第30話 ベルナールの力
「叩き潰せ! 手ごわい相手だ、手加減するな!」
ワイバーンが放ったその言葉が、戦闘開始の合図となった。
四体のドラゴニュートが、一斉に襲い掛かってくる。対するはルキアとベルナール、戦力差は単純計算で半分、さらにはワイバーンまで控えているので、実質五対二、多勢に無勢と言っても間違いはない状況だった。
加えて、智を守らなくてはならないというハンデまである。しかし、ルキアの表情には一片の恐れもない。
彼女はまばたきもせず、青く澄んだ瞳で前を見つめ続けていた。
「うらあッ!」
先陣を切って殴りかかってきたドラゴニュート、その拳をかわしたルキアは、即座にガラ空きになった背中に回し蹴りを入れた。
続いて襲い掛かってきた相手には、攻撃を繰り出す暇すら与えない。
ドラゴニュートが何かをするよりも先に、その腹部にルキアの拳がめり込んだ。
その後、単体では勝ち目が薄いと思ったのか、二体のドラゴニュートは徒党を組み、両側から挟み撃ちをかける形でルキアに襲い掛かった。しかし、そんな小細工もまるで無意味――攻撃はことごとくかわされ、力の差は明白だった。
ルキアは傷つけられるどころか、その表情を曇らせることすらなかった。
「なんだこの小娘、どこにこんな力が……!」
力の差を感じ取ったのか、二体のドラゴニュートは攻撃を中断し、一旦後退した。
「まるで手ごたえがないわね、だから言ったでしょ? 増援の増援も呼んどけって」
ルキアは言った。
ドラゴン三原則では、ドラゴンが人間を傷つけることを禁じている。しかし、ドラゴンがドラゴンを傷つけることに関しては、何ら制約がない。
だからルキアは、悪辣なドラゴンを思う存分叩きのめすことができた。
「少しはやるか……!」
三体目のドラゴニュートが前に歩み出て、その右手の爪が伸びた。
鋭利に尖っていて、まるで刃物のような爪。切れ味は見掛け倒しではないだろう。切り付けられようものなら、少なくとも無傷では済まないに違いない。
表情こそ曇らせなかったものの、ルキアは身構えた。
素手だった先の二体とは違って、次の相手は武装している。後ろには智もいる、彼に危険を及ぼしてはならなかった。
威嚇するように、ドラゴニュートは伸ばした爪を擦り合わせた。
ガチガチと金属音が鳴り、オレンジ色の火花が飛散する。
「切り刻んでやる!」
爪を伸ばしたドラゴニュートが襲い掛かってくる。
迎撃しようとしたその時、ルキアの前に紺色の後ろ姿が現れた。
「!」
ベルナールが、ルキアを庇うために割って入ったのだ。
彼はドラゴニュートの右手首を掴み上げており、それだけで刃の爪は封じられていた。
「女性相手に刃物を持ち出すとは、呆れてしまいますね」
そう言い放つと、ベルナールはルキアを振り向いた。
倉庫の窓から差す光に、彼の胸元の懐中時計の鎖が煌めいた。
「お怪我はありませんか?」
鋭い目つきには不似合いなほどに、その口調は丁寧で紳士的だった。
「う、うん……ありがとう」
ルキアが頷くと、ベルナールは再びドラゴニュートへと向き直った。
「それにしてもルキア嬢、お強いですね? 人間の姿の状態でドラゴニュート二体を一蹴するとは……貴方様の戦いに見入ってしまうあまり、助太刀に入るのが遅れてしまいました」
そう言うと、ベルナールはドラゴニュートの手首を前方に押し返した。
すると、ドラゴニュートは再びその爪を振り上げた。標的は、ルキアからベルナールに変じたようだ。
「ベルナール、危ない!」
戦いを見守っていた智が、叫んだ。
危うくルキアも、同じことを言うところだった。刃のごときドラゴニュートの爪を防ぐ術を、ベルナールは持ち合わせていないと思ったからだ。
しかし、それが無用な心配だったことを、すぐに理解する。
ベルナールが勢いよく右腕を振ったと思った瞬間、執事服の袖の中から何かが飛び出した。
かぎ爪のように伸ばされた、鈍銀色の何か――それは刃だった。
「心配には及びませんよ、僕には隠し玉がありましてね」
すると、ベルナールの左の袖からも同じように刃が飛び出した。
右腕の刃でドラゴニュートの爪を押し返し続けたまま、ベルナールは左腕を振り抜くようにして攻撃を仕掛けた。
「ちっ!」
身を引く形で、ドラゴニュートが回避する――しかし、完全に避けることはできなかった。
ベルナールの刃はドラゴニュートの右腕をかすめ、わずかに傷つけた。
