第29話 ベルナールの助太刀
「くそが……!」
忌々しそうに吐き捨てながら、落合を騎乗させたワイバーンがその場で身を翻し、地上へと飛び去っていく。
向かっていく先には、屋根に塗料で『MARINE』と書かれた古ぼけた倉庫のような建物が見えた。
「往生際が悪いわね!」
すかさずルキアが後を追う。
ワイバーンが降り立ち、そして逃げ込んだ場所は、空中から見えたあの倉庫だった。
埠頭の一角に建てられたその倉庫は、どうやらごく最近まで物資の運搬に使われていた場所らしい。端に位置する場所には錆びたコンテナ、それにプラスチック製のパレットが乱雑に積まれ、その近くには数台の古びたフォークリフトが放置されていた。割れた窓から差す陽の光で中は明るいが、他には荷物も見当たらずガランとしていて……もしかしたら、あのコンテナもパレットもフォークリフトも、近日中に撤去される予定だったのかもしれない。
こんな廃倉庫に駆け込んだら、むしろ逃げ場がないはず……落合の奴、一体何を考えているんだ?
近くの海から漂ってくる潮の香りに鼻をこすりつつ、俺は思った。
「こんな場所に逃げたって無駄よ。あんた達、自分で逃げ道を捨てたわね」
ルキアも同じことを思ったらしい。
壁の天井付近には割れた窓があるものの、倉庫内には他に外と通じるような扉も見当たらなかった。
これでもう、落合達の退路は断たれた。まさしく袋のネズミ、あいつらに残された道はもう降伏か、あるいはルキアにボコボコにされるかの二択だ。
しかし、落合は笑みを浮かべた。
そして、いつも通りの人を小馬鹿にしたような目で俺を見てくる……あいつ、一体何を企んでいるんだ?
「逃げ道がないのはお前らのほうだ、松野……今から思い知らせてやる」
次の瞬間だった。後方からガラガラと音がして振り返ると、俺達が入ってきた入り口がシャッターで閉鎖された。
何のつもりだ!? と落合に言いたかったが、
「おい、やれ!」
そう命じると、落合はワイバーンの背中から降りた。
ワイバーンが咆哮を上げる。
ただの咆哮とは違った。まるでサイレンのようにも思えて、何かの合図を発しているような……何の意味があるんだと思ったが、その意味はすぐに分かった。
窓が砕ける音が鳴り響き、誰かが倉庫内に降り立つ。
数にして四人――しかし全員が、人間ではなかった。
ドラゴニュート。
体格的にも身体構造的にも、リザードマンに次いで人間に近いドラゴンだ。リザードマンとの明確な相違点は、翼を有し、飛行能力を有しているということである。連中は恐らく空を飛び、外から窓を突き破って倉庫内に侵入したのだろう。
ドラゴニュート達が、落合とワイバーンのほうへ歩み寄り、そしてこちらを見つめて笑い声を発する。
「なるほど、逃げ込んだと見せかけて仲間を呼んだってわけね」
ルキアが言った。
どうやら、ワイバーンが発したあの咆哮は招集の合図だったらしい。
「形勢逆転だな……!」
ワイバーンが言う。
向こうは四体のドラゴニュートが加わったことで、計五体のドラゴンがいる。対して、こっちはルキアだけ……頭数から考えれば、多勢に無勢だった。
落合達は、闇雲に逃げ回っていたわけではなかった。真っ向から戦っても勝ち目はないと踏んだあいつらは、俺達をここにおびき寄せて逃げ場を塞ぎ、増援を呼んで集団で襲い掛かることにしたのだ。
「小汚い奴……!」
そう言った俺の隣で、ルキアの身体が淡い光に包まれる。
ドラゴンの姿だった彼女が、人間の姿に変身した。
「ちょ、どうした?」
戦うのなら、ドラゴンのままでいたほうがいいと思った。
このタイミングでルキアが人間の姿に戻った理由が、分からなかったのだ。
「ドラゴニュートを相手にするなら、この姿のほうがやりやすいのよ。あいつらはすばしっこいし、ドラゴンの姿だと捉えきれないかもしれないから」
一応、彼女なりの理由があるようだった。
