第34話 決着
「な、何だ? あのガキ、今何を……!?」
ドラゴニュートが、驚きを噴出するような声で言った。
視線の先には智がいる。言葉から察するに、どうやら彼もベルナールと同様、ほんのさっき起きた出来事を目撃していたようだ。
ワイバーンが吐き出した炎が、七瀬のほうへと流れてしまった。ベルナールが助けに向かうのも間に合わず、万事休すかと思ったその瞬間、智が自らを盾にして七瀬を庇った。
驚くべきことが起きたのは、まさにその時。
まるで、見えない壁に打ち消されたかのように……真正面から智に着弾したと思った炎が、一瞬のうちに消失したのだ。
(智君、今のは……!?)
七瀬との繋がりで、ベルナールは古くから智とも縁があった。だからもちろん、智がドラゴンではなく人間であるということは知っている。
特殊装備も持ち合わせていない智が、ドラゴンの放つ炎を打ち消せるわけがなかった。いや、ベルナールの知る限りでは、ドラゴンでもそんな能力を持つ者など聞いたことがない。
何が起きたのか。いや、智は今、何をしたのか……。
ベルナールはもちろん気になったが、すぐに今の状況を思い出した。
今、彼の目の前には、憎むべき敵がいるのだ。
「よくも……!」
鋭い目つきでドラゴニュートを捉え、ベルナールは言った。
いつもの穏やかで紳士的な声色は消え失せ、聞く者すべての背筋を凍らせるような、威圧的で凄みのある声だった。
「お嬢様を、危険な目に遭わせてくれたな!」
怒りの声とともに、ベルナールは弾丸のごとき勢いでドラゴニュートに迫った。
それに気づいたドラゴニュートが振り返るが、ベルナールのあまりの剣幕にだじろぎ、反応が遅れた。目つきの悪いベルナールだが、激怒している今ではもちろん、普段以上に鋭い目つきに変じている。
迎撃どころか身構える暇すら与えず、一気に距離を詰めたベルナールは、ドラゴニュートの顔面目掛けて渾身の回し蹴りを放った。
「ごほぁッ……!」
全身の力をありったけ注ぎ込んで放たれた蹴りは、ドラゴニュートの顔面に直撃した。
正確には、七瀬を危険な目に遭わせた直接的な犯人はこのドラゴニュートではなく、彼らのリーダー格と思われるあのワイバーンだった。しかし、そんなことはベルナールにはさほど重要ではない。
親分が悪行を働いているならば、その子分だってきっと同じなはず。まとめて責任を取らせるのが道理だった。
蹴りを受けたドラゴニュートは派手に吹き飛び、積み上げられていたコンテナを蹴散らしてその下敷きになった。
すぐには戦いに現れず、身を潜めてベルナールの能力を分析し、対抗策を練り上げていたことから考えれば、彼はそれなりの策士であることが推測できる。しかし、ドラゴニュートは大きな思い違いをしていた。大切な者を危険に晒され、激高したベルナールの戦闘力を見誤っていたのだ。
ドラゴニュートは起き上がらなかった。強烈な一撃をまともに受け、気を失ったらしい。
「運がよかったですね、こんなもので済んだのだから」
追撃を繰り出そうとしていたが、その必要がなくなったと確認し、ベルナールは戦闘態勢を解いた。
容赦ないようにも見えたが、それでもベルナールは手加減していた。
彼がドラゴンゾンビとしての能力を最大限に活用し、濃度の高い強力な毒による攻撃を繰り出していれば――気絶どころか、二度と目を覚まさない状態にまで追い込んでいたに違いない。
◇ ◇ ◇
「ちょっとあんた、怪我はないの?」
ワイバーンとの戦いに勝利し、人間の姿へと戻ったルキア。
足早に智と七瀬のところへ駆け寄った彼女は、何よりも先に智の身を案じて声を掛けた。
「ああ、別に何ともない……」
自分の身体に視線を巡らせながら、智は答えた。
「ねえ智、大丈夫?」
