第31話 七瀬の助け
「す、すげえ……」
目の前の状況に、俺はまばたきも忘れてしまう。
ベルナールが毒を扱うドラゴンゾンビだということは、前々から聞いてはいた。だけど、彼が実際にその能力を行使して戦うところを見るのは、これが初めてだったのだ。
四体もいたドラゴニュートが、ものの数分で眠らされた。行動不能になったので、事実上戦闘不能と同義だろう。多勢に無勢だった状況が、あっという間に覆された。
これで相手は、親玉であるあのワイバーンのみ。
こっちにはベルナールに加えて、最強のドラゴン少女たるルキアまで控えている。負けることなんて、万に一つも考えられなかった。
落合の奴、もう終わりだな。
それを確信した時だった。不意に後ろから、ガチャリという音がした。
シャッターで塞がれた倉庫の入り口、その隣にあるドアを開けて、なんと七瀬が入ってきたのだ。
「あ、いたいた。智、大丈夫?」
「七瀬……!?」
彼女は制服姿のままで、その片手には何故か、二本のスパナが握られていた。
どうしてこんなところに、と思った。しかしその前に、俺は七瀬がどうやってこのドアを開けたのかについて疑問を抱いた。
ベルナールがドラゴニュートを制圧しているあいだ、俺は戦いを見守りつつも出口を探していた。誤解なきように言っておくが、別にひとりだけ逃げようと思ったわけではない。
ルキアやベルナールと違って、俺はドラゴンじゃない。
俺がドラゴニュートに捕まって人質にされるようなことがあれば、ルキアやベルナールの足を引っ張ることになるのは目に見えていた。ドラゴンが人を傷つけることは三原則で禁じられているが、相手は落合に加担するようなドラゴン、到底原則なんか守るような連中じゃないだろう。
もしもに備えて、退路を見つけておく必要があると思ったのだ。
「お前、このドアをどうやって開けたんだ? 閉まってたはずなのに……!」
俺は真っ先にシャッターを確認したが、どう足掻いても開きそうになかった。続いてこのドアを調べたけれど、どうやら外側から南京錠か何かで施錠されてるらしく、こちらも開かなかった。
にも関わらず、七瀬はこのドアを開けて入ってきた。
つまり、彼女は何らかの方法でドアをこじ開けたことになる。
「ああ、このスパナを使ったの」
そう言うと、七瀬はその片手に持った二本のスパナを見せてきた。
真新しくて傷ひとつない、新品のスパナだ。
「南京錠の『U』みたいな形をした部分あるでしょ? そこに二本のスパナを差し込んで、ぐっと思いっきり力を込めると、てこの原理で簡単に南京錠を壊すことができるんだよ」
すらすらと説明する七瀬。
他のドラゴンでも呼んできて壊してもらったのかと思ったが、違ったようだ。
「キュラスがここに案内してくれたの。自転車を走らせて来たんだけど、そうしたらこの倉庫の中からすごい物音とか、ルキアさんやベルの声が聞こえてくるし、入り口も開かないから……もしかしたら智達が危ない目に遭ってるかもしれないと思って私、慌てて近くのホームセンターでスパナを二本買ってきちゃったんだ」
七瀬はここまで自転車で来て、さらに近くのホームセンターまで行ってスパナを買い、また戻ってきた。しかも、工具を用いていたとはいえ、このドアを施錠していた南京錠を破壊した。
そのスタミナといい、握力といい……さすがはテニス部期待の星だな。
「そうだったのか、ありがとな」
実際のところ、そこまでしてもらう必要はなかった。スパナ二本で恐らく数千円、無駄金を払わせちまったな。そもそも、こんなドアもシャッターもルキアなら簡単に壊せるだろうし。
でも、七瀬なりに俺やルキア、それにベルナールを思っての行動だった。
もし仮に状況が現在とは真逆だったら、俺達が落合達に追い詰められて、窮地に陥っていたとしたら……七瀬は救世主となっていたかもしれないのだ。
南京錠を壊すという決断をするあたり、なかなか大胆で行動力のあることをやると思ったけど、俺達を助けようとしてくれた七瀬の気持ちには、率直に感謝しなければならなかった。
ていうか、どうして南京錠の壊し方なんて知っていたのだろうか?
疑問には思ったものの、それを尋ねるのはまたの機会にすることにした。
「でも、大丈夫さ。もう落合のほうには、あのワイバーン一体しか残ってないんだから」
七瀬を安心させようと、俺は彼女に言った。
――この時、俺は気づいていなかった。
落合には、まだ伏兵がいた。五体目のドラゴニュートが、倉庫の割れた窓の陰から虎視眈々と、俺達に狙いを定めていたのだ。
◇ ◇ ◇
「さて、あとは仕上げですね」
ワイバーンに向かって歩み出ようとしたベルナールを、ルキアはその手で制した。
「もう大丈夫、何から何までやってもらったんじゃ申し訳ないし、あとは私がやるわ」
それ以外にも、ルキアにはこの戦いを自分の手で終わらせたい理由があった。
青い瞳にワイバーンの姿を映したまま、ルキアはベルナールに代わって歩み出る。
「これは元々私のケンカだし……それに私、人を傷つけるために力を使うドラゴンは、絶対に許せないタチなのよね」
ルキアはふと、智のほうへと視線を向けた。
するといつの間にここに来ていたのか、七瀬の姿があった。智や自身……つまりルキアを心配して駆けつけてくれたのか、あるいは他に理由があるのかは分からない。
とにかく、あのふたりを守る役割を担う者が必要だった。
「だからその……ベルナールはあいつと、七瀬さんのことを守ってあげて。七瀬さん、大切なお嬢様なんでしょ?」
初めてだったので、ルキアは遠慮がちにベルナールの名を呼んだ。
ベルナールは頷く。
「分かりました。女性を戦いの場に行かせるのは気が引けますが……そうおっしゃるならば、お任せします。智君達のことは、どうかご心配なく」
「ありがと、お願いね」
ベルナールに応じたルキアは、ワイバーンと落合に向かって歩み寄る。
親玉を倒す役割を買って出た彼女の表情には、もちろん一片のためらいもなかった。
「さあ、邪魔者もいなくなったことだし……逃げ道はどこにもないわよ」
ルキアの身体が光に包まれる。風もない倉庫の中で、彼女の髪や衣服が揺らぎ始めた。
再びドラゴンの姿に変身し、ワイバーンと落合の姿をその瞳に映しながら、ルキアは咆哮を上げた。
ドラゴンの咆哮は、宣戦布告の合図。
つまり、全力をもって戦いに挑むという意思表示だった。