「あんたはどこかに隠れてて、いざとなったら助けに行くから、何も心配いらないわ」
「分かった……」
俺が後ろに下がると、ルキアは逆に前に歩み出た。
すると今一度、彼女は俺を振り返る。
「ま、五分もあれば終わると思うから」
その言葉を合図にしたかのように、ワイバーンが、ドラゴニュート達が、それに落合が笑い始める。あいつらの嘲笑が、倉庫内に響き渡った。
「五分だ? 俺達が小娘ひとり捻り潰すのに、そんなに時間がかかると思うか?」
「ヒヒッ、俺達も見くびられたもんだな」
ドラゴニュート達が言う。
「お前、目の前の状況が見えてねえのか? 増援が来たからには、もう容赦しねえぞ!」
続いて、ドラゴニュート達をここに招集した張本人であるワイバーンが言った。頭数で大きく差をつけ、もう完全に自分達に分があると考えているようだ。さっきまで逃げに徹していたとは思えないほど、強気になっている。
ルキアならきっと大丈夫だと信じていたが、人数の差では圧倒的に彼女が不利だった。五対一……いくらルキアでも、この戦力差を覆せるのかどうか……。
しかし、
「状況ならよく見えてるわよ、数と強さがイコールだと勘違いしてるドラゴンが五体。増援を呼ぶのは勝手だけど、増援の増援も呼んどいたほうがいいんじゃない? 何だったら、待ってあげるけど」
ルキアの気丈さは、やはり微塵も揺らがなかった。
彼女の言葉に憤慨し、ワイバーンやドラゴニュート達が咆哮し始め、一触即発の空気で周囲が満たされる。
拳を構え、ルキアが臨戦態勢をとる。
始まる……! と思った瞬間だった。
「まったく、女性ひとりにこれだけの人数を集めるとは……男の風上にも置けませんね」
不意に聞こえたその声には、大いに覚えがあった。
声のほうに視線を向けると、いつの間にそこにいたのか……ベルナールが、窓際の鉄骨が突き出た場所に立っていた。
腕を組んでいかにも不機嫌そうな目つきをしている彼の右肩には、一匹のコウモリが止まっていた。
「ベルナール、どうしてここに……!?」
するとベルナールは、鉄骨から飛び降りて俺の前に降り立った。
「お嬢様から頼まれたんです、助けに来ましたよ」
七瀬が応援を頼んでくれていたのか。
ベルナールは、肩に止まっていたコウモリを右手の人差し指の上に移動させた。
「ありがとうキュラス、行っていいですよ」
まるで彼の言葉を理解したように、コウモリが空を飛んで割れた窓から出ていく。
「あのコウモリは……?」
「ああ、あのキュラスは僕の相棒の龍界コウモリです。地上のコウモリ以上に高度な知能、それに鋭敏な嗅覚を有していましてね。智君達のにおいを辿って、ここに案内してもらいました」
どうしてここが分かったのかと思ったが、そういうことだったのか。
「さて、助太刀しますよ」
前に歩み出ながら、ベルナールは言った。
その言葉の相手は俺ではなく、ルキアだった。
「それは助かるけど……大丈夫? 向こうは五体もいるのよ」
ルキアの問いかけに、ベルナールは頷いた。
「心配には及びません。僕の能力の性質上、多人数を相手にする戦闘は得意でしてね」
ベルナールが戦うところは、俺もまだ見たことがない。
ドラゴンゾンビだってことは知ってるけれど、どんな能力を持っているのか、どんな力を使うことができるのか、何も分からなかった。つまるところ、彼の力は現時点では未知数だ。
ともあれ、この人数を相手にするならルキアひとりよりも、ベルナールがいたほうがいいのは間違いないだろう。
「分かった。それじゃあ、お言葉に甘えて助けてもらうわ、えっと……」
「ああ、呼び方なら『ベルナール』で大丈夫ですよ。こちらこそよろしくお願いします、ルキア嬢」
ファイアドレイクのルキアと、ドラゴンゾンビのベルナール。
短い会話を交わすと、ふたりは襲い掛からんとしている目の前の敵達に向き直った。




