第38話 花凛
昨今、すでにドラゴンは様々な方面で社会に溶け込んでいる。
多種多様な種類が存在するドラゴンは、それぞれ自身が持ちうる能力を活かし、人間のサポート役、はたまた仲間として活躍していた。今や、街を歩けばドラゴンを見かけない日などない。
世はまさに、withドラゴンの時代。そして、その時代の象徴と称すべき制度がある。
それこそがドラゴンステイで、察しのとおり由来はホームステイだ。
名称のみならず、その意味もまさに読んで字のごとく。単刀直入に言えば、一般家庭にドラゴンを迎え入れ、一緒に生活を送る制度である。
性別は男で、大柄でがっしりとしたフォルム。情に厚い性格を備えていて、体色は青系統……俺はそんなドラゴンを迎えることを望んでいたのだが、俺の希望からはことごとくかけ離れたドラゴンがうちに来てしまった。
そのドラゴンこそが、今俺が乗っている彼女……ルキアだ。
性別は女で、曲線的で腰のくびれを思わせる、いかにも女性的なフォルム。気丈な性格を備えていて、体色は真っ白……どうして希望とまったく違うドラゴンを選んだのか? そう訊かれるのが目に見えているので、先に答えておこう。
ズバリ、母さんが俺の意見などお構いなしに、勝手に彼女をうちにドラゴンステイさせることに決めてしまったのだ。
そんな経緯もあって俺は素直になれず、初対面の彼女に向かって『メスドラゴン』だなんて暴言を吐いてしまったせいで、当初は険悪な仲だった。しかしルキアと一緒に過ごすうちに、次第に打ち解けられている感じがして……何だかんだで毎日が楽しく思えてきている。
彼女が来なければ、きっと俺はペーパーライダーのままだった。こんな景色を見ることもなかっただろうな。
ルキアの背中から街の風景を眺めながら、俺はそんなことを考えた。
「智、ルキアさん!」
学校前の道路に向かってルキアが降下する最中、大いに聞き慣れた声が俺達を呼んだ。
声の主は七瀬だった。俺の幼馴染で社長令嬢、家柄は申し分ないのだが、さらには成績も学年トップクラスで運動神経までいい。まさしく、絵に描いたようなスーパーガールだ。こないだの落合との一件では、俺やルキアが倉庫に閉じ込められていると察するや否や、即座にホームセンターまで走ってスパナを購入し、ドアを閉ざしている南京錠をぶっ壊すという凄まじい行動力まで見せた。
才色兼備という言葉を体現した存在で、一緒にいることすら恐れ多く感じてしまうくらいなのだが、七瀬は小学校の頃から今に至るまで俺の友達でいてくれていた。これほど長く彼女との縁が切れていないのは、誇張抜きにして奇跡に等しいだろう。
「七瀬さん」
ドラゴンの姿のまま、ルキアが呼んだ。
ルキアの翼が巻き起こす風が、七瀬の茶髪やそれをポニーテールに結んでいる赤いリボンを揺らすのが見えた。
歩道にルキアが着地し、俺は彼女の身体を伝うようにしてアスファルト舗装された地面に降り立った。ドラゴンに送ってもらった生徒は周囲に多数見受けられ、みんな俺と同じようにしていた。ドラゴンに乗る時も降りる時も、足を踏み外さないように注意すること。教習所で最初に習った基本事項のひとつである。
溌溂とした表情を浮かべ、七瀬が小走りで向かってきた。
「おはよう、ふたりとも」
「ああ」
片手を上げつつ、俺は応じた。
隣にいたルキアの身体が光に包まれ、その中から人間の姿の彼女が現れた。
「おはよう七瀬さん、この前はありがとね」
ルキアが七瀬に礼を言った。彼女が言った『この前』というのは、きっと七瀬にマスカットタルトを奢ってもらった時のことだろう。
「あれくらい大丈夫だよ」
手をぴらぴらと振る七瀬、そんな彼女の周りを見渡して、俺は気づいた。
ベルナールの姿が見当たらなかったのだ。
「今日はベルナールと一緒じゃないのか?」
俺が問うと、七瀬は頷いた。
「ベル、ちょっと龍界に帰ってるの。ドラゴンゾンビの仲間に用事があるんだって」
ドラゴンゾンビの仲間、か。
ドラゴンの姿に変身したベルナールは、恐ろしいけどどこか知的で風格のある姿だった。でも彼の仲間には、俺が想像していたような全身ドロドロでグロい見た目をしたドラゴンゾンビもいるのかな、とふと思った。
「それじゃあ七瀬さん、今日は歩いてきたの?」
ルキアが問うと、七瀬は「そうだよ」と言いつつ頷いた。
「車で送ってもらってばかりだと、体力が落ちちゃいそうだしね」
茶髪をさらりとかき上げながら、七瀬が言う。