「もう、十分ですね」
すると、ベルナールは両袖から突き出させていた刃を引っ込めた。
「えっ、十分って……」
彼の行動に、ルキアは疑問を抱いた。
それもそのはず、たった少し傷をつけただけだし、目の前にはまだ他のドラゴニュート達や、ワイバーンもいるのだ。到底、武器を収めてしまうような状況ではないように思えた。
しかしベルナールは、
「すぐに分かります、あのドラゴニュートをご覧ください」
そう言った。
促されるまま、ルキアはベルナールによって腕を傷つけられたドラゴニュートを見つめる。
「てめえ、よくもやりやがったな! ズタズタに切り刻ん、で……」
そこで言葉が止まる。
グラリとその身が揺れたと思った次の瞬間、ドラゴニュートは唐突に倉庫の床に倒れ伏した。
一体どうしたのか? そう思ったルキアは、彼の様子をまじまじと見つめた。
「ぐ、すう……」
気持ちよさそうな寝息を立てて、ドラゴニュートは眠っていた。
「眠らせたの?」
「ええ、切り付けた際に催眠作用のある毒を注入しました」
ルキアが問うと、ベルナールは頷いた。
彼は胸ポケットから懐中時計を取り出して、見つめた。
「濃度はかなり抑えていますが……もう彼、少なくとも一時間は目を覚まさないでしょうね」
ベルナールの言っていることは本当のようだった。
仲間のドラゴニュート達が駆け寄って声を掛けたり、その身体を揺すったりしていた。しかし眠ってしまったドラゴニュートは反応するどころか、目を開けることすらない。
瞬時にドラゴンを眠らせてしまうということは、よほど強力な催眠作用を有した毒に違いなかった。
「他にも麻痺させて動きを封じたり、目くらましをしたり……それにあまり使いたくはありませんが、単純に命を奪う致死性の毒も扱うことができます。厳密に細分化すればスカルドラゴンとはいえ、僕はドラゴンゾンビですから」
説明すると、ベルナールは懐中時計を胸ポケットにしまった。
様々な効果を持つ毒を操る――使いようによっては多くの犠牲を出しかねない恐ろしい能力だが、味方にすれば心強かった。
ルキアは、目の前の敵達に向き直る。一体はベルナールに眠らされて無力化されたが、ドラゴニュートはまだ三体。さらに、ワイバーンまで控えている。
ベルナールという頼もしい味方がいるとはいえ、油断はできない。
「近寄らずに遠くから攻撃しろ、奴に傷つけられない限りは大丈夫だ!」
ワイバーンが、ドラゴニュート達に命じた。
どうやら、ベルナールの能力に気づいたらしい。
だとしたら、接近はせず遠距離から攻撃を仕掛けてくるはずだった。火を吐いてくるか、それとも他の飛び道具を用いてくるかは分からない。
ルキアは身構えた。
ドラゴニュート達が何かをする前に倒すのが最善策だと思ったが、この場からは離れられない。後ろに、智がいるからだ。
「ご心配なく、もうひとつの隠し玉をお見せします」
身構えるルキアを制すると、ベルナールは思い切り息を吸い込んだ。
その動作を見たルキアは、彼が何をしようとしているのかを察する。というのも、ルキアも『その攻撃』を繰り出す際には大きく息を吸うからだ。
――ブレス攻撃。
ルキアの予想は当たっていた。
次の瞬間、ベルナールはその口から白色のブレスを吐き出した。
霧とも煙とも見えるそのブレスは、一瞬と言える時のうちにドラゴニュート達を覆い尽くした。
「うっ! ゴホッ、くそっ……!」
充満したブレスを吸い込んだドラゴニュート達は、少しのあいだ噎せ、咳き込んでいた。
しかしすぐにさっきの一体と同じようにその場に倒れ伏し、動かなくなった。もちろん命を失ったわけではなく、眠らされただけ。それでも、行動不能になったことには変わりない。
ブレスが晴れた時、その場にはドラゴニュート四体の寝息やいびきが響いていた。
長時間眠らせるだけではなく、ベルナールの催眠ブレスにはかなりの即効性があるようだ。
「よい夢を」
わずか数分で勝負をつけたベルナール、相手を傷つけずに無力化する彼の戦い方は、決して自分には不可能だとルキアは思った。
「そっか、これだったら相手が大勢いてもすぐに無力化できる……」
ルキアが言うと、ベルナールが振り返った。
「ええ、耐性のあるドラゴンでもない限り、僕の毒霧はまず防げません。相手が何人いようとすぐに鎮圧できます。言ったでしょう? 多人数を相手にする戦闘は得意でしてね」