊びに来てんじゃないのよ? もし犯人と鉢合わせたらどうする気だったのよ!」
ルキアに気圧され、智は後退した。
「わ、悪い……でも、どうしてもじっとしてらんなくてさ」
無言のまま、ルキアは智と目を合わせ続けた。
それは、『どういう意味? 続けて』という意思表示だった。
「サッカー部に入ってる友達がいるんだよ。そいつ、今度の大事な試合のためにすごい頑張って練習しててさ。そんな時にサッカーゴールが盗まれて、まともな練習ができなくなっちゃって……表には出さないようにしてるけど、落ち込んでたみたいなんだ。俺にできることなんてたかが知れてるだろうけど、何とかしてやりたいって思っちゃって……母さんもちょうど、今晩は父さんのところに行ってていないし」
ドラゴンガードとして採用されたばかりのルキアには、智が言う『友達』が誰で、どんなに仲が良いのかは分からない。
分からないが、智がその友達を大切に思っているということは察せられた。
今日は金曜日なので、明日は土曜日。つまり学校は休みである。翌日は登校する必要がないとはいえ、智は貴重な自由時間を削ってまで犯人探しに赴いた。学校の課題や勉強、それが済めば趣味など、他にやりたいことはあったはずだった。
それらすべてをそっちのけにしてまで、友達のためを思ってこの場に赴いた。高校生が夜中に外出するのもどうかとは感じたが、少なくともルキアには、智の行動が間違いだと断じることはできなかった。
きっと、智はこのためにたっぷりと昼寝をして睡眠貯金もため込んできたのだろう。
「あんたのお節介焼きも、そこまでいくと国宝級ね」
智から視線を外し、彼には聞こえないくらいの声で、ルキアは呟いた。
「えっ、何だって?」
「別に」
素っ気なくルキアは答えた。
続いて、七瀬が前に歩み出る。
「私も。塚本君は友達だし、力になりたいって思ったの。まあ、セクハラはやめてほしいけどね。智が犯人探しをするって言ってたから、家を抜け出してきちゃったんだ」
彼女の言葉から、『塚本君』という人物が智の言う友達なのだろうとルキアは察した。
「それに、今日はベルもいないし」
夏のにおいを内包した風が緩やかに吹き、ポニーテールに結われた七瀬の茶髪をふわりと靡かせた。
七瀬が夜中に無断外出しようとすれば、当然ベルナールは止める立場にあるに違いない。
智にとっては母、七瀬にとってはベルナール。幸か不幸か、家を抜け出すにあたって障害となり得る人物が、今日に限って留守にしていたのだ。
智はともかく、いかにもお嬢様という感じの七瀬まで夜中に家を抜け出すとは思わなかった。まったくもって困ったふたりだと思ったが、それほどに友達想いだということなのだろう。
「あ、そうだ。智、ルキアさん」
七瀬が、何かに気づいたようにショルダーバッグを開けて、中を探り始めた。
「どうしたんだ?」
智が問うと、七瀬は紙袋を取り出した。
「お腹がすいたらいけないと思ってさ、お夜食持ってきたの」
「ねえちょっと七瀬さん、さっきも言ったけど遊びに来てるんじゃ……」
ルキアの言葉は、そこで止まった。
紙袋の中から引っ張り出された、七瀬が持ち込んだ夜食――それはラップにくるまれたサンドイッチだった。しかも、ルキアの大好物たるマスカットがサンドされたフルーツサンドイッチだ。ふわりとしたパンにカットされたマスカットとクリームがサンドされていて、とても美味しそうだった。
ルキアは、思わず目を輝かせる。
「このサンドイッチ、私の手作りなの。はいどうぞ」
「あ、ありがとう七瀬さん」
七瀬からサンドイッチを手渡される頃には、ルキアは七瀬をたしなめようとしていたことも忘れて、それに夢中になってしまっていた。
「はい、智」
続いて智も七瀬から同じサンドイッチを受け取り、三人は夜の学校の前で軽く腹ごしらえをした。




