第40話 赤き襲撃者
「ほらあんたたち、女の子をいじめちゃダメでしょ」
街中の公園で、ルキアは目の前にいる少年達に教え諭していた。彼女の片手にはスーパーのレジ袋が提げられていて、買ったばかりのネギやニンジンがその姿を覗かせていた。外からは見えないが、智に食べさせる予定のピーマンもしっかり入っている。
ルキアの視線の先にいる少年達――人数は三人。彼らはまだとても幼く、ランドセルを背負っていることから見て、小学校低学年くらいだろう。いかにもやんちゃそうで、悪戯が好きそうな子供達だ。
どうやら彼らは、ルキアの言葉に耳を貸す気などないらしい。
「へっへーん、やーだよーっ!」
「女をいじめんの楽しいもーん!」
「やーい、ざまあみろーっ!」
ルキアに従うどころか、彼らはむしろはしゃいで騒ぎ立てた。
腰に手を当てて、ルキアはため息をつく。
「わたしのお帽子、返してよおっ……!」
涙交じりな声を発したのは、ルキアの隣に立っている女の子だ。
少年達と同様、彼女もまだ幼く、きっと同級生なのだろう。
智を学校まで送り届けたあと、ルキアは家に戻って瑞希の家事を手伝い、そして昼頃に買い物へ出掛けた。その帰り、空を飛んで帰路についていた最中――公園で少年達が女の子をいじめている現場を目撃し、この場に降り立った。経緯をまとめれば、そういうことである。
女の子の泣きっぷりから考えて、当初ルキアは彼女が迷子にでもなったのかと思ったが、違った。
下校する最中、少年達が女の子の帽子を盗み取って隠してしまったのだ。
「ったく……こんなことするなんて男らしくないし、かっこ悪いわよ! 怒られたいの!?」
眉の両端を吊り上げ、語気を強めてルキアは言うが、少年達は一向に耳を貸す様子を見せない。
「かっこ悪くて結構! やーいばーかばーか!」
「怒ったって怖くないもーんだ!」
「こんな程度でベソかくほうがかっこ悪いだろ、べろべろべー!」
ブチン、とルキアの頭の中で、彼女自身にしか聞こえない音が鳴り響く。
耳を貸すどころか、彼らはさらに調子に乗ってルキアを煽り立てる始末だ。
「うわあああああん!」
帽子を盗まれた女の子の泣き声が、一層に大きくなる。
(こんのガキども……!)
拳を握りしめて、わなわなと身体を震わせるルキア。
その時だった。突然、ルキアが着ているワンピースが勢いよくめくり上げられたのだ。
「ひゃっ!?」
赤面しつつ、ルキアは慌てて両手で押さえる。しかし、手遅れだった。
犯人は、少年達のうちのひとりだった。
「わ、白パンツだ!」
「白ワンピに白パンツ!」
「白だらけ、白だらけ! あっはっは!」
スカートもとい、ワンピースめくりを成功させ、大はしゃぎする少年達。
ルキアの頭の中で、再びブチンという音が鳴り響いた。それは、首の皮一枚でどうにか繋がっていた堪忍袋の緒が、完全に断ち切れた音だった。
ドラゴンであっても、人間の姿でいる時にはもちろん羞恥心がある。
「元気がいいわね、大いに結構……お姉さんは優しいから、あと一回だけチャンスをあげるわ」
マグマのごとく煮え滾る怒りを押し留めながら、ルキアはどうにか平静を取り繕いつつ言った。
「へっへーん、じゃあもう一回やっていいの?」
少年達のうちのひとりが、なおも挑発的な発言をした。
しかし次の瞬間、彼らは自分達がとんでもない相手にケンカを売っていることを身をもって思い知る。
「どこにやった!」
ルキアがそう叫んだのと、彼女がドラゴンの姿に変身したのはほぼ同時だった。
「うわあ、ど、どどどドラゴンだあ!?」
ほんの数秒前までの威勢はどこへやら、少年達の顔が真っ青に染まる。
それもそのはず、ドラゴンの姿に変身すれば、ルキアの体格は人間の姿でいる時とは比べ物にならないほどに大きくなる。ましてや、威圧感は段違いだ。
「この女の子の帽子、どこにやったんだか今すぐ白状しなさい、このマセガキども!」
少年達はもう、反抗する素振りなど見せなかった。
もちろん、ルキアは少年達をこのまま逃がすつもりなどなかった。言いたい放題された挙句にワンピースをめくり上げられた代償は、しっかりと払わせる気でいた。たとえ子供だろうと、やっていいことと悪いことがある。それを思い知らせるつもりだったのだ。
逃げ出そうと背中を向けた少年達に向かって、ルキアは咆哮を上げた。
それはもちろん、本気で発した咆哮ではない。しかし、幼い彼らを驚かせるには十分なものだった。
その後、反省した……というより、反省せざるを得なかった少年達はルキアに謝罪し、彼らが盗み取った帽子は女の子へと返還された。
一件落着したので、ルキアは人間の姿に戻り、再び帰路につく。
家まではさほど遠くもないので、空を飛ばずに道路に歩を進めていた。
「まったく、近頃の子供ときたら礼儀ってもんがなってないわね……」
買い物袋を片手に提げたまま、腕を組みながら呟いていた時だった。
ルキアは突如、後方から何かの気配を感じた。
振り返るや否や、それが視界に入る。赤い光を帯びた無数の光弾だった。
「っ!」
反射的に、ルキアは横へと飛び退いた。
雨粒が降り注ぐかのごとく、彼女が立っていた位置に光弾が着弾する。
買い物袋を片手に提げたまま、ルキアは振り返ってその場所を見つめた。
(羽……!? まさか……)
舞い上がる砂埃の中、アスファルトの道路が抉り取られ、いくつもの『羽』が突き刺さっていたのだ。
赤い光はもう消失していたが、これが光弾の正体に違いなかった。喰らっていれば、ただでは済まなかっただろう。
咄嗟の回避が功を奏したようだが、それでもルキアに気を抜く猶予は与えられない。
ルキアに向けてこの羽を放った者は、すぐ近くにいるのだから。
「へえ、これをかわすなんてね!」
そう言いながら、ルキアの正面、前方十メートルほどの位置に『彼女』は舞い降りた。
派手にカールしたマゼンタの髪を後頭部の高い位置でポニーテールに結い上げ、膝上までの丈しかない真紅のドレスを纏った少女。その装いは華やかであり、派手であるが、彼女の動きを一切阻害しない服装であることが分かる。足元を見てみれば、彼女が履いている赤いパンプスもローヒールで、洒落ていながら動きやすさをまったく損なわないものだった。
その容姿は美しく、十二分に美少女といえる顔立ちで、さらにスタイルまで良かった。
しかし何よりも目を引くのは、彼女の背中から生えたその翼だろう。
ワイバーンやドレイクのコウモリを思わせるそれとは違い、フサフサの羽毛に覆われた翼。ルキアに向けて放たれた光弾――つまりあの羽は、そこから放たれたに違いなかった。
紛れもなく、彼女も自分と同じドラゴンであるとルキアには分かった。
(この娘、『コカトリス』……!)
ルキアは身構えた。
突如現れた『赤き襲撃者』、なぜ彼女が攻撃を仕掛けてきたのかは分からない。
しかし、どうやら話し合う気はないようだ。
「だけど、もう逃げ場はないよ。お縄につきなさい!」
羽毛に覆われた翼が光を放ち、彼女の背中から消失する。
次の瞬間、少女はそのマゼンタの髪や赤いドレスをたなびかせながら、ルキアに襲い掛かってきた。




