第43話 智の決意
「どりゃっ!」
意味もなく掛け声を出しつつ、俺はドリブルしながら敵チームの生徒達をかいくぐってゴールへと進んでいく。
今は試合の真っ最中……まあ、体育の授業のバスケットボールだけど。みんな制服を学校指定の赤いジャージに着替えて、体育館に集まっていた。
本来、今日はグラウンドでサッカーが行われる予定だった。けれど、サッカーゴールが盗まれる事件が発生してしまったため、体育館でバスケットボールをやることとなったのだ。ちなみに女子は体育館のもう半分を使い、バドミントンをやっている。
サッカーが中止になってしまったのは悔やまれるが、バスケも同じくらい好きだし、まあどちらでもいい。身体を動かすのは気持ちがいいものだ。
部活には入っていない俺だけど、運動神経にはそれなりに自信があった。だから、体育の授業も好きだった。教室で座学してるより、身体を使うほうが楽しい。
スリーポイントラインに差し掛かったところで、三人もの生徒が立ちはだかった。
こりゃさすがに突破できないなと思い、ドリブルを止めた時だ。
「智!」
片手を大きく上げてアピールし、俺を呼んだのは真吾だった。
真吾は同じチームの仲間で、頼もしい味方だった。
「真吾!」
敵チームの生徒達の頭上を越す形で、俺は真吾にパスを出した。
真吾の立ち位置はまさに完璧で、敵から妨害を受けずにシュートできる場所だった。それだけじゃない。シュートのしやすさだけでなく、俺がパスを通しやすい地点を押さえてくれていたのだ。
俺のパスを受け取り、真吾は即座にシュートを放った。
真吾が放ったバスケットボールは、吸い込まれるようにゴールリングに向かった。向かったのだが……決まらなかった。ゴールリングに弾かれ、虚しく落下した。
「あっ……!」
くそ、惜しい!
落胆の声を出しつつも、まだ逆転のチャンスはある……と駆け出そうとした時だ。
長く大きいホイッスルの音が鳴り渡った。それは、試合終了を告げるサインだ。
その試合は、俺達の負けで終わった。
「悪かった智、大事な場面でミスっちまった」
体育の授業が終了したあと、生徒達は体育館と繋がった場所にある更衣室で制服に着替えていた。
その最中で、真吾が俺に謝ってきた。
「いいさ、そんな謝るなよ」
真吾があのシュートを決めていれば、同点に持ち込むことができた。でも俺は、彼を責める気など微塵もなかった。相手チームにはバスケ部所属の生徒がふたりもいたんだし、俺達のチームの得点は、ほとんどが真吾が獲得したものだった。真吾なくしては、そもそも勝負にすらならなかっただろう。女好きであることを抜きにすれば、真吾は素晴らしいスポーツマンだ。
少なくとも、真吾が誰かに責められる道理なんかない。
着替え終えた俺は、脱いだジャージを畳んでバッグへと詰め込んだ。
「ったく、お前があそこでミスったせいで負けたんだぞ……!」
更衣室を出た時だった、生徒の何人かが集まり、何やら不穏な空気を醸しつつ会話をしていた。
「ごめん……」
俯きながら力なく言ったのは、俺も見知ったクラスメイトだった。
眼鏡を掛けていて、周りの生徒と比べると目に見えて背が小さくて……いかにも気弱そうな感じのする彼、名前は日比野真人。
高校に入学してから数か月が過ぎたが、誰かと話しているところをほとんど見たことがない。休み時間とかにも、基本的に椅子に座って読書しているような、物静かで内向的な生徒だ。
見た感じどおり運動は不得意なようで、さっきの体育の授業でのミスを責められているようだ。
「ったく、使えねえ……」
日比野を責めていた生徒がそう言ったのが耳に入り、俺はさすがに見ていられなくなった。
「お前、そんな言い方ないだろ。お前はミスしたことないのかよ?」
割って入った俺の隣に、真吾も並んだ。
「智の言うとおりだ。自分のほうが上手いからって、相手を貶す権利があるわけじゃないぞ」
何も言い返せなくなったのか、日比野を責めていた連中は足早にその場を去っていった。
謝りもしないのかよ、感じ悪い奴らだな。
「ごめん、ありがとう」
日比野が言った。
俺や真吾の顔は見なかったけれど、彼のその言葉は確かに耳に届いた。
「バスケットゴールも、なくなっちゃえばいいのにな……」
俺達の横を通り過ぎていく最中に、日比野が俯きながらそう呟いた。
「俺達も行こうぜ」
真吾に促されて、俺は頷いた。
その後、俺達は教室に向かって一緒に歩を進めていたのだが、その最中で真吾が天井を見つめつつ、盛大なため息をついた。
その理由は、なんとなく想像がついた。
「サッカーゴールのこと、心配なのか?」
真吾は俺のほうを向かずに、「ああ」と応じた。
「サッカーゴールがないと、まともに練習できないからな。今度のサッカーの試合、絶対勝つって親父に約束したのに……このままじゃそれを守れないかもしれなくてよ」
思い返せば、さっきのバスケの試合で真吾が最後に放ったあのシュート……普段の真吾の運動能力を考えれば、まず外さない距離だった。サッカーゴールや試合のことが心配で、気持ちが百パーセント試合に集中していなかったんだと思う。
サッカーの試合に向けて、真吾は日々練習に励んできたに違いなかった。着替えの時、真吾の足にいくつもの傷ができているのを見たのだが、それは涙ぐましい努力の証だったのだろう。
その努力が全部、水の泡にされようとしている。どんな動機があってサッカーゴールを盗んだんだか知らないが、犯人はサッカーゴールもろとも、サッカー部員の大事な日々まで奪い去ったのだ。
どこのどいつだか知らないが、そう考えると無性に腹が立ってきた。
「決めた……」
「ん? 智、何か言ったか?」
「いや、何でもない」
真吾にはそう答えたが、俺はあることを決意した。




