第42話 ふたりのドラゴン少女
「サンドラ……サンドラさんね」
「サンドラでいいよ、堅苦しい呼び方しなくていいから」
サンドラは、手に持った缶ジュースのプルタブを外した。プシュッと音を立てて炭酸が弾ける。彼女がさっきルキアに手渡したのと同じ、巨峰サイダーだった。ルキアの分と彼女の分、二本用意してきたのだろう。
缶に口を付けて少し飲むと、サンドラは「ぷはっ」と声を出してルキアに向き直った。
「ドラゴンガードだったってだけでも驚きだけど、しかも同じ学校所属だなんて思わなかったよ」
ルキアが子供を襲ったと誤認し、サンドラは彼女を襲撃した。それを止めたのは、たまたま通りかかったシルヴィアだった。聞くところによると、シルヴィアは余った有給を使って出掛けようとしていたところ、街中で戦闘を繰り広げるルキアとサンドラを見かけて仲裁に入ったらしい。
彼女の説明もあって誤解も解け、さらに驚きの事実を聞かされた。
なんと、サンドラはルキアと同様、智が通う高校でドラゴンガードをしていたのだ。つい数日前に採用されたばかりのルキアにとって、彼女は先輩の立ち位置になるだろう。
襲ったお詫びをしなければならないし、他にも話すべきことがあるということで、サンドラはルキアをこのビルの屋上に招いたというわけだ。お互いに飛行能力を有するドラゴンであるので、この場に赴くことは造作もなかった。
「まあ、採用されたばかりだからね。私なんて役に立てるか分からないけど……頑張るから」
「何言ってんの? 頼もしい仲間が増えたと思ってたよ」
缶ジュースを持ったまま、ルキアは目を丸くした。
サンドラは、また一口巨峰サイダーを飲んだ。
そして彼女は、すらりと長いその脚を組む。華やかな外見も相まって、その仕草はとてもセクシーに思えた。
「少し戦っただけでも分かったけど、あなたすごく強いね。さっき言ったけど、あんなに攻撃を避けられたのは初めてだったよ。シル姉も期待してるって言ってたしさ」
先の戦闘を通じて、サンドラはルキアの戦闘技能の高さを感じ取っていたらしい。
しかし、ルキアも同じだった。サンドラは戦闘慣れしているらしく、彼女の動きには一切の無駄がなかった。真の姿に変身したわけでもないし、コカトリスたる彼女が有しているであろう『切り札』も見せてはいなかった。仮にそれが使われていようものなら、どうなっていたか分からない。
つくづく感じるが、シルヴィアが通りかかってくれたのは幸運だった。
「シルヴィア先生が、そんなことを?」
サンドラは頷いた。
シルヴィアは教員でありつつ、学校のドラゴンガード達をを取りまとめる役割を担っていた。
「うん、それでここからが本題なんだけど……あなたが良ければ、今晩学校の『警備』を引き受けてくれないかな?」
「警備?」
ルキアが問い返すと、サンドラは右手の人差し指を立てた。
「シル姉から聞いたでしょ? 今朝、学校のサッカーゴールが消えちゃったって話。誰かが盗み出した可能性が高いみたいだし、今日から少しのあいだ、あたし達ドラゴンガードが毎晩誰かひとり学校に常駐することになったの。見張り役ってことでね」
真剣な内容にはどこか不似合いな陽気な口調で、サンドラは説明した。
学校のサッカーゴールが消えてしまったという話は、ルキアもシルヴィアから聞かされていた。
警察が捜査中とのことだが、有力な証拠は掴めていないらしい。サッカーゴールを盗む動機こそ掴めないものの、犯人がまた何かを盗もうとする可能性も十二分に考えられるし、対策を練るのは当然に思えた。
根拠こそないものの、ルキアはこの盗難事件がドラゴンによって引き起こされた可能性が高く思えていた。少なくともドラゴンであれば、証拠を残さずにサッカーゴールを盗み出すことも不可能ではないだろう。
さらなる被害が出るのを食い止めるのはもちろん、犯人を捕まえることも重要だった。
「トップバッターを任せたいってことなんじゃないかな」
「そっか……」
サンドラは頷くと、巨峰サイダーの残りを一気に飲み干した。
「ひょっとして、巨峰サイダーは好きじゃなかった?」
サンドラが尋ねてくる。
ルキアは会話に夢中で、缶のプルタブすら開けていなかった。
「ううん、そんなことないよ」
ルキアはプルタブを開けた。
サンドラに「ごちそうになるね」と告げつつ巨峰サイダーを少し飲む。炭酸が口の中で弾け、豊潤な葡萄の味と香りが広がった。
「これ、美味しいね」
ルキアはマスカットが好物だが、巨峰のサイダーもそれに劣らず、好みな味だった。
その後、ルキアはサンドラと色々と話をしつつ缶を空にした。
「空き缶、ちょうだい」
ルキアが巨峰サイダーを飲み干したのに気づくと、サンドラが手を差し出してきた。
言われるままにルキアが空き缶を手渡すと、サンドラは自分の缶と一緒にそれらをぐしゃりと潰し、ぐっと力を込めてボールのように丸くした。いとも容易く二つの空き缶を握り潰して丸めるのは、ドラゴンだからこそ成しえる業だ。普通の人間の少女では、間違いなく握力が足りないだろう。
サンドラは手の上で、たった今自身が作成した空き缶ボールを少し弄んだ。
「よっと」
そして座ったまま、彼女はそれをどこかへと放り投げる。
無造作に投げ捨てたのかと思ったが、違った。サンドラに放られた空き缶ボールは、吸い込まれるかのように街の道端に設置されたゴミ箱に入った。
「わ、すごい……!」
ルキアは思わず、関心の念を声に出した。
ゴミ箱までは数百メートルほど離れていたが、サンドラはいとも簡単にホールインワンを決めてしまったのだ。
「すごいでしょ? 視力には自信あるんだ。なんていってもあたし、コカトリスだから」
得意げに言いつつ、サンドラは立ち上がった。
鳥類の視力は人間を遥かに凌ぎ、ワシは数キロ上空から魚を見つけられるという。ダチョウにいたっては陸上生物最大の眼球を有しており、鳥類どころか動物界一の視力を誇っている。余談ながら、ダチョウは最大の鳥類でありつつ産み落とす卵のサイズも最大と、いろいろな面において他の鳥類とは一線を画すスケールの持ち主だ。
鳥類のような風貌を持つドラゴン、それがコカトリスである。
視力を比べれば、まずルキアはサンドラには敵わないだろう。
「それじゃあ今日の警備、お願いできる? 時間を見計らって、あたしも様子を見に行くからさ」
無論、ルキアひとりに警備の役目を丸投げするつもりはないようだ。
初めてできたドラゴンガードの仲間への返答は、すでに決まっていた。
ルキアも立ち上がり、サンドラと視線を重ねた。ビルの周囲に巻き起こる風が、ふたりのドラゴン少女の髪や衣服を泳がせた。
「分かった、任せて」