こないだベルナールに乗って来るのを見た以前まで、七瀬の通学手段はもっぱら、徒歩か車だった。自転車に乗ることもあるのだが、彼女いわく通学路に坂道があり、さらに人通りの多い場所を通らなければならないので不向きらしい。
見ている限りでは車で送ってもらうことが多かったのだが、時に七瀬はこうして徒歩で通学することもあった。テニス部に所属しているくらいだし、運動は好きなのだろう。
「七瀬さんてお嬢様っぽいし、すっごい高級車に送り迎えしてもらうのが想像できるわね」
ルキアが言った。
いや、実際七瀬は社長令嬢で、正真正銘のお嬢様だ。
「いやいやルキアさん、別にそんな……」
七瀬は笑いながら謙遜するが、実際ルキアの言葉は当たっている。
「ほら、たとえばあんな感じの車……」
ルキアが指したほうを目で追うと、セダン型の高級車が停車していた。
その黒いボディは磨き清められ、汚れのひとつもない。雰囲気といい高級感といい、そこらの自動車とは別格の車なのが見て取れる。
俺が知る限り、この学校でそんな車に乗ってくる生徒はただひとり……スーツにサングラスを掛けた男性が後部座席のドアを開け、その子が姿を見せた。
ショートボブの黒髪に花をあしらった髪飾りが映え、垂れ目が印象的でおっとりとした雰囲気を醸すその女の子……あんな高級車に送り迎えしてもらっていることから察せられるように、七瀬と同等か、あるいはそれ以上のお嬢様である。
「花凛さん!」
七瀬が呼ぶと、その子――辻宮花凛はこちらを向いてぺこりと頭を下げた。
レザー製のトートバッグ(うちの高校では、通学に使用する鞄に関しては特に規定は存在しない)を両手で持ち、それを前に提げての一礼。彼女のその仕草からは、いかにもお嬢様といった雰囲気が漂っていた。
彼女を送ってきた黒塗りの高級車が走り去っていく。
「おはようございます智さま、七瀬さま」
俺達のほうへ歩み寄り、花凛が挨拶してくる。おっとりとした見た目に違わない、穏やかで落ち着きのある声色だった。
花凛も七瀬と同様、俺と同じクラスに所属する生徒で、入学してからさほど経たずに知り合った仲だった。当初、俺は彼女を『辻宮さん』と呼んでいたのだが、彼女から『できれば、下の名前で呼んでほしい』と言われたので、花凛と呼んでいる。
七瀬が活発で溌溂とした行動力のあるお嬢様ならば、花凛は物静かで穏やかなこてこてのお嬢様という感じだ。学校では百人一首部と将棋部を掛け持ちしており(百人一首も将棋も実力はまさに折り紙つきで、部内最強レベルと聞いている)、プライベートでは華道や茶道、琴や三味線も嗜むらしい。まさに、大和撫子を体現したような女の子だ。
俺は行ったことがないので分からないけれど、聞くところによれば花凛の家はそりゃもうでっかい和風のお屋敷で……彼女も普段は和服で過ごしているらしい。
「ああ、おはよう」
俺が応じると、花凛はルキアに気づいて目を丸くした。
「智さま、そちらの方は?」
そうだ、花凛はルキアと初対面だったな。
「ルキアだよ、うちに寄宿してるドラゴンなんだ」
俺が紹介すると、花凛はまた目を丸くした。
「まあ、それでは智さまのご家庭でもついにドラゴンステイを?」
ルキアが前に歩み出て、軽く頭を下げた。
「ルキアです、はじめまして」
「ルキアさま……って、もしかしてあの?」
何か思い当たったように、花凛がルキアの名前を復唱した。
「え、何か?」
ルキアが怪訝な様子で問い返すと、
「ちょっとした噂になっていましたわ。新しく入ったドラゴンガードの方で、あの落合さまを返り討ちにしたすごく強いドラゴンの女の子だって……」
なるほど、そういうことかと思った。
こないだの落合の件、どうやら学校で知れ渡っているらしい。
しかし、落合のような奴をわざわざ『さま』付けで呼ぶあたり、花凛は本当に律儀だな。
「あ、あはは……そんな噂が広まっちゃってるんだね」
指先でぽりぽりと頬を掻きながら、ルキアが苦笑する。
まあ、暴力団関係者が家族にいて、校内では横暴を働きまくっていた落合やその取り巻き連中がコテンパンにされたとなれば、話題になるのも無理はないだろう。
「『姉さま』も興味を持たれていましたから」
「姉さま?」
ルキアが花凛に問い返す。
緩やかに吹き抜ける風が、花凛の黒髪や髪飾りを揺らした。
「わたくしの家にドラゴンステイされている龍……『クレハ』姉さまですわ」