七瀬もまた智を案じて問うと、智は無言で頷いてそれに応じた。
彼が発揮した謎の力にルキアは戸惑っていたが、それは智自身も同じようだった。見たところ、とりあえず智が怪我や火傷を負っている様子はない。それどころか、服にも汚れのひとつすら付いていなかった。
(さっきのあれは一体……まあ、何事もなくてよかったか)
怪訝な面持ちを浮かべつつ、ルキアは心中で呟いた。
困惑こそしたが、ひとまず無事だったことには違いない。
大事には至らなかった……ルキアが胸を撫で下ろした時だった。
「くそっ、よくもやりやがったな……!」
ルキアは振り返る。
その声の主は、この戦いの元凶といえる少年、落合だった。
「このままで済むと思うなよ松野……今度はもっと大勢の仲間を連れてきて……!」
そこで落合の言葉は止まる。
いや、止められた。
ルキアが放り投げたフォークリフトが、落合のすぐ隣の壁を直撃し、凄まじい物音を立てたのだ。
「え……?」
落合の頬を、冷や汗が伝っていくのが見えた。
あと一メートル……いや、もう少し横に向けて投げられていれば、フォークリフトは落合を直撃していたに違いなかった。命中していればどうなっていたかなど、考えるまでもない。
しかし、それは始まりに過ぎなかった。
「お仲間を連れてきたいんだったら、どうぞご自由に。また私に喧嘩を売りたいんだったら、いつでも買うわ。ただし、相応の覚悟をもって来なさいよ」
地鳴りでも響かせそうな足取りで、ルキアは落合へと歩み寄っていく。
あまりの威圧感に落合は後退する、しかしすぐに瓦礫に足を取られ、その場に尻もちをついた。
「ひっ……!」
ワイバーンもドラゴニュートも戦闘不能になり、駒をすべて失った落合。
丸腰となった彼にできたのは、ただ目を見開いて表情を後悔と恐怖に染めることだけだった。智にちょっかいを出していた時の威勢のよさなど、今となっては影も形もない。
震えることしかできない今の落合は、まるで親とはぐれた仔犬のようだった。
「私はあんたが通う高校のドラゴンガードになった。聞けばあんた、今までよほど好き放題やってたそうじゃない。だからこれからは、私があんたのことを監視するわ」
落合は何も言い返さない。
いや、言い返せなかった。間違った相手に喧嘩を売ったと、今頃になって察したようだった。
「暴力団だか何だか知らないけど、もし今後私の前で調子ぶっこいたことをやったら……いや、私に限らず、私の友達にちょっかいを出したり、とにかくちょろちょろしてきたら……あんたがどこに逃げようと必ず見つけ出して、潰すわよ!」
ルキアが足踏みをすると、そこにあったフォークリフトの残骸(もちろん金属製)が真っ二つに割り砕かれた。
「返事は!」
ルキアの怒声に、落合はビクリと身を震わせる。
「わ、わわわ分かった……! もう、お前らには関わらねえよ!」
無様に尻を振りながら立ち上がると、落合はフラフラと駆け出した。智や七瀬の横を通り過ぎて、さっき七瀬が南京錠を破壊してこじ開けた扉から外へ出て行く。
ワイバーンやドラゴニュート達を見捨ててひとりで逃亡していった点からも、器の小ささが推し量れた。
「ったく……」
ルキアは腕を組んで、不機嫌そうな声を漏らした。
そんな彼女に七瀬が拍手する。
「ルキアさん、かっこいい……!」
ルキアは七瀬に向き直ると、照れたように笑みを浮かべた。
「七瀬さん、別にかっこよくなんかないってば。ああいうのが許せないタチだってだけよ」
「いいえ、お嬢様のおっしゃるとおり……素晴らしい演説でしたよ」
ベルナールも、七瀬に同意した。
少し赤面しつつ、ルキアは「そ、そんな……」と呟く。
そして、ドラゴンの少女は智へと向き直った。
「それじゃ、私達も帰ろうか」