第39話 消えたサッカーゴール
俺を学校まで送り届けると、ルキアはそのまま家に戻っていった。今朝言っていたように彼女は今日はドラゴンガードの仕事が非番だったので、もうここにいる必要はないってことだ。
ドラゴンに変身せず、人間の姿のまま背中に翼を出現させて飛び去っていくルキアを見送り、俺は七瀬と花凛と一緒に校門をくぐった。時刻は登校時間帯なので、周囲には多くの生徒の姿が見受けられた。
「ねえ智、さっきから思ってたんだけど……ちょっと鼻が赤くなってない?」
七瀬の質問で、俺は今朝の出来事を思い出した。
「ああ……今朝、ルキアに洗濯バサミで鼻を挟まれたんだよ」
「まあ、どうして?」
尋ねてきたのは、花凛だ。
「呼び掛けても起きないから、強行手段を使うことにしたんだとさ。痛いのなんのって、今後一切においが感じられなくなるかと思ったぞ……」
いまだにヒリヒリと痛む鼻をさすりながら、俺は答えた。
実際のところ、最たる原因は俺が寝言で禁句……つまり『メスドラゴン』と言ってしまったこと(もちろん、俺にそんなことを言った記憶はないのだが)だが、この場では伏せておくことにした。
というか、傍から見ても気づくほどに鼻が赤くなっていたとは。他の友達に鼻のことを訊かれた際、どう誤魔化すかを考えておかないとな……。
「あはは、智、寝つきがいいもんね」
楽しげな様子で七瀬が言うが、笑えないほど痛かった。
今後寝過ごすようなことがあれば、また同じ制裁をされかねない。いや、もしくはもっとレベルアップした制裁を……たとえば、寝てる隙に俺の口にピーマンを突っ込んでくるだなんてことも十分考えられた。誇張抜きにして、ルキアならやりかねない。
明日からは、何としてでも自力で起床しなければ……!
「でも、起こしてくれなければ智さまは遅刻していたでしょうし……学校まで送り届けてくださったことですし、ルキアさまは優しい方なのではないでしょうか?」
「まあ、それは確かに……」
花凛の言うとおりだった。
まあ、もう少しやんわりとした手段で起こしてほしい気もするが……。
「さっき少しだけお話をしましたけれど、ルキアさま、とても良い方だと感じましたわ」
「それは同感!」
花凛の言葉に、七瀬が同意した。
無理やり俺の口にピーマンを突っ込むような奴だけどな、と言おうとした時だった。
「ん?」
俺は思わず、足を止めた。
グラウンドの一角に、数人の教員が集まっているのが目に留まったのだ。大勢で何か話しているようだが、人間の教員もドラゴンの教員も、皆一様に深刻な顔をしていて……何かあったのは明白だった。
「教頭先生までいるね、どうしたのかな?」
七瀬が言った。
もちろん、俺には先生方のスケジュールなんか全然分からない。
けれど少なくとも、朝の時間帯は暇ではないはずだ。こんな時間に、しかもグラウンドにあんな大勢の先生が集まっているところなんて、見たことがなかった。
その時ふと、俺はグラウンドの一角の風景……先生方が立っているあたりに、何か違和感を感じた。
何だ? いつもと比べると、何かが足りないような……。
「あれ? あそこ……いつもはサッカーゴールがありませんでしたか?」
花凛の言葉で、違和感の正体に気づいた。
そう、彼女が言ったとおり、あの場所にはサッカーゴールがあったはずなのだ。あったはずなのに、今は影も形もない。
撤去されたのか? と思ったが……サッカーゴールは何十万円もするし、相当な重量があるはずだった。考える限りでは、学校の重要な備品であろうそれを撤去する理由など見当たらなかった。
消えたサッカーゴールと、かつてそれが設置されていた場所に集まって深刻な様子を浮かべている先生達……関係があるのは明らかだった。
何となく胸騒ぎがして、先生方の近くに寄ってみようとした時だった。
「あああ、マジかよ……!」
落胆の気持ちを丸ごと噴出するような声、それが聞こえた方向を振り返ると、大いに見知った生徒がその場にしゃがみ込んでいた。
「あれ、真吾?」
俺が呼ぶと、その生徒――塚本真吾は顔を上げて、こちらを向いた。
「おお智、七瀬ちゃんに花凛ちゃんも……」
俺達に気づくと、真吾は立ち上がって歩み寄ってきた。
校庭のほうを瞥見しつつ、「参ったな、こんなことになっちまうなんて……!」と呟く。真吾がボリボリと頭を掻くと、ウニのように跳ねた短い髪が不規則に揺れた。
その様子から、いかにも焦っているというか……とにかく、何かあったのは明らかだった。
「塚本君、どうかしたの?」
七瀬が訊くと、真吾は頷いた。
「グラウンドに設置されてたサッカーゴールが、ふたつとも何者かに盗まれちまったらしいんだよ」
「ええっ……!?」
真吾の言葉に、俺は思わず目を丸くした。
消えたサッカーゴールに、それが設置されてた場所に集結し、深刻な様子を浮かべる先生方……その理由は、盗難事件だったらしい。
まさか、サッカーゴールを盗む奴なんかいるのか、と思った。
しかしその前に、俺は思い至った。サッカーゴールが失われたということは、目の前にいる友達にも多大な影響があるはずなのだ。
「もうすぐ試合があるってのに、これじゃ練習にならねえ……試合で勝てば、親父にマグロをご馳走してもらう約束だったのに……!」
片手で頭を抱えて、真吾は言った。
真吾は花凛と同様に、高校入学からまもなくして知り合った友達だった。
ウニみたく跳ねた短い髪が目を引き、筋肉質で体格が良く、すらりと背が高くて顔もなかなか。スポーツが得意でサッカー部に所属し、一年生ながらその実力は三年生の先輩方にも及ぶほどだという。勉学の成績はイマイチだけど、運動神経ならクラスで一番どころか、学年全体で見ても上位に食い込むほどだ。
顔もいいし、運動が大得意。朗らかで律儀で気さくな人柄もあって、俺には自慢の友達だ。余談ではあるが、実家は寿司屋らしい。
欠点があるとすれば……。
「塚本君、大丈夫?」
「七瀬ちゃん! 俺どうすればいいんだよおっ!」
心配した様子で声を掛けた七瀬、彼女に向かって伸ばされた真吾の手が、的確にその場所を捉えた。
――七瀬の胸だ。
「ひゃっ!?」
顔を赤らめて悲鳴を上げる七瀬、しかし彼女は直後に、右の拳をギリッと握った。
「サイテー!!!!!」
「おごふうッ!?」
目にも留まらぬ速度で繰り出された七瀬の右ストレートが、真吾を吹き飛ばした。
真吾の唯一の欠点……それは彼が女好きな気質の持ち主で、とりわけ七瀬に対するセクハラの常習犯だということだ